妖精たちのポルカ 3.スクールデイズ

 先生が教室を出ると、イレブンがさっそく席を立って後ろへ向かった。
「カミュ、ねえ、カミュ」
ああ?とカミュは眠そうな声を出した。
「きみもレミラーマできるようになる?」
「そんなエリートじゃないからな、無理じゃね?」
あろうことか、長い足を机の上にのせて浅く腰かけ、カミュはのうのうとしていた。
 真後ろから両腕を回して、イレブンは相棒の首に抱き着いた。
「あ、ノート真っ白」
「見るな、バカ」
パーティではありふれたじゃれあいだが、女子生徒たちからざわめきが漏れた。
「あの」
一人の少女が声をかけた。
「イレブンさまとカミュさまは、前からお友達でいらしたのですか?」
「友達と言うか、相棒だけど……いつからだっけ?」
照れているイレブンに対して、醒めた口調でカミュが答えた。
「二三か月前かな」
まあ、と最初の少女がつぶやいた。
「とても仲良しでいらっしゃるので、幼馴染か何かかと思いました」
「つきあいは短いけど、でも、ぼくたちが出会ったのは運命なんだ。ね?」
おおお、と少女たちが盛り上がる。嘘を言っていないイレブンは、不思議そうな顔をしていた。
 がた、と音を立ててカミュが立ち上がった。
「相棒兼ガードだ」
と、一言吐き出した。親指でイレブンを指して
「こいつはいろいろ危なっかしいからな。護衛付きなんだよ」
と言って教室の出口に向かった。
「いろいろって」
興味津々の女子生徒に向かって肩越しにカミュは皮肉な視線を向けた。
「悪い虫が付く」
“あんまりよ”、“ずいぶんねっ”と声が上がる中、カミュは顎で行くぞと促して教室を出た。おとなしくイレブンがついていった。教室じゅうがきゃあきゃあとうるさかった。
「ちょっと」
マルティナが後を追った。中央吹き抜け、校長室のそばに二人はいた。
「目的を忘れてない?」
カミュは首を振った。
「姐御頼む」
「こんなときだけ持ち上げないで。第一きみねえ、十九だっけ。ほんとに女の子に興味はないの?」
「ないな。あのさ、オレ、限界なんだよ。劣化セーニャがうようよしてるみてー。気分悪ぃ」
「セーニャが聞いたら怒るわよ?」
ただ、気持ちはわからないではなかった。
「しかたないわね。イレブン、私と組んで一人ずつ当たってみましょう。カミュ、校庭の方に一人二人出ている子がいたでしょ。あれを頼むわ」
「教室よりまだマシだな。行ってくら」
「次のチャイムまでに戻ってきてよ?」
すがるようなイレブンの声にも振り向かず、ちょっと片手をあげてそのままカミュは肩をそびやかし、歩き去った。
 後ろからマルティナさま、と呼ぶ声がした。セーニャだった。
「どうかなさいましたの?」
マルティナは前髪のひと房をかき上げた。
「こらえ性のない坊やが逃げ出しただけ。そちらはどう?」
セーニャは嬉しそうに微笑んだ。
「あの、私、ステキなレディ部にお誘いいただいたのです」
そう言ってちらりと横を見た。金髪を二本の三つ編みにした女子生徒がそばにいた。
「サマンサと申します。今日のお昼にセーニャさまをお借りしてもよろしうございますか?ラムダの里の名門にあたる方を、ステキなレディ部のお友達にぜひご紹介したいものですから」
 カミュが“劣化セーニャ”と言ったのは、このお嬢様言葉を指しているのだろうとマルティナは思う。セーニャ自身はまったく他意なく自然に話しているのだが、ここの生徒たちの中には、下心が言葉の陰に見え隠れしている子もいた。
「サマンサさま!」
斜め後ろから別の少女が呼びかけた。
「あの、ずっと前からお願いしているのですけれども、わたくしは……」
サマンサは口元だけ笑いの形をつくった。
「何か、お考え違いでは?ステキなレディ部は、現部員からの招待でのみ入部できますの。ねだるなど、もってのほかです」
呼びかけた少女は真っ赤になってうつむいた。
「ステキなレディ部……ね」
 ステキなレディ部について、マルティナたちはグレース副校長から昨夜レクチャーを受けていた。昔は少女たちの趣味のサークルだったらしいが今は本人の容姿成績人気、生家の身分や裕福さでメンバーが選ばれ、選民意識と排他主義が少なからず見受けられる、ステキなレディ部部長はその翌年に生徒会長となることが多い、とのことだった。
 だが、キラキラした目でセーニャはマルティナを見上げた。
「こちらからお尋ねしたいこともございますし、私、まぜていただこうかと思います」
 マルティナは呼吸を整えた。ロウと二人旅の十六年、ほとんど使い道のなかった知識を活用するときが来た。
「それはよろしいこと、セーニャさま。何かわかりましたらあとで私にも教えてくださいませ。よろしくて?」
ぽかんとしてイレブンが見ている。マルティナは舌打ちしたくなった。
 セーニャは制服のスカートをつまみ、ちょっと腰をかがめた。
「もちろんですわ。のちほどおめもじいたします」
マルティナがお嬢様言葉を使っても、この子は驚きさえしない。ホンモノのお嬢だわ、とマルティナは思ってちょっと感心した。
「ごきげんよう」
サマンサもメダ女流の挨拶をして、セーニャと二人連れだって行ってしまった。
 突然後ろから声がした。
「やればできるじゃな~い」
振り向かなくても、シルビアだとわかった。にやにやしているのが声からもわかる。マルティナはせいぜいツンとした表情でゆっくり向きを変えた。
 大きなノートとインテリハットをまとめて抱え、ガウン姿のシルビアが教え子たちに囲まれてこちらへ歩いてきた。授業というかレッスンの区切りらしい。
「シルビア……先生」
イレブンがとんでいった。
「授業どうだった?」
ハッスルダンスよろしく、シルビアは大げさに両手を広げた。
「っもうっ、ダイヤモンドの原石に囲まれたみたい!」
とたんにまわりの女の子が一斉にしゃべりだした。
「はいはい、そうよ?みなさんのコト。食べちゃいたいくらいかわいいの。だから綺麗な歩き方や、魅力的なしぐさを覚えれば怖いものナシ。間違いないわ」
生徒の中にダイヤモンドというほどの美少女はいないようだとマルティナは思ったが、とりあえずシルビアがおだて上手なのは確かだし、おだてられればそれなりに自信がついて颯爽として見えるのも事実である。シルビアはけっこう教師に向いているのだとマルティナは思った。
 もともとシルビアは魅力で勝負できる男だった。白いシャツを着ていると肩幅が広いのがわかる。端正な顔立ちに男らしい大きな手をしていて、きゅっと眉をあげると銀縁眼鏡がよく似合った。
「先生、次のレッスンまで待てません!」
「今度個人的に教えていただきたいの」
ほほを染めてねだる少女たちに、シルビアは指を振ってみせた。
「その前にまず、お部屋へ帰ったら腹筋二十回とスクワット三十回ね。それから重心移動の練習をしましょ。成果を見せてくれるって、先生、信じてるわ」
意外とハードだ、とマルティナは思って目を丸くした。
「それじゃ、ダイヤモンドちゃんたち、お教室で会いましょうね!」
 手際よく教え子たちを追い返すと、シルビアは一瞬真顔になった。
「イレブンちゃん、マルティナちゃん、ちょっとおもしろいこと聞いたの」
手にしたノートを広げると、数名の女子の名前が書いてあった。
「アタシのクラスの出席簿よ。アタシ、これを今朝もらったの。グレース先生に聞いたら、学校全体の名簿もあるんですって」
マルティナは意味を理解した。
「それ、欲しいわね。白と確定した子には印をつけて、グレーを絞っていけば効率がいいわ」
「実はアタシ、一瞬総合名簿を見せてもらったんだけど、回収されちゃった。古いバージョンを廃棄して今度新しい名簿を作るから、ですって」
「古いのでいいからもらえないかな。ぼく、校長先生にお願いしてみる」
イレブンが言った時、またチャイムが鳴った。
「次のクラスみたいね。頑張って。チャオ!」
シルビアはいそいそとレッスンに向かった。
「カミュ、帰ってこない……」
イレブンがぼやいた。
「大丈夫よ、私がいるから」
マルティナより少し背の高いイレブンは、まだしょんぼりしていた。
「だって、マルティナには近づけないんだ、ぼく」
「同じクラスでしょ?授業中はみんな一人だし、休み時間になったら、すぐ行くわ」
すこし幼い顔でイレブンは首を振った。
「マルティナ、気が付かなかった?」
「何を?」
イレブンはくるりと後ろを向いて、教室を指さして見せた。
「マルティナ親衛隊ができてる」
「はいっ?!」
教室の入り口から、女子生徒たちが鈴なりになっていた。
「きゃあ、マルティナさまがこっち見ていらっしゃるわ」
「あなた、どいてくださらない?」
「圧さないでくださいまし!」
「ダリアさまの専売特許ではありませんことよ?」
「ワイズさまとは少し違うけど、なんて凛々しい……」
「おねえさまーっ」
マルティナは立ちくらみを起こしかけた。
――どうしてこうなった……。

 ちょうど同じころ、初級のクラスではちょっとした異変が起こっていた。その日担任のノエル先生は、生徒一人一人を自分の前に呼んで、詩の暗唱をさせることにしていた。クラスの少女たちは自分の番が来る前に一生懸命暗記のおさらいをした。
「どうしよう、緊張して声が出ないわ」
「話しかけないで?忘れちゃうから!」
 茶髪の前髪で額を半分隠した少女が、ちっちっと指を振った。
「詩を全部覚えていても、綺麗な発音で姿勢正しく暗唱しなくてはダメよ?」
注意された少女はちょっとふくれた。
「わかってるわ、キーラ」
「それなら、うがいでもなんでもしてくればいいじゃないの」
自信満々のキーラを、少女たちは遠巻きにしていた。
「余裕なのね。うらやましいこと」
首をさっとふると、前髪が揺れた。
「だってあたしこのていど、とっくに暗記してるもの!」
はいはいと少女たちは言ってまた練習に戻った。
「天才って、孤独だわ……」
自己陶酔ぎみの独白に誰も答えない。キーラは周りを見回して、留学生を見つけた。
「あなた、運が悪かったわね。通常の授業じゃなくて、暗記のテストにぶつかるなんて。一時間ヒマになっちゃうわね?」
クラスの隅で授業を見守っていた留学生は、金髪の三つ編みを肩に放った。
「そうでもないわ。あたしもテスト受けるから」
あっら~!と楽しそうにキーラは言った。
「ベロニカちゃんでしたっけ。うちのクラスはけっこうレベルが高いのよ?いきなりテストを受けるなんて、たいした神経だこと。公開処刑ってご存知?」
ベロニカは唇のすみに大人びた笑みを刻んだ。
「難しい言葉を知ってるのね、キーラちゃん?」
「当たり前。なんたってあたしの産声は古代ロトゼタシア語のテンチソウゾウの詩だったんですからね」
へえ、とつぶやいてベロニカの目がすっと細くなった。
「なあに?信じてないの?」
「信じるわよ」
鼻高々になったキーラの顔が、ベロニカのひとことでゆがんだ。
「よくあることだもの」
「なんですって?」
「あたしの産声はローシュ戦記の終わりの詩だったわ」
言い返そうとしたとき、クラスメイトがやってきた。
「次、キーラちゃんの番よ?」
生意気な留学生をひとにらみしてキーラはノエル先生のもとへ向かった。
 暗唱テストを終わった子の一人が、ベロニカの制服の肩をつついた。
「キーラ……悪い子じゃない。でも、最近ちょっと……天狗」
ベロニカはキーラの方を指した。
「いつもああなの?」
話しかけてきたのは制帽の初級の女子だった。自分の胸を指して、ルリ、とつぶやいた。
「ん……でも、ずばっと言ってくれた……すーっと、した」
ルリは小声でうつむいてしゃべるが、気のいい子らしく、ベロニカがひとりぼっちにならないように気をつかってくれたらしかった。
「まー、子供ってことよね」
「こっちが大人になるしか……ない」
ベロニカと同じく金髪のおさげの子が話しかけた。
「ね、ローシュ戦記を覚えてるって、ほんと!?」
ベロニカはにやっとした。
「知ってるの?」
実在の疑わしい天地創造の詩と異なり、勇者ローシュの生涯を韻文にしたローシュ戦記は長大で複雑な古典であり、とうてい初級レベルの生徒が学ぶ範囲ではなかった。
「あたしは学園一の読書家よ!図書室常駐のノントト!よろしくね!ラムダの里っていっぱい本があるんでしょ?」
「まあね。あたしも昔は妹と一緒に学校でさんざん読まされたわ」
「いくつなの、ベロニカちゃん!?」
ベロニカは咳払いをした。
「その、ラムダの里じゃ、すごく小さいころから勉強するの」
 どすどすと音を立ててキーラが戻ってきた。
「留学生、あんたの番よ!」
ノエル先生は迷っているようだった。
「あなたはテストを受ける必要はないのですが、どうしますか?」
「受けさせてください」
 ベロニカはクラスの視線を集めてノエル先生の前に立った。息を吸い込むと、せつなくも優しい詩を紡ぎ出した。
「“……覚えていますか?あの日ふたりで見たロトゼタシアの美しい景色を。
吸い込まれそうなほど真っ青な空。
夕焼けに染まった茜色の海。
生命のかがやきに満ちた大樹の葉……。
あなたと共に見たそのすべてが、今も私の心に焼き付いています。
……でも、なぜでしょう。世界は変わらず美しいままなのにあなたがいない……それだけで何もかも色あせて見えるのです”」
キーラを始め、初級クラスの生徒たちはぽかんとして聞き入っていた。
「“ああ、ムネが張り裂けそう……。ローシュ……あなたと会えない日々がこんなにもつらいなんて……。いつかまた会える日が来ると信じて、私は今日もひとり竪琴を奏でます。この調べがあなたのもとに届くように……”」
暗唱が終わると、ノエル先生は微笑んで拍手を送った。
「ラムダの里に伝わる“いにしえの愛の詩”。さすがですね、ベロニカさん」
ベロニカは誇らしげにほほを染めた。
「妹の方が上手ですけど、これは昔から好きなんです。先生、ありがとうございました」
 顔を真っ赤にしたキーラが、そのとき手を上げた。
「あのっ、さっきベロニカちゃんは、ローシュ戦記も覚えているって言ってました!あたし、聞いてみたいんですけどっ」
ノエル先生は小さく首を振った。
「キーラ、詩の暗唱は、人をやりこめるためにするものではありませんよ?」
「だって!」
キーラは泣きそうな顔になっていた。
「“暗黒の深淵にたゆたう邪悪の神。凍てつく黒き闇をまといて母なる大樹に迫りし時……”」
ベロニカだった。クラスのあちらこちらから、ベロニカちゃん、すごぉいとささやき声があがった。まさか本当にやるとは思わなかったのだろう、キーラは唇をわななかせていた。ちらりとキーラを見て、あっさりとベロニカは言った。
「このあとは、忘れました」
ノエル先生はキーラとベロニカを見比べていたが、何も言わずにクラスに着席するように言った。
「さて皆さん、詩の暗唱に大切なことは……」
肩をすくめるルリ、頬杖をついたままにやりとするノントト、しれっとした顔でノートを取るベロニカに比べて、キーラはただぽけっとしていた。
「本当は最後まで覚えてるんでしょ?」
講義が終わった後、キーラはわざわざベロニカのところに来てそう言った。少女たちに囲まれていたベロニカは、まだやるの?と言いたげな眼をむけた。
「“光の紋章を携えし勇者、聖なる剣で邪悪の神を討ち……”なんちゃって」
「なんでやらなかったの」
ベロニカは肩をすくめた。
「弱い者いじめするために来たんじゃないから」
クラスと先生の前で大恥かくのをまぬがれたキーラは、じっとベロニカを見ていた。
「じゃ、何しに来たの」
「人探し」
不思議そうにノントトが聞いた。
「誰を探してるの?」
ん~、とベロニカはつぶやいた。
「この学校の生徒なのに、先生の名前がわからなかったり、自分の教室や寄宿舎がどこにあるか忘れて、そのへんうろうろしちゃうようなうっかりやさんかな」
ノントトは狐につままれたような顔になった。
「なにそれ!」
「そんな子……いない」
とルリが言った。
 そのとき、ぽつりとキーラがつぶやいた。
「あの子のことかな」
ベロニカが眉を上げた。
「何か知ってんの?」
同級生たちの視線を浴びて居心地悪そうにもじもじしたあげく、キーラは言った。
「昨日の夜、トキが廊下をうろうろしてたんだって」

 メダル女学園は校舎に向かいあう運動場の周辺を美しく整えていた。花壇、芝生、清流、井戸などがあり、見事な景観はギリアムが熱心に手入れを続けた結果だった。
 寄宿舎の外に、とりわけ大きな樹が生えている。大人でも一人では抱えきれないほど幹が太く、枝にはブランコ、周辺にはベンチがあり、生徒たちの憩いの場所であるらしいことは見て取れた。
 樹木の下に、女子生徒がいた。なぜか制服の色が違う。メダ女の紺ワンピに赤リボンではなく、赤い制服に黒いリボンを結んでいた。
「何でお前、制服が違うんだ?」
赤い制服の娘は片手を腰に当ててゆっくり振り向いた。
「見てわからないかい?アタイ、スケバンだから」
へえ、とカミュはつぶやいた。
「なあ、今朝の朝礼の時いなかったよな」
いればこの赤い服はよく目立つはずだった。スケバン娘はつんと頭をそらせた。
「誰が出るか、あんなもん。スケバンたるもの、おとなしくヒトの話なんて聞くもんじゃないよ」
ふと顔を上げると、赤い制服の女子生徒が二人、大きな木の向こうからこちらを見ていた。スケバン仲間か、とカミュは思った。
「アンタ、留学生だろ?ちゃんと教室にいなきゃダメなんじゃないのかい?」
カミュはオーバーアクション気味に片手で額を抑えた。
「勉強なんて慣れないことしたんで、熱が出ちまった」
くすっとスケバン娘が笑った。
「バカみてぇ」
 カミュはベンチに座り込み、あぐらをかいた。こんな、つんつんと尖った感じの娘を昔知っていたと思った。
「お前、何て名だ?」
「先に名乗りな!」
「カミュ」
スケバン娘は、返事が返ってきたので驚いたようだった。しぶしぶと自分の胸をさして、“ハンナ” と言った。