空のかなたから大音響が響いてきた。鳥の形をしたバーンパレスの首の部分から閃光が上がり、激しい衝撃がこの後方右翼まで伝わってきた。
「…はじまりましたね。ハドラー様と勇者ダイの一騎討ちが…」
武闘家の少女がつぶやいた。
「……一騎討ち」
ふっくらとした頬の、美しい少女だった。アルビナスが望んでも持ちえない、柔らかでしなやかなヒトの身体と、強い感受性の持ち主。
「もう、あのお方の身体はいかなる回復呪文をも受け付けない…朽ちていくだけの魔獣の身体……」
オリハルコンの目に涙はない。ただアルビナスの心が泣いていた。
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とうとうと流れ落ちる滝のために、その声はくぐもって聞こえた。
「みんな聞け。オレの身体は、これ以上もたん」
そこは天然の洞窟だったが、入り口は滝にふさがれている。水のスクリーンの前にオリハルコンから造られた三体の戦士が並んでいた。
「オレは最後の戦う相手を…勇者と決めた」
ヒムとシグマはうなずいた。が、アルビナスは声を上げた。
「ハ…ハドラー様っ!!!」
「もはや大魔王のために戦う気にはなれん。かといってダイたちの味方もできん。オレは…やつらの最も大切な物を奪ってしまった男だ」
――お顔が、変わった。
アルビナスはそう思った。
初めてこの世に生を受け、意識に目覚めたとき、アルビナスの視界を占めていたのはハドラーだった。
それは魔族であることを示すみどりの皮膚や尖った耳のためか、あるいは筋肉で覆ったぶ厚い身体か、片目をよぎる黒いあざか。ハドラーはパワーそのものだった。
「女王の駒から生まれた者よ。おまえに『アルビナス』の名を与えよう。忠義を尽くせ」
その創造主からチカラのオーラを浴びて、オリハルコンの身体に震えが走った。
大魔王宮の中をハドラーが行く。堂々たる魔軍司令であり、元は地上を席巻した魔王その人。
配下の軍団長のうち、フレイザードが討たれ、クロコダイン、ヒュンケル、バランの三人が背いた。だが、それがなんだというのだろう。ハドラーには、自分たち、オリハルコンのチェスピースから生みだされた戦士たちがいるではないか。兄弟に伍してハドラーに付き従うとき、アルビナスは誇らしさで胸がいっぱいだった。
兜と肩当、マントを装備したハドラーの背は広く、力強かった。彼の脳裏にあるのは常に己を高め、最強へと至る手立てだとアルビナスは知っていた。
振り向いてほしい、せめて笑顔を見せて欲しい、などと願う事さえアルビナスは己に禁じた。ハドラーに従う事、それだけで血の通わぬ身体がぬくもり、心が高ぶるのだから。
だが幸せは、長くは続かなかった。
ある日、ハドラーは壁に片手をつけ、激しく血を吐き出して、肩をゆすり、暗い笑いを放った。
「ハドラーさま、いかがなされました、ハドラーさま?!」
ハドラーは自分の身体を超魔生物へと改造している。短時間での無理な改造は、ハドラーの身体をむしばみ、おそらく強い痛みをうんでいるのだろう。
――痛み。私には理解しにくいもの……。
自分の身体がもっと柔らかければ理解できたのだろうか、とアルビナスは思う。ハドラーの苦しみに寄り添いきれない自分がもどかしかった。
「勝ちたい!この命にかえても!!」
このころから少しずつハドラーの表情は変わった、とアルビナスは感じていた。地位も権力も、いや身体の痛みさえ余計なものとして切り捨てて、一心不乱に勝利を目指す姿だった。
そして、今、また。
「オレのとるべき道はひとつしかない!最もオレの心を沸かせてくれる者と戦って自らの生きた証を見せることだ!!」
思わずアルビナスは言いかけた。
「し…しかし…!!」
「ええいっ!!何を迷ってるんだアルビナス!」
ヒムはまちがいなくハドラーの心情を代弁している。アルビナスの想いなど、ハドラーにとっては余計なもの、枝葉末節にすぎないのだろう。
「ヒム。おまえは一番…今のオレに似ているな…」
静かな声でハドラーはそう言った。
その場にアルビナスは立ち尽くした。
――笑っていらっしゃる。
すべてを失い、激痛に苛まれ、満開の笑顔などとうてい望めないこの方が、わずかに口角を上げ、光射す目をしている。それまでの思いつめた表情にくらべればそれは笑顔、花で例えるなら五分咲きの笑顔だった。
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髪は乱れ、胸甲は砕け、手足も顔も傷だらけのまま、マァムはよろよろと近づいてきた。先ほど奥義を放った時の猛々しい表情とは一変して見えた。
「…許して…アルビナス。私…こうするしか…」
フフフッとアルビナスは笑った。
「気に病む事などありません。敗れていなければ私があなたを倒していたのですからね。あなたのほうが強かった…力だけでなく”誰かのために”という気持ちも……それだけの話です……」
もう動くことさえできない。勝負の定まった今、アルビナスの心は不思議と風通しがよくなっていた。誰にも言わずにいたハドラーへの想いを、マァムは見つけてくれた。それが理由なのかもしれなかった。
「ハドラー様を生かしたかった…一瞬でも一秒でも長く……この…あの方にいただいた生命にかえても…さあお離れなさい。そして私の代わりに見とどけて…あの方の…最後の勇姿を…」
その最後のときに、ハドラーは自分や兄弟たちのことを思ってくれるだろうか。そしてかなうならば、五分咲きでもいい、笑顔になってくれるだろうか。
見上げるマァムの顔がぼやけていく。視界を失う寸前、こく、とマァムがうなずいた。それはまるで、アルビナスに約束してくれたように見えた。満ち足りた気持ちのまま、アルビナスは暗闇に落ちていった。