妖精たちのポルカ 8.小さなメダルがはこぶもの

  どうして校長先生は急に名簿のことを言い出したのかしら、と授業中アイリスは考えていた。メダル女学園の生徒総会まで、残り一か月を切っている。その直前に定期考査もある。やることは山のようにあった。
 授業の後、アイリスは生徒会室へ行こうと二階への階段を上りかけた。ニロが追いついて話しかけてきた。
「アイリスさま、グレース先生が試験範囲を増やしたことをご存知?」
「聞いておりませんわ!あんまりですこと。また胃が痛みそうですわ」
「ほら、ここと、ここですのよ」
二人は階段の途中の踊り場で教科書を広げて話していた。二階の上の方から誰かが降りてきた。青い髪の男子留学生は、不愛想な声で言った。
「そこに立ち止まるなよ。邪魔だ」
ニロは顔を上げ、眉をひそめた。
「ごめんあそばせ」
アイリスはニロに目配せして階段を上がろうとした。
 学校中が留学生たちに興味津々なのはアイリスも知っていた。アイリス自身も興味がないわけではなかった。だが、カミュとか言うこの男子生徒は、ニロやアイリスたちにとって乙女の花園への侵略者だった。
“カミュ様は、少し危険な感じがするのですわ”
と上級の少女たちはウワサした。
“本来でしたら、ギリアムさんが追い払っていましてよ”
“ええ、お顔立ちは整っていますけど、あの方冷たいわ”
“というより、きつそう、と言うのかしら”
“あのちょっと釣り目ぎみの目で睨まれると、怒られているようで、身がすくみますの”
“こちらを蔑すんでいらっしゃるみたいで怖いような気がいたします”
要するに紳士ではないのだわ、と少女たちは決めつけていた。つんと顔を上げ、ニロとアイリスは階段の上でカミュとすれ違った。
 カミュは傍若無人に階段の真ん中を降りてきた。どちらが邪魔だと思っていらっしゃるの?と思いながらアイリスたちは階段の壁に寄ろうとした。
 その瞬間、どん、と肩先に衝撃を感じてアイリスは声を上げた。痛みより驚きが先に来た。眼鏡が飛んだ。バランスが崩れた。手にした教科書が落ちて階段を転げ落ちていった。
「あっ」
もつれた足が空を踏んだ。落ちる、とわかってアイリスは目を見開いた。
――なんてぶざまな!
 いきなり何かが体を支えた。
「おい、大丈夫か」
すれ違おうとしたカミュが、アイリスの背に腕を回して抱きとめたのだった。
「あ、あの」
 全身に冷汗が生まれ、顔面が熱くなった。
口をぱくぱくしても言葉が出てこなかった。
 アイリスの真上からカミュがのぞきこんでいた。晴れた日の海の色の青い瞳に真っ赤になった自分の顔が映っていた。
「悪かったな。オレがよそ見したせいでぶつかっちまった」
アイリスの背を支える腕はこゆるぎもしなかった。やっぱり殿方ですわね、とアイリスはぼんやり考えた。
「あんた、ホントにケガとかねえか?」
口調はぶっきらぼうだが、見つめる目は真剣だった。
 カミュはアイリスの背を支えながらゆっくり踊り場に立たせてくれた。彼の手が離れたとき、ぬくもりも離れていくのがどこか寂しかった。
「よかった、割れてねえな」
足もとからアイリスの眼鏡を拾い上げ、制服の袖でほこりを払い、眼鏡のつるを両手で支えた。
「顔、だせよ」
眼鏡をかけさせてくれるつもりらしかった。アイリスは硬直した。カミュがアイリスの顔をのぞきこむように注意深く眼鏡をかけさせた。アイリスの視界がいきなり焦点を結んだ。至近距離に彼の整った顔立ちがあった。
――この人、凄く綺麗なのだわ。
不良ぶっても元が白皙の、どこか硬質な美貌だった。それが驚いたためにほほに血の色がのぼり、形のよい眉をひそめていた。
 アイリスはぼーっとしていた。
「待ってな」
カミュは踊り場から二、三段下がった。
 階段の下の方には落としてしまった本や文具、ハンカチ等が散らばっていた。カミュはせっせと拾い集め、長い指でまとめてつかみ、アイリスに向かって差し出した。カミュが階段の下にいるので、まるでひざまずいてアイリスに捧げているように見えた。
「これで全部か?」
アイリスはドキドキしながら落とし物を受け取った。
「大丈夫です……」
――ありがとう、と言わなければ!
そう焦った時カミュは、にぱっと笑った。目が細くなり、まるで人懐こい男の子が褒めてもらったような笑顔になった。
「よかった!じゃな」
「あっ、ありがとうございます、拾ってもらって」
カミュは階段を降りて行きながら、肩越しに振り向いて片手を振った。怖いと思っていた人が、自分に微笑みかけるのをアイリスはうっとりと見守った。
「アイリスさま」
背後からニロが呼びかけるのも、アイリスの耳には入っていなかった。
「どうかハンカチを召しませ。よだれが出ていらしてよ」

 校長室に入るとカミュは掏り取った名簿をジャケットの下から出してイレブンに手渡した。
「ほらよ。ちょろいもんだ。ここのお嬢ちゃんたち、盗賊とかスリにはもっと警戒させた方がいいぞ。先生たち全然わかってねえよな」
イレブンは思わずつぶやいた。
「わかってないのは、きみの方じゃないかい?」
はあ?とカミュは聞き返した。
 シルビアは、スリが成功したとき小さく口笛を吹いていたが、片手をほほに当てて苦笑交じりに尋ねた。
「カミュちゃん、あれ、無意識にやってるのかしら?」
「オレが何をやったって?」
シルビアとイレブンは顔を見合わせたが、シルビアの方がこほんと咳払いをした。
「まー、今は大事なのは名簿よ」
「そうだね」
 パーティは校長のデスクに名簿を置いてのぞきこんだ。
「あれ、これもう、校正してあるみたい」
「いつのまに……あ、授業中か」
名簿はアイリスの几帳面な字で清書されていた。留学生を別として、生徒の名前はひとつずつ番号を振られ、一覧表となっていた。これでは誰があとから増えた生徒なのか見分けがつかない。
「ちっ、遅かったか」
「でも、これアイリスが書いたのでしょ?だったら決まりね。召喚したのはアイリスだわ」
とベロニカが言った。
「待ってください、お姉さま」
セーニャが異を唱えた。
「アイリスさまの知らないうちに魔物憑きの生徒が名簿を改ざんした可能性もありますわ。さもなかったら、アイリス様もドーソンさんと同じように洗脳されているかも」
ロウはうなった。
「可能性としては確かにあるんじゃが、状況証拠はアイリスに不利じゃ」
セーニャはしゅんとした。
「ちょっと貸して?」
シルビアだった。緑の台紙の上の名簿を一枚づつめくっていた。
「ちいさ……、めだるが、ゆうしゃに……」
シルビアは口の中で何か唱えていた。
「おっさん、何やってんだ?」
「しっ」
とイレブンがとめた。
「おおきなきぼうと、ゆめのしあわ……」
シルビアが顔を上げた。
「わかっちゃった」
「何が?」
「増えた生徒よ。この子とこの子だわ」
シルビアが指しているのは、一枚目に記載のナンシーと、三枚目に記載のセシルだった。
「ナンシーとセシル……ハンナのダチか!」
カミュは舌打ちした。
「くそっ、おれはあいつらを一度白と確定したのに。シルビアのおっさん、どうしてナンシーとセシルなんだ?」
ふふん、とシルビアは得意そうに笑った。
「古いバージョンの名簿はね、生徒たちの名前の最初のひと文字を拾って行くと偶然文章みたいになってたの。『ちいさ、めだるがゆうしゃにおおきなきぼうとゆめのしあわ、はこぶ』ってね。でも『な』と『せ』がなかったから、文章にならなかった」
シルビアは手にした名簿を指でたたいた。
「今確かめたら、ちゃんと文章ができてるの。『小さなメダルが勇者に大きな希望と夢の幸せ運ぶ』って。なかったはずの『な』と『せ』がある。それがナンシーとセシルよ」
くそっとカミュはつぶやいた。
「そうか、わかった。俺が最初に見た、ハンナそっくりの二人は実体じゃない、幻だ、たぶん。あいつら召喚されたばっかりで、たまたまそばにいたハンナの姿を借りただけだ」
「それって、二日目のことだよね?」
とイレブンが尋ねた。
「次の日にはもう、今のナンシーとセシルになってたよね。標準の青い制服に赤いリボンの」
「あいつらが着ていた標準の制服は、あれはたぶんハンナが家から持ってきてしまいっぱなしだった夏服と冬服だ。赤リボンを持ってても不思議じゃない」
ベロニカが尋ねた。
「もしもそうなら、ナンシーとセシルはマリンヌ先生の服装検査のあと、リボンをすることができなかったはずよね」
カミュは片手を後頭部にあててカリカリかいた。
「そうだよ、実際リボンしてなかった。けど、最初見たときあいつら赤服だったし、おまけに青服になってからスケバンふうに制服着崩してたんで、リボンしてなくても当たり前と思って見逃しちまった」
ベロニカは両手を腰に当ててカミュを見上げた。
「バカ?」
「言い返せねぇ……」
苦渋の表情でカミュはうなった。
「この学園に入ってきた魔物は全部で三体なんだよね」
とイレブンが言った。
「そのうち二人がナンシーとセシルなら、後の一人はいつもいっしょにいるハンナなんじゃない?」
カミュは手を振った。
「それはない。ハンナは最初からずっと赤服黒リボンだから。ハンナはたぶん、あいつらに洗脳されて『ナンシーとセシルとは前からダチだった』と思いこまされてるだけだ」
「じゃあ、やっぱりアイリス」
 がたんと音がした。セーニャはこぶしを握り締めて立っていた。
「決めつけないでください!」
セーニャがこれほどはっきりものを言うのは珍しかった。
「アイリスさまは魔物憑きなんかじゃありません。私、証拠をつかんできます」
「セーニャ!」
珍しいことにベロニカの制止を無視してセーニャは飛び出していった。

 メダル女学園の校庭は、滝から流れ落ちる清流に取り囲まれている。星型の模様のある校庭と青空教室、そのまわりを縁取るスズランの花壇のさらに外側を小川は半周して、滝の反対側から学園の敷地を抜け、白樺の並木道に添って流れ出ていた。
 花壇のそば、メダルを拾う乙女の像の近くに、ステキなレディ部は集合していた。お天気が良く風も穏やかな体操日和だった。
 校舎を抜けだしたセーニャは、乙女の像のすぐ下にアイリスを見つけて小走りに近寄った。現生徒会長アイリスは、昨年のステキなレディ部部長だったことをセーニャは部で聞いていた。
 アイリスは乙女像の下に膝をそろえて座り、どこか放心したような表情で体を乙女像に預けていた。隣でニロが、教科書をぱたぱた動かして風を送っていた。
「だいじょうぶですわ、ニロさま」
へらへらとアイリスがつぶやいた。
「午後のクラスが始まるころには、いつもの真面目に励むアイリスに戻ります。ですから、今だけはぼーっとしたままでいさせてくださいまし」
夢見心地で天を仰ぎ、アイリスはそう言った。
 ニロと、そばにいたサマンサが顔を見合わせた。
「生徒会長さまは、免疫がありませんものねえ」
「裏目にでましたわ」
 セーニャはやっとたどりついた。
「あ、あの」
サマンサはセーニャを見て、会釈した。
「大丈夫、アイリスさまはなんでもありませんのよ。鬼のかくら……いえ、とにかくお座りになって」
セーニャは草の上に座った。
「あの、アイリスさまにお聞きしたいことがあるのですが」
ニロは首を振った。
「ちょっとお待ちいただけません?この状態では」
 少し離れたところでつまらなそうにしていたシーアが、セーニャを見つけてやってきた。
「ねえ、セーニャさま!」
彼女は好奇心いっぱいの顔をしていた。
「わたし、お姉さまがたに聞いたのだけど、マルティナさまって本物の王女様なのでしょう?」
セーニャは、ええと、とつぶやいて、それからようやく目を見開いた。
「シーアさま、どうしてそれを?」
「あ、やっぱり本当なんだ!マルティナさま、ステキなレディ部へ来てくださらないかな。サマンサさま、ご招待してくださいよ」
「気が早すぎです」
サマンサは咳払いをした。
「秘密にしていたのでしょ?ごめんなさいね」
「あの、サマンサさまは、どなたにお聞きになりましたの?」
こともなげにサマンサは言った。
「アイリスさまよ」
セーニャは両掌を重ねて口元にあてた。
 サマンサとニロは顔を見合わせた。
「間違いだったらおっしゃってね。グレース先生の亡くなった親友のお嬢様なのでしょう、マルティナさまは?」
「グレース先生のお友達が早逝されたデルカダール王妃だということは公然の秘密ですものね」
「そんなに有名なのですか?」
目を丸くしたセーニャに、サマンサが答えた。
「そうですとも。校長室へお入りになったことがあるでしょう?校長先生のデスクの後ろにたくさん飾ってあるのは、メダ女を卒業したセレブからの感謝状ですの。そのなかのおひとりがデルカダールの王后陛下だわ」
にこ、とニロは笑った。
「そもそもメダ女の生徒には、将来いろいろと背負わなきゃならない立場の女の子たちが混じっているのです」
「ニロさまも?」
ニロは肩をすくめた。
「こう見えてあたくし、代々女が当主を務める家系の直系長女ですのよ。ひいおばあさまの代から、メダ女で学んでから苦労の多い女長老に就任いたします。ヤーミーンはスライムのお姫様、シーアはまだ自覚がないけれども、サマディーの名門ですわ。見たところ、セーニャさまもマルティナさまも、そうですわね?」
は、はい、と答えてセーニャは座りなおした。
 くすくすとサマンサが笑った。
「ご心配なさらないで。ステキなレディ部はそういう娘たちが息抜きをするためのところですから」
ああ、そうなのか、とセーニャはやっと気づいた。サマンサたちはセーニャのためにステキなレディ部へ誘い、できるだけ楽しく過ごせるようにと心を配ってくれていたらしい。
「ありがとうございます。私、この学園とこのステキなレディ部が大好きです。だから、そのためにも……」
セーニャはアイリスに向き直った。
「聞いてください。詳しくは言えませんが、禍々しい魔物がこのメダ女へ侵入しています。ロウさまはじめ、私たちはそれを追いかけてきました」
サマンサたちは顔をこわばらせたがセーニャにしゃべらせてくれた。
「その魔物は、マルティナさまがお母さまのリボンをお持ちだということを知って、リボンを盗みました。その犯人をつきとめたいのです」
セーニャは真剣だった。
「マルティナさまが余分なリボンをお持ちだと知らなければ盗めません。犯人はおそらくアイリスさまからそのことを聞いたのです。みなさま、お心当たりはありませんか?」
アイリスは片手を額にあてた。
「私がしゃべったのは、ここにいるニロとサマンサ……」
セーニャは首を振った。ニロとサマンサを疑いたくなかった。
「それはいつのことでしょう」
「一昨日の夜でしたかしら」
マルティナが思い出のリボンを手にした直後だ、とセーニャは思った。
「お話はどこで?」
ん、とアイリスはつぶやいた。
「吹き抜けホールを歩いていたときでは?」
とサマンサが言った。
「ええ、そうよ。まだトキが走りたがってバタバタしていましたわ。あの子ったらほんとにもう」
またトキへ戻ってきてしまった。セーニャは唇を噛んだ。
 そのとき、イレブンの声が聞こえた。
「みんな、校舎だ!」
はっとしてセーニャは顔を上げた。

 グレース先生の思い出の木の下にハンナはいた。が、ハンナはあまり幸せそうには見えなかった。自慢の赤い制服がよれよれになり、背を丸め、うつむいている。内巻きにしていた髪は櫛を通していないようだった。
「ハンナ?」
イレブンが声をかけた。ハンナがふりむき、あっと言ってすぐ横を向いてしまった。だが、真正面から見たとき、ハンナの顔に青あざがあるのをイレブンは見てしまった。
「ハンナ、どうしたの、それ?」
「なんでもない!」
つかつかとカミュが近寄って、ハンナの肩を掴んでこちらを向かせた。
「なんでもないわけがないだろうが。ケンカか?」
ハンナは下を向いて震えていた。
 スズランを踏みにじってハンナの“ダチ”がやってきた。
「うざいね、あんたら」
「つきまといってやつ?気色わる」
ふーん、とカミュは言った。
「おまえらだな?」
ナンシーとセシルは気色ばんだ。
「いちゃもんつけてんの?」
「バカじゃねえ?」
ナンシーはレザージャケットの大きなポケットに片手を突っ込んだ。もう一度出したとき、三指に金属のごつい指輪がはまっていた。
 セシルはじろじろ見ながら制服のベルトから吊っているチェーンを弄んだ。
「ぼくたちはハンナに頼まれた女王のムチを渡しに来ただけ。つきまとってるわけじゃない」
「じゃ帰りなよ、お坊ちゃん」
にべもなくナンシーが言った。
「あたしらのことはほっといておくれ」
「君たち、部屋はどこ?」
真顔でイレブンは聞いた。
「寄宿舎の中にあるはずだよね、この学校の生徒なんだから。でも、どの子に聞いても君たちの部屋を知らないんだ」
「……部屋がどこかって?女にそれ聞く?いやらしくねえ?」
言いかけたセシルをカミュが遮った。
「質問に質問を返すってあせってる証拠だぞ。それとチェーンにナックルか。まず、そのおもちゃ、しまえよ」
ナンシーはいきなりナックルをはめた拳を突き出した。右に半身避けてパンチをやりすごし、その手首をつかんでカミュは引きずり下ろした。
「へえ、この身体、やっぱり実体があるんだな」
手首をつかまれてナンシーはじたばたした。
「放せ、バカ野郎!」
カミュが手を放した。ナンシーは後ろへひっくり返りそうになった。
「喧嘩売りに来たのかよ!」
イレブンは挑発に乗らなかった。
「もう一回聞くよ。君たちの部屋はどこ?」
「うるさいね!行くよ、ハンナ!」
ハンナはオロオロしていたが、うつむいてナンシーたちのあとについていこうとした。
「あら、どこへ行くの?」
マルティナがナンシーたちの前に立ちはだかった。
「どきな!」
「いやよ」
「喧嘩売りに……」
にや、とマルティナが笑った。
「半額にして!」
自称スケバン二人が武器を繰り出すより、マルティナの回し蹴りの方が早かった。手からチェーンを飛ばされてセシルが悲鳴を上げた。ナンシーとセシルはそれ以上マルティナの相手をせず、校舎の方へ向かって逃げ出した。
 イレブンは声を上げた。
「みんな、校舎だ!」