ラムダの祈り 4.初めての戦い

 荒野の地下の迷宮は、だれが作ったのか立派な柱が並び、敷石を敷き詰めた床の続くところだった。その敷石が曲者で落とし穴になっていることが多く、ベロニカたちは少し進むにも苦労した。先導するのはホムラの里で出会った勇者イレブン、真ん中にベロニカ、最後にイレブンが相棒と呼ぶ盗賊、カミュだった。
 ベロニカは最初、カミュが気に食わなかった。
――アンタ、ひよっこのくせに馴れ馴れしいわ。こっちは神話時代から勇者の旅の仲間なんですからね!アンタなんか、なによ、ちょっと顔がよくてカッコよくて旅慣れた感じで一匹狼っぽい雰囲気だしてて、そのくせイレブンの痒い所に手が届くみたいな世話焼きなんかしちゃって、一言で言ったらつまり、カミュ、アンタ、勇者の相棒ですってぇ?エラそうにしてんじゃないわよ!
 ただしホムラからここまで同行してきて、イレブンに比べるとカミュはむしろ常識人だとベロニカは気付いた。荒野の迷宮は落とし穴の多いやっかいなダンジョンだった。カミュの勘でなんどか危ういところを切り抜ける場面もあった。
 迷宮に慣れたころ、小さな部屋の続く廊下を抜けた先に一行は広間を見つけた。広間の真ん中には女神像が飾られている。女神の立つ台座の下には円形の水盤に水が湛えられていた。
「……へえ。こんな所に泉があるなんてな」
カミュが言うのも無視して、ベロニカはきょろきょろした。
「あ!あれは……!」
ベロニカは広間の隅へ駆け寄った。
「セーニャ……セーニャったら!ちょっとしっかりしてよっ!」
見覚えのある緑の服を身につけた金髪の娘、まごうかたなく妹のセーニャがそこに倒れていた。
カミュが不審そうに目を細めた。
「……セーニャ?こいつがお前の妹だって?」
今はセーニャのほうが年上に見えるのはわかっているが、その矛盾をこまかく説明するのも惜しいほどベロニカは焦っていた。
 あの不吉な夢が予告した通り、セーニャに異常事態が起きたようだった。生まれた時からずっといっしょだった妹が、隣り合って同時に芽吹いた大樹の若葉が、永遠に失われようとしている。ベロニカは震えそうになる声を振り絞った。
「どんな時もずっと一緒だって約束したじゃない……。ねえ返事してよ、セーニャ……」
その声が聞こえたのか、セーニャが身を起こした。きれいにひざをそろえて座り、白い手を口元に添えて、堂々とあくびをした。
「んん……ふわぁ……」
あくびで出てきた涙をぬぐい、なんとものんびりと彼女は話し始めた。
「すみません私、人を探していて……。疲れて泉のそばで休んでいたらそのまま眠ってしまったようですわ……」
ベロニカは安堵のあまり、声も出なかった。どうしてこういうときに昼寝ができるの、アンタって子は!
 寝起きのふわふわした顔のセーニャが、ベロニカを見ると驚きのあまり両手をぱっと肩の高さへ上げた。
「……お、お姉さま!?なんというおいたわしい姿に……」
かえってベロニカの方が驚いた。
「え?ア……アンタ……あたしがわかるのっ!?」
年齢を吸いとられ乙女から幼女へ退化したことをどうやって説明しようか、迷宮を歩きながらずっと考えていたというのに。
セーニャは片手を緩い拳にして口元に当てた。
「ふふっ、何年もお姉さまの妹をしてますもの。ちょっとお姿が変わったくらいで間違えたりしませんわ」
 あたしよりもずっと大物だわ、この子は。奇妙な安心感にベロニカは満たされ、同時にやきもきしていた自分がちょっと恥ずかしくなった。照れ隠しに腕を組んで、ベロニカは妹に文句をつけた。
「も……もう!まぎらわしい倒れ方しないでよ!あたしてっきりアンタが……」
ぷいっと横を向いた。セーニャはくすくす笑っていた。
「なあお取込み中のところ悪いが……セーニャってのはお前の妹なんだろ?いったいどういうことだ?」
とカミュが尋ねた。
 セーニャとベロニカはその場に立ち上がった。
「じつはあたしとこの子は双子なの。こんな見た目になっちゃったのは深ーいワケがあるのよ。あたしをさらった魔物はね。ここをアジトにしてたくさんの人をさらっては魔力を吸い取って集めていたの。魔力を吸い尽くされないようにこらえていたら、どんどん年齢のほうも吸い取られたみたい。それで今はこんな格好ってワケ」
滾る怒りにまかせ、ベロニカは人差し指をカミュたちに突きつけた。
「つまりこう見えてあたしはれっきとした年頃のおねーさんなの。これからは子ども扱いしないでよね!」
はぁ?と言いたげな表情でカミュはうなった。まったくもう!とベロニカは思った。こんな場所じゃなかったら、ラムダの里では高嶺の花で通っていたことや、(胸のサイズは別として)すらりとした自分のスタイルをけっこう気に入っていることなどをあらいざらいぶちまけてやりたかった。
「それはわかったけどさ……」
カミュは、半分以上本気にしてない顔だった。
「お前身体がそんな状態じゃ、この先やってけないんじゃないか?」
「ええ、そうよ」
とベロニカは言った。
「だからアンタたちにはあの魔物から魔力を取り戻すまで付き合ってもらうわ」
というわけだから、アンタも手伝ってよセーニャ、とベロニカは続けようとした。それより早く、セーニャが言った。
「私からもお願いいたします。回復呪文で皆さまのお手伝いをしますわ。さあ行きましょう」
 一瞬、違和感があった。ベロニカはセーニャを振り仰いだ。セーニャが見下ろし、にこ、と笑った。
「なんだかドキドキしますね、お姉さま」
「アンタ、怖くないの?」
「皆さまがご一緒ですもの」
クラスの男の子たちに虐められて、ひきつった唇でふるえていた小さな妹はもういなかった。
「……ぼんやりしないようにね」
「はいっ、大丈夫です」
セーニャは戦う気満々だった。ベロニカは頭を振って違和感を振りはらった。これでいいのよ、と自分に言い聞かせながら。

 ベロニカは、ついに言った。
「いいわよ。それに関しちゃ認めるわ。あたしはたしかにずっとお姉ちゃんぶってたんだわ。あたしがいなきゃ、セーニャはなんにもできないって思い込んでた」
彼女は肩をすくめ、毒を含んだ笑みを浮かべてホメロスを見上げた。
「でもアンタ、女児の心理にやけに詳しいわね」
ホメロスは両手を胸の高さに上げてにやにやしたまま首を振った。
「言いがかりというものだ。ともあれ、これで一点先取だな」
「図に乗らないほうがいいわよ?まだ嫉妬を認めたわけじゃないんですからね」
「まあ、待っていたまえ。お楽しみはこれからだ」
 サーカスの舞台に立ったマジシャンのように、ホメロスは優雅に両手を広げた。ふりむきざま、杖を一閃させた。鏡は別の情景を映し出した。雨の降る庭を見下ろす図書館の一室で、大型の魔導書をいくつも広げて読みふける十三、四歳の少女、ベロニカだった。
「わかっているかね、ラムダのベロニカ?お前はそもそも、人に劣るということが我慢できない性質なのだ」
顎を振り上げてベロニカは言い返した。
「この、おくゆかしさと、自制心と、しとやかさと、謙虚の塊みたいなあたしに向かって、よくもそんなことが言えるわね!」
「謙虚の塊はそもそもそんな言葉は吐かんな」
ホメロスは肩をすくめて話し続けた。
「そうだ、セーニャが回復魔法だけ習得していったなら、おまえは安閑としていられた。懐の大きい、頼れる姉を演じていられたはずだ」
 ベロニカ側の秤皿に再び紫の鬼火が灯った。
「だが、セーニャには風の魔法の素質があった。なぜかおまえには使えない風の魔法だ」
ベロニカはイライラしたようすで脇を向き、片手を振った。
「魔法は、相性ってのがあるから」
「おやおや、どの口で言うのだ?」
ははは、と魔軍司令は高笑いで遮り、鏡を指した。
「こんなに必死になって調べているのにか」
かっとベロニカの頬が染まった。
「納得できなかったのだろう?自分に使えない攻撃魔法があることなど。なあ、ラムダの天才殿?同じことをたしかおまえの級友が言っていたな。セニカ様にはできたのにねえ?」
クララの口ぶりをまねてホメロスがからかった。
「ええ、そうよ。魔導書は全部読んだわよ!一番を目指して何が悪いの!」
ベロニカは両手を腰に当てて身を乗り出した。
「アンタの言う通り、あたしはひとに負けるのは嫌いよ。だから努力は惜しまないわ」
巨大天秤の腕が、一段とベロニカ側に傾いた。
「よく言った!」
ホメロスは皮肉めいた賞賛の声をあげた。
「だが、残念なことに努力ではどうにもならないこともあるのだよ」

 まるまる太った下品なドラゴンは大きな口を開けて威嚇した。
「果報はブチギレて待てとはこのことよ!さあ野郎ども!仕事の時間だ!こいつらの魔力全部吸い尽くしてやるぞ!」
 カミュはイレブンの方を見ていた。
「どうだ、イレブン?」
 ふとベロニカは気付いた。これからあたしは、この数百年で初めて誕生した勇者の戦いぶりを目撃することになる。ちょっと興味があった。
――この子、強いのかしら。
 その瞬間、ベロニカは身震いした。初めて会った時と同じく、イレブンの輪郭がずれ、すぐに消えた。
「強いが……取れる」
そう答えたのがイレブンだとわかるまでに少しかかった。イレブンは剣を鞘から抜き放ち、眼前に構えた。
 信じられない思いでベロニカはイレブンを見なおした。勇者とは、命の大樹の申し子ではなかったの?一点曇りなき光の化身であるはずのイレブンは、どす黒いオーラに身を包んでいた。イレブンはデンデン竜だけを見ていた。というより、睨んでいた。
「ちょっと、どういうことなの」
カミュが視線だけこちらへ向けた。珍しく余裕のない顔になっていた。
「……後で話す。悪いが、オレはこいつのお守りでせいいっぱいだ。死なねえように適当にがんばってくれ。妹さんもな」
伝説の勇者ローシュが賢者セニカに、“適当にがんばれ”と指示するところなどまったく想像できない。
「どうなってんのよ?!」
カミュは腹をくくったようだった。
「とにかくこうなったらやるしかねえ!ベロニカ、やばそうなら逃げろよ!」
カミュが言い終わる前にイレブンが飛びだした。剣の柄を握る手首がしなやかにひらめく。そのまま前進し、イレブンはドラゴン斬りをデンダの腹へ決めた。
「痛ぇじゃねえかっ」
デンダが助走をつけて飛びだした。太くて短い足がイレブンを蹴り上げた。それだけでHPの半分弱が吹き飛んだ。
 蹴られたところを左手でかばい、イレブンがデンダをにらみつけた。殺意満々の顔のまま、雄たけびを上げてイレブンが襲い掛かった。
「うぉぉぉぉっ!」
チッとカミュがつぶやいた。
「あいつ、今日はまた一段と……薬草いくつ持ってたかな」
言ったとたんにヒャドをくらった。デンダの手下のあやしいかげは三体もいて、魔法で攻撃しながらふよふよと飛び回っていた。
 その中をついて、魔法力の波がイレブンに向かい、包み込んだ。セーニャのホイミだった。
「お姉さま、今、スカラを」
「あたしより、あの子を優先したげて」
カミュがこちらを見ていた。
「あんた、僧侶なのか。会ったばかりで悪いが、回復頼んだぞ」
「お任せください」
カミュの顔が少し明るくなった。彼の手の中の短剣がくるりと返り、逆手になった。イレブンに続いてカミュもデンダにヒットを決めた。
「てめえら、チクチクとしつこいぞ!」
だみ声でデンダが苛立たし気に叫んだ。
「こうしてやらぁっ」
デンダはそっくりかえるような姿勢になり、大きく息を吸い込んだ。
「お前ら!」
とカミュが叫んだ。
「次のターンで防御!」
 ベロニカは一気にムカついた。
「何仕切ってんのよ!」
「お姉さま、ここは言う通りにしましょう」
この青髪のツンツン頭の指示を聞くのは腹立たしいが、きれたデンデン竜がやばすぎる。ベロニカはしぶしぶうなずいた。
 デンダは天井を仰ぐような格好になったかと思うと、こちらへむかって激しく息を吐き回した。冷たい息だった。
「こいつもドラゴン族のはしくれかっ」
防御態勢を取っていてもひとりにつき40近く削られていく。身体が小さくなってHPも少ないベロニカはぞっとした。
 セーニャがつぶやいた。
「お姉さまになんてことを!」
セーニャは腕のひじを背後へ引きながら両手の中に魔力を増幅した。そのモーションが、回復魔法でも補助魔法でもないことにベロニカは気付いた。それは攻撃魔法だった。ならば、言霊は。
 ラムダにいたころ、ベロニカもセーニャも事あるごとに魔法適性の検査を受けていた。未来の賢者なら、適性は多いにこしたことはない。二人が十三歳になったころ、セーニャに風の魔法を使う素質があるとわかった。そのときのセーニャの喜び方はたいへんなものだった。
「バギ系統は、セニカさまの得意な魔法だったのです!もし私が風の魔法を使えたら、なんて考えただけでもうれしくなりますわ」
ラムダの里の神語りでは、賢者セニカが風の魔法をもって勇者の窮地を救う場面がいくつもある。ラムダの里の子供なら、バギを使ってみたくてあたり前だった。が、ベロニカ自身は何度検査しても風の魔法の素質は全くなかった。
「バギ!」
一瞬、淡い緑の魔力が掌の中で渦巻いた。が、発動することなく消えてしまった。
「だめでした……」
しゅんとしてセーニャは言った。
「お姉さまをお守りしたかったのに」
「……ありがとう」
ややぎこちなくベロニカは言った。
「さあ!回復は、アンタしかできないんだからね!」
「はい、お姉さま!」
ベロニカも両手杖を構えて、デンダに向き直った。
――あたし、今、ほっとした……。
妹がバギを失敗したことに、安堵した。耳の先まで熱くなるほど恥ずかしい。ベロニカは、うつむいたままぎゅっと目をつむった。
――なんてことを。あたし、お姉ちゃんなのに。
姉妹の脇を誰かが走り抜けた。ベロニカは我に返った。勇者イレブンは剣をかかげ、あやしいかげたちをすり抜けてデンダへ迫った。
「ちょっ、アンタ、そんなHPで」
目の前に片手が突きだされた。カミュだった。
「あいつがああなると、回復なんか頭からふっとんじまうんだ。やつには好きなようにやらせといてくれ」
「そんな、鉄砲玉みたいなことを……」
あいつ、本当に勇者なのかしら!
 冷たい息を吐いてドヤ顔をしていたデンダは、いきなり攻撃されてかなり驚いたようだった。イレブンは情け容赦なく、徹底的に攻撃していた。神聖なる大樹の申し子の光輝くオーラはどこへいったのか、今のイレブンは悪鬼の形相だった。
「くっ、くくくっ、ふふ、あははっ」
笑い声が気ちがいじみてきた。イレブンは高笑いをあげてデンダに斬りかかり、殴られても蹴られてもまったく退かなかった。
「ちょっ、何すんだ、おおい、なんだこいつ!」
デンダは嫌がって暴れたがイレブンは執拗だった。
 下はベロニカたちが三人がかりで片づけた。その間イレブンはほとんどデンダと一対一で戦っていた。
「待った、なあ、おい、物は相談だぜ、な?」
命乞いしかけたデンダに向かってイレブンは冷たい笑みを浮かべ、返り血ですべる柄を掴みなおして構えた。

 その日は四人でホムラの里へ戻り、そこの宿屋に泊った。疲れていたのか、寝床に入るとあっという間に寝入ってしまった。深夜、ベロニカはあの夢を見た。ゴウゴウと風が吹いている。頭上を見上げると、枯れた大木が太い枝を天蓋のように広げていた。枝の重なりを透かして空が見える。紫、緑、紺と次々と色を替えるなんとも禍々しい空だった。天の頂のあたりが凶悪な白色に輝く。その眩しさ、そして顔面に吹き付ける強風に目を開けていられないほどだった。
――いやだ、またこれ、セーニャが浮かんでる夢じゃない。
 無意識にベロニカは大木を見上げ、セーニャを探した。
 薄く白い後光に包まれたセーニャはすぐに見つかった。気絶しているのか、セーニャはぐったりしていた。この間は一瞬しか見えなかったが、今はセーニャに焦点があっているらしく、細部まではっきりわかった。
 セーニャの他にも、薄く光る浮遊体はいくつかあった。一番手前に浮いているセーニャの向こうに、若い男が浮かんでいた。勇者の相棒、盗賊の若者。特徴のある髪のためにベロニカにも見分けがついた。
――カミュ、なんであんたが……。
セーニャもカミュも漂っている。二人の重なりが次第にずれていく。一番後ろにいる人物に、ベロニカは気付いた。
「イレブン!」
目を閉じ、ほとんど死相を浮かべたその顔を、ベロニカは見上げるはめになった。この前はセーニャしかわからなかった。が、今はカミュとイレブンも浮いている。
――じゃ、ほかにふわふわしている繭みたいなものは全部、人だということ?
しかも自分が知り合うたびに、宙に浮く人物が増えるということか、と思い、夢の中でベロニカは戦慄した。