ラムダの祈り 6.運命の日

★DQ11/DQ11Sのネタばれを含みます。未プレイの方はご注意ください。

 真夜中の始祖の森は、頭上に命の大樹があるため、満月の夜のような淡い光に満たされていた。
 その光と水音を頼りにベロニカはキャンプを抜けだして森を歩いていた。目的地は昼間勇者たちといっしょに歩きながら目をつけておいた水場だった。
 始祖の森は命の大樹からあふれ出る水を一度受け止め、ロトゼタシア全土へ送り出している。そのために森の中に水路が走り、滝となって四方八方へ流れ落ちていた。ベロニカはその滝のひとつにつながる細い流れを目指していた。
 目的の場所に着くと平らな石の上でベロニカは作業を始めた。セニカの笛を大判の油紙できっちりとくるみ、上からぐるぐる紐をかけた。その紐に魚の浮袋をいくつかくくりつけていく。耐水性のある油紙、蝋びきの紐、浮袋も、ラムダの里で手に入れてこっそり持ち込んだものだった。
 その夜は、命の大樹に入る前の始祖の森での最後のキャンプだった。夜空に堂々と浮かぶ命の大樹を見上げて仲間たちはいろいろと話し合っていたが、ベロニカはあることに気づいてしまった。
 ベロニカが見続けていた光る空の夢に、欠けたものがある。ロトゼタシアの空に必ずあるはずの、命の大樹が見えない。その理由にベロニカは思い当たった。
――あたしが命の大樹の中にいるからだわ。
命の大樹こそ光る空の夢の現場なのだと、ベロニカは悟った。すなわち、あの悪夢は明日必ず実現する。
 そうなる前に、せめてセニカの笛だけでも長老のもとへ返そう、そう思ってベロニカは、寝静まるテントを抜けだしてこの流れへやってきた。
 ようやく細工が終わった。
「できた……」
そうつぶやいた瞬間、暗い森から声がかかった。
「お姉さま?」
ぎょっとしてベロニカは立ち上がった。森の中からセーニャが現れた。
「そこで何をなさってるのですか?」
「脅かさないでよ、もう」
ベロニカはセニカの笛を渓流に浮かべ、手を離した。油紙に包まれたセニカの笛は流れに揺られ、やがて見えなくなった。
「これでいいわ」
「よいのですか?」
とセーニャが言った。
「あれは、セニカさまの笛なのでしょう」
「そうよ」
――あらベロニカ。その笛は……?あなたも楽器をたしなむの?
ついさきほど最後のキャンプで、マルティナがそう尋ねた。
――ううん。これは長老からもらったお守り。あたしたちの祖先賢者セニカさまが昔ラムダに残していった物らしいわ。
「あのう、お姉さまは、笛を吹けますよね?」
ベロニカはうなずいた。
「まあね。でもマルティナさんに聞かれたときは、今は吹くべきじゃないって思ったの」
「そうなんですか。お姉さまがそう感じたのなら、その通りなのですわ」
「ありがと。でもみんなにはうまく説明できる気がしなくて、それでウソついちゃったわけ」
「それで笛を捨ててしまうのですか?」
「そうじゃないのよ。ああやって流せば、たぶん笛はラムダの大聖堂へ流れつくはず。旅立つ前に長老さまと打ち合わせておいたの」
「まあ、知りませんでした」
 ラムダの姉妹は、どちらからともなく寄り添い、静かにキャンプへ向かって引き返し始めた。
 頭上には命の大樹が神秘的な輝きを放ち、森に棲む小動物が鳴く声が聞こえていた。
「お姉さま、私、今まで言わなかったことがあるのです」
声を潜めてセーニャが言いだした。
「なあに?」
「私、本当は、勇者さまなんていなければいいと思ってました」
「セーニャ!?」
くすくすと妹は笑った。
「だって、私、ラムダの里が好きすぎたのですもの。お父さまもお母さまも、本を読んでくださる先生も、長老さまも、お友達も、もちろんお姉さまも、大好き。でも勇者さまがラムダの里へ来たら、いっしょに旅に出なくてはならないでしょう?それが、嫌でした。ずっと幸せなまま、お母さまのクッキーや人魚のお姫様の絵本といっしょにラムダで暮らしたかったのです」
「あんたって子は……」
そうつぶやいたが、ベロニカは納得していた。
「セーニャ、あんたって、純粋すぎるんだわ」
純粋すぎるということは、ある意味傲慢でもある。すべてにおいて自分の快不快が中心であり、それ以外を汲み取るという心の働きがほとんどないのだから。
「勇者の生まれた意味とか世界の行く末とか、真面目に考えるあたしのほうが不純みたいな気がしてきた」
「そんなことないのですわ!」
思いがけず強い口調でセーニャが言った。
「お姉さまが真面目に考えるのは、正しいことなのです。お姉さまが旅立つのなら、私も勇者さまのお供をしてどこまでも行くつもりでした」
そしてちょっとうつむいた。
「お姉さまと勇者さまがラムダを旅だって、私一人がお留守番なんていうのが一番怖くていやだったのです」
セーニャは、ふわっと笑った。
「でも、長老さまに言われて旅に出てみたら、思っていたのと全然違いました。何を見ても目新しくて、楽しかった。苦しいこともありましたけど、ホムラの里で勇者さまを見つけて、いろいろな人が旅に加わって。お姉さま、私、旅に出てよかったです」
うん、とうなずいてから、素直にベロニカは言った。
「あんたは、強くなったわ」
ま、とセーニャはつぶやき、両手で自分の顔をはさんだ。
「ありがとうございます。お姉さまが褒めてくださるのが一番うれしいのです」
「ねえ、もしあたしが」
思わずベロニカはつぶやいた。
「誰か関係ない人を指して『あの人、本当は人に化けたモンスターよ。やっつけましょう』って言ったらどうする?あたしが言うことならなんでもその通りにするってこと?」
 セーニャは首をかしげた。
「お姉さまが言ったら、信じてしまいそうですわね」
「セーニャったら、自分の意見ってものを持ちなさいよ。いつまでもあたしの言うなりじゃだめ」
 セーニャは笑い飛ばした。
「でも、私はそれでいいのです。今までもずっとお姉さまが正しかったのですから」
「もう、アンタ、あたしがいなくなったらどうするつもり?」
「いなくなるなんて、あるはずがないですわ。私とお姉さまはきっと芽吹く時も散る時も同じですよね?」
ベロニカは、闇の中で小さく拳を握った。
――光る空の悪夢が本当なら、セーニャは……。
逃げろと、妹に言うべきだろうか。悪夢から救うために、現にベロニカはセニカの笛を流れにゆだねた。危機はおそらく、明日発生する。だが命の大樹を目前にして、勇者の導き手の義務を捨てて、セーニャに引き返せと言えるわけがない。
「命の葉が散る時」
命の大樹の葉は、人ひとりの命だった。セーニャの葉が散る時は、自分より遅くあってほしい。
「セーニャはいつもグズだから、どうかしら」
長生きして、の意を込めて、あえてぶっきらぼうにベロニカはそう答えた。
「お姉さま……」
叱られた子犬のような顔だった。声さえもしょんぼりしている。
「……でも、いっしょだといいわね」
つい、ベロニカはつぶやいた。セーニャの顔に、じわりと笑みが広がった。えへ、のような声が聞こえた。
 ベロニカは自分の胸を抑えた。セーニャは純粋すぎる。それは一種の傲慢であると同時に、自分、ベロニカへの絶対の傾倒でもあった。
「セーニャ、約束して……。この先あたしの身に何かあっても、ひとりで生きていけるって」
セーニャが息を呑んだ。すぐに早口で言い張った。
「……そんな約束できません!お姉さまがいなくなってしまうなんて私考えられませんわ」
ベロニカは闇の中で苦笑した。逆の立場だったら、自分もそう言うだろう。自分を頼り、必要としてくれる妹がいなくなってしまうなんて、きっと耐えられない。
 ベロニカは頭上を見上げた。命の大樹の魂が、緑がかった光を放って夜空に浮かび、自分を招いていた。
――命の大樹よ、どうか、あたしに力をください。妹を、勇者を、仲間を守れるように。

 自分の両手杖をしげしげと眺め、ベロニカはつぶやくように尋ねた。
「アンタ、この杖の中にどんな魔法が込められていたか知ってるのね?」
「知っているとも」
とホメロスが答えた。
「そう。じゃ、これも教えてあげる。あたしとセーニャは双子じゃない。あたしとセーニャとこの杖で、三つ子なのよ。全部命の大樹からできたものなの。この杖のもとになったのは、あたしたちと同じように命の大樹からこぼれた光の滴だから」
くくく、と抑えきれない笑いがホメロスの薄い唇から漏れた。
「その三つ子のうち、おまえは一人だけ見捨てられたのだ。いや、最初から使い捨てと決まっていた。セーニャと並び立つと思っていたおまえは、実は使い捨てのパーツだった」
 ホメロスは目を細めてささやいた。
「お前には、復讐する権利がある」
きっと顔を上げてベロニカは抗った。
「誰が復讐なんかするものですか!あたしは仲間のためにがんばったのよ!いい?あたしは……」
あっさりとホメロスはさえぎった。
「長々と語る必要はないぞ。私もその場にいたのだからな」
ベロニカは鋭い目でホメロスをにらみつけた。
 ベロニカ側の秤皿の上で紫の炎はあふれそうなほど燃え盛り、黒い煙の筋を引いている。秤は今にもベロニカの側へ落ちかかりそうだった。

 絶望の味は、舌に突きささるほど苦かった。
 白い鎧の男が現れたとき、それが一度ダーハルーネでカミュを捕らえたホメロス将軍だとベロニカにはわかった。
「お姉さま……!!」
そそ毛だったような口調でセーニャがベロニカの服の端を握り、震えている。ここまで導いて来た勇者が禍々しい魔法弾に背を直撃されて、魔を祓う剣を目前にして倒れたのだから。その瞬間危険を察知したのか、大樹の根がするすると球面を駆け上がり、大樹の魂を守るように絡みついた。
 凶悪な魔のオーラの正体は、ホメロスの操る闇のバリアだった。マルティナはじめパーティは次々とホメロスに襲いかかった。だが、イレブンを欠いたパーティに精彩はなく、何よりホメロスを守る闇のバリアは呆れるほど強靭だった。
 パーティが破れさるとホメロスは悠々と大樹の魂に近づいた。
「これが大樹の魂か……」
「待て、ホメロス!」
太い声が止めた。ホメロスは振り向いた。さきほどホメロスが入ってきた聖域の入り口に、黒の鎧を装備した大男と、頭に冠を戴いた威厳のある壮年の男性が立っていた。
――あの二人だわ。
光る空の悪夢が現実になるための条件がそろっていく。背筋に沿って、ぞくぞくした悪寒がのぼってくる。
「どうしましょう、お姉さま。ああ、あの方はグレイグ将軍、同僚のホメロスさまに剣をつきつけました……後ろの冠の人が攻撃を……、ええっ、ホメロスさまではなく、グレイグさまに?!どういうことでしょう!!まあ、あの方は人ではないのですわ、この瘴気……、中から、魔物が出てきましたわ、お姉さま!!なんて禍々しい……ああっ魔の者がイレブンさまを手に掛けましたわ!なんということを……な、何でしょう、取られてしまいましたわ、“勇者のチカラ”ですって?」
パーティは息も絶え絶えのなか、食い止めようとした。
「まて」
「な、なにする気なの」
ウルノーガは歯牙にもかけず、大樹の魂に向かった。
「これさえあれば……」
ウルノーガは左手をかざした。大樹の根は、求めに応じて守りを解いた。勇者のつるぎを擁する大樹の魂がさらけ出された。
 ウルノーガが大樹の魂に分け入り、勇者のつるぎの柄をつかみ取った。
 大樹の魂は澄んだ淡い金色から、炎のような灼熱の白に変わっていた。大樹の魂の上から勇者のつるぎを手にしたウルノーガが現れた。
「そしてこれが勇者のつるぎ……」
ウルノーガは哄笑した。
「だが、我は魔王なり!」
左手を強く握ると、その手の中で紅のコアにひびが入った。邪悪な歓びに目を黄褐色に染め、魔王は左手の“勇者のチカラ” を握りつぶした。手の甲の紋章が消えうせた。
 ベロニカは、はっとした。心臓を貫かれたと見えたイレブンが、何とか顔を上げようとしている。
「イレブンさまっ」
セーニャが気遣うように寄り添った。
 ベロニカは冷汗を感じていた。
――光る空と大きな枯れ木を、あたしは夢で見た。あの木が命の大樹だとすると。
「命の根源、大樹の魂……そのチカラ、我がもらった!!」
叫ぶや否や、ウルノーガは魔王の剣を構えて大樹の魂に激しく突き立てた。
――枯れ木になった命の大樹。葉のない大樹。世界中の命を散らした大樹!
 魔王の剣に貫かれ、大樹の魂は激しく光の筋を噴き上げた。魔王の剣の柄の目玉からも、金の光が放たれた。大樹の魂の頂点に立ち、ウルノーガは両手を広げた。大樹の魂から放たれる光はすべてウルノーガが強制的に吸いとった。あまりの眩しさにパーティは目もあけていられなかった。
 世界中の命をつかさどる命の大樹が、そのとき巨大な枝からすべての葉を飛び散らせた。
 葉一枚が、命ひとつ。
 突然暗くなる空を背景に、命の大樹は巨大な枯れ木となり果てた。
 ベロニカは蒼ざめた。
――このままだと、世界が……
 命の大樹が激しく震え、大樹の中心でその魂が白熱していた。
 もう、持たない。それはわかりきっていた。さきほど勇者の力を奪い取ったウルノーガが変貌し、やはり変質した勇者の剣、すなわち魔王の剣をもって大樹の魂を砕いたのだから。
 その直前、闇のチカラを得たホメロスと戦闘を行い、パーティは戦闘不能にされていた。脱出することさえできない。ウルノーガは命の大樹の爆発に、勇者のパーティと、それまで憑依していたデルカダール王、それまで騙してきたグレイグまで、巻き添えにするつもりのようだった。
 じりじりと圧を上げてきたエネルギーが一気に爆発した。純白の魂を抱える緑の大樹から、その葉が一気に飛び散った。ほんの一瞬、穢れた紫の魂を枝の間に抱く、枯れた大樹が宙に浮かんだ。
 浮力を失った大樹はゆっくり降下を始めた。この質量が大地に激突する時、その衝撃は測り知れない。しかも、紫のコアも激しく回転し、遠からず爆発する。
 ベロニカは己を叱咤していた。
――何のための夢見なの、しっかりしなさい、ベロニカ!
 今、目の前に、子供の頃から何度となく見た予知夢の本物が繰り広げられている。自分の予知夢と目の前の情景が一致する場所を探してベロニカは、あたりを見回した。
 いきなり背中に衝撃がきた。あまりの痛みにベロニカは声をたて、立っていられずうずくまった。上から降ってきた太い枝に押しつぶされたらしかった。痛みに耐えて目を開き、ベロニカは目をみはった。アングルがぴたりと合う。ここだわ、と思った。
 先ほど手放してしまった自分の杖をベロニカは目で探した。赤い魔石を先端に載せた細身の両手杖は、危機を迎えて覚醒し、ゆっくり空中へ浮かび上がった。
 その杖が何なのか、自分は何をすればいいか、ベロニカは突然理解した。片手をあげて魔法力を自分の杖へ注ぎ込んだ。
 一人、二人、とベロニカは数えながら、魔法力で仲間を拾い上げた。やがて空中に気を失った八人がそろった。
 ベロニカは大樹の苔の上を這うようにして、むりやり自分の身体を枝から引きずりだした。この華奢な体は、骨でも折れたのだろうか。冷汗の出るような痛みに耐え、ベロニカは両手をあげ、杖に力を供給し続けた。
「早くなんとかしないとみんなやられてしまうわ……」
時間は切迫していた。紫のコアは残った葉を散らしながらいよいよ激しく回転していた。
 杖の魔石が光を放つ。その中に封じられている三つの魔法のうち、ひとつめはルーラで、ホムラの里を出た時点でイレブンに与えられた。だが、みんなを、特にルーラの使い手、イレブンを目覚めさせ、全員まとめて脱出するというプランは難しい。イレブンは心臓を貫かれて瀕死の状態だった。
 爆発間近のコアの真下に、パーティは浮かんでいた。そのさらに下からベロニカは仲間たちを見上げた。
 二つ目の魔法は、スクルト。
 両手杖に新たな魔力が送り込まれた。浮遊する仲間たちの身体は、一人ずつ薄く輝く結界に覆われた。魔法の結果、自分の身体もわずかに保護がかかったらしい。少しだけ、痛みが引いた。
 ベロニカは苦笑した。三つ目の魔法は、バシルーラ。それが意味することは、ひとつだけだった。
「あたしはどうなってもいい……。みんな絶対に生きのびて、アイツから世界を救ってちょうだい!」
ベロニカは、最後の魔法を放った。
 八つの球体は八方へ飛び去った。
 やりとげた、とベロニカは思った。全身の力が抜けた。不思議な安心感に包まれて、ベロニカは妹が飛び去った方角を見上げた。
「セーニャ……。またいつか同じ葉のもとに生まれましょう。イレブンのこと……頼んだわよ」
 ついに紫のコアは限界に達した。白い光芒がいくつも噴き出した。
 その真下でベロニカは両手をおろし、力尽きて座り込んだ。コアは臨界を迎え、あたりは真昼のように明るかった。少女の華奢な身体から色合いが飛び、真っ白になっていく。
 幼い唇が、かすかに動いた。
 その瞬間、大樹のコアはすべてを巻き込んで激しく爆発した。ベロニカの最期の言葉は、誰にも聞きとられることはなかった。