死の舞踏 8.3分間の決闘

 三人の口元から、白い息が絶え間なく漏れていた。
 アナベルは杖を破壊神の神殿の間の石床につきたて、それにすがってやっと立っているありさまだった。
 アロイスは、無理矢理一歩足を踏み出して、破壊神シドーの断末魔を眺めた。そのモンスターがぶち破ったハーゴン神殿の壁の穴から、厳寒のロンダルキアの凍てつく風がふきこんでいた。巨大な怪物が息絶えると、その体に粉雪がさらさらと降り注いだ。
 ハーゴンが死に際に次元の壁を越えて召喚したのは、シドーに感染している巨大な六本脚の怪物だった。名も知らぬそのモンスターが息絶えれば中にいる“シドー”も死ぬ。生体の中でしか生きられない制約が働くからだった。
 アロイスは勝利の高揚とも達成感とも無縁の表情を浮かべていた。激しい驚愕であり、ほとんど恐怖だった。
「まさか、こんな……シドーが感染性の破壊神だなんて」
 がたんと音をたててハヤブサの剣が石畳の上に落ちた。
「終わりだ……」
白い呼気とともに絶望の言葉を吐き出してアーサーが顔を覆った。
「俺は感染している」
「君は先ほど、ハーゴンの放った虫を魔法力で弾いたじゃないか。どうして君が感染してるんだ?」
アナベル、アーサーともにMPを蓄えているというのに。
「俺は、ベラヌールで大神官に会ってるんだ」
アロイスとアナベルは顔を見合わせた。忘れもしない、ベラヌールはアーサーが一夜のうちに呪いを受けて瀕死になった土地だった。
「まさか、あの呪いが」
アーサーはうなずいた。
「ベラヌールであいつはおれ一人を宿から呼び出した。そのとき俺の口をむりやりこじ開けて直接シドー虫を流し込んだ。魔力で弾くこともできなかった」
その翌日の朝、アーサーはベッドの上でほとんど硬直しているのを発見された。息はある、心臓は動いている、だが目を見開いたままアーサーは身動き一つできなくなった。
「あのときは、精霊ルビスさまが土地の女性の姿を借りて、世界樹の葉を取りに行けと教えてくださいました。まさか」
とアナベルが言った。
「あの時俺の体は死んだわけじゃなかった。死体にはシドーは憑けないからな。でも呪い=感染していた。たぶん、一度魂が死んだのだと思う。世界樹の葉は、魂を蘇らせ、クエストを続けるために必要だったんだ」
 アロイスは口を開こうとして、空しさのあまりまた閉じた。何を言っても気休めにしかならないのだった。心を読んだようにアーサーがつぶやいた。
「あいつは『潜伏期間がある』と言っていた。俺の体に憑りついたシドーはじっと時を待っていたんだろう。たぶんこれから俺は生きてる限り、じわじわシドーに乗っ取られていくんだろうな」
粉雪はもうほとんどモンスターの巨体を覆ってしまっていた。しばらくの間、ロンダルキアに風がふきすさぶのをパーティは黙って聞いていた。
 やがて、アナベルがつぶやくように言った。
「あの、ここにいても、どうしようもありません。下界へ戻りませんか」
「アナベル、おれたちはずっと一緒に旅をしてきたんだ。いつもロト系装備を身に着けていたアロイスはともかく、君ももう感染していて、今は潜伏期間なのかもしれないぞ」
疲れた口調でアーサーが言った。
「ムーンブルグ領にある精霊ルビスの乙女神殿。私はその聖域へ直行して、一生外へ出ないつもりです」
覚悟を決めた顔でアナベルは言った。
「あの聖域はネクロマンサーたちのものです。死の匂いのために人はめったに近寄りません。それでももし発症したら、私は自分の命を絶ちます。シドーは生体のなかでしか、生きられない」
「国はどうする」
「あ……、代王がいれば、たぶん、私なんかいなくても」
ようやく稲妻の剣を鞘におさめ、アロイスがつぶやいた。
「ぼくも王太子を辞退するか」
いや、とアーサーは言った。
「おまえはたぶん、大丈夫だ。竜王の城でロトの剣を手にして以来、いつも何かしらロト系装備をしていただろう」
「……そうだった。もし、あのとき」
やめろ、と短くアーサーは言った。
「装備を俺に譲ってたら、とかくだらないことを考えただろう。意味がないんだ。あいつは俺の体内に直接感染源をつっこんだんだから」
絶望の種子が心に芽吹いた。あまりの辛さに思わずアロイスはつぶやいた。
「なんでそんな、油断を」
「奴の顔を見ただろう。俺とあいつが似ているのは、あいつが俺の父親だからだ」
アナベルは目を見開き、片手で口元を抑えた。
「やつは母のアンナと通じて俺とアリスを産ませた。ベラヌールの宿に届いた伝言は、恥ずかしいほどお涙ちょうだいだったよ。生き別れのわが子にひと目会いたいと言われて……おれとしたことが」
泣き笑いのような顔でアーサーはつぶやいた。
「手遅れなんだよ、もう」
手袋で覆った長い指でアーサーは額の上のゴーグルをおろし、顔をおおった。ゴーグルの表面がたちまち白くなり、彼の表情は見えなくなった。
「とりあえず、下界へ降りよう。みんな」
アロイスは言葉を切って仲間を見まわした。
「今日ここで見た物事は、誰にも言わないこと。パーティのリーダーとしての最後の指示だ。それでいいか?」
即座にアナベルが答えた。
「ええ、そのほうがいいと思います」
アーサーは黙っていた。
「こんなことを人々に知らせてもパニックを誘発するだけだ。ぼくはロト装備を持っていれば大丈夫らしいし、アナベルはひきこもるそうだ。これを」
アロイスは、聖なる守りを袋から取り出し、中央の赤い魔石をはずしてアーサーに手渡した。
「持っててくれ、肌身離さずに」
「俺はもう」
「ハーゴンが自分で言ってた。『私がおまえたちに本当のことを言うとは限らぬぞ』と。ベラヌールまでハーゴンが来たのは本当だと思うけど、君が感染しているかどうかは誰もわからないんだ」
「はかない望みだと思うが……」
そうつぶやくアーサーの声はかすかにふるえていて、一縷の望みにすがっていることがわかった。
「了解した。誰にも言わない」

 アリスとアーサーは、決闘のように背中合わせで立った。片足をわざわざルティレまで上げてから歩き出し、数歩の距離まで離れて角度を変え、また向かい合った。再びルティレ、フラッペを加えて互いに手を取った。血が通っているとは思えない冷たさにアリスはまたぞくぞくした。
「父親殺しをした、とおっしゃるのね、お兄さま」
仮面の下から冷静な目がこちらを見ていた。
「したよ。それが精霊女神の御意志だ。さて、次は悪い方の知らせだな」
男にしては紅い、薄めの唇が笑いの形になった。
「アリス、おまえをいっしょに地獄へ連れていく」
長い指を見せびらかすように操ってアリスは微笑んだ。
「あなたは亡者でしょう、お兄さま。一度死んだ人間に何ができまして?」

見え透いた言葉だと 君は油断してる
良く知った劇薬なら 飲み干せる気がした

「ロンダルキアから帰ってしばらくの間、俺は自分自身を観察していた。自分の感染を確認したとき、おれは死ぬ気になった。これ以上生きていても破壊神に堕ちるだけだから」
華やかな衣装をまとって議会に現れたとき、彼はそもそも死ぬつもりだったのかとアリスは思った。
「それで自殺を?」
「ああ。この体はもう生体じゃない。だから今の俺はシドー感染から完全に自由だ。でも生きているときに俺はおまえを感染させてしまったんだな」
――夢を、ご覧になりますか。
アリスは耳の奥に、アロイスの質問をよみがえらせた。それでは彼は、知っていたのだ、何もかも。いつも胸にロトの紋章を描いた聖なる守りを下げていたのは、感染防止のためだったのか。
 だが、魔力がなく、守りも持たない自分は。
「おまえは感染している。サマルトリアに残っているロトの末裔は俺たち二人だけだ。おまえが感染したのは必然だった」
「私は破壊神になるのですか」
「ロトの末裔である以上、感染から逃れることはできないのさ」

錆びつく鎖から 逃れるあても無い
響く秒針に 抗うほど

 アーサーの前にアリスは立ち、特徴的な振付で腕を上げた。まるで磔の刑のようにアリスは固定されている。死者の腕が体の表面をなでおろしていく。すぐ後ろにある兄の唇から、呼気がもれていないことをアリスは知った。
「どうしてわたくしが死なねばなりませんの?」
挑戦的にアリスは言った。
「私はまだ何もしていませんわ。これからだというのに」
「シドーになったものは、あらゆる手段でシドーを播種しようとする」
とアーサーはつぶやいた。
「アリス、おまえは最悪の魔王になれるんだ」

たとえば深い茂みの中 滑り込ませて
繋いだ汗の香りに ただ侵されそう

フィドル弾きたちは熱狂の旋律を紡ぎだしていた。両手首を重ねて前へ突き出す。その動作に合わせてアリスは喉をそらせた。
「私が?」
「アレクス=ハーゴンがやりかけたことを、おまえなら遂行できる。新たな世界、新たな宇宙へシドーを送り込んで、相性のいい個体を探すクエストさ」
アリスは短い笑い声をあげた。
「生まれてからずっと望んできたものが手に入るとおっしゃるのね」
「お前は何を望んできたんだ?」
振付が要求する通り、アーサーは顔をうつむけたポーズで停止した。その背後に回り、アリスは抱きしめるように腕をその体に這わせた。
「ひとつは力。もうひとつは、サマルトリアの滅亡」
はっきりとアリスは言った。
「それにお父さまの遺志を継ぐことが加わりましたわ」
「させないさ、そんなことは。そのためにおまえを殺すよ、アリス」
くすくすとアリスは笑った。
「どうやって私を地獄へ連れていくのでしょう?いまさら毒を盛るおつもり?」

ありふれた恋心に 今罠を仕掛ける
僅かな隙間 覗けば

 仮面の陰でアーサーは薄く笑った。
「毒は効かない。剣で斬り殺すような物理的な手段は、アロイスがいる以上使えない。仮にも夫婦だからな。だけど、おまえには弱点があるだろう?」
とアーサーは言った。
「そんなもの……」
とつぶやいた瞬間、アリスの脚がもつれた。
「そうさ、おまえの体だ。今夜は何曲目だ?疲れてくたくたなんじゃないのか?」
ステップを立て直しながら、そういうことか、とアリスは思った。
「心臓の発作を、ダンスで誘発しようということ?」
「子供のころからおまえを見てきた。おまえの体力の限界なら見当がつく」
「そうかしら?」
額に冷汗が出てきた。心臓が痛み始める予兆をアリスは感じていた。
「ひとつ教えようか。おれのこの体も、それほど長くない。たぶんこの音楽が一曲終わるまで持てばいい方だ。俺の体が滅びるか、お前の心臓が壊れるか、どっちが早いかな」
「では、賭けということね。子供のころ、よくそれで遊びましたわ」
そういう言葉も、とぎれとぎれになる。あと少し。アリスは気力を振り絞った。

捕まえて

あはは、とアーサーは笑った。
「俺の勝ちだ。さっき、疲れたと思ったらダンスをやめればよかったのに。俺との勝負となるとおまえは絶対に後へ引かない。悪い癖だよ」
「早く滅びてくださいませ、お兄さま?」
仮面の下の顔が、にやりと笑った。
「ダンスの前に、薬を飲んだだろう?」
ふ、とアリスは笑いとばした。
「ネリーが私を裏切って毒を盛るはずがありませんの。それに指輪でも試してみましたもの」
「ネリーじゃない。アロイスだ。婚礼のダンスまで花嫁の体力が持つようにとネリーに薬を渡してこれを何度も飲ませろと言ったんだ。ネリーは疑わなかった。だって、それは本当におまえの常備薬と同じものだったから」
「何が言いたいの」
痛みも疲れも感じない体のアーサーは喉を鳴らした。
「サマルトリアの王宮薬草園謹製の粉末剤。心不全の特効薬。正体はキツネノテブクロの葉を乾燥させたものだ。またの名をジギタリス・プルプレア」
ずき、と心臓に痛みが走った。

たとえば深い茂みの中 滑り込ませて

「ジギタリス中毒なんだよ、おまえは」
アリスは歯を食いしばった。
「脈が速くなっているだろう?ほら、心臓が収縮する」
言われなくても、心臓が体の中で暴れているのがアリスにはわかった。巨大な手に胸をつかまれ、強く握られているような気がする。
「う……」
「貧血が始まったようだな。言っただろう、だまされた方が負けだって」
子供のころの戯言を冷静にアーサーがささやいた。
「まだよ」
と踊りながらアリスはつぶやいた。
「まだ、終わって、ないわ」
あと数小節。そこまで耐えれば、兄の方が自滅する。仮面の陰でアーサーは微笑んだ。
「最後まで勝ちに来るか。子供のころから変わらないな」
むしろ優しくアーサーは言った。
「世界中を歩き回ってきたが、おまえみたいな女はどこにもいなかったぞ」
「お兄さまも、ね」
苦しい中でアリスは微笑んだ。
「お兄さまの、いない、サマルトリアは、退屈、で、しかたあり、ま、せん、でし、たわ」

繋いだ汗の香りに ただ侵されてる

「さあ、あと少しだ」
再び背中合わせになった。これは決闘なのだ、とアリスは改めて思った。数歩離れ、向きを変え、また距離を詰める。心臓が、暴れている。視界の周辺が暗くなり、中央にいるアーサーだけが見える。
 アーサーが手を差し伸べた。
 鳴り響く禁曲の、フィドルの調べ。
 死せる兄の手にむかって、痛みをこらえて手を伸ばした。
 おいで、と彼の視線が雄弁に誘っていた。その腕の中にアリスはほとんど倒れこんだ。強く、抱きしめられる感覚があった。
 アーサーの腕の中でアリスは目を閉じた。

 婚礼の招待客は、うっとりとダンスを見ていた。その日の客の中には伝説的なサマルトリア王家の兄妹を覚えている者も多かった。
「アンナ様の婚礼を思い出しますわ」
「あの殿方はどなたかしら」
「姿もよし、ダンスもお見事な」
だが、勘のいい者はぞくぞくと背を粟立たせていた。
「お見事ってレベルじゃない……」
汗だくの楽師がフィドルの弓を引ききった。舞曲が終わった。周囲の人々は拍手で踊り手をねぎらおうとした。湧き上がりかけた歓声がざわめきにとってかわった。
 音楽が終わったのに、二人の踊り手は動こうとしなかった。激しい動きが多く、特に花嫁が疲労困憊しているのだろうと、人々は最初、思ったのだ。だが、異変が起きかけていた。
 黒の貴公子の顔から、黒絹の仮面が落ちた。人々はこの踊り手の正体を知ろうとその顔をのぞきこんだ。
 端正な顔立ちを作り上げている顔面の肉がじわりとゆらぎ、ぶくぶくと泡立ち、ぼたぼたこぼれだした。額が溶け、眼球が流れ落ち、暗い穴のあいた白い頭蓋骨が露出した。虚ろな眼窩とむきだしの歯は、見る者を嘲笑っているようだった。
「ひいいいいっ」
黒衣の若者の顔、手首など服から露出している部分の肉が、ゆっくり溶けてなくなっていく。それは気色の悪い光景だった。あちこちで悲鳴があがった。その残響が消える前に、黒の貴公子は礼装用の黒いダブレットをまとった骸骨と化した。
 骸骨は奇跡的に倒れず、立っていた。アリスはそのまま骨の腕に抱かれて動かなかった。その顔は青ざめ、目を閉じ、明らかに生者の領域から外れてしまっていた。
 人々はそれ以上声も立てられずに立ちすくんだ。
 美しい姫と踊りきった骸骨のありさまは、ダンス・マカブル、死の舞踏と呼ばれる構図とあまりにも一致していた。
 最初に我に返ったのはサマルトリアの大臣エモット公だった。
「だ、誰か、アリス様を」
いきなり悲鳴が渦巻いた。誰が見てもアリスは、サマルトリアの次期女王は死んでいた。
「どうすればいいんだ」
「誰か僧侶は、いや、薬師は!」
誰かの声がわめきたてた。
「ランドン様をお呼びしろ!」
サマルトリア側の人間たちはほとんどパニックになっていた。
 突然、扉が開いた。警護の兵士たちが舞踏会場へ集まってきたのだった。
「お鎮まり下さい」
冷静な声が響き渡った。ローレシアのアロイスだった。
「ランドン殿はお呼びたてする必要はありません」
ランドン王の取り巻きだった貴族の一人が興奮してくってかかった。
「ローレシア側の方は黙っていただきましょう!もう、我が国に王はいないのだから」
アロイスはその男を無視して躯となったアーサーへ歩み寄り、その腕からアリスの遺体を抱き取った。
「卿こそ勘違いをしておられるようだ」
パニック寸前の人々をアロイスは見渡した。
「ぼくは妃のアリスからサマルトリアの王位継承権を相続した。今こそぼくはローレシア、サマルトリア二重王国の、たったひとりの王だ」
感染性の破壊神シドーは、今、ほろんだ。アロイスは深く息を吐き出してつぶやいた。
「やっと勇者じゃなくなったんだ……」

 サマルトリア城の薔薇迷宮には、まだ白薔薇が残っていた。中央の休み処、白い柱を巡らせた円形のあずまやにアロイスは一人で立っていた。
 あのとき宣言したとおりに、アロイスはローレシアとサマルトリアの合併を成し遂げた。エモット公はアロイスの代理としてサマルトリアの行政を担当することに最終的に同意した。
「昔からわが国は、ロトの末裔を戴いてきたのです、結局のところ」
とエモット公は言った。前々王ランドンとその家族をクラスト伯爵領に閉じ込めて一生外へ出さないという密約も、公との間に成立した。
 実際それがサマルトリア全体の結論であったようで、併合が決まってからは不満を持つ者はほとんど現れなかった。
 その日アロイスはエモット公から内政に関して報告を受けると、帰る前に薔薇の庭園へ行きたいと言い出した。以前に案内役をしてくれたネリーは、アリスの死と同時に王宮勤めを辞任していた。
「少しは落ち着きましたか?」
足もとから声がした。アロイスは身をかがめて水晶球を拾い上げた。その中に、ムーンブルクのアナベルが映っていた。
「おかげさまで。そちらはどう?」
水晶玉の中のアナベルは肩をすくめた。
「発症はまだないようだわ。感染していないのか、潜伏期間中なのかはわからないけど」
「元気ならいいんだ。疲れたんじゃないかい?君にはだいぶ無理をしてもらったからね」
アナベルは頭を振った。
「こんな遠いところから死体を操るなんて、私にはもう二度とできないし、やりたくもないです」
アリスとのダンス一曲踊るだけの時間、アーサーの魂を召喚し、死体を動かしてくれ、とアロイスはパーティ前にアナベルに依頼していたのだった。
「それがアーサーの計画だったんだ。あいかわらず無茶だよね」
くすっとアナベルは笑った。
「そうね。アーサーはずっと無茶ばかりだった」
アロイスは水晶玉をしげしげと見つめた。
「アーサーのこと、好きだった?」
アナベルは絶句した。一瞬、泣きそうな顔になり、目を閉じてやりすごし、そして小さくうなずいた。
「片思い、でした。アーサーは私の気持ちに気付いてくれたことは一度もなかった。そのまま彼は逝ってしまったわ」
アロイスは黙ってその告白を聞いていた。
 突然アナベルが言った。
「あなたはアリス姫を好きだったのでしょう?」
アロイスは苦笑した。
「ぼくは」
つい半月ほど前、同じこの薔薇迷宮にいた兄妹をアロイスは思い出していた。くつろいだようすで円柱にもたれていたアーサー、けだるげに揺りイスに座るアリス。容姿と知能に恵まれ、だがいささか性格が悪く、毒舌の兄妹だった。
「アリスとアーサー、二人とも好きだったよ」
「あなたでもあの二人の間には入れなかったのね。私なんか……」
語尾はそっと掠れていき、静かに消えた。アロイスは目を閉じた。
 アリス、アーサー、アナベル。二度と会えない三人の幻をアロイスは瞼の裏に思い描いた。
 風が吹いた。真っ白な薔薇の花弁が拍手のように舞い上がった。目を開けたとき、アロイスはたった一人だった。