死の舞踏 2.禁曲

 アーサーがこちらをふりむいた。
「やあ、新王陛下。忙しそうだな」
アロイスはじっと相手を観察した。フィールド上とは異なり、自分の城の中ではアーサーはくつろいだ姿だった。白い絹のブラウスに深緑色のダブレットをまとい、ウェストの周りに緑とオレンジの豪華な織物のストールを巻いて腰骨の上で結んでいた。
「……そうだね。君は、どう?」
アロイスは身に着けた濃紺のダブレットの胸にかけたメダルをそれとなく握り、相手に見せた。おそらくアーサーならそれがただのメダルではなく、聖なる守りだとわかっただろう。そばにアリスがいるので、詳しいことを口にできないのがもどかしかった。
「平和だよ、とりあえずはね」
アーサーはそう言って、何気なく前髪をかきあげ、耳を見せた。赤い石のピアスがはまっていた。
 誰にも打ち明けることのできない秘密を抱え、日夜不安に苛まれているに違いないのだが、アーサーは意地でも元のアーサー、皮肉屋でどうかすると子供っぽい残虐さを発揮する美貌の王子の体を装っているようだった。
「お兄さまはお変わりになりましたわ」
両手を膝の上に重ね、揺りイスのクッションに背を預けたままでアリスが言った。
「お帰りになってからこちら、ずっとお疲れのごようすですもの」
女の直感に驚きながら、アロイスはわざと頭を下げた。
「アリス姫にはご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません」
薄くほほえみを浮かべ、アリスは片手を差し出した。その手を取って甲に唇をつけ、アロイスは言った。
「お加減はいかがですか」
ゆったりとした青緑のガウンをまとうアリスは相変わらず人形めいて見えた。明るい栗色の髪はよくくしけずって肩の上にそのまま流している。前髪を三つ編みにして頭の後ろへ回し純白のリボンでまとめているのがとりわけ清楚だった。
「今日は体調がよいので、ここまで出てきました。半年ぶりです」
アリスは生まれたときから体が弱く、自分の部屋からめったに出てこない。
「半年ぶりに庭においでになったらちょうど開花のときというわけですね。姫は薔薇の精霊でいらっしゃる」
宮廷風のたわいのない言辞だったが、アーサーがよそを向いてけっとつぶやいた。
「どうりでトゲがあるわけだ」
「本当にトゲがあったらとっくに刺していましてよ」
鈴の鳴るようなかわいい声でアリスが言った。
「お恨みいたしますわ、アロイス様。兄をロンダルキアの雪の下へ埋めてきてくださればよかったのに。つれて帰ってくださるものだから、あらためて王位を争わなくてはなりません」
「聞いたか、勇者殿?世のため人のため、こんな物騒な女、ここでひねっちまおうぜ。本物のモンスターだ、こいつは」
惚れ惚れするような一対だが、この二人はアロイスの前では本音をダダ漏れにするのが常だった。アロイスはため息をついた。
「たった一人の妹君にそんな」
「こんなのが二人もいてたまるかよ」
ぴしゃりとアーサーは言った。
 不思議なことに、なんとなくアーサーは機嫌が良さそうに見えた。毒舌を吐いている間は不安を忘れているのかもしれないとアロイスは思った。
「いや、その」
アロイスは咳払いをした。
「まあいい。本題に入ろう。サマルトリアではこのところ事件があったそうじゃないか?ひとつきで三人も」
「しかも私の求婚者ばかり、毒を盛られましたわね」
と涼しい顔でアリスが言った。
 ふん、とアーサーは鼻で笑った。
「おおかた、アリス、おまえの仕業だろう?結婚がいやだと思ったら、いやでございますと言うだけでいいんだ。いちいち婿がねに一服盛らなくてもいい」
特に傷ついたようすもなく、アリスは聞いた。
「そんなふうに私のことを疑っていらっしゃいますの?」
「疑う?いや、確信してるよ」
アリスは天使のような微笑を浮かべた。
「やっぱりお兄さまにはおわかりになりますのね」
え、とアロイスは声をあげてしまった。
「では、その」
ぷっ、くくっと兄妹がいっしょに噴き出した。
「な、言ったろ?アロイスの奴、信じやすいんだ」
「うふふ、楽しい方」
アロイスは憤慨した。
「アーサー!」
とは言ったものの、アロイスはどこかほっとしていた。ハーゴン神殿で"終わりだ"とつぶやいたアーサーの絶望の声がようやく遠のくような気がした。
「私ではありませんのよ」
くすくすと笑いながらアリスは言った。
「でも、杯やお菓子に毒が入っていたのは本当です。ただ、それを私がたまたまおいでになっていた貴公子方のものと取り替えてしまっただけで」
アロイスはちょっと考えた。
「つまり、もともと毒を盛られたのは、姫だったのですか?」
「その通り」
日常茶飯事のようにアリスは答えた。
「誰がそんなことを」
いとも無邪気にアリスは言った。
「さあ。よくあることですもの」
思わずアロイスはアーサーの顔を見た。
「サマルトリアは薬学の宝庫だ。ということはすなわち、毒飼いの本家でもある。俺もアリスも小さい頃から毒の見分け方を教えられているし、詳しい。すぐに毒だとわかったんだろ?」
最後のは、妹への質問だった。
「毒はみんな香りのあるお茶やお酒、甘みの強いお菓子に入っていました。でも、わたくしには指輪がありますから」
アリスは繊細な手をあげて中指にはめた銀のシンプルな指輪を見せた。
「一種の魔法アイテムです。わたくしにはMPがありませんから呪文をつかえませんけど、指輪が毒を判別してくれます」
ロト三国の王家の中では、ムーンブルクのアナベルとサマルトリアのアーサーが魔法力を受け継ぎ、アロイスとアリスはMP0である。
「そいつはミスリル製で母のアンナの持ち物だったんだ。毒物を判別する呪文、キアが封じてある」
とアーサーが言った。
「君も持ってるのか?」
アーサーは肩をすくめた。
「おれは知っての通りキアリーができるから、要らない。さて、死んだ貴族の家のほうでは事件はどれも病死として処理したが、内々で調査をすすめていた。だが、典薬寮の役人が一人と王宮のメイドが一人自殺してしまってそれ以上のことがわからなくなっている」
「口をふさがれたのか」
「まず」
「手詰まりだな」
 アロイス自身も生まれてからずっと王族をやっている。暗殺の危険と対処法はたたきこまれているが、サマルトリアではだいぶ勝手が違った。なんと言ってもローレシアでは、暗殺とは化学ではなく、物理である。
「手がかりはないこともありませんの」
とアリスが言った。
「毒の種類があるていどわかっておりますわ」
「どうやって調べた?ああ、それでおまえ、毒杯を客に飲ませたのか」
「ええ」
悪びれもなくそう答えてアリスはちょっと物思う顔になった。
「気になることがありますの。毒殺が上手すぎるのですわ。使った毒は効き目が遅いもので、もし本当に私が飲んだとしたら翌日の朝寝台で死んでいるところを発見されたでしょう。そして夜のうちに証拠は綺麗に片づけられてしまうでしょう。そうなれば確実に病死だと思われたに違いありません」
もっともスマートな毒殺が完成しただろう、とアリスは説明した。
「そんなことができる者が、このサマルトリアにはどれくらいおりまして?」
アーサーは腕を組んで考え込んだ。
「まず、王家の薬草庭園と典薬寮へ出入りができて、なおかつ、王女の食卓を取り仕切る厨房で細工ができなくちゃならない。たしかに何人もいないなぁ」
皮肉っぽく笑うとアーサーは座っている妹を見下ろした。
「おれならできるぞ?」
アリスは兄そっくりな笑顔で見上げた。
「できませんことよ?私付きの侍女には、お兄さまを第一に警戒するように申しつけてありますから」
「ああ、愛しの妹よ、おれはそんなに信用がないのか?」
おおげさな口調でからかいながら、アーサーは片手をさしのべた。
「みずくさいことをおっしゃるのね。よく存じておりましてよ、わたくしの大切なお兄さまが」
アリスは兄の手を自分の小さな両手ではさみこみ、いかにも慕わしげにほほずりした。
「腹黒の自己中だということは」
端で見ていたらこのうえなく愛情こまやかな兄妹に見えることだろう、とアロイスは思った。
「こらこらきみたち、ちょっと疑われてるんだから、冗談でもやめなさい」
「疑うって、なにを?」
「ローレシアじゃ、君が美しい妹姫の求婚者たちに嫉妬して殺したと、もっぱらの噂だよ」
ぼくはぜんぜん信じちゃいないが、と続けようとして、アロイスは口を閉じた。
 アーサーが硬直していた。明らかに顔色が変わっていた。
「アーサー?ぼくはぜんぜん」
はっ、とアーサーは言葉を吐き出した。険しくなった表情が、自嘲に代わった。
「いきなり言うな、バカ」
いきなり踵を返し、アーサーは歩き出した。
 アロイスはとまどいながらその後ろ姿を見送った。
「何かまずいことを言ってしまったみたいだな」
かぐわしい匂いがした。
「あのていどでうろたえるなんて、お兄さまも修行が足りませんこと」
アリスがいすから立ち上がったのだった。
「兄の動揺の理由が知りたかったら、ローレシア宮中の年寄りにお聞きなさいまし。特に一世代前のことを覚えている者ならわかりましてよ」
アリスのほほえみは、謎めいて、儚げで、とても美しかった。
 庭園を抜けて、先ほどの侍女がつつましく現れた。銀の盆に薬瓶とグラスを捧げていた。
「お薬の時間でございます」
生まれつき心臓に痛みを持っているアリスは、一日に一度は必ず服薬しなくてはならない。それは一生続くのだ、とアロイスは聞いたことがあった。アリスは薬を運命として受け入れているのか、泰然と微笑みかけ、侍女を従えてしずしずと歩き去った。

 ローレシアへ帰ると、城全体がなんとなくざわめいていた。どこか嬉しそうに老侍従が告げた。
「陛下、さきの陛下ならびにお后様のおなりでございます」
アロイスの両親、前ローレシア王アンデレとその妃ローゼが隠居所にしている館からローレシア城へひさしぶりにやってきたようだった。
 国王の私室へ行くと、父と母が元のようにそこでくつろいでいた。
「やあ、年寄りが邪魔をしにきたぞ」
隠居にしては若すぎる年のアンデレは、にやっと笑いかけた。
「元気そうで安心したわ。ちゃんとご飯を食べていますか?」
母のローゼはほほえんでいた。
「おかげさまで」
 アロイスは不思議なほど安心を覚えていた。父と母はたぶん、新米国王を心配して見に来てくれたのだろう。父が冗談とも本気ともつかない話をぶちあげ、母が笑って聞く、その会話をしばらくぶりに聞いたと思った。
「今日は、こちらへ残したままの蔵書を取りに来たのだ。せっかくひまができたので、少し本でも読もうと思ってな」
「私は、銀のお皿を手元におこうと思って。あれは私の嫁入り道具でしたからね」
アンデレは老妻の手を取った。
「そうであった!婚礼のときのドレスは館へ持っていっているか?あれを着たおまえはとても綺麗だったぞ」
ほほほ、とローゼは笑った。
「もう太ってしまって、とても着られませんよ。こちらへ置いておいて、アロイスにお嫁様がきたら使っていただきましょうよ」
 こほん、とアロイスは咳払いをした。自分の結婚の話になると両親はとめどなくしゃべり出すのがわかっていた。
「そういえば、ひとつお聞きしてよろしいですか」
話題を変えたいと思っただけなのだが、アロイスはサマルトリアの薔薇迷宮での会話を自然に思い出していた。
「サマルトリアの王家の兄妹の件なのですが、口さがない噂のなかにアーサーとアリス姫の関係をうんぬんするものがありまして」
アンデレとローゼは顔を見合わせた。
「アーサー殿とアリス姫と言えば、あのアンナ様のお子様方だったわね。無理もないわ」
とローゼが言った。
「母上、何かご存じなのですか?」
ローゼはちょっと迷う表情になった。
「アロイスや、この期に及んであなたを子供扱いする意味はないのでしょうね。その、ちょっとしたゴシップなので今まであなたの耳には入れなかったのです。アンナ様のことは、どれだけ知っています?」
「前のサマルトリア王の姫君で、遠縁の公子ランドン殿と結婚してサマルトリアの女王となられた方、としかわかりません」
「そう。私たちは、アンナ様とランドン殿の婚礼の時、お招きを受けてサマルトリアまでお祝いに行きましたの。あのときの花嫁のアンナ様のお美しいことと言ったら。精霊ルビス様が地上へ降臨されたかのようなお姿でした」
アロイスには想像がついた。アンナの娘アリスに年齢をいくつか足してできる、絶世の美女に違いなかった。
「わしはお前の方がよいと思ったがね。それはともかく、ランドン殿は不釣り合いだったなあ」
とアンデレが言った。
「誰が見てもちぐはぐな夫婦だったよ。ロトの血脈につながる高貴で艶やかな姫と、どうにもこうにも凡庸な男との組み合わせだった。ランドン殿には最初虚勢を張っていたんだが、そのうち泣きそうな顔でうつむいてしまった。もっとしゃんとしろ!と、同じ男としては言いたかったね」
「しかたないのでしょう。あの婚礼のダンスときたら」
ローゼは一度言葉を切って首を振った。
「花嫁のアンナ様はもちろん花婿のランドン殿と踊りましたけど、お世辞にも花婿殿は上手とは言えませんでした。緊張でがっちがちなのですもの。アンナ様は礼儀正しく一曲つきあわれましたけどね。そのあとにアンナ様の手を取った方がアレクス殿でした」
「アレクス……」
一瞬、息がとまった。
「アンナ様のご兄弟よ。この方がまた、アンナ様によく似た、姿の佳い貴公子でねえ、背が高くてすらっとして。もちろん、わたくしのアンデレ様の方が頼もしくてすてきでしたけれど。そうそう、アーサー殿はこの伯父上殿に似ていらっしゃるわ」
夫にエールを返しながらも、いつのまにかローゼの口調はうっとりしていた。
「婚礼の席で花嫁が親族の男性とダンスをするのはよくあることなのだけど、あんなのはめったにないわ。もともと美男美女、しかも、かたや豪華な花嫁衣装、かたや雅を尽くした王子姿のとりあわせで、それはもう息を呑むような美しさでした。曲は変形のパヴァーヌで、男女二人での振付でした。今でも忘れないわ。あの華やかで、あまやかで、そして……」
ローゼはほほを染め、うっとりと追憶に浸った。む、とアンデレが言った。
「あの時のダンスは、わしらの世代ではいまだに語り草だ。それにしても、あのとき楽師どもは何を思ってあの曲を選んだのやら」
「そう、あの曲が、特にフィドルの調べが悪いのですよ」
と早口でローゼが言った。
「だからあれほど、背徳的に見えたのです。

見つめ合う その視線 閉じた世界の中
気づかない ふりをしても 酔いを悟られそう

だからアンナ様とアレクス殿が情熱的に、切なそうに、恋い焦がれてお互いを見つめているように感じたのです。

焼け付くこの心 隠して近づいて
吐息感じれば 痺れるほど

だからあれほど、互いに手を触れ合わせた瞬間火花が散るほどに緊張が走ったのです。

ありふれた恋心に 今罠を仕掛けて
僅かな隙間にも 足跡残さないよ

みんな、あの曲のせいですとも……」
 アロイスの脳裏に、幻のダンスカップルが浮かんでいた。アンナとアレクス、もちろんモデルはアリスとアーサーだったが、二人のパヴァーヌだった。この形式では、男女は互いの体に触れることはほとんどない。ときどき手をつなぐ、ないしは触れるのみ。無言で視線をからませ、時にはやましさのあまり眼を伏せ、熱くためいきを吐き、せつなく、やるせなく、その肉体で濃密な空間を編みあげていく。
 ぽつりとローゼがつぶやいた。
「ですからあの婚礼以来サマルトリアでは演奏禁止だそうな、あの曲『カンタレラ』は」