妖精たちのポルカ 2.メダル校長

  マルティナたちは校長室の内部を見回した。あらゆるところに棚があり、おそろしく雑多な品物が棚を埋めていた。棚ばかりではなく、壁にはタペストリが掲げられ、窓にはカカシがよりかかり、天井からは光りものがぶら下がる。また床は品のいい絨毯を敷いていたが、そのうえにはツボ、瓶、杖、釜、楽器、巻物などが置かれている。また何に使うかわからない道具が大小問わず存在していた。ただし乱暴に積み上げられたりほこりをかぶったりしているものはなく、コレクションのようすから収集家の愛情が感じられた。
 校長のデスクの背後には表彰状や盾、感謝状、肖像画がいくつも飾られ、そして机の上にはスズランの鉢植えがあった。
 血のついたメダルとちぎれたリボンは、校長のデスクの上に置かれていた。
「ウルノーガについてわかっていることはそれほど多くない。ウルノーガの名すら、歴史の闇に埋もれて久しいのでな。じゃが、そやつはいままで幾度も人に憑依して悪事をなしてきましたのじゃ。例えば古代プワチャット王国の宰相も、実はウルノーガがとりついておった可能性がある」
メダル校長はロウの話を真面目に聞いているようだった。
「校長先生、ウルノーガがここへ逃げ込んで誰かになりすましたとすれば、そのまま何食わぬ顔で日々を過ごし、力を蓄えて、やがて大手を振って外の世界へ出ていくつもりなのじゃろう」
「ロウさま」
とよこからマルティナが声をかけた。
「命の大樹が警告を発するような大物には違いありませんが、あの黒犬に憑依していたのがウルノーガとは限りません」
「ムウ、その通りじゃ。校長先生、今の段階でウルノーガとは断定はできませんな。しかしメダル女学園へ潜入したのは、魔王クラスの魔物、とお含みくだされ」
 校長はじっと考え込んだ。
「非常にまことに恐ろしいことですな」
と校長はつぶやいた。
「それが本当なら、このメダル女学園の中に魔物にとりつかれた生徒がいることになる。大切なお嬢様方ばかりお預かりしているというのに。そもそも、どれも私のかわいい生徒なのですな!」
憤慨した口調で校長は言った。
「わかりました、ロウ殿、信頼申し上げましょう。どうかとりつかれた生徒を探し出し、できるだけ早く魔物からその子を解放してくだされ」
人を信じやすいのね、とマルティナは思った。この際ありがたいが、なんとも無邪気でこちらが心配になる。
 だが、校長が再度口を開いたとき、マルティナの印象は変わった。
「最初にうかがいますが、用務員のギリアム君と私は、あのとき校門のそばに、すなわち問題の黒犬のそばにいたのです。ロウ殿は、私を疑ってはおられないのですかな?」
「大丈夫よん、校長ちゃん!」
とロウより早く、シルビアが答えた。
「確かにこの学園内の人間、いえ、生き物はすべて魔物に憑かれた可能性があるわ。でもね、その憑依対象はたぶん、襲われたときこのメダルとリボンを身に着けていたの。だから、普段からリボンをしてない校長ちゃんとギリアムちゃんは白確定よん」
同じ理由で、パーティメンバーも容疑リストから除外となる。マルティナはすこしほっとした。仲間を疑うのは嫌だった。
「確かにこのリボンは、当校の生徒の制服の一部ですな」
「つまり、魔物憑きの生徒は、今現在リボンを持っていないことになりますかな?」
とロウが尋ねた。
「ふむ。実は当校の規定で、生徒たちはすべて冬服一着と夏服一着を所持しております。リボンとメダルは同じものを二組持っていて、定期的に取り換えて着用します」
 そこまで校長が話したとき、校長室のドアを慎ましくたたく音がした。
「どうぞ」
扉が開いた。眼鏡をかけた年配の女性だった。
「お邪魔いたします、校長先生」
と彼女は言った。
「先ほど何かありましたか?実は今、校庭の上に奇妙な紫色の雲が垂れこめて、生徒たちが騒いでおりますの」
「なんですと!?」
ちょっと失礼、と言ってメダル校長は彼女と一緒に校長室から出て行った。
 むむ、とロウがうなった。
「紫の雲とな。もしや結界では?」
ロウの目は双賢の姉妹に向かっていた。ベロニカがうなずいた。
「あたしも聞いたことある。かなりやばい魔物にしか使えない技よね」
 しばらくしてメダル校長が戻ってきた。
「お入りください、グレース先生」
グレースというのは、さきほどの女性だった。黒髪をかきあげて頭頂でシニョンにし、眼鏡をかけた年配の女性で、金と臙脂の裾縁のある黒の襞付きスカートの上に金縁のローマンカラーの黒い上着をつけている。学園の教師のようだった。
「こちらは副校長のグレース先生です。魔物憑きのことは歩きながらご説明しておきました。捜索の力になってくれるはずですな」
グレース先生が会釈をした。
「しばらくは当校で内部捜査をなさるのがよろしいかと存じます」
メダル校長が咳払いをした。
「私、グレース先生、ギリアム君。魔物憑きの話は、この三人だけにとどめておくのはいかがですかな、ロウ殿」
ロウはうなずいた。
「それがよろしい。話を広げすぎて、肝心の魔物に警戒されては困るんじゃ」
「私どもはこれからどうしたらよろしいでしょうか」
淑やかにグレース先生が尋ねた。考えながらロウは答えた。
「まず、生徒全員をひとつところに集めることはできますかな?そこでリボンをつけていない子がいれば、おそらくそれで決まりじゃ」
「今、授業が始まったところですから、全員を集めるのはもう少し後になります。でも、休み時間のあいだにその子が替えリボンを持っていることに気付いたら、とっくにそれを結んでいるでしょう」
「そうなったら」
う~んとロウがうなった。
「単独インタビューね」
とシルビアが言った。
「魔物憑きの子は、顔かたちは変わらなくても頭の中は魔物なんでしょ?この学園には初めて入ったにちがいないわ、アタシたちと同じで。だったらまず、自分の教室もわからないはずよ?」
「不思議なくらいまごついている生徒がいるはずか。それなら探せるかも」
ベロニカが言った。
「だが、急いだほうがよい」
とロウは言った。
「時間がたつにつれて、そいつは自分の奇妙なふるまいを覆い隠せるようになるはず。まわりを洗脳するんじゃ」
あの、とグレース先生が言った。
「見れば、お仲間にはうちの生徒たちと同じくらいの年頃の娘さんがいらしゃいますね。留学生ということにして、教室に入っていただいてはどうでしょう」
うむ、とメダル校長は大きくうなずいた。
「名案ですな。グレース先生、制服のストックはどのくらいありましたかな?」
「衣装管理室を調べてきます。いえ、ストックはありったけ校長室へ持って来ましょう。リボンごとね」
グレース先生は、きびきびと部屋を出て行き、腕に紺色の服を数着抱えて戻ってきた。
「さあ、こちらは上級用です。これは小さなお嬢さん用の制服ね」
ベロニカは眉をぴくりとさせたが、黙って受け取った。
「衝立の陰で着替えてくだされ。サイズは合いますかな?」
メダル女学園の制服を身に着けて、マルティナ、セーニャ、ベロニカが出てきた。
「こんなものでしょうか」
セーニャは少しはにかんで赤くなっていたが、まるでずっと着てきたかのように制服が見事になじんでいた。
「セーニャはいいじゃない」
憮然として彼女の姉がつぶやいた。
「あたしなんか、あたしなんかね!」
自棄になったようすでベロニカは制帽を頭にのせ、その縁を目深に引き下ろした。
「ベロニカ、すごくかわいいわよ?」
「マルティナさんまで!」
セーニャが微笑んだ。
「お姉さまは愛らしいですわ。マルティナさまはとてもお綺麗。そうしていらっしゃるとほんとに上級生のお姉さまのようです」
 マルティナは赤面してつぶやいた。
「なんだか、恥ずかしいわ」
二十代半ばの自分が着るには、この制服は少々面映ゆいのだった。
「いいえ、似合うわ」
と言ったのは、グレース先生だった。
「あなた、お名前は?」
眼鏡の中の目は、潤んでいるようだった。
「マルティナです」
そう、とつぶやいてグレース先生は両手を胸にあてた。上品なしぐさだが、何か考え込んでいるようだった。
「グレース先生」
と校長は言った。
「制服はこれで全部ですかな?」
「え、あ、そうですわ、校長先生」
グレース先生は持ってきた制服の山を指した。
「お話が本当なら、魔物はリボンを欲しがっているでしょうからね。すべて持ってきました。こちらで管理していただければと思います。それから」
と言ってグレース先生は制服の山の下から、同じ色の衣類を取りだした。
「だいぶ前に被服科で試作したものですけど、お役に立つかと思いまして持ってきました。メダル学園男子制服です」
は?という声があがった。イレブンとカミュだった。
「ぼくたちもですか?」
ロウは髭をひねりあげた。
「お前たち、何か?娘さんたちに魔物の相手をさせて、自分たちは後ろに隠れるつもりでおったんか?」
「そういうわけでは」
「そうじゃろう、そうじゃろう。着てみなさい」
「なんでオレまで」
「相手は魔王クラスの大物なんじゃ。教室内で護衛がいるとは思わんか?」
イレブンとカミュは互いの顔を見合わせてため息をついた。
 シルビアが片手を上げ、とんとん跳ねた。
「はーい、アタシも、アタシも!」
グレース先生は驚いた顔になった。
「すみません、あなたに合うサイズは、たぶんありません」
しゅんとなったシルビアに、校長が微笑みかけた。
「しかし、男子教員のガウンならありますぞ」
シルビアは嬉しそうに両手を握り合わせた。
「シルビア先生ってこと?乙女心をくすぐってくれるじゃないの、校長ちゃんったら!」
 カミュたちは制服を持って衝立の向こうへ引っ込んだ。ごそごそと着替えながら、イレブンがぼやいた。
「ほんとはウルノーガじゃないと思うんだけどな」
「お前さっきからそう言ってるよな」
だって!と、かわいらしく頬をふくらませてイレブンが訴えた。
「ぼく、見たんだよ。あの黒い犬が草むらから出てきた時、背中にヨッチ族が乗っかってたの。ウルノーガだったら、ヨッチ族が懐いたりしないよ」
「ヨッチ族って、そもそもこっちの世界には興味ないんじゃなかったか?」
「そうかなあ」
イレブンはためいきをついた。
「もっと早く見つけてヨッチ村へ送り込んでたら、こんなことにならなかったのに」
「おまえ、集めすぎだろ」
どれほど急いでいるときも、イレブンは時々馬をとめて道端の石ころや草むらに話しかける癖がある。そこにヨッチ族がいるらしいと思っても奇妙な眺めだった。カミュを始めパーティはやっと慣れてきたところだった。
「でも、珍しいヨッチだった。強いのかも。欲しかったなあ」
「珍しい?白いのか、青か?」
何気なくカミュが尋ねた。イレブンは無邪気に答えた。
「ううん、黒いヨッチ族だよ。まん丸い金の目でね、お腹が赤かった」

 留学生を紹介する朝礼の後、各教室で一時間目が始まった。初級クラスはベロニカ、上級クラスはマルティナ、セーニャ、そしてイレブンとカミュだった。留学生と言うふれこみなので、彼らはクラスメイトに学校のことをあれこれ質問する。質問に答えられない生徒を炙りだすのが目的だった。
 シルビアとロウは職員に“自分の教室や担任の名前を忘れるほどぼんやりした生徒”や“昨日制服に乱れがあり、特にリボンタイをしていなかった生徒”に心当たりがあるかどうか、尋ねて回ることにした。主に教員をシルビアが、校長含めその他の職員をロウが担当する。
 一階にある上級生の教室ではミチヨ先生が教壇に立ち、メダル学の講義を行っていた。
「かつては地面にちいさなメダルが落ちていた、ということもありました。このような場合、偶然発見する以外に収拾の方法はなかったのです。それでもメダルがよく見つかる場所というのは存在します。熟練したメダル捜索者なら、井戸や墓、草むら、花壇を見つけたら、必ず調べに行くことでしょう。
 さて容器に入っていないちいさなメダルは特殊な魔法でその位置を光らせる方法があります。また熟練した盗賊は、ちいさなメダルをいわば“嗅ぎ当てる”ことが可能だと言われています。どちらも今では失われた技術です」
 マルティナはおとなしくノートを取りながら聞いていた。意外に知らないこともあって、けっこう参考になった。
 斜め前にイレブンがいた。この教室を含め、メダル女学園は二人用の長机が基本だった。机の前には二人掛けのベンチが置かれている。“留学生”たちは、学校側の配慮なのか隣りあうことなく席はバラバラだった。
「さて、現在は宝箱や壺から見つかるケースが大半です。わかりやすいことはわかりやすいですが、宝箱となるとダンジョンの最深部近くに配置されていることが多く、収拾には危険が伴います」
 イレブンもきちんとノートをつけていた。が、イレブンの隣にいる少女のペンは、先ほどからまったく動いていない。真面目に講義を聞くイレブンの王子めいた横顔にぼーっと見惚れていた。
――イレブンはエレノア様似だもの。かわいいし品がいいのは確かだわ。アーウィン様に似てかっこいいし。第一、本物の王子だし。
 よく見るとクラスの女子生徒の半分は興味と憧れの入り交じった視線をイレブンへ送っている。そして女の子特有のわくわくした気配に満ちていた。
「殿方にしておくのがもったいないですわ」
「王子さまって、いらっしゃるものなのね」
「あのお髪に触らせていただけないかしら」
「朝礼の時の凛々しいお姿がたまりませんでしたわ」
「あの方といっしょに旅をするって、どんな気持ちかしら。そりゃ、苦労は多いでしょうけれど」
「あの方のためなら、尽くしてさしあげたくなりますわね」
 全部同意できるが、同時にマルティナはため息をついた。ものすごく授業のお邪魔をしている気がする。どうやら紙片に何か書いて席から席へ回しているらしい。マルティナの背後で、生徒の一人がセーニャに話しかけたのが聞こえた。
「ねえ、セーニャさまは、イレブンさまとカミュさまのどちらがお好きなの?」
直球だ。なんともストレートな乙女っぷり。注意したものかどうか、マルティナは悩んだ。
「お二方とも、大好きです。お優しいのですよ、とっても」
はんなりとセーニャが応じた。相手は嫉妬交じりのため息を放った。
「あら、贅沢をおっしゃるのね」
 かたん、と後ろで音がした。教室の一番後ろにカミュがいる。人数の関係で、彼だけは二人掛けの机に一人で座っていた。ころん、という音が同時にしたのは、どうやらペンを机に転がしたらしい。
 思わずマルティナはカミュのようすをうかがった。カミュは両手を組んで後頭部にあて、机の下で脚を組んでいるようだった。リボンタイなし、シャツは第二ボタンまで開けている。カミュらしいと言えばカミュらしかったが、ミチヨ先生の手前、マルティナは身が縮むような気がした。
「カミュさまって、なんだか……」
「イレブンさまとはまた違ってよろしいのですわ」
「なぜか目が離せませんの」
「綺麗な鎖骨……なんて、あたくしとしたことがっ」
「睨まれてみたいと思うなんて、ああ、ぞくぞくいたします」
クラスの残り半分は、カミュの一挙手一投足に目を奪われていた。
 カミュ本人は自分がお尋ね者の盗賊だと知られたら“お嬢ちゃんたち”は怖がるだろうと言っていたが、そうでもなさそうだとマルティナは思う。彼女たちは明らかに、カミュの本性に惹かれているのだろう。
――悪そうな感じが好きという乙女心はわかるかも。それにあの坊や、意外に綺麗な顔してるしね。
 どこかのんびりした音でチャイムが鳴り響いた。学園の屋上でギリアムが鳴らしているのだと昨日聞いていた。
「では、今日はここまで」
とミチヨ先生が言った。
「今日のところはテストに出しますよ?みなさん、だいぶぼーっとしていましたからね。よく復習しておいてください」
では、ミチヨ先生はクラスのようすに気が付いていたらしい。マルティナは首をすくめた。