死の舞踏 3.片思いのメイド

 ふとアロイスは気づいた。
「母上、アレクス殿はアンナ様の兄上なのですよね。なぜアレクス殿をさしおいてアンナ様が王位につかれたのです?」
「アレクス殿の母上はアンナ様の母上とは違う御方でした。アレクス殿の母上は不倫の罪によって斬首され、アレクス殿は中途半端な身分のまま、お育ちになりました」
国王の長子、兼、斬首刑の罪人の子。その王子の育ち方はどれほど辛いものだったか。アロイスはひそかに鳥肌をたてた。
「アレクス殿は妹君の結婚後、僧籍に入って教会へ所属した。事実、頭のいい男で、しかもまぎれもなくロトの末裔だから魔法力も受けついでいて、回復魔法の専門家となった」
とアンデレが言った。
「数年後、上級魔法を学ぶためにラダトームへ行くと言ってサマルトリアを出て行かれたが、実際はランドン殿がいやがらせを重ねて追い出したとみんなわかっていた」
器の小さい男でなあ、とアンデレはため息をついた。ローゼがうなずいた。
「アンナ様はもともと華奢な、お体の弱い方でした。アーサー殿とアリス姫を産んでまもなく亡くなったのですよ。あまり幸せな結婚生活ではなかった、と噂されていますけど、そのあとランドン殿は後妻を娶ることもなく今に至ります」
「とは言え今でもサマルトリア王家の兄妹と聞くと、なんとなく不穏当な関係をひとは連想するわけだ」
あの噂好きの女官がなぜ連続毒殺をアーサーの嫉妬に結びつけたのか、アロイスはやっと理解した。
 あら、と言ってローゼが顔を上げた。入り口のあたりに侍女が慎ましく立っていた。
「失礼いたします。お持ち帰りになる銀の器をたしかめていただきたいのですが」
銀は砒素が加わると黒く変色するので毒殺防止になると信じられ、細工彫りをいれた銀製の皿や椀、カトラリーは王家の花嫁に持たせる嫁入り道具としてふさわしいと考えられていた。
「早かったわね。ありがとう。あなた、ちょっと行ってきます」
「ああ、よく見ておいで」
ローゼが侍女といっしょに部屋を出ると、アンデレが咳払いをした。
「アロイス、いや、国王陛下」
アロイスはちょっと驚いた。正式な称号を父から呼ばれたのは戴冠式以来だった。
「わかってはおられるだろうが、前任者からの苦言を申し上げよう」
「承ります」
アロイスは背筋を伸ばした。
「サマルトリアに深入りすることはなりませぬ。いくらロトの血に連なる国家とはいえ、隣国はしょせん隣国」
アンデレは眼に強い光を湛えてそう言った。
「勇者であれば、精霊ルビス様のみそなわす世界のすべての民を救うべきといえた。だが、ハーゴンもシドーも倒れた今、すでに勇者ではない。勇者と国王の違いをわかっておられるか」
「はい」
とアロイスは答えた。
「国王であれば、他国の民を見捨てても、ローレシアの国益のみを追求すべきかと」
む、とアンデレは言った。
「それがわかっているならよいのだ、アロイス。子供扱いして悪かったな」
ニヤリと笑ってアンデレは席を立った。
「ローゼ、用は済んだか?そろそろわしらの館へ帰ろうではないか」
快活に呼ばわりながら歩き去る父の背を見送ってアロイスはそっと緊張を解いた。
「しかし父上、まだ勇者のままであるとしたら、ぼくはいったいどうしたらいいのですか?」

 洋梨型にふくらんだガラスの小瓶には、半分ほど赤い液体が入っている。小瓶の口はコルクで深く栓をしてあった。
「カンタレラです」
アリスは、短くそう告げた。驚いてアロイスは彼女の顔を見た。
 カンタレラは史上名高い毒薬だった。しかもその正体は判明していない。
「そんな顔をなさらないで」
アリスはコルク栓を抜き取ると、右手を近づけた。中指にはめた細い銀色のリングが薄紅色を帯びた。
「ごらんなさいまし。聖銀の指輪が変色しましたわ。いつも身につけて、口にするものにはひと通り試していますの。毒を盛られたときにすぐわかるようにね」
「あなたの求婚者たちに毒杯を回したときも?」
天使の微笑でアリスは答えた。
「ええ、もちろん」
 サマルトリア城内のアリスの居室に、アーサーとアロイスは招かれていた。何もかもが華奢で繊細な乙女らしい私室だった。胡桃材の彫刻入り書見台にアリスはその小瓶を置いてみせたのだった。
 微妙に眉をひそめてアーサーが言った。
「アロイス、おれもアリスも毒については子供の頃からいろいろ知識を蓄えていると言ったろ。だからアリスがカンタレラだというなら、信じていい。アリス、これをどこで見つけた?」
「メアリの遺品でした」
アーサーはちらとアロイスの方を見た。
「口を封じられた下働きのメイドだ」
「そう思われていますけれど、本当は自分で毒を飲んだのかもしれないわ」
アリスは真顔だった。
「どうして」
「私の侍女のネリーに命じて、ひそかに聞き出させました」
ネリーというのは、先日アロイスがサマルトリアを訪れたときに案内した、アリス付きの侍女のことらしかった。
「ネリーはメアリの同僚だったメイドたちを慰めるかっこうで話を聞き出しました。メアリには片思いの人がいて一喜一憂していたそうです。ところが死ぬ直前、”美顔薬を手に入れた、これで勝った”とうきうきして話していたとか」
「美顔薬?そんなものあるかよ」
「そうですわね。美しさは薬では作れないわ」
世にも恵まれた容姿の兄妹は冷淡にそう言い合った。その傲慢な口調さえさまになるな、とアロイスは妙に感心していた。
「でもメアリは美顔薬だと信じたかもしれないのです。誰かがメアリに嘘を教えたとしたら」
アーサーは納得した顔で書見台の上の小瓶を指で転がした。
「それで、こいつか」
「え?どうしてそうなるんだ?」
思わずアロイスは聞き返した。
「誰かがメアリに薬を渡し、これは美顔薬で王女の飲み物に混ぜるように、と言った。ちょうど王女の求婚者が来ていて、縁談が成功するようにという意味だとメアリは思った」
アーサーが言うと、アリスが継いだ。
「でも恋する乙女メアリが美顔薬を手元に置いたら、すべて使い切らないでほんの少し自分用に取っておこうと思ったことでしょう。そして後から自分で試してみた……」
やっとアロイスにもメアリの死の意味がわかってきた。
「じゃ、いったい誰がメアリにうそをついて毒薬を渡したんだ?」
言い換えれば誰がアリスを殺そうとしたか、という設問だった。
 サマルトリア兄妹は顔を見合わせた。
「ただの毒物だったら思い当たる節は売るほどある。けどこれはカンタレラだ」
「薬学と毒物の宝庫サマルトリアのいわば国宝です。門外不出のはず。それを作成し、かつ持ち出せるのは、典薬寮の長官クラスの役人しかいません」
アロイスは、典薬寮でも役人がひとり自殺しているのを思い出した。
「あの役人の死も調べた方がよさそうだ」
まあな、とアーサーがつぶやいた。
「ただ、あちらは片思いのメイドよりはきっちり隠蔽していると思うね」
アロイスとアーサーが話している間アリスは考え込んでいた。
「お兄さま、典薬寮の長官本人には私を殺す動機はあるかしら?」
「ないな」
アーサーは言い切った。
「おまえがどんな女か知らない人間がおまえを殺そうとするのはまずない。外面だけはいいもんな」
「お兄さまに言われたくありませんわ」
繊細な白い手を重ね合わせてほほにあて、あくまで嫋々とアリスは答えた。
「典薬寮の内部については調べさせていますから、何かおもしろい報告が来るかもしれません」
「調べるって、姫がですか?」
にこ、とアリスは笑った。
「典薬寮のなかにも、私の息のかかった者がおりますの」
アーサーがぴく、と眉を動かした。
「おまえ、いつのまに?」
「お兄さま方がロンダルキアまでおでかけのあいだ、暇でしたのよ。私の人脈がそんなに怖いのだったら、国を放り出したりしなければよろしいのですわ」
親指をアロイスに向け、アーサーは憤然として言った。
「俺はリリザから先へ行くつもりはなかったのに、お・ま・え・が、おれをクエストに出かけるようにし向けたんだろうが、こいつとグルになって!」
「あらご存じでしたの?でも、子供の頃に言ったように"だまされたほうが負け"ですわ」
アーサーは何か言いたそうにしたが、肩をすくめただけだった。
「まあいい。じゃ、俺が調べたことを話そうか」
今度はアリスが兄に独特の視線を投げた。
「どうした?典薬寮にコネがあるのはおまえだけだと思ったのか?」
からかいまじりの問いかけにアリスは微笑みで応えた。
「おもしろいお話かしら、そう思っただけですわ」
「おもしろいさ。なんともおもしろい。俺が調べさせたのはここ一月の間どんな毒が製造されたか、だ。確かにカンタレラは製造されていた。どんな素材を使い、どの寮で誰が主導して作ってどこへ保管したかまで詳細に記録が作られていた」
思わずアロイスはつぶやいた。
「そんな記録があるのか」
「あるともさ。おまえんとこみたいな山猿国家じゃないからな」
兄弟国であるローレシアとサマルトリアの間には微妙な反発がある。ローレシアはサマルトリアを軟弱と侮り、サマルトリアはローレシアを野蛮と謗ることが多かった。
「うちだってたとえば兵士を動かしたら、命令書とその理由をちゃんと保管するよ。でも、記録があったことがなんでそんなにおもしろいんだ?」
「製造記録は在庫調査と連動するから、典薬寮の中でこっそりカンタレラをつくることはできない。材料だけがなくなったら目立つだろ?ついでに言うとカンタレラは長く作り置きはできないから、毒殺のせいぜい一月前までに製造するしかない」
「それ、残っていまして?」
「カンタレラを保管している記録はあった。だが、保管庫へ乗り込んで瓶の中身を確認することはできなかった」
「あら……」
アロイスはアーサーの横顔をうかがった。
「サマルトリアの国宝は次期国王にも見せられないものなのかい?」
その瞬間、アーサーとアリスが同時に顔をこわばらせた。
 また何か失言をしてしまったらしい。アロイスは頭を抱えた。
「……父が許しませんでしょう。そんな顔をしないでくださいませ、アロイス様。父は私たち兄妹と少々距離を置いていますの、子供の頃から」
なだめるようなアリスに比べてアーサーの説明は吐き捨てるようだった。
「あの親父はおれを、後継者だとは思いたくないらしい」
親父、というのが現サマルトリア王ランドンのことだとアロイスは察した。アーサーの表情を眺めてアロイスはためいきをついた。何もコメントできない。口外を禁じたのは自分自身だった。
「とはいえ、そのう、君たちの方が正統なるロトの末裔だろう」
「まさにその点が、やつがおれたち兄妹を疎ましく思う原因なのさ」
「優しい言葉ひとつかけてもらったことはありません」
アリスは言った。
「私も兄も、小さいころは周りの大人の顔色をうかがい、そのうち同情を利用して毎日生き延びることを学びました。おかげさまでこんなふうに育ちましたわ」
アリスは珍しく感情を露わにした。
「第一父親が息子娘に劣等感を持つだなんて」
「やつがコンプレックスを感じているのは、母上だよ」
「同じことです。我が父ながら、器の小さいこと」
アリスはちらりと視線を投げた。
「"顔がきれいなだけの役立たず"というのが私への評価でした。人前で何度もそう繰り返しては、取り巻きといっしょに私をあざ笑うのが好きでしたわ」
「おれは"血筋じゃ国は守れん"だったかな」
アロイスは失笑した。
「でも、実際はムーンブルク陥落からこちら、ロトの血筋の出番だったよね」
ははっとアーサーは乾いた声で笑った。
「勇者アロイスの誕生で、やつはメンツ丸潰れだ」
「だからサマルトリアで冒険の書を記録するとき、あんなにぼくはにらまれたのか」
「やっとわかったのか?やつはおれのレベルがあがるのも相当いやがってたぜ」
アリスがつぶやいた。
「私もクエストに行かれればよかったのに」
声は小さかったが、真剣な口調だった。
「おまえが世界を救うってのは無理がありすぎだよ。体力のことじゃない、性格的に、だ」
アリスは頭をのけぞらせた。
「誰が世界を救いたいと言いまして?私はサマルトリアを滅ぼしたかったのです」
一瞬、アーサーさえ軽口で応酬しきれなかった。
「こんな国、なくなってしまえばいいの」
アリスは破滅的な笑みを浮かべた。
「アロイス様、ローレシアの国軍を率いてサマルトリアを襲ってくださいましな。いつでも内部から呼応いたしましてよ」
「姫、」
アロイスには説得の言葉など見つからなかった。
 アーサーは首を振った。
「勇者殿に無茶を言うなよ、アリス。さてと、俺たちはひとつ可能性を見つけたよな?」
アリスの表情に冷静さが戻ってきた。
「ええ、その通り。私を毒殺したい人がいましたわ」
兄妹はうなずきあった。
「まさか」
「そのまさかです。父は、兄と私がこれ以上生き延びるのを望まないのかもしれません」
「国王なら典薬寮の長に命じて秘毒をつくらせ、アリスに一服盛ることができる。王命だから長官は何の疑問もなく毒を製造してそれを記録に残した」
アロイスは考え込んだ。
「そういえば、アーサー、君は毒を盛られたりしてないのかい?」
「今のところはないね。キアリーができることは周知の事実だから、俺には毒がきかないと思われているのかもしれないな」
「それでアリス姫だけを……。けど、いくら姫とそっくりだった母君アンナ様にひどいコンプレックスを持っていても、父親が娘を殺すか、普通?」
「確かに動機が不明瞭だ。いろいろ確認する必要はあるな」
「どうやって」
アーサーはにやりと笑い、指先を曲げてこっちへ寄れ、と合図をした。