死の舞踏 4.白鳥とムクドリ

 その家はサマルトリア城下ではありふれたタイプだった。町の外壁の中にあり、広場から少し離れた閑静な地域に建っていた。屋根裏付きの二階家で、スレートをつらねて屋根を葺き、黒い木で構造物を作り、漆喰で壁を白く塗った当世風のたたずまいだった。一階も二階も窓の鎧戸を開けて鉢植えの花を飾っている。
 裏手に回ると小さな庭があり、馬がつながれている。専用の井戸がひとつ。井戸の周りでは鶏の親子が餌をついばんでいた。すべてにおいて、裕福で幸せな家庭がここに築かれていることが見て取れた。
「城にある記録では、この家の持ち主はクラスト某。サマルトリア北部に小さな所領を抱える貴族の端くれだ」
とアーサーは言った。
「王都では財務の役人として出仕している。四十代、既婚。娘と息子が一人ずつ」
 その場所はクラスト家の前を走る通りの反対側だった。目立たない馬車がそこに泊まっていた。アーサーは無地のダブレットに帽子という地味な出で立ちでその馬車の前に立っていた。アロイスも胸から聖なる守りを下げているほかは同じだった。
「クラスト某の城での評判は可もなく、不可もなし。レディ・クラストの近所での評判も同じ。夫妻とも、目立たないように暮らしているという印象だ」
そうか、とアロイスはつぶやいた。
「人違いかな」
 先日アリスの部屋で三人が決めたのは、国王ランドンのようすを探ることだった。それに関してアーサーは、王を尾行してくれ、とアロイスに依頼した。
「なんで、ぼくが?」
「俺の顔はここいらじゃ知られすぎてる」
というのがアーサーの答えだった。
「あのね、ぼくだって公務があるんだぞ」
「わかっている。城の中のあいつのようすは、おれたちで探る。やつが外出するときにどうするか、見てくれないか」
というわけで、わざわざアロイスは地味なかっこうでサマルトリアをうろつくことになった。
 最初の一日は空振りだった。だが、二回目、ランドンは西部方面を視察するという名目で城を出た。そのあとを追いかけたアロイスは、王の一行が休憩を取っているはずの天幕から一人の男が出てきて、サマルトリアへ引き返すのを発見した。直感的にアロイスは彼を追い、どこへ戻るかを見届けた。
「顔ははっきり見えなかったけど、気配というか、歩き方というか、どことなくおどおどして、そのくせ妙に威張った感じがランドン殿に似ている気がしたんだ」
そうアロイスは言って、問題の男が入った家までアーサー兄妹を案内してきたのである。
「おそらく間違いではありませんわ」
馬車の中からアリスが話しかけた。アロイスの知らせを受けて、兄妹はその家の持ち主、クラストという男について調べ上げてきた。
「クラストは城勤めが忙しくて、めったに家へ戻ってこないのですって。クラストが家へ戻るときは、父上が城にいない期間と一致しています」
「二重生活というわけか」
ふん、とアーサーが鼻で笑った。
「クラスト氏の長女は、俺より一つ下だそうだ。あの野郎、母上と結婚していた期間から別の女と関係があったことになる」
アロイスは気が進まないながら抗弁した。
「レディ・クラストの連れ子だという可能性は?その前に、クラストがランドン殿と同一人物かどうかわからないんだから」
「なあに、今わかるさ」
余裕たっぷりにアーサーは言った。
「君は過激だからな。ぼくが一緒に行こうか」
「ああ?居留守を使われたら最後だろ?」
「じゃどうする」
アーサーは返事をせずに馬車の扉をノックした。扉がかすかに開き、アリスの手が弓矢を差し出した。アーサーは矢筒から矢を一本抜き取ると、手のひらをあてがい、そっと呪文を唱えた。
「ギラ」
ただの矢が一瞬、真紅に煌めいた。その矢を弓につがえ、満を持して引き絞る。ねらうのはクラスト家だった。魔法をこめた矢は家屋に命中し、そして発火した。
「おい」
過激にもほどがある。
「あいつら、飛び出してくるぜ」
くっくっとアーサーは笑った。矢筒から数本抜き出し、同じように魔力をこめ、アーサーは火矢を連射した。まもなく黒煙があがった。
 市街で火事が起きたときはすぐに城から正規兵が駆けつけることになっている。だがそれより早く周囲の家から人が飛び出してきた。騒ぎの声はどんどん大きくなっていった。きなくさい臭いが立ちこめた。
 ついにクラスト家の扉が開いた。まず数名の召使が、それから下級貴族の一家、壮年の主人と同年輩の婦人、若い娘と弟らしい少年が火に追われて飛び出してきた。
「ああっ、全部燃えてしまう!私の家がっ」
婦人は半狂乱になっていた。
「お願い、放して!何も持ち出せなかったのよ!」
「落ち着け、おまえ」
クラスト氏は家へ戻ろうとする妻を必死で止めていた。
「退いてください、消火します!」
正規兵の一団が梯子やバケツを抱えて集まってきた。
 アロイス、とアーサーが声をかけた。
「ローレシアがからむと面倒だ。馬車へ入ってろ」
やむを得ずアロイスは馬車の扉を引き開けた。代わってアリスが滑り出た。案の定、馬車の中はアリスが常用している薬の香がしていた。姫は絶好調だな、とアロイスは思った。
 王家の兄妹は野次馬でごった返す火事場へ堂々と近寄った。
「ベルグソン、お役目ご苦労!」
消火隊の隊長があわててふりむいた。
「これは、アーサー様」
サマルトリアの国民で、アーサーの顔を知らない者はいなかった。
「だが、その方を丁寧に扱いたまえ。知らぬとはいえ、無礼をとがめられては貴殿が気の毒だ」
ベルグソンと呼ばれた隊長は、きょときょとした。
「ええと?」
アーサーは下級貴族クラスト、に見せかけたランドンに近づいた。
「ご災難でした、国王陛下」
サマルトリア王ランドンは、真っ赤になり、そして真っ青になった。
「お早いお帰りでしたこと、父上様」
アリスが声をかけた。
「ところで紹介していただけますかしら、後ろの方々を?」
 それはひとつのステージだった。観客はベルグソン率いるサマルトリア正規兵の一団、近隣の住民たち。しかもあとからあとから野次馬が集まってくる。何かあったか、とさらに兵士や役人たちも集まってきた。
 ステージの上にいるのは下級貴族の一家、のふりをしたランドン王の第二の家族と、亡妻アンナの産んだ兄妹だった。
 ランドンの焦りと怒りが伝わるにつれて、観客は理解した。王は、王家の兄妹を裏切ったのだった。
「なんてことを」
「アンナ女王が草葉の陰で泣いていらっしゃる」
「ロトの末裔を盛り立てなくてはならないお立場なのに、なんて身勝手な」
「誰に王にしてもらったと思ってる」
なじる声、冷たい視線がランドンとその家族を取り巻いた。
「父上様?」
王女アリスが城の外にでることはめったにない。国民はほとんど初めて、女王アンナの娘を目の当たりにした。アリスの美貌、清楚で儚げな容姿、兄に寄り添うような仕草のすべてが、彼らを虜にしていた。
「アンナ様にうりふたつだ」
「アーサー様にも」
「それにくらべて」
哀れなのは、クラスト夫人と子供たちだった。別に醜くも不潔でもないのだが、まるっきり平凡なのだ。二重生活でもランドンは家族に不自由はさせなかったらしく、クラスト夫人と子供たちはなかなか身なりがよかった。
逆に王家の兄妹はお忍びでの外出のため、むしろ地味な、緑のダブレットとシンプルなガウン姿だった。それでもロトの血を引く薄倖の女王アンナとクラスト夫人は比べものにならないし、その息子と娘は、アーサーとアリス兄妹の前では白鳥の前で身をすくめる椋鳥だった。
「これは、どういうことでございましょうか、陛下」
駆けつけた官僚の間をぬって、威厳のある貴族が姿を現した。サマルトリアの政治を司る大臣エモット公だった。
「待て、これには訳があるのだ」
青くなってランドンはつぶやいた。
「ずっとこの人を愛していたんです!」
唐突にクラスト夫人が叫んだ。
「アンナ様と婚約する前から!私たちが、この人の本当の家族です」
「ただの男ならそれもあり得ましょう。だが、陛下にはお立場というものがある」
ランドンは、白眼視の圧力に耐えてなんとか顔を上げた。
「私は、どうせ、アンナとアーサーのあいだのツナギだ。そんなことは知っている。だが、一人の男として愛した女性と家庭を持ちたかった」
クラスト夫人はしおらしげにつぶやいた。
「私たちは一生日陰の身でいい。でも、人の情けがあるなら、どうかわかってください」
 アリスが進み出て、大臣の手にすがった。
「よく来てくださいましたわ、エモットの小父様」
「アリス様、このようなところへお出ましになってはお体に障りましょうぞ」
「大丈夫、兄がいっしょですから。体はともかく、心が痛むのです」
絶世の美少女が涙ぐむと、白い薔薇が朝露に濡れたように見えた。
「父上様が、お母様を裏切っていたなんて……」
あっというまにその場の勢いがアリスたちの側へ流れた。
 馬車の中でアロイスは気付いた。ふつう大臣ともあろう者が、城下町の火事ていどで城からわざわざ見に来るか?まちがいなくアリスがここへくるようにと事前に話をつけておいたにちがいなかった。
 国民の同情を一手に集めるアリスに背を押されるようにして、エモット公はクラスト夫人に対して冷たく告げた。
「レディ、あなたのお立場には同情申し上げる。しかし、亡くなったアンナ様のことを思うとすべてを情のままに流すわけにはいかん」
公の目がきらりと光った。
「陛下、あなた様はロトの末裔を廃して自分の血筋に王位をもたらそうとなされたのか」
悲鳴のような非難と怒りの声が一斉にわき上がった。
「私の周りで毒殺が相次いだのは、もしや……」
そこまでつぶやいてアリスはがっくりと崩れ落ちた。アーサーがその体を支えた。
「気を確かに。誰か、馬車の手配を。妹を城へ」
アロイスは馬車の中で小さく手をたたいた。国民の前で、二人のスターは息のあった共演を見せていた。
 ランドンは真っ赤になった。
「そんなつもりはない!私たち一家は、ただささやかな幸せがほしかっただけだ」
「では、そこにいるお子方は、王家の一員として扱うこともなく、王位を継承する権利もない。それでよろしいですね?」
大臣が念を押した。
 さすがにランドンは渋った。だが、周囲からの、針の筵のような圧力に屈せざるを得なかった。
「……それでいい」
「あなた!」
悲鳴を上げたのはクラスト夫人だった。
「そんな、そんな、うちの子供たちはどうなるの!」
ランドンは、口惜しそうに眼を閉じた。
「黙っていろ」
「でも!」
エモット公が咳払いをした。
「あなた方のご身分とその取り扱いについては議会で決定します。警告いたしますが、レディ、ご自身の不利になることはあまり口にされない方がよろしい」
失望のあまり、クラスト夫人はほとんどけいれんしていた。
「ずるいわ、どうしてなの!」
気絶寸前のはずのアリスが、くすっと笑った。
「“一生日陰の身でいい”のではありませんでした?」
横へ退いて馬車を待っていたアーサーたちにクラスト夫人は噛みついた。
「どうしてあなたたちばかりひいきされるの?この子たちにも同じ権利を認めてちょうだい!」
「やめろ、おまえ」
ランドンが歯を食いしばるように制止の言葉を吐いたが、夫人は意に介さなかった。
「そうだ、うちの娘と結婚してちょうだい」
いきなりアーサーの方を向いてクラスト夫人は叫んだ。背後に隠れるようにしていた娘の手をつかみ、自分の前に突き出した。
「アルマ、いらっしゃい!」
エモット公が眉をしかめた。
「『アルマ』とは」
Aで始まる名前を与えられるのはロト三国王家直系のならわしだった。非難のまなざしは一段と強まった。
「うちの子はいい子だし、ちゃんとした娘なの!器量だって悪くないわ、そうでしょう?あなたなら年も同じくらいだし」
 いきなり前に出されてクラスト家の長女アルマは戸惑っていたが、明らかにある種の期待もしていた。彼女は別に不細工ではなく身なりも上等だった。そして本物の国王の娘であることの自負も持っているらしかった。
 それに対するアーサーの反応は、実に残酷だった。鼻先にアルマを据え、上から下まで眺めたのだ。
 それは無言の侮蔑だった。
――身のほど知らずが、そのていどの覚悟でおれと釣り合うと思うのか。
 アーサーの斜め後ろにいたアリスも、その娘に視線を投げ、かすかに口角をあげた。
――あなた、お兄様につきあう度胸があって?
 かっとアルマは赤くなった。
「お母さん、やめて!」
「でも、おまえが王妃になったら」
娘は手を振り回してアーサーの視線から逃れようと暴れた。
「いやよ、だめよ、あたし……もういや!」
お嬢さん、君は正しい、と馬車の中でアロイスは思った。夫にするなら性悪王子より実直な中小貴族のほうがいい。ずっと幸せになれるはず。
「何を言ってるの!おまえなら王妃になれるわ!」
「残念ですが」
と大臣が声をかけた。
「わが国で許容されるのは従兄妹同士までです。異母兄妹の結婚はできません」
でも、でも!とクラスト夫人は叫び、夫の胸にしがみついて泣き出した。
「落ち着け、悪いようにはしないから」
「でも、私、ずっと……」
嗚咽する妻の背をやさしくたたきながら、その狂態を涼しい顔で眺めているアーサーを、ランドンはにらみつけた。
「本当は結婚できるはずだな」
ぴく、とアーサーの眉が動いた。
 何か言いかけてアーサーの表情が変わった。というよりも、無表情になった。もともと整った顔立ちが仮面のように固まった。次の瞬間、その瞳に狂気が宿るのをアロイスは確かに見た。形の良い唇から異様なつぶやきがもれた。
「ち、ち、う、え」
これがアーサーの声だろうか。ロンダルキアから戻って以来思い出さないようにしていた記憶が封印を破ってあふれだしそうになる。アロイスは馬車の扉を少し、広げた。いざとなったら自分が飛び出してアーサーを抑えるつもりだった。
 そのとき、アーサーは首を振った。何かを振り払うようなしぐさだった。アロイスはじっと見守った。
 からからと車輪を響かせて王宮から王族専用の美しい馬車がやってきた。その扉を開けてアリスを乗せてやり、アーサーはランドンのほうを振り向いた。
「お先に、陛下」
先ほどの狂気は消えていた。アーサーは妹を連れて去っていった。

 典薬寮の長官は、王の御前へ密かに呼び出されていた。時刻は深夜である。長官はその日の午後に城下で起こった事件を人から伝えられて知っていた。静まりかえった王城内を召し使いの先導で歩きながら、王の機嫌を長官はひそかに心配していた。
 王は起きていた。明らかに不機嫌であり、歯ぎしりをしかねない表情だった。
「毒が要る。すぐに用意せよ」
は、と言って長官は王のようすをうかがった。
 典薬寮の長という立場は、歴代の王からこのような秘密の命令を受けとることも多い。だが長官はためらった。
「何をしている。早く作ってくれ」
「恐れながら、毒を用いるべき相手について何も情報がない場合はなかなか難しうございます。相手が男性か女性か、若いか年寄りか、また体重の多寡、持病の有無」
「関係ない!」
と王は激しく言った。
「もう病気に見せかけることなど不要だ。無理矢理飲ませる。口にすれば必ず死に至るほどの毒を造れ!」
「はぁ」
昼間の事件についての解釈が正しければ、国王ランドンはアーサー、アリス兄妹にそうとう恨みを抱いているはずだった。この兄妹がいるかぎり王の愛した子供たち、アルマとその弟は日陰にいなくてはならないのだから。
 じろりと王は長官をみた。
「アーサーたちとこのわしと、どちらを取る気だ?」
陰険な声で王は質した。
「おまえがやらないのなら、首を切っておまえの部下に作らせるまでだ。ロトの末裔がいくら国民の人気を集めると言っても、この城の中ではまだわしの命令は絶対だぞ」
現役の王の言葉に長官は身をすくめた。
「……ご用意いたします」
すでに一度、うすうすアリス姫に使うと分かっていてカンタレラを提供したではないか。キアリーの呪文に秀でたアーサー王子、聖銀の指輪を身につけているアリス姫、あの兄妹なら毒を回避してくれるはず。長官はそう信じるほかはなかった。