ラムダの祈り 5.賢者の資質

 サソリに似た外骨格の上に目玉に見える斑点をつけたその生き物は、突然砂の上に身をもたげ、前足を振り上げて威嚇した。
 妙に華やかで威勢のいい声が響いた。
「さあ!イレブンちゃんたち、行くわよ!」
そう言ったのは旅芸人のかっこうをした背の高い男だった。現在サマディーで興行中のサーカスに招かれたゲストスター、シルビアである。
 シルビアの声に応えるようにデスコピオンそのものがサマディー兵と王子からシルビアたちに向き直った。
「あたし、虫って苦手だわ」
とベロニカはつぶやいた。
「あれは虫なのでしょうか?」
セーニャはしげしげとデスコピオンを眺めた。妹がラムダの“虫愛ずる姫君”だったことをベロニカは思い出した。
「サソリっぽくない?」
「エビに見えますわ」
ベロニカは背中に負った両手杖を下ろして身構えた。
「どっちにしても殺るわよ?」
「サマディーの皆さんのご迷惑ですものね」
 ちら、とベロニカは勇者の方を盗み見た。戦闘の時とそうでない時、別人かと思うほど彼は性格が異なる。
勇者イレブンは唇を引き結んで盾と片手剣をしまい、大剣の柄をつかんで引き抜いた。ベロニカは少しほっとした。性格はとげとげしいが、戦闘狂勇者は強敵相手のときはたいへん頼もしかった。
「ベロニカ、効果がなくなるまでルカニ。セーニャはホイミの必要があるまで防御」
イレブンの眼はじっとデスコピオンを見据えていた。
「イレブンさま、御身の守りが薄くなっています」
セーニャが声をかけた。装備を変更した時点でイレブンの守備力は激減していた。
「ホイミの優先順位を変えては」
デスコピオンが動き出した。イレブンが前方へ突出した。
「前と同じ!ベロニカときみが最優先だ」
ブーツが砂地を蹴った。大剣は容赦なくデスコピオンの外殻の継ぎ目をえぐった。体液が噴き上がった。
「カミュ!」
「あいよ」
 カミュにはそれだけで指示が伝わったらしい。短剣を空中で逆手に持ち替え、伸ばした腕に可能な最大のリーチで一撃を見舞った。ヴァイパーファング。相手を猛毒に染めることができれば、あとはこの戦闘を生き残るだけでいい。
 だが、カミュの短剣はダメージを与えたが、毒化には失敗した。
「チッ」
「イレブン!」
ベロニカは声をかけた。
「これ以上あいつの守備力が下がらない。限界よ」
 デスコピオンは痛みに刺激を受け、怒りに荒れていた。鎌状の前足を振り回して暴れ、時には痛烈な一撃を見舞ってくる。パーティのアタッカーはイレブンとカミュ、そしてシルビア。特にイレブンの攻撃はしつようだった。いくらダメージを受けようとお構いなしに巨大サソリに駆け寄り大剣を振るった。
「もう少しだ!」
眼前の巨体を見上げ、イレブンが断言した。本人のHPはボロボロになっていた。
 大剣が翻る。デスコピオンの六本ある前足のひとつがだらりと下がった。必要な腱をイレブンが断ち切ったらしかった。が、反対側の前足が真横からイレブンを襲った。防御が間に合わない。イレブンの身体は斜めに斬り下げられた。
「くそ!」
カミュが短剣を構えて敵に走り寄った。
 その瞬間、デスコピオンは体を反りかえらせた。反動で巨大な頭が下がる。その口から砂嵐が噴き出した。
「うっ、目に入った……」
イレブンはフラフラ、カミュとシルビアは攻撃できない状態らしい。物理攻撃ができないなら魔法を使うまで。ベロニカは両手の袖をめくりあげた。
「メラ!」
顔面に炎の弾が直撃した。
「ガアァァッ!」
「あんまり効いてないけど、やるしかないわ!」
この砂漠に棲む生き物なら、弱点はヒャド?と見せかけてイオ?ベロニカは迷った。
「お姉さま!」
イレブンの回復お願い、と言い終わる前にセーニャは魔力を増幅し始めた。
「私も戦います!」
言うなり攻撃魔法のモーションに入った。
 セーニャの両手の間に魔力の渦が生まれ、次第に強く巻いていく。
「バギ!」
一陣の風が飛び出した。イレブンを襲おうとしていたデスコピオンの上体をしたたかにえぐった。
「で、できました!私、成功しましたわ!」
バギ。勇者ローシュがデイン系を得意としたように、賢者セニカが自在に操った風の魔法。
「ダメージは20くらいね」
言った直後にベロニカは後悔した。自分のメラも同ていどだったではないか。
「はいっ。初めての攻撃魔法です!」
セーニャは無邪気に喜んでいた。ベロニカは両手杖を握りしめた。
「お祝いはあとで言うわ。今は集中して!」
 セーニャ、とカミュが呼んだ。
「イレブンを頼む。今痛恨が来たらまずい」
「あっ、ホイミですね」
セーニャの手が高く上がり、それから胸の前で水平に払った。回復魔法の輝きがイレブンを覆った。
 セーニャがバギを使えるようになったのは、デスコピオン戦直前のレベルアップによるものだった。同時にレベルを上げた自分も、別の魔法を習得していたことをやっとベロニカは思い出した。
「マヌーハ!」
驚いたようにカミュは動きを止め、一二度顔を振った。
「やった!砂が取れた!ありがとな!」
――何よ、あんた、こんな時にかぎって素直なんて。
「ベロニカちゃん?こっちもお願い」
「あ、ごめんなさい」
シルビアの幻惑もすぐに解けた。
 三人のアタッカーがそろった。
「攻撃続行!」
一度砂地に転がったイレブンが、大剣を杖に起き上がった。その身体にゆらゆらと陽炎のようなものがまとわりついた。次の瞬間、イレブンの身体から青い炎が噴出した。たっぷりくらったダメージのために集中力が研ぎ澄まされた状態、ゾーンだった。
「とどめだ」
大剣を頭上に構えてイレブンは凄絶な笑顔になった。

 鏡はまた新しい情景を映し出した。広大な砂漠の間に奇岩が立ち並び、水の代わりに大量の砂が岩のてっぺんから流れ落ちている。馬と騎士と砂の王国、サマディーだった。
「ついにサマディーで、セーニャはバギに目ざめた」
ホメロスは毒々しい笑みを浮かべてベロニカの方へ魔軍司令の杖をさしのべた。
「おまえが使えるのは攻撃魔法と補助魔法の一部のみ。セーニャは回復魔法、補助魔法に加えて攻撃魔法を手に入れた。いにしえの賢者セニカにならい、これぞまさしく賢者の資質だ。以上の点から導き出せる結論はひとつだ。命の大樹が予定した賢者は、セーニャなのだ、おまえではなく」
はははっ、とホメロスは遠慮なく嘲った。
「焦ったか?妬ましかったか?二人で世界一の魔法の使い手になろうとした結果、セーニャのほうが一歩先んじたのだからな!」
 ベロニカは一度目を閉じ、深く息を吸い込んで、時間をかけて吐きだした。
「言っときますけどね。あたしだって治癒魔法が使えるのよ?」
「スキルの件か?“祝福の杖”だったな」
「違うわ?回復魔法とはちょっと違うけど、あたし独自の治癒魔法があるもの。マヌーサを受けた仲間の視界を晴らす魔法、マヌーハ。セーニャがバギを覚えた頃、ちょうどあたしもマヌーハが使えるようになったわ」
「マヌーハ、それだけか」
「攻撃魔法一種類のセーニャに対して、治癒魔法一種類のあたし。どっちも攻撃・補助・回復の三つの分野を手に入れたの。なんか言うことある?」
間髪入れずに言い返されて、チッとホメロスは舌打ちした。
 ホメロス側の秤皿に金の光が生まれ、ほんの少しだけ天秤はホメロス側へ戻った。ホメロスは天秤をちらりと眺め、ベロニカに向き直った。
「おまえの強情を悔いるがいい。おかげであの話をしなくてはならないようだな」
「なんの話?」
ホメロスは魔軍司令の杖の先でベロニカを指した。
「お前の引いた貧乏くじの話だ。おまえたち姉妹は二人で世界一の魔法の使い手になろうとして、最初こそおまえが優勢だったが、結局妹が一歩先んじた」
「さっき聞いたわよ。そんなもの、貧乏くじじゃないわ」
ホメロスはベロニカの抗議を無視した。
「命の大樹にとって、大切なのはセーニャだけだった。そのためにあらかじめおまえに、セーニャと勇者と他の仲間を守るように仕組んでおいたのだ。そうだ、おまえの杖の話だ」
ベロニカは目を見開いた。が、言葉は出てこなかった。
「おまえは、あのチカラを持っていた。どんな気分だった?毎日少しずつ己の死が近づいてくると思い知るのは」
ベロニカは歯を食いしばった。
「アンタって、最低!」
ベロニカ側の秤皿には、巨大な鬼火が宿り、ゆっくり秤皿を押し下げていた。

 長老ファナードは、賢者セニカの立像とその先に見える命の大樹に向かって語り掛けた。
「世界中の命を束ね、見守りし命の大樹よ。今日このラムダの地にまたひとつ新たな命が生まれました」
 それは、若葉の儀式だった。ラムダで生まれた赤子はすべてこの儀式によって命の大樹から祝福を授かることになっている。ファナードの背後にはラムダの若い夫婦が寄り添いあって立ち、妻の方はその腕にうまれたばかりの赤子を抱えていた。
「われらの母、命の大樹よ。聖地ラムダのいとけない若葉にどうか祝福を授けたまえ……」
神官と夫婦は手を祈りの形にして首を垂れた。しばらくしてファナードは祈りを終え、夫婦に向き直った。
 天気のいい、暖かい日だった。ラムダの里の中央にある円形広場は太陽光で温められ、里人が多く集まっている。若夫婦の親世代や兄弟姉妹、友人たちが、夫妻と赤子を祝おうと来てくれたようだった。
「……むっ?」
円形広場の人々の中、見知った人影があった。
「おお双賢の姉妹……ベロニカとセーニャではないか!いったいいつからそこにいたのじゃ?」
緑の服をまとううら若い乙女セーニャと、赤い服を身に着けた少女ベロニカは、老神官の所へやって来た。
「長老さまおひさしぶりですわ。皆さまお変わりないようで何よりです」
セーニャの笑顔はまったく変わっていなかった。
 ファナードは、姉妹を二三度見比べた。
「……ぬ?ベロニカ。そなたしばらく見ない間にずいぶん背がちぢんでしまったようじゃな」
ベロニカは両手を腰に当て、説明の言葉を探しているようだった。
「ん~これはちょっといろいろあってね」
彼女は説明を諦めたようだった。
「それより聞いてよ!ほらっ、あたしたち言いつけ通り勇者さまを見つけてきたわよ!」
姉妹は互いに脇へ寄り、うしろにいる人物の姿をファナードが見られるようにした。
 姉妹の後ろに、数名の人物がいた。青い髪をした目つきの鋭い若者、奇抜な衣装の洒落者、艶やかな女武闘家、小柄な年寄り。だが、ファナードの目はただ一人の人物に吸い寄せられた。
――あの若者じゃ。大樹の魂の前に立っていた、あの……!
あなたが勇者ですかと尋ねる手間をファナードはかけなかった。
「おぉ……赤子に祝福を授ける洗礼の日に勇者さまがいらっしゃるとは。なんと今日はめでたき日よ……。私は聖地ラムダの長老ファナード。こうしてお会いできる時を何年もの間お待ちしておりました」
夢の中の若者と同じ顔をした少年は、少しはにかみながら一礼した。
「ぼくはイレブンと言います。ラムダの里には、ぼくがなすべきことについて助言を欲しくてやってきました。よろしくお願いします」
 ファナードには、思い当たるところがあった。
「……私はかつて、ベロニカとセーニャが勇者さまと共に命の大樹を目指し天高い山を登っていく夢を見ました。あの夢はきっと大樹の神託……。そう思ってベロニカとセーニャのふたりを勇者さまのもとへと遣わしたのですが……これですべてが明らかになりました。あの夢は勇者さまが始祖の森の山頂にある祭壇へ向かう光景を示し、て、い……」
 その瞬間、ファナードの背に悪寒が走った。
「長老さま?」
目の前のイレブンが、不思議そうに見ていた。
「あ、いや、始祖の森へ続く道はこの先に見える大聖堂の奥にあります。私は大聖堂でお待ちしておりますからオーブが六つすべて集まりましたら私の所までお越しください」
そう言ってファナードは会釈をして、大聖堂へ向かって階段を上っていた。

 寒気はまだ続いている。
 ファナードは大聖堂へと逃げ込むと、円形の聖堂の中央に座り込み、頭を抱えた。
 ファナードが予知夢の中で見たのは、勇者の紋章のある手、幼女のベロニカ、セーニャのものらしい長めの金髪の持ち主がツタをたどって崖を登るようすだった。
 なぜ、気付かなかった、とファナードは思った。ベロニカが七歳前後なら、双子のセーニャも、そして姉妹から少しだけ遅れて生まれた勇者も同い年のはず。他に同行者がいたとしても、三人の子供が命の大樹目指して崖を登る異常さになぜ気づかなかったのか。
 あの夢は、三人の七歳児が大樹を目指す夢ではなく、十代半ばの三人(ただしベロニカの見た目は子供)が大樹を目指す予知夢なのだ、とファナードは悟った。そしてベロニカとセーニャ姉妹の夢を他にファナードは見ていない。
 もしや、ベロニカとセーニャには、この夢で見た時点から先の未来がないのでは。
 そのような事態になる原因は、ほぼまちがいなく命の大樹への旅路で発生する。
 ファナードはもうひとつの予知夢を思い出した。勇者だけは、命の大樹の魂へ至るその時まで生きながらえる。勇者が生まれる前にファナードは、その状態の勇者を夢に見たのだから。正確には、大樹の魂へ手を伸ばし、その中から宝剣をつかみとろうとする瞬間だった。
「警告すべきだろうか……」
せめてベロニカに、お前の命が旦夕に迫っていると告げるべきだろうか。
 大扉がきしむ音がした。
 ファナードは、はっとした。
「長老さま」
ファナードは振り向いた。大きな扉がわずかに開き、そこに小さなベロニカが顔をのぞかせていた。
 ファナードは狼狽した。引きつった顔を見せてしまったにちがいなかった。ベロニカは、大人びた表情で薄く微笑んだ。
「そんな顔しないで、長老さま。話があるの」
「ベロニカや……」
とっさのことで、ファナードは何を言っていいかわからなかった。七歳の幼女の足取りでベロニカがやってきた。
 ファナードは立ち上がった。腰が曲がってしまったせいで、今のベロニカとあまり目線は変わらなかった。
「あたしの予知夢を、覚えてる?光る空と枯れ木の夢なんだけど」
「おお、覚えとるぞ」
ベロニカは静かな表情だった。
「あたし、里を出てから、ときどきその夢を見ていたの」
「同じ夢かの?」
「同じだけど、ちょっとずつ細部が明らかになってきたわ。葉のなくなった大きな樹の下から、いつもあたしは光る空を見上げてる」
ベロニカは、いつもの自信に満ちた態度ではなかった。
「最近、太い枝と枝の間に、何か浮いてるのが見えてきたの。それが夜毎にはっきりしてきて、正体がわかっちゃった」
ベロニカはちょっと肩をすくめた。
「人なの。数えてみたら八人の人間が、ぐったりしたまま枝と枝の間の高いところに浮いてるの。あたしはその人たちを、真下から見上げてるんだわ」
ファナードは、我知らず、固唾をのんだ。
「誰が、いったい」
ベロニカは指を折って数えた。
「浮いている人影は、知ってる人からはっきりしてきたわ。ひとりめはセーニャ。それからイレブン。さっき紹介した勇者よ。カミュも最初からいるのが見えてた。シルビアさん、マルティナさん、おじいちゃんは、パーティに加わるたびに、夢の中で気絶している状態で空に現れた。あとパーティじゃないけど、勇者を追いかけてる黒い鎧の将軍も」
「それで七人じゃな」
「あたしがまだ知らない人がいたわ。羽根飾りのある冠と贅沢な衣装をつけた王さまみたいな男のひと。そして、八人よりも下に、これが空中に浮いて、魔力の粒子をばんばん噴きながら光ってた」
ベロニカは自分の両手杖を差し出した。
 ファナードは心を決めた。いっそ、言いにくいことを切りだすきっかけになりそうだと思った。
「ベロニカや、お前もれっきとした夢見じゃ。その夢をどう読み解くか聞かせてもらおう」
ベロニカは何か言いかけて、ためらった。
「できない……。夢が読めないの」
こわばった顔でベロニカがそう白状した。
「こんなことって、ある、長老さま?未来がすごく揺らいでいるわ。光る空の夢はぼやけたり鮮明になったり、見るたびに違って見えるの。たまたまゼーランダ山に入る直前の野宿では、すごくはっきりしてたけど」
命の大樹から人の世へ零れ落ちた光の滴、そしてラムダの夢見。その幼い体に、なんと重い責任がのしかかっていることか。少しでも力になりたいとファナードは願った。
「未来が揺らぐとな。大昔の夢見でそのようなことがあったと古書にあるが……。そうじゃ、ベロニカの知らない人間が夢に出てきたのじゃな?ということは、その人物と合わなければ、その情景は実現しないことになるの」
「そういうことね」
ベロニカは考え込んだ。そして、肩に下げたかばんから、笛を取りだした。
「長老さまが持たせてくれた笛、セニカさまの遺品でしょう?大事なものだわ。返した方がいいかしら。もし、その、あたしに何かあったら、笛も巻き添えになっちゃう」
 ファナードはどきりとした。ベロニカとファナードは、それぞれ異なる夢からほぼ同じ結論へたどり着いたらしい。
 未来が、ない。
 自分の死期を悟っているのか、ベロニカの唇が震えていた。
 ファナードはかたくなに首を振った。
「未来はまだ、定まってはおらん。災難が起こる可能性は五分と五分じゃ。笛はもっておいき。もしかしたら、必要になるかもしれん」
ベロニカはためらったが、ようやくセニカの笛を自分の鞄にしまった。
「じゃあ、こうしましょう……」
ベロニカはファナードの耳にささやき始めた。