チョコレートと最後の決戦

 パプニカ大礼拝堂は海辺に立つ巨大な建築だった。正方形の一階とそれよりひとまわり小さい二階があり、その上部は塔、一番上は太い柱のドーム屋根となっていた。
 最も広い一階フロアは、昨夜から多人数が詰めかけ、今も熱気で満ちていた。
「皆さま、どうか静粛に。パプニカのレオナ姫より挨拶がございます」
 人々はようやく手を留めた。
 賢者マリンとエイミを従えパプニカのレオナは、果断な表情でその場を見回した。
「最初にお礼を言っておきます。皆さん、ありがとう。すべての準備は整いました。いつでも客を迎えられます」
 数日前からこのフロアにパプニカ兵たちは、長机を集めて「島」をいくつも作っていた。その島ごとに職人たちが集っていた。
「ベンガーナの王様から、改装工事中のベンガーナ百貨店に代わってパプニカでチョコレート頒布会をやってほしいと頼まれてから半年になります」
 それぞれの「島」に集まっているのは、世界中からやってきた一流ショコラティエたちだった。半年かけてそれぞれの作品を考案し、何日も前にパプニカに着いてパプニカ城内の厨房でチョコレート菓子を大量に作り上げた。それを昨夜から大礼拝堂内のそれぞれ割り当てられた島に並べ、また趣向を凝らして飾り付けていた。
 チョコレート職人たちの中にはそれまでの苦労を思い、もう涙ぐんでいる者もいた。
「でも、ここまではただの前哨戦です。今日、2月14日こそが、最後の決戦です!世界中のチョコレートファンが、今日、この大礼拝堂へ押しかけてきます!」
 ぐっとレオナは拳を握った。
 マリンが話し始めた。
「ベンガーナ王によれば来場者は七三で女性が多いとうことです。つまりチョコ目当てで殺気だった女の子たちです。パプニカ兵およびレオナ姫のお仲間で参加者をきっちり整理誘導します」
 エイミが声を張った。
「もし、強引なお客様や転売目的と思われる人がいたら、すぐ私たちに連絡してください。また救護班がフロア内を巡回します。体調を崩した参加者がいたら申し出て下さい」
 うめきとも武者震いともつかないざわめきが沸き起こった。
「大丈夫、パプニカは必ずみなさんを守ります」
 突然、切迫した声があがった。
「レオナ姫!」
「メルル?」
 メルルは指を両のこめかみにあて、震えながら告げた。
「……来ます!闘志をみなぎらせた、巨大な集団が!すごい勢いでどんどん近づいてきます」
「さては開場ダッシュね」
 仲間たちが立ち上がった。
「おれたちで止めるよ」
「レオナ、まかせて」
「パプニカ兵を借りるぞ」
「ダイ君、マァム、ヒュンケルも……ありがとう。参加者の対応をお願い!ダッシュを制止、一般入場者を待機整列させて安全に誘導!」
「じゃ、おれも」
「ポップ君はアポロといっしょに救護所で待機して。あとは会場案内係、迷子担当も、準備いいわね?」
 レオナは片手を高く掲げた。
「始めましょう!チョコレート頒布会『レーブ・デュ・ショコラ』開幕!」

 「レーブ・デュ・ショコラ」、意味は、「チョコレートの夢」。毎年ベンガーナ百貨店で行われていたチョコレート頒布会だった。世界中から一流ショコラティエたちが来てチョコレートを作り、その場で売る。本来世界一周しなければ手に入らない最高級チョコレートの最新作、しかも会場限定頒布品が一堂に会するというまさに夢のイベントだった。
「待ってたわ、一年ぶりのレーショ!」
 頒布会カタログを握り締めた娘たちが、礼拝堂目指して突進していた。
「パプニカのレーショのほうがお店多いわ」
「配置図、よく読みこんでおかないと」
「どこから回ればいいの」
「今年のパッケージ、かわいい!」
 すでにパプニカ港から大礼拝堂までの道は一般参加者の列で埋まってしまった。
「あったわ!行くわよ~!!」
 大礼拝堂の正面の扉がゆっくり開いていく。その前にパプニカの兵士たちが並んでいた。
「走らないで!」
 兵士たちが制止していた。
「危険です。押さないで、走らないで!」
 知ったこっちゃないわぁ!と、頒布会目当ての女の子たちは足を早めた。
「突撃~!!」
 怒涛の勢いで入り口めがけて押し掛けた。誰かが片足をどん!と地にたたきつけた。
「止まりなさいっ」
 先頭の少女たちが思わずすくみあがった。
 気迫をみなぎらせたマァムがその場に仁王立ちになっていた。
「どれだけ危ないことをしてるか、分からないの!?」
 ダイたちさえ、あぜんとして眺めている。
「あの、先頭の方はこちらへ」
「五列に並んでください」
 パプニカ兵や他のスタッフが誘導に来た。ようやく頭の冷えた女たちはおとなしく誘導に従い始めた。

 救護所ではショコラティエや一般参加者が数名休んでいる状態だった。
「アポロさん、こっちもう大丈夫です」
 賢者アポロは、ポップにうなずいてみせた。
「助かったよ、ポップ君」
「ずっとヒマかなと思ってたけど、けっこう来ますね」
「国際的なイベントだからね。人ごみってだけで辛い人もいるよ」
「そんなもんすか」
とポップが答えた時、ノックも無しに救護所の扉が開いた。
「ケガ人だ!」
 見ると、ヒュンケルが肩を貸して誰か連れて来たようだった。女性客ではなく成人男性、どこかで見たような赤の上下。だが、服はボロ雑巾のようになっていた。
「アバン先生!ヒュンケル、何があった!」
「わからん。会場内で発見した」
 空いたベッドに二人がかりでアバンを寝かせ、ひびの入った眼鏡をはずしてやった。アバンがうめいた。
「うう、フローラ様に頼まれた買い物のと中、何者かに襲われまして……あの勢いはおそらく野生のバッファローの群れ」
「そんなもん、大礼拝堂にいるわけないじゃないですか」
 おそらく殺気だった女の子たちにつきとばされたのでは、とポップは思った。
「フローラ様のチョコレートがぁぁぁ……」
「オレが探してくる」
そう言ってヒュンケルが出て行った。ポップは、はっとした。
「先生、髪が?」
 アバンはぐったりと横たわっている。ベッドの上に空色の髪が広がっていた。
「そんな、メガンテでもしない限り絶対に崩れないカールが……」
 頒布会とはどれだけ過酷な戦場なんだ、と思い、ポップは青ざめた。

 メルルの手が水晶玉を離れ、虚空を指した。
「こちらから凶相が出ています!」
 その言葉は明瞭で、迷いの色もなかった。
 エイミは眉をひそめた。
「東門?締め切ったはずなのに。とにかく姫様にご連絡を」
「メルルさん、凶事はいつ?」
「もう指呼の間に迫っています。お急ぎください!」
 知らせを聞いたレオナは賢者たちを率いて飛び出した。
「見て、あれ!」
 正面入り口までの列があまりにも長いことにいらだったのか、女性客が数名、東門をこじあけようとしていた。
「お客様、そこは入り口ではありません!」
 エイミたちが大声で叫んだ。ちらっとこちらを見たが、ひとりはむしろ侵入の手を早めた。
「入っちゃえば、こっちのもの!」
 ここから会場へなだれこまれたりしたら……!レオナは唇を噛んだ。正門からマァムを呼んでくれば絶対阻止してくれるが、さすがに間に合わない。
「ケガさせるわけにいかないのに。ああっ、どうしよう」
 ふいに列の中から別の女性が現れた。横入り女に近づくと、何か不思議な仕草をした。次の瞬間、局地的な竜巻が起こり、横入りしようとしていた娘のスカートを大きくめくりあげた。娘は悲鳴を上げてスカートをおさえ、その場に座り込んだ。
「いい大人が横入りなんておやめなさい」
 おっとりした口調でそう言われて、横入り娘は真っ赤になり、元の列に逃げ込んだ。
 レオナは、ほっとしていた。
「整列にご協力ありがとう。助かりました」
 バギを使った女性は、地味な身なりで、若くはない。だが品のいいひとだった。
「いえ、お役に立てて光栄です」
 あの、とエイミは言った。
「ネイル村の、レイラさまでは?」
 片手を口元にあてて、レイラはしとやかな微笑みを見せた。

 どうやら頒布会は落ち着いたらしい。会場はすごい人ごみだが、参加者たちはそれぞれのショコラティエの島の前にきちんと並び、順番を守っていた。上から見ると最後尾プラカードが林立していた。
「あれからトラブルは起きていない?」
 大礼拝堂の上部にある主催者の部屋で、レオナは賢者たちに尋ねた。
「ダイ君はじめ、男子のみなさん、ぼやいてました。お客さんの勢いがすごくて、『みんな言うこと聞いてくれない』って」
「例えばヒュンケルにとって、こちらからいっさい攻撃できないって意味じゃモンスターより怖い存在でしょう」
 レオナはくすくす笑った。
「まあ、チョコレートは特別よね。女性スタッフは?」
それが、と言ってマリンとエイミは顔を見合わせた。
「女性スタッフは買い物できないのが辛いみたいです。目の前にすてきなチョコレートがたくさんあるのに」
「それなら大丈夫!」
とレオナは言った。
「スタッフの分はちゃんと取りのけてあるの。みんなにこっそり、そう言ってきて」
 マリンたちが笑顔になって下のフロアへ降りていくのをレオナは見守った。
 誰もいないのを確かめて、レオナは主催者デスクへ寄り、秘密の引き出しをそっと開けた。中に入っていたのは、かわいいリボンを巻いた紙箱だった。
――特別なチョコレート、渡せるかな。
 レオナの決戦はこれからだった。