死の舞踏 7.婚礼のダンス

 タックを大量にたたんだ若草色のアンダードレスの上に白い絹のガウンを重ね、結い上げた髪を緑の宝飾ネットで抑え、アクセサリは銀と碧玉のみを少量使う。サマルトリアのアリスは、17歳の若さ、初々しさ、清楚、そして緑を貴色とするサマルトリアの新女王の立場を衣装で明瞭に表現していた。
 サマルトリア城の舞踏会は華やかに始まっていた。日中は隣国ローレシアの若き国王アロイスとサマルトリア女王アリスが祭壇の前で精霊ルビスに結婚の誓いを立て、夜は晩餐会、そして両国の貴族たちが親睦を深める目的で行われる舞踏会だった。
 明日から新夫婦はローレシアへ移り、そこでローレシア・サマルトリアの対等な合邦が行われ、両国の家臣たちが改めて忠誠を捧げるセレモニーが予定されていた。
 今日の主催はまだサマルトリアだった。主催側の提案で、舞踏会に出る者は仮面をつけることになった。ローレシア側、サマルトリア側がお互いに偏見なくダンスを楽しみ、合図を受けて一斉に仮面を取り、種明かしをして親睦を図ろうという趣向だった。
 仮面を言い訳にあるていどの大胆さも許される。数時間前に結婚したアリスも、白絹に薄緑の菱形模様をつけた繊細な仮面をつけ、両国の貴族の若者から誘われて何度かダンスをしていた。
「姫、お疲れではありませんか」
仮面をつけていても王家の緑をまとう若い貴婦人がアリスだと言うことは誰の目にも明らかだった。
「大丈夫ですわ」
アリスがきわめて病弱だということは二国間に知れ渡っていた。
 彼女はロトの末裔だった。先祖をたどれば世界中を歩き回って大魔王と対峙した勇者がいるのだが、アリスは自分の部屋からほとんど出たことがなかった。戦闘など論外で、実はMPをまったく持たない。舞踏会も、ほぼこれがデビューである。結婚はおろかこの年まで生き延びるかどうかも危ぶまれていた。
「お兄さまの分も、私がつとめなくては」
「ご無理をなさいませんように。一度お休みになりますか?」
ダンスパートナーがそう言うと、アリスは亡兄に似た美しい顔立ちにけなげな微笑みを浮かべた。
「アロイス様とダンスをしたら、寝室へ引き取ろうと思います」
パーティのもう一人の主役であるアロイスは、新郎らしく真珠色のダブレットに金縁の青い仮面をつけている。ちょうど今、ロト三国のひとつムーンブルクの王族の女性に一曲ダンスをつきあっていた。ロト三国のみならず、あちらこちらから客を招いているので挨拶する相手も多く、そこに手間取ってアロイスはなかなかアリスのところへは来られなかった。
 アロイスは、花婿として非常に冷静だった。繊細な体質の花嫁が疲れないようにとあらゆる心配りをしてくれた。立っている時間はできるだけ短く、侍女のネリーはすぐそばに付き添って、常に薬酒を用意していた。新夫婦は祭壇での誓いもごく短時間で済ませ、誓いのキスさえ省略している。
 だが、新郎は二十歳、同じく新婦は十七、この若々しいカップルが手を取り合ってダンスをする、それはこの結婚の象徴であり、ローレシア、サマルトリア両国の軍事及び経済同盟、ひいてはまもなく誕生する二重王国の象徴でもある。どれほど疲れても、アリスはもうしばらくアロイスを待たなくてはならなかった。
 ダンス相手の若者は繊細な作り物を扱うようにうやうやしくアリスを元の席へ送り届けた。そこには侍女のネリーが待ちかまえていた。
「姫、お薬をお持ちしました」
小声で言って、ワインの入った純銀のマグの中へ小さなガラス瓶から粉末を注ぎ、アリスに手渡した。
「飲み干してくださいまし」
アリスは無言でその日何度目かの薬酒を口にした。
 実際その日、いつもの自分の運動量の数倍をアリスはこなしていた。身体はへとへとで、もう息苦しくなっている。ベッドに横になることはできなくても座りたいとは思っていたのだった。だが、頭は十年近くにわたって積み上げてきた計画が滞りなく進行しているのを監視し、評価し、次の行動を謀ってフル回転していた。
「あと、もう少し」
 兄のアーサーは逝った。前王ランドンとその子供たちは王位継承から排除した。
 そして今夜、アリスがアロイスとともにローレシア・サマルトリア連合王国の次期支配者となることが決定した日の夜、アリスは、不要となった夫を排除する計画を進めていた。
 アロイスの両親を手始めに主だった家臣を攻略する。彼らを味方に取り込んだら、今度はじわじわとアロイスを孤立させ、自分、アリスが実権を握る。この結婚披露パーティの間に、有力な家臣の目星をつけておかなくては。最終目的のためにはどんなに疲れ、胸が苦しくなってもここにいなくてはならない。
「わたくしの野望のために、その玉座を明け渡してくださいませ、愛する背の君」
胸の中でそうつぶやき、アリスはしとやかに顔を上げた。今侍女に持ってこさせた薬がアリスの心臓をもう少しだけ持たせてくれる。
「誰か、いすを」
侍女が壁際からいすを動かそうとして、その動きをとめ、息をのんでアリスの背後を見つめた。アリスはふりむいた。黒のダブレットの貴公子が近づいていた。おそらく二十代そこそこの若さで、武官らしく背筋を伸ばしている。上着の縁は細かい金糸刺繍入りで、スラッシュから濃紺のブラウスが見えていた。喉のすぐ下には青い絹地でつくった薔薇の造花が一輪留めつけられている。彼の仮面はアリスのそれと対のような黒絹張りで青の菱形模様だった。
 アリスは立ちすくんだ。
 周囲からざわめきが起こった。
「どなたかしら?」
「あんな若殿がサマルトリアにいた?ローレシア人かしら」
「青はローレシアの紋章色ですけど、でも」
「ええ、そうね、だって」
誰一人口には出さないことを、アリスは最初から気づいていた。
――お兄さま。
黒の貴公子は、早世した兄アーサーと背格好、色白の肌、明るい栗色の髪、仮面からのぞく目の澄んだ緑色が同じだった。何よりその若者は、アリスがよく知るアーサーの気配をそのまま持っていた。
「踊っていただけますか」
ざわめく貴族たちの見守るなかで、貴公子はアリスに手を差し出した。彼の身に着けている服が、アーサーの遺体がまとっていたのと同じ色、同じ装飾だということに気付いてアリスは戦慄した。
 すぐ後ろでネリーがささやいた。
「アリス様、一度お休みになりませんと」
今夜は長丁場になる。腹心の侍女は心得ていて、ダンスを中断するように警告しているのだった。
「アリス様」
アリスは袖で侍女を遮った。黒の貴公子を正面から見つめたまま、アリスはささやいた。
「大丈夫、薬は飲みましたから」
黒の若者は、仮面の下で薄くほほえんだ。瀟洒で気取った気配、皮肉めいた笑い方。何もかも死んだアーサーを思わせた。
「それはよかった。夫君のお許しもいただいてきました」
アリスは顔を上げて花婿を探した。アロイスはボールルームの向こう側にいた。こちらの方を見て、一度しっかりうなずいてみせた。
「では、一曲だけ」
と、アリスは言った。黒の貴公子はエスコートのために手を差し出した。白い手袋をつけたその手にアリスは自分の手を預けた。
――冷たい。
 先ほどから奇妙な予感が背筋にぞくぞくと上ってくる。普通の時ならアリスは危険を回避する方が好きだった。だが、なぜかこの貴公子にだけは、敵前逃亡の無様を見せたくなかった。
 パーティ会場の向こう側でアロイスがちらりとこちらを見て、楽師たちに向かって話しかけた。楽師たちは何か言いつけられたらしく、フィドルを取り出し、やおら前奏を始めた。
 次の瞬間、別の戦慄がアリスの背を駆け上がった。
「ま、これは」
「禁曲ではございませんか」
サマルトリア貴族たちがざわめいたが、楽師をあえて止めようとする者はいなかった。
――なんのおつもりかしら、アロイスさま。これは『カンタレラ』だわ。
気が付くと黒の貴公子が仮面の下からこちらをにやにやと眺めていた。アリスは意識的に背筋を伸ばし、動揺を見せまいとした。
 人々はこっそりとささやきかわした。
「でも、まあ、なんてお綺麗な」
「アンナ様とアレクス殿の再来のよう」
「この曲はお似合いかもしれません」
 かたや清楚な花嫁衣裳、かたや粋の極みの礼装姿のペアのために、ダンスフロアにいた招待客たちは自然に場所を開けた。広くなった空間へ、黒の貴公子は悠々とパートナーを導いた。
 サマルトリアの禁曲『カンタレラ』は、変形のパヴァーヌだった。本来男女二人のダンスペアが、雄の孔雀がもったいぶって歩くような足取りでゆっくりと前進し、また後退する、ごくごく動作の少ないダンスなのだが、この振付は遙かに過激だった。
 ダンスフロアの中央までエスコートされたアリスはパートナーと向かい合い、まっすぐ進んですれ違ったところで優雅に一回転した。

見つめ合うその視線 閉じた世界の中
気づかないふりをしても 酔いを悟られそう

「元気そうだな、アリス。結婚おめでとうと言っておくよ」
その声も口調も、アーサーそのものだった。
「あなたはどなたですか?兄は亡くなりました。そのまねをするなんて、意地の悪いことはおやめになってください」
少し離れて並んだ位置からお互いへ向かって優雅に手を差し出すモーションで、アリスは相手の微笑みがよく見えた。
「俺は俺だ。帰ってきたぜ、地獄から」
誰だろう、とアリスは考えた。アロイスはこの部屋の別の場所にちゃんといるから、なりすますことはできないはずだった。
「では、仮にお兄様だとして、いまさら何の御用かしら?」
パートナーは喉を鳴らして笑った。
「いつもながら現実的なやつだよ、おまえは。そうだな、知らせがあるんだ。いい知らせと悪い知らせがある。どちらを先に話そうか?」
アリスの本能が、これはアーサーだと告げている。アリスは流されまいとしてあごを引いた。
「良い知らせをうかがいましょう」

焼け付くこの心 隠して近づいて
吐息感じれば 痺れるほど

「くそ親父ことランドンのことさ。ああ、おまえ、あいつを軟禁したんだって?おれはたたきのめせと言ったじゃないか。やつの首と胴がまだつながってるってのはどういうことだ?」
彼はくっくっと生前のアーサーそっくりな笑い声をあげた。
「まあいいや。そうだな、いい知らせってのは、あれだ。あいつがおまえに毒を盛った動機さ。あいつは知ってたのさ。アルマとアランが自分の子で、おれたちアーサーとアリスは自分の血をひいてないってこと」
振付通り、アリスとパートナーは劇的な身振りで片手を差し出した。そのあと互いに前進してすれ違い、場所を入れ替わる。ガウンの裾を両手でつまみあげて進み、すれ違う時にアリスは冷たくささやいた。
「アンナお母様が不貞を為した、というのですか」
「その通り。しかも相手は、アンナの兄、アレクスだ。道ならぬ兄妹間の恋の結果がおれたちだ。ランドンはそんなやつらに王位を譲らなきゃならないのが嫌でたまらなかったんだろう。どう、ショックだったかい?」
ランドン王も、そしてクラスト夫人も知っていたのだろう。だから父母がそれぞれ別人であるアーサーとアルマは、本当はなにひとつやましいところなく結婚できたはずだった。

ありふれた恋心に 今罠を仕掛けて
わずかな隙間にも 足跡残さないよ

 軽いジュテ、回転の後ハンドアクション、手をアロンジェにして互いの顔を見ながらゆっくりと腰を沈めた。振付の間にうふふ、と声に出してアリスは笑った。
「何かと思えばそれが知らせですの?私、とっくに知っていましてよ、実の父がアレクスだということは」
あのひがみやのランドンの血が流れているなど、生まれてこの方一度たりとも信じたことはない。父母双方からロトの血を受けた姫君は昂然と顔を上げた。
 アーサーと名乗った貴公子は眉を上げた。
「ふん、じゃ、これはどうだ?クエスト中、俺はアレクスに会ったよ」
「あら、どちらで?」
「まずベラヌール、それからロンダルキアさ。アリス、大神官ハーゴンこそ、かつてのサマルトリアの追放王子アレクス、俺たちの父上だ」
ひくっとアリスは自分の喉が鳴るのを聞いた。

 祭壇の前で大神官はゆっくりと振り向いた。
「誰じゃ?私の祈りをじゃまする者は?」
傲然と言い放った。
 縁取りのある白の貫頭衣をつけた壮年の男性だった。頭髪をすべて竜の翼の飾りをつけたキャップにおさめている。彼の表情は憎悪や闘志とは程遠く、むしろくつろいでいるように見えた。
 アロイスは違和感を覚えて、そして振り向いた。アーサーが、愕然とした表情で大神官の顔を凝視していた。長身の大神官は醜悪ではなく、むしろ整った顔立ちをしている。そしてその顔を二十年ほど若くすれば、そのままアーサーの顔になるとアロイスは思った。
「おお、おまえか」
大神官は微笑みさえした。
「ロトの末裔よ、よくぞここまで来た。やっと私の後継者ができるとはなんと嬉しいことか」
稲妻の剣をかざしてアロイスは言った。
「大神官ハーゴン、ぼくたちは精霊ルビスの命によりここまで来た。ここでおまえを倒し、破壊神シドーの召喚を防ぐために」
ふふふ、とハーゴンは笑った。
「そのようすでは、何も知ってはいないようだな」
「時間稼ぎはやめろ」
いやいや、とハーゴンはつぶやいた。
「聞かせてくれ、勇者よ。精霊は破壊神をどのようなものだと説明した?」
アロイスはとまどった。
「説明も何も」
はっと大神官は顔をのけぞらせて笑った。
「見せてやろう」
大神官は空中で何かをつかむようなしぐさをして、こちらへ歩み寄った。思わずアロイスは引いた。
「離れては見えないだろう?これだ。私の手の中だ」
警戒しながらアロイスは大神官の片手をのぞきこんだ。
 豆粒のようなものがうごめいていた。よくよく見ると大量の虫がからまりあった塊のようだった。
「小さすぎる、と言いたいのか」
ハーゴンは笑った。
「初めて見たときは私もそう思ったものだ。だが、これがシドーだ」
「なに!?」
「この“虫”は、ふだんは目に見えない。だが確実に人体に憑り付き、その内部へ入り込む。心の内部へ、な」
大神官は静かに狂った微笑を浮かべた。
「シドーに憑り付かれたものはシドーとなるのだ。シドーはあらゆる世界を放浪し、己の複製を量産することで征服を続けてきた。シドーは自分の宿主に蓄えた知識、情報を与えてくれる。わかるか、膨大な知識にあふれたこの意識が」
うっとりとした笑顔で大神官は説いた。
「自分でもわかっているのだよ。これはおぞましいことだ。ほんとうにおぞましい。だが、私はもうシドーと一体化してしまったのだ。今の私は、シドーの複製を増殖することが最大の歓びだ」
「……それでは世界中がシドーになってしまう」
教師が優等生に与えるような微笑みで大神官は答えた。
「ところが、シドーには弱点がある。もともと生きている肉体の中でしかシドーは生きられないし、相性のいい生体でなくては憑依できないのだよ。そしてこの世界でシドーは最高の相性を見つけ出した。それがロトの一族だ」
アナベルが悲鳴を上げた。
「そんな!」
「そこにいるアーサーは知っているはずだ。私もロトの末裔なのだ、姫よ。これでわかったかね?」
言うなり大神官は、“シドー”を握りこんだ手を振り上げ、いきなりばらまいた。
「さあ、憑り付け!」
アナベルは本能的に顔を背け、王子たちは盾をかかげた。
 パーティの周りにいきなり虹色の光が湧き上がった。その光輝の中にシドー虫は弾かれ、砕かれ、引き裂かれて消えた。
「おやおや」
むっとした顔で大神官はつぶやいた。
「魔力を持っているおまえたちはともかく、ローレシアの王子なら取れると思ったのに。精霊女神の用意周到なことと言ったら……」
アロイスはばくばくする心臓をなだめ、確かめるように尋ねた。
「この装備のことか。それと、MPがある者は憑依されないんだな?」
飄々と大神官は言った。
「さて、それはどうかな?私がおまえたちに本当のことを言うとは限らぬぞ」
「負け惜しみだ」
初めてアーサーが口を開いた。
「ロトの一族にしか憑依できないから、おまえは俺たち三人をロンダルキアへ呼び寄せたんだ。勇者を油断させて近づき、虫を投げつけた。が、失敗だった。負け惜しみはやめろ、見苦しい」
大神官ハーゴンは、一瞬顔をひきつらせた。
「そうだな、今のは失敗した。それでも一人はもう確保しているのだ。なあ、アーサー?」
一瞬ひるんだアーサーは、それでも立ち直った。
「おまえは本当のことを言うとは限らない。いまそう言ったな?」
見下したような笑みをハーゴンは浮かべた。
「まだ感染していないと信じたいのだな。だが、シドーとなった者は他の感染者を直感的に知ることができる。おまえは感染しているのだよ、アーサー。覚えがあるだろう?」
アーサーが顔色を変えた。
「きさま、あの時!」
ハーゴンは喉を鳴らすようにして笑った。
「シドーが憑りついてから宿主の精神を侵し始めるまでには潜伏期間がある。そろそろ始まっているのではないか、え?」
「問答無用!」
アーサーはハヤブサの剣をかまえた。
「殺るぞ、アロイス!」
「わかった」
アナベルは無言で杖を掲げた。
 ふん、と大神官は鼻で笑った。
「私を誰だと思っているのだ?」
ぎり、とアーサーが歯噛みをした。
「アレクス、おまえを生かしてはおかない!」
いつも斜に構えているアーサーがこれほど闘志をむき出しにするのは珍しかった。
「行くぞ!」