クレイモランの白鳥 3.グレイグ隊孤立

 南の海岸と北の岩山で囲まれた、東西に細長い土地の中央に街道が通っている。人々の往来のために土が踏み固められているが、道の両脇には草が生え、さきほどから吹き始めた風に揺れていた。
 ぎいぎい、がちゃがちゃと音を立てて旅の一行が街道を進んでいた。単調な物音は、騎馬から聞こえていた。騎手のまとう鎖帷子や馬に着せた馬鎧が、動くたびに触れあってリズミカルな音になっていた。
――妙に、蒸し暑い。
デルカダールのグレイグは、馬を進めながらそう思った。
 一行を構成しているのは、グレイグ麾下の重装兵三十騎ほどだった。騎兵の列の中央に一台の馬車があり、同じ速度で進んでいた。
「ベルトラン殿、休憩はどのようにいたしますか?」
馬車の乗客に向かってグレイグが尋ねた。窓から年配の貴族が顔を出した。
「いや、かまわん。このままお城へ向かってくれ」
 現在グレイグは、デルカダール王国軍の現役の将軍だった。ベルトランはグレイグの前任の将軍であり、つい最近引退している。先輩であり元の上官でもあるベルトランとその一家を、グレイグは逮捕してデルカダール城へ連行している最中だった。
「王の御前で申し開きをせよということなら、休憩などしているヒマはない」
口調は冷静だが、その底にふつふつとした怒りを感じてグレイグは鎧の中で身をすくめた。
「だが、家内と孫たちは喉が渇いているようだ。水があったらもらえるか」
逮捕の対象は、ベルトランとその妻、娘、二人の孫だった。すぐに行軍用の水袋が差しだされた。
「感謝するよ、グレイグ君」
「おそれいります」
ベルトランは険しい顔をややゆるめた。
「君のせいじゃない。モーゼフ陛下はきっと何か思い違いをされているのだ。それとも、誰か良からぬ者が我が家について讒言しているのかもしれん」
 前日の朝、グレイグは王より直々にベルトランとその家族を逮捕せよと命令を受けていた。王女マルティナ亡きあと、王位継承をめぐって不穏な企てがあり、元将軍ベルトランは家族ぐるみでその企てに連なっている、というのがその理由だった。
――ホメロスの言う通りになったな。
 デルカダール城下の居酒屋でホメロスと密談したのは、ひと月前のことだった。“誰かが王をそそのかしている”、そうホメロスは言っていた。
 ぐっとグレイグは手綱を掴みなおした。もしそうなら、この機会にその不心得者を炙りだしてやる!
 街道はゆるい坂道となって続いている。道は平野を過ぎれば、すぐ渓谷地帯へと入るはずだった。
 不意に風が吹いた。海が近いせいか、魚臭い気がした。ぎいぎい、がちゃがちゃ。一行は単調なリズムに乗ってひたすら道を進んでいた。
 その音に、いきなり激しい蹄の音が混じった。
「グレイグさま!前方に敵です!」
伝令だった。
「敵だと!?」
グレイグはベルトラン一家の馬車を離れて列の先頭へ向かった。
「全体、停まれ!」
そこはゆるやかな坂が終わって平地になるところだった。その平地を、モンスターの群れが埋め尽くしていた。
「なんだ、これは!」
この目で見たユグノアの惨状が脳裏によみがえる。グレイグの背筋に悪寒が走った。
 悪魔系モンスターの中には、人間のように鎧を装備するものがいる。広々とした平地にその、「鎧の騎士」と呼ばれるモンスターが密集していた。スライムやドラキーのような弱小ではない、対処には兵士それも訓練を受けた強兵を複数必要とするクラスのモンスターだった。鎧の騎士に一対一で立ち向かえば、その腕力でひとの身体などへし折られてしまう。
「何という数だ」
伝令にきた部下も呆然としていた。
「グレイグさま、あちらに分隊が!」
待ち伏せしていたのか、モンスターの集団が平地から現れ、包囲するように動き出した。
「グレイグさま、ど、どうすれば」
一人が浮足立つと、全体に影響する。グレイグは肚を決めた。
「転進!」
グレイグは隊全体へ号令をかけた。
「包囲を突破するよりベルトラン殿ご一家の無事を優先する。これより戦闘隊形、密集して平地の周縁をまわり、あれへ駆け込む」
グレイグが指したのは、この平地の南部にある小山の上に作られた王家ゆかりの遺跡だった。
「デルカダール神殿へ走れ!」
グレイグ麾下三十騎は、馬車を中央に守り、草地を蹴って走りだした。
 鎧の騎士たちが鈍重だったのが幸いして、グレイグ隊はすべて神殿へたどりついた。馬や馬車ごと神殿の大きな扉の中へこもり、下のようすをうかがった。
「グレイグ君、何が起きた!?」
ベルトランもただならぬ気配に緊張を隠せていない。
「わかりません。デルカコスタに鎧の騎士などこれまで見たこともありませんでした。それに、走っているとき赤い鎧がいくつか混じっているのを見ました。あれは『死神の騎士』です。たぶん鎧の騎士たちを統率しているのでしょう。だとすればただの群れではなく、敵軍です」
元将軍と現役将軍は顔を見合わせた。
「君の部下たちが動揺している。なんとかしてやれ」
グレイグは先輩に会釈した。
「みんな、聞いてくれ!」
部下たちはバーレルヘルメットを脱いでいた。どの顔も不安そうだった。
「我が隊の伝書鳩を使って、これより城へ救助を要請する。我々は援軍が来るまでここで籠城する。幸い、水も食料もたっぷりある。心配するな。明日になれば、助けが来るぞ」
いくつもの顔が安堵にゆるむのが見えた。グレイグもほっとしていた。
「警戒すべきは、夜襲だ。交替で見張りをたてよう。最初の見張りは俺がやる。みんな、明日にそなえて休んでくれ」
部下たちが思い思いに散ると、ベルトランが話しかけてきた。
「伝書鳩に食料?ただの逮捕に、ずいぶんな備えだな」
「実は今回の任務のことをホメロスに話したら、全部用意してくれました。大げさだと思ったのですが、持ってきてよかった」
とグレイグは白状した。
「ホメロス君か。覚えているぞ。クレイモラン帰りの切れ者だったな」
そうつぶやいて、ベルトランは気付いたようだった。
「では、デルカダールからの援軍を率いる将は、ホメロス君か?」
グレイグはうなずいた。
「まず」
十中八九、我が王はホメロスに救援を命令するだろうとグレイグは思った。
  昨日ベルトラン逮捕の命令が出たと話すと、ホメロスはひどく嫌がった。
「仮病でも何でもいい、そんな命令を受けるな。死ぬぞ」
ホメロスの剣幕に驚きながら、それでもグレイグは抗った。
「これでも将軍職を預かる身だぞ。王命には従うつもりだ」
「だったら、おまえの隊から腕の立つ者を百名は連れていけ。連絡手段を確保し、水、食料、薬草、毒消し草その他物資を十日分以上準備しろ」
「いくらなんでも大げさだろう」
そう言って、ホメロスが用意した物資のせいぜい三分の一を持ってグレイグはベルトラン逮捕に出かけた。
 そして結局ホメロスが予測した通りになっている。物資の中にキメラの翼もあったのだが、グレイグは持ってこなかった。ホメロスがそれを知ったら、きっとめちゃくちゃに怒るだろうとグレイグは思った。
――許せ、ホメロス。

――許さんぞ、グレイグ。
 王の御前を下がりホメロス隊の待機所へ足を運びながら、ホメロスは苦り切っていた。グレイグは自分のアドバイスをほとんど無視して無謀な命令を受け、予定の半分未満の手勢を率いて出発したという。そして、デルカコスタ地方で悪魔系モンスターの群れに囲まれそうになり、デルカダール神殿へ逃げて立てこもったらしい。
 王は状況を説明するとホメロスを指名した。
「ホメロスよ、直ちにグレイグ隊の救援に向かえ」
チェーンメイルの上にデルカダール軍の青いコートをまとい、腕、足、肩などに外甲をつけ赤いマントを重ねた装備で、片手を胸に当て、ホメロスは王に頭を下げた。
「かしこまりました。これより準備に入ります」
うむ、と王はいい、冷静な口調で付け加えた。
「悪魔の子探しのための検問はそのまま続けるように。それ以外の兵はすべておまえの配下として動かしてよい」
言うまでもなく王都王城の警備も穴をあけるわけにはいかない。ということは、ホメロスが実際に動かせる兵はほとんどホメロス隊のみということになる。
「御意のままに」
ホメロスはそう言って退出してきた。
 グレイグを王都から引き離す。途中でモンスターの大群に襲わせる。ホメロスが助けに行く。現場でモンスターの群れがグレイグともどもホメロスを始末する。二人を片づけるための計画としてはなかなかスマートなプランだ、そう思ってホメロスは歯ぎしりした。
 我が王はどこまでかかわっておいでなのか、とホメロスは思う。幼い頃、初めてグレイグと無断外出した冬の日、暗くなって帰ってきた悪童二人を迎えてくれたのはデルカダール王だった。“すまなかった”、そう言って泣きじゃくる二人の少年をまとめて抱きしめてくれた腕の強さ、暖かさをホメロスは覚えている。幼い頃から親しんだ王が本気で自分を殺そうとしているとは、考えたくなかった。
 それにしてもグレイグめ、とホメロスは思う。まんまとひっかかりおって!だから用心しろと言ったのに!今目の前にグレイグがいたら、ビンタの一発もくらわしてやりたい。
 バン、と音を立てて待機所の扉を開けると、部下たちが飛びあがった。
「全員、聞け!」
とホメロスは呼ばわった。
「現在デルカコスタでグレイグ隊がモンスターの大群に囲まれ、孤立している。ホメロス隊は我が王より救援を命じられた。これより作戦に入る。検問、警備以外の日常業務はすべて延期」
「モンスターですと?」
「いったい何事で」
一気に騒がしくなった。
「誰か、デルカコスタ地方の地図を」
 作戦会議用の大テーブルに地図が乗せられた。ホメロスと小隊の隊長たちがそのまわりに集まった。
「グレイグ隊はこのデルカダール神殿に立てこもっている」
乗馬用の鞭を取り、その先端でホメロスは神殿を指した。
「ここにグレイグ将軍、将軍麾下の重装騎兵三十、そしてベルトラン殿ご一家がいる。神殿の手前にあるデルカコスタ平野を、悪魔系モンスターの鎧の騎士とその上位種が包囲している。グレイグ隊の観察によればモンスターどもは左翼、右翼、中央に別れ、それぞれ死神の騎士数名が統率しているらしい。遠目だが中央のさらに中心に何か大きなものが見えたという。それが一種の天幕だとすればそこに全体の指揮官がいるかもしれない」
待機所は静まり返った。
「これもグレイグ隊の報告だが、敵の一翼だけで三百から四百はいるそうだ。合計千体ほどのモンスターがデルカダール神殿を取りかこんでいることになる」
兵士たちがうめき声をあげた。
「そして、現在こちらが動かせる兵の数はせいぜい五百だ」
「我が隊に死ねとおっしゃるのですか?!」
小隊長の一人、スパッツォがそう言いだした。彼は三十過ぎだが血の気の多い男だった。
 ホメロスはスパッツォを指した。
「鎧の騎士の特徴は?」
「鎧の騎士とその上位種は悪魔系ですが、守備力の高さが特徴です。我々の装備では切り崩せません!」
「そのとおりだ。大前提として、鎧の騎士には絶対に一対一で接触するな。ひとの兵士が四から五に対してモンスター一体、という比率でなくては、まず勝ち目はない」
「それでは、千体の鎧の騎士に対して、四、五千の兵士が必要になってしまいます」
 ホメロスは再び地図を指した。
「寡兵を持って大軍を襲う。かつ、近接戦闘ができない。その条件で戦うためのプランがこれだ」
ホメロスは手にした鞭で神殿の前の平野をついた。
「敵の左翼、右翼のモンスターを、我々にとって都合のいい場所へおびき出し、距離を取って飛び道具で攻撃をしかける。最後に中央のモンスター群を神殿の反対側、平野の北へ誘い込む」
しかし、と別の小隊長ノッジが言った。ノッジは口ひげを生やした冷静な中年男だった。
「こちらが攻撃している間、モンスターのほうがじっと立っているはずはありません。矢の雨の中を鎧の騎士どもが襲ってきたら、我が隊が負けるのでは?」
フン、とホメロスは笑った。
「死神の騎士、悪魔の騎士そして鎧の騎士は、その名に反してすべて歩兵であり馬はない。移動の速度なら軽装騎兵を中心としたこちらが圧倒的に早い。敵は飛び道具を持っていないが、こちらにはある」
 重装騎兵と重装歩兵で構成されたグレイグ隊と異なり、ホメロス隊は軽装騎兵、歩兵、弓兵、工兵など多彩な兵種の組み合わせだった。
「使うのはロングボウとバリスタ(設置型の大型弩:いしゆみ)。そして諸君も知っているアレだ」
ホメロスは部下たちと順繰りに視線を合わせた。部下たちの顔色が次第に生気を取り戻して来た。
「我が隊五百のみで千を越えるモンスターを倒す計画は、ひとえに誘導にかかっている。よく見給え。デルカコスタ平野はいびつな菱形をしている。誘い込むのはここと、ここだ」
 部下たちが状況を飲みこんだのを見て、ホメロスは言った。
「布陣を発表する。スパッツォ、軽装騎兵三十と弓兵二百を預ける。デルカコスタ平野の西側で待機。ノッジ、同じく軽装騎兵三十、弓兵二百を連れ、平野の東で待機。私は軽装騎兵四十と共に神殿正面の奥、デルカコスタ北岸に伏せる。それぞれ、工兵隊を同伴する」
ホメロスの説明は詳細で、午後の時間は次第に過ぎていった。
「――以上の誘導は、千以上のモンスターを三分の一から五分の一にするのが目的だ。この段階で私の隊が、残りモンスターの注意を神殿の反対側へ惹きつける」
「それでは、ホメロスさまが」
言いかけたノッジに向かって、ホメロスは首を振った。
「それなりに、勝算はある」
「……この作戦、うまくいくのでしょうか。私たちはグレイグ隊ほど強くはない」
部下たちの顔を見れば、自分の立案があまり信用されていないのは明白だった。
「スパッツォ、ノッジ、貴殿になら、できる。この二年間、私のような若造の指導に文句ひとつ言わずに貴殿らは従ってくれた。私はすべてを注ぎ込んだ。副官として貴殿の能力、そしてこのホメロス隊の能力に、私は絶対の自信を持っている」
多少大げさに言ってはいるが、ウソはついていない。ホメロスが自分の部隊を持ってからというもの、クレイモランで吸収してきた知識を年上の部下たちにたたきこんできたのも本当だった。
「作戦は遂行する。王命を果たすため、そしてあのバカを救出してこの手で往復ビンタをかますためだ」
ホメロスは部下たちを見回した。
「予定通り、明朝より作戦開始とする。心配いらん。このホメロスが、負けるような戦をすると思うか!?」
いくつかの顔が次第に明るくなっていった。
「時間がない。すぐに準備開始だ!」
 部下たちが一斉に待機所から出て行ったあと、ホメロスはため息をついて窓の外を見上げた。
 一番心配なのは、鎧の騎士の大群が神殿を夜襲することだった。ただし襲撃はおそらく明日、自分が戦場に姿を現してから、とホメロスは思っている。
「たぶんあいつらは、今夜は手出しをしないはず。先にグレイグをつぶしてしまったら、俺をおびき出せなくなる」
それは賭けだった。理性では大丈夫と思っていても、神経がぴりぴりするのを感じていた。
 待機所を出ようとしたとき、扉が向こうから動いた。
「失礼いたします、ホメロスさま」
廊下からのぞきこんでいるのは、グレイグがデルカダールへ残していったグレイグ隊の兵士たちだった。