クレイモランの白鳥 2.ホメロスの疑惑

 グレイグもホメロスも現在デルカダール城の中に個室を持っていて、その気になれば互いの部屋でいくらでも密談することができる。
「外聞をはばかる件があり、相談いたしたく」
ホメロスがそう言うと、グレイグはあわてたようすで顔を上げた。
「予算のことか?あれは、悪かった!俺の隊で全額つかってしまってはいけなかったんだと、後から知ったんだ。俺の年俸から返す」
氷点下の視線がグレイグを薙いだ。
「そのことではなく」
「では、月例会議をすっぽかしたことか?本当に済まない。俺も出なくてはならないんだと気が付いたのが、馬場から帰る途中で」
「それも違う」
「では、もしかしてあのこと、いや、あれか、それとも」
腹に響くような声でホメロスが問いただした。
「そんなに心あたりがあるのかっ」
居酒屋の喧噪にまぎれてホメロスは苛立たしげなため息を放った。
「まったく、もうちょっとしっかりしろ!髭を生やしたくらいで大人になるなら苦労はせん!だいたいその私服はなんだ。目立たない格好をしろとは言ったが、ださくしろと言った覚えはないぞ!」
ぽんぽんと叱られて、かえってグレイグは嬉し涙を目に滲ませた。
「よかった……、俺の知ってるホメロスだ……」
「泣くなーっ」
声を潜め、かつガミガミとホメロスは言った。
「しかたがないからこのまま話す。わかっているだろうが、他言無用だ」
グレイグは胸を張った。
「俺は口が堅い!」
どうだか、とつぶやいてホメロスは話し始めた。
「ユグノアからお戻りになって以来、我が王のごようすがおかしいのだ」
グレイグは不思議そうな顔になった。
「おかしい、とは?」
 グレイグもホメロスも、この年ちょうど二十歳である。子供の頃からデルカダール城で暮らし、廷臣たち、女官、兵士たちから、王のお気に入りとみなされていた。王には我が子のようにかわいがられ、当然王と接することも多かった。
 ただし、二人とも十三歳から十八歳になるまでの五年間、他国へ留学している。戻ってからの二年はデルカダールの騎士として王に仕えていた。
「城の者たちも兵士も民も、王が以前と比べて冷たくなられたと感じている」
「それは聞き捨てならん!」
とグレイグは言った。
「我が王は、俺が父とも慕うお方だ。冷たいなどと」
グレイグの抗議を無視してホメロスは言った。
「きっかけは、城の召使たちだった。俺は再来月の城の行事のことで前例を確かめる必要があって、執事長を訪ねた。が、執事長は妙にそわそわしていた。そして俺に、“近ごろ王さまは人が変わられたように感じられます”と打ち明けた」
「それでお前はなんと言ったのだ?」
「“まさか”と答え、行事の記録を執事長から借り出した。一昨日返しに行こうとしたとき、執事長はいなかった。急に辞職したそうだ」
グレイグは、一度口を開きかけて、また閉じた。
「俺は執事長の言葉が気になりはじめ、王付きの召使たちに話を聞こうと考えた。ところが城の中の、特に国王に直接仕える召使がみな新人になっているのだ。俺たちが子供の頃から知っている召使たち、つまり我が王に長年仕えた者たちは、メイド、小姓、護衛の兵士、城内礼拝堂の神父まで唐突に辞職したり、ケガをしたり、ある者は行方不明になっていた。まるで誰かが、我が王の人が変わったことを知られたくないかのようにな」
グレイグは、ぎこちない笑い声をあげた。
「お前はいつも神経質だな。きっと偶然だろう」
ホメロスは、指で前髪を払った。
「ならば、これはどうだ。王の従兄弟にあたる貴族の件だ。覚えているだろう、よくデルカダール城を訪れて、我が王、王妃様、共に親しくしておられた従兄弟の君だ」
「そういえば、おられたな。たしか子供の頃、土産にお菓子をいただいたことがある」
「その従兄弟の君が先月、マルティナ姫の葬儀の際に無礼があった、という理由で叱責され、一族は蟄居という処分が下った。我が王が我が王でなくなったことを従兄弟の君に気づかれる前に処分した、とも思える」
「それは、う~む」
グレイグは考え込んだ。
「なあホメロス、我が王は気丈にしておられるが、やはりマルティナ姫のことで気が乱れておられるのだろう。従兄弟の君のささいな言動がお気に触ったのでは。我が王が我が王でなくなった、なんて、あるはずがない」
ホメロスはグラスを取って、一口、ふくんだ。
「王が王でなくなった、と考えると、合点のいくことがある」
おい、とグレイグは言ったが、ホメロスはグラスをにらんで話を続けた。
「先日、たまたま俺が城の厨房にいたとき、王のお食事が下げられてきた。そのとき料理人が嘆いていたのだが、ユグノアからお戻りになってからこちら、王は甘いものを召しあがらないのだそうだ。マルティナ姫をなくされたお悲しみを慰めたいと、厨房では王のお好きなものをつくってお出ししているそうだが、デザートに口をつけられないという」
グラスから顔を上げ、じっとホメロスはグレイグを見つめた。
「哀しみのあまり気持ちがささくれだっているとしても、味覚まで変わるか?」
う、とつぶやいてグレイグは黙った。
「決定的なことが、昨日、あってな」
とホメロスは言った。
「もうやめてくれ。俺は聞きたくない」
あのな、と前置きしてホメロスは続けた。
「王妃様はすでになく、マルティナ姫もおられない。従兄弟の君は蟄居している。もう城内に、王のお傍に長くお仕えしてきた者はいないのだ。我が王がおかしいかどうか、ユグノア以前と変わられたかどうかを判断できるのは、俺とお前しかいないんだぞ!」
「わ、わかった。とにかく、お前の話をしてくれ」
フンとホメロスは言った。
「昨日の午後、俺は王の御前に控えていた。そのとき王は、ダーハルーネの商人組合の使節を迎えていた。王はその使節に、ダーハルーネの船舶がデルカコスタへ入港する際の関税を引き上げたいという話をしていた。正直言って、少々強引な値上げだった。ダーハルーネの使節は困り切って、他国との例をあげ、引き上げを待ってほしいと訴えていた」
「すまんが、よくわからん」
おそるおそるグレイグが言った。
「そのへんは、まあ、今はいい。肝心なのはこれだ。ダーハルーネの使節は言った。『クレイモラン湾の湾内は、昔からどの国の船も関税を免除されております。ロトゼタシア内海にも、同じ免除を賜りませ』。我が王の答えは否だった。『ならぬ。クレイモランの歴代王は軟弱者ばかりだったのだろう』とね」
「確かに冷ややかな言い方だが、それが何か?」
ホメロスは人さし指で丸テーブルの天板を突いた。
「我が王ならば御存じのはずなのだ、クレイモランは、代々バイキングの末裔たる気丈な女王たちの治める海運王国だということを。軟弱だったわけじゃない、海の民の掟に忠実だったのだ。しかも我が王は、お若い頃にクレイモランへ出かけ、当時のクレイモラン王太子とも親交があった。知らないはずがないのに」
「我が王がクレイモランへ?俺は知らんぞ?」
「俺たちが生まれる前のことだからな」
「そんなに昔のことなら、うっかりお忘れになったのかも」
じろ、とホメロスはにらんだ。だが、グレイグは自分の思い付きに安堵した顔になった。
「な?うっかり、たまたま、そうだったのかもしれないだろ?城内の神父の交替のことだが、たしか前任の神父が高齢で引退されるので、その代わりの着任だと聞いたぞ。お菓子のことだってそうだ。亡くなったマルティナ姫はもうお菓子を食べられないというのに、自分だけ甘みを楽しむ事はできないと我が王はお考えなのかもしれん」
ホメロスは腕を組みなおし、ちっと舌打ちした。
「お前、グレイグのくせに……」
「ホメロス、俺の意見を言わせてくれ。お前は悪い方へ考えすぎていると思う。ユグノアの件は本当に大惨事だったのだ。俺が駆け付けた時ユグノア城内は地獄絵図だった。しかもユグノア王妃にマルティナ姫をさらわれてそのまま行方不明だ。これであっさり平常に戻れというほうがまちがっている」
ホメロスは吐き捨てるようにつぶやいた。
「どうせ俺は、ユグノアの悲劇を目撃してはいないからな」
 グレイグはまた情けなさそうな顔になった。
「……まだ怒っているのか?あの時、俺がユグノアへ行くと言い張っておまえにはサポートしてもらった。その結果、俺だけが将軍に任命されてしまって」
「どうせ俺は器の小さい男だ」
「ホメロス!」
ホメロスは横を向いたまま片手を振った。
「俺が考えていたのはマルティナ姫のことだ。おまえあの時、我が王も姫さまも必ず助けだすと胸を叩いて出撃したくせに」
かえってグレイグは、身を縮めた。

奪われた記憶その2

 そのペンダントは金色の盾形をしていて、隅の六か所に赤い宝石をはめ、中央に双頭の鷲が刻まれていた。ホメロスとグレイグの二人が留学前、まだ少年の頃に王から与えられたものだった。
 ふたりでおそろいのペンダントは、一人前の騎士となった今もホメロスの手の上で輝いていた。鎖帷子の上に装甲をまとい、青いサーコート、赤いマントを装備した姿でホメロスはデルカダール城広間にいた。
 魔物の大群がユグノア王国を滅ぼすという大事件があってから数日後のことだった。その数日のあいだホメロスは、デルカダールとユグノア地方をつなぐルートを確保し、情報を集め物資を送り、忙しく過ごしていた。
 グレイグ隊がデルカダール王を救出した、という知らせが入った時、ホメロスはその場で立ちくらみを起こしたほど安堵した。
 同時にマルティナ姫が行方不明と聞いたときは、最初信じられなかった。父王がご一緒のはずなのに、なぜ!グレイグが向かったはずなのに、どうして!
 その日、王とグレイグを出迎えるためにホメロスは作業を中断して城の広間へ出てきていた。王の帰還を寿ぐため、国民が広間まで立ち入っている。それはホメロス自身が裁可したことだった。
 群衆の後ろでホメロスは、手の中のペンダントに見入った。
――マルティナ姫、どこにいらっしゃるのだ。
「英雄が帰ってきたぞ!」
 顔を上げると、華々しい功績を上げたグレイグが城下の人々に歓呼の声で迎えられているところだった。“英雄”の名が惜しみなく注がれる。グレイグは照れくさいのか、ぎこちない笑みを浮かべていた。
 ホメロスは、緊張しているグレイグに向かって片手を差し出した。おかえり、グレイグ……。
 ホメロスの顔がこわばった。グレイグは足早にホメロスの横を通り過ぎた。
「おい、どういうつもりだ!」
通り過ぎようとしたグレイグの背中がその場で固まった。おずおずと振り向くと、うしろめたそうな顔になった。
「うっ、ホメロスか……。すまん、この通りだ!」
上体を九十度まげて、グレイグは深々と頭を下げた。
「俺がふがいないばかりに、マルティナ姫は……」
ホメロスは眉を吊り上げた。
「何を言うか。まだ希望はあるだろう。おまえ、部下は残してきたのだろう?姫の捜索隊は何名くらいで編成したんだ?捜索範囲はどこまで」
それが、と言ってグレイグは口ごもった。
「捜索隊は、ない。兵はすべてデルカダールへ連れてもどった」
「そんなバカな!」
一日に何度も遊んでもらいにきた、利発で愛らしい幼女の姿をホメロスは思い浮かべた。
「姫はどこかで助けをお待ちなのかもしれないのだぞ、それを」
「わかっている!わかっているが、これは王命なのだ」
「なんだと?」
グレイグは困り切ったという顔だった。
「俺にも事情はわからん。だが、我が王がお決めになった。悪魔の子を捜し出すためにすべての兵が必要である、と。何か深いお考えがあってのことだろうと思うのが」
 兵士の一人が呼びに来た。
「グレイグさま、王がお待ちになっておいでです」
「ああ、今行く」
兵士にそう答えると、グレイグはぼそぼそと説明した。
「将軍に、任命してくださるそうだ」
ホメロスは、声も出なかった。
 騎士の身分を持って城勤めをしている以上、将軍職は当然ひとつの到達点としてホメロスの脳裏にあった。
「おまえが」
将軍になるのか。俺よりも先に。
 もう一度兵士が促した。グレイグは兵士の後について歩き出した。
 顔面が燃えるようだ、と思った。しばらくの間、ふりむくことさえできなかった。
「このたびの働き、まことに見事であった。グレイグよ、おぬしこそ英雄の名にふさわしい」
朗々と王の声が響く。ホメロスは無理矢理体の向きを変えて、そちらを見た。
 グレイグは叙任を受ける騎士候補のように恭しくひざまずいていた。デルカダール王はグレイグの上に大剣をかざし、将軍への祝福を与えているところだった。
 グレイグをたたえる声が一斉に湧き上がる。喜ぶ群衆の輪の外側でホメロスは手を握りしめ、歯ぎしりをこらえながらうつむいた。
――白鳥を思い出せ、蒼空へ舞い上がるクレイモランの白鳥を。
深く呼吸し、ひたすら己に言い聞かせていた。

 はぁ、と情けないため息をデルカダールの将軍は吐き出した。
「今でも俺は、許されるなら一人でもユグノアへ飛んで行ってマルティナ姫をお探ししたいのだ」
「将軍は片手間に出来る仕事ではない」
ホメロスはにべもなく答えた。気まずい顔でグレイグは応じた。
「ああ、うむ。そうだな」
ホメロスはグラスを干した。
 あの時、自分は嫉妬した。きっと醜い顔をしていただろうと思う。そしてグレイグは自分の顔を見て、嫉妬に気づいたはずだった。
 あの夜自室でホメロスは、一人でもだえ苦しんだ。グレイグではなく、自分が部隊を率いてユグノアへ走っていれば、マルティナ姫をむざむざ行方不明にはしなかったのではないか。王と姫を助け出し、その功績を持って、自分が将軍になっていたのでは。
 グレイグも、“ホメロスの手柄も認めてください、いっしょに将軍に”と言ってくれてもいいではないか……。
 酔いのまわってきた頭を、ホメロスはぐいと振った。
「白鳥を――」
グレイグが聞きとがめた。
「はくちょう?」
「いや、なんでもない。話を戻すぞ。たしかに、今の我が王が以前のわが王とは別人だ、と断じるには根拠が薄いと俺も感じる。だが、ひとつ言えるとすれば、我が王は以前だったらあり得ないほどにマルティナ姫に対して冷たい。違うか?」
行方不明を放置し、あっさり死んだと決めつけ、遺体なしで早々に弔ってしまう。掌中の珠として可愛がってきた幼い愛娘にすることではないとホメロスは思っていた。
 さすがにグレイグもうなずいた。
「違わない。俺もそう思う」
「お前は“何か王に深いお考えがあってのこと”と言った。だが、その考えとやらが我が王ご自身のものかどうか、俺はそこを疑っている。誰かが王に、妙な考えを吹き込んでいるのではないか?」
「誰かがそそのかしているというのか?いったい誰がそんなことを」
一度ホメロスはためらった。が、目の前の、腕力はあるが少々鈍感な幼なじみに、どうしても言わなくてはならないと思いなおした。
「名指しまではできん。だが、頼むから覚えておいてくれ。グレイグ、身の回りに用心しろ」
「用心とは?」
「先ほどから説明しただろうが。もし、誰かが、我が王を変えてしまったとして、それを周りから隠したいとしたら、どうする?」
「わからん」
「昔の王を知っている者を王の周りから排除するだろう。実際、ことはその通りに進んでいる。マルティナ姫は不在、近い親戚の従兄弟殿は蟄居、親しくお仕えした召使、護衛、神父などは交替させられている」
「それは……」
「いいから聞け!」
ホメロスは声を潜めた。
「もし俺の読みの通りなら、次に排除されるのはお前と俺だ」
グレイグは目を丸くした。
 おずおずとグレイグは言いだした。
「ホメロスがそう言うなら気をつけるが、城の中なら大丈夫なのではないか?」
「城の中だから危ないのだ!」
ったく、とホメロスはつぶやいた。
「忠告は聞いたな?話はここまでだ」
グレイグは自分の酒杯を干した。
「そうか。なら、一緒に帰ろう。本当に危険があるなら、一人で帰るより二人いっしょの方がよいだろう?」
「まあな」
バニーを呼んでゴールド金貨を数枚渡し、グレイグとホメロスは店を出た。
「なあ、さっきの白鳥ってなんのことだ?」
歩きながらグレイグが聞いた。
「俺がクレイモランから帰国する直前に」
言いかけてホメロスは、掌で口をおおってうつむいた。
「少々面映ゆい話だ。今は聞くな」
グレイグはにやにやした。
「ホメロス、赤くなっているぞ?」
「酒のせいだ、バカめ!」
はは、とグレイグが笑った。
「新米騎士だったころ、二人でこうして町へ遊びに出たことがあったよな!なんだか懐かしい」
フン、とホメロスは鼻を鳴らした。自分も同じことを考えていたのだが、それがちょっと照れくさかった。

 居酒屋の丸テーブルをはさんで、二人の男が向かい合っている。ひとりは紫がかった髪をした体格のいい大男、もうひとりは長い金髪の細面の男だった。
 二人の男の姿は、不思議なことに宙に浮いていた。贅沢で貴族的な一室の中に、そこだけ空間を切り取ったかのように情景が映し出されていた。
 二人の姿に、その者の視線はじっと注がれていた。
「城を出たていどで我が目を逃れられると思ったか。こざかしい」
と、観察者はつぶやいた。
 紫髪の男、グレイグはテーブルの天板に両肘をつき、うつむいている。向かいの金髪の男、ホメロスが、額どうしがつくほど顔を近づけた。
『いいから聞け!もし俺の読みの通りなら、次に排除されるのはお前と俺だ!』
情景を盗み見していた男は、ぴくりと眉を上げた。
「勘のいい小僧は好かぬ」
 男は立ち上がった。デルカダール王モーゼフ・デルカダール三世の姿をしたその男は、本来のモーゼフ王の威厳のある顔をギラギラした感情ですっかりゆがめている。そのまま男は、王の私室の中を歩き始めた。
「ホメロスそしてグレイグ。いずれ始末を考えていたが、よけいなことを思いつく前に」
そうつぶやいたとき、彼の目の中で光彩が赤く輝いた。
「消すとするか」