海原の王者 3.水の民の裁き

 次の日の朝、ジフもペグも、とうてい起き上がれないと言った。
「酒を飲むのはいい。だが、飲まれちゃいけねえな」
「すいません、船長」
「いいってことよ。おれとアルスと、マリベルお嬢さんとで行ってくるわ」
 港の朝は早い。漁船は夜明け前に出て行くのが普通だった。が、今日はコスタール中の漁師や船乗りが、カジノの二階へ集まってきていた。シャークアイが今回の問題をどう捌くか、見にきたのである。
 ボルカノたちはエスタード島代表という資格で席をもらっていた。ちなみに、会議参加者の中で、女性はマリベルただ一人である。あとは血管の中を海水が流れているような、ねっからの船乗りばかりだった。
 カジノの二階はスロットマシンやテーブルをかたづけて、会議ができるようにしてあった。議長席に背の高い海賊が姿を現すと、私語がやんだ。
 シャークアイが声を荒げるようなことはなかったが、開会の挨拶を述べる間、集まった海の男たちは、あのキャプテン・ブラガムでさえ、神妙にしていた。
 甲板の上で鍛えたに違いない、艶のある渋い声で、シャークアイは話し始めた。
「まず言わなくてはならないのはこのたびの海の異変に、海底王殿はなんら責任がないということだ。われらにあてて海底王殿から、詫びの言葉もとどいている」
「海底王のごきげんのせいじゃないとしたら、なんで海が荒れたり魚が消えたりしてるんですかい?」
不安そうな顔の漁師が発言した。
「海底王殿のお考えでは、知能が低くて制御の利かない、凶暴な海の魔物だろうということだった」
と、シャークアイは答えた。
「海を行く者なら、多少なりともモンスターに出会ったことがあるだろう。数ある魔物の中には、津波を引き起こすほど力のある、いわば海の魔王というべきものも、存在する」
会議室はざわめいた。
「そんな……本当か」
シャークアイは、片手をあげるしぐさひとつで議場を静めた。
「マーマンなど、知能の高い魔物の長が力を得て結界を張り、そのなかに宮殿を構えた例がある。あるいは、知能より本能がまさるような獣のようなやつ、大王イカが巨大に成長したものなども過去に海を荒らしたことがあった」
一人が言った。
「死んだじいちゃんが、そう言えば海の魔王のことを言ってたぜ。生贄をあげなくちゃいけないって」
シャークアイは、眉をひそめた。眼光が鋭く、厳しくなり、唇の端にしわが刻まれる。だが、人々はその話に乗り気になったようだった。
「生贄?まさか、人をか?」
「けど、それで満足してくれるんなら、漁師は助かるけどな」
あのキャプテン・ブラガムが立ち上がってふんぞりかえり、あたりを見回すようにして言った。
「どうだ、みんな。若い娘ならいいんじゃないか、え?」
小さな声でマリベルがつぶやいた。
「な~んで若い娘なのよ。あんたが食われるならあたしはかまわないけど」
ボルカノも、生贄案が気に入らなかった。いったい誰がその生贄の娘を差し出すというのだろう。父親に娘を、兄に妹を、恋人に恋人を、生贄にするから女をよこせ、と言ってよこすわけがない。
「よし、適当な生娘を海の魔物に差し出して、機嫌をとってくだされ、水の民の総領」
誰かが突然、声を上げた。
「それは、だめです!」
アルスだった。隣でさきほどからもぞもぞしていたが、ボルカノが気づくと、アルスは立ち上がっていた。
 あたりは一瞬静まった。が、キャプテン・ブラガムは誰が発言したかわかると、ふいと顔をそむけた。
「あ、あの」
アルスは中途半端にあげた腰を、仕方なくおろした。
「どうした、アルス、何か言いたいことがあるのじゃないのか?」
それは、ボルカノだった。アルスは首を振った。
「え、あ、もう、いいよ」
「なあ、アルス、海の男はカンが頼りだ。ここは言わなきゃ、と思ったことは、きちんと言うもんだ」
 ボルカノが立ち上がると、堂々たる体躯はその場を圧倒した。
「お聞きの通りだ、みなの衆。こいつのような半人前の見習が、大先輩にあたるお人の話の腰を折るなんぞ、あっちゃあいけないことだが、もし筋の通らない言い分なり、失礼なりがあったなら、このフィッシュベルのボルカノが謝る。ここはひとつ、こいつの言うことを聞いてやってくれ」
 ブラガムはいまいましそうな表情を浮かべたが、集まったものたちはみな座り直していた。アルスは緊張しながら父の傍らに立ち、小男の船長ではなく、正面にいるシャークアイに向かって口を開いた。
「生贄を与えたら、だめです。一人の生贄で済むはずがないし、ヒトの味を覚えさせたりしたらたいへんなことになります。それに」
シャークアイは、じっとアルスに視線を注いでいた。
「誰だって生贄になんかなりたくないはずです。そんなことを誰かに、どこかの女の子に強制するなんて、だめです」
「じゃ、どうするんだ、小僧」
ブラガムは、憎憎しげに歯をむき出した。
「きれいごとぬかしやがって、漁師が飢えてもいいってのか。いっそ、おまえが食われに行くか?」
「食べられたくなんか、ないですけど」
「けつの青い小僧は、大人の話に口をだすんじゃねえよっ」
その口汚いしゃべり方を遮るように、シャークアイが直接話し掛けた。
「生贄を捧げる案に替わる提案があるならば、聞こう」
代案がないのならば黙っていなさい、と暗にシャークアイはほのめかしていた。アルスの顔に、血の色がのぼった。
「ぼくは……」
「おい、小僧」
ブラガムがまた口を挟んだ。めったに自分の意見に反対されたことがないらしく執念深い憎しみを露骨にアルスに向けていた。
「いっそのこと、おまえがちゃっちゃっとその海の怪物をやっつけてくれよ。さぞかし強えんだろう、あ?」
アルスは黙ったままだった。
「遠くまで漁に出たのは何度目だ?海のモンスターなんぞ一ひねりだろ?え、何匹ぐらいやっつけたんだ?おい、人が聞いてんだよ、なんか言え、言ってみろ」
シャークアイは不快そうだったが、助けを出すことはせずに見守っていた。
「に、二匹です」
蚊の泣くような声でアルスが答えるとけたたましい声でブラガムは笑い出した。
「聞いたかい、とんだ海の男だぜ!」
 マリベルは自分の席でひそかに歯軋りした。
「グラコスと、グラコス五世だって言ってやんなさいよっ」
ボルカノがアルスの肩をそっとたたいて、席へ座らせた。
「キャプテン・ブラガム、それに総領どの、せがれは口下手で申し訳なかった。だが、生贄にはわしらフィッシュベルの者も賛成できない。もし、次々と生贄を要求されたら、フィッシュベルのような小さな村では、女がいなくなってしまう」
 納得したようなつぶやきが会議場に沸いた。キャプテン・ブラガムはまたいまいましそうな顔になった。
「ボルカノどののご意見、もっともだと思う」
シャークアイはそう言って、参加者たちの顔をひとつひとつ見ていった。
「まずは、おれがひとあたりしてみよう。マール・デ・ドラゴーンがてこずるような怪物であれば、あらためてなだめる方法をさぐるとしよう」
誰かが声を上げた。
「ひとあたり、って、そんな怪物、どこにいるかわかるんですかい?」
シャークアイは傍らへ視線を向けた。
「ジョプトリ」
呼ばれたのは、額の広い学者風の男だった。マリベルは、このジョプトリがマール・デ・ドラゴーン号の船倉図書室にいるのを見たことがあるのを思い出した。水の民の長老に劣らないほどの博識で、また発明家でもある。マール・デ・ドラゴーン号の舵や、天体観測機器に改良をくわえて、一族にいろいろと貢献している。
 その自信を声に響かせてジョプトリは言った。
「みなさんの漁場の位置と、魚の取れなくなった時期を教えていただきたい。その怪物の通る道筋を見きわめてご覧にいれる」
おう、と漁師たちがざわめいた。
「居場所がわかったら、マール・デ・ドラゴーンがぶつかってみよう」
シャークアイが言うと、最前列に座っていた漁師が、おそるおそるたずねた。
「おまえ様方が最強の海賊だってことは、聞いている。けど、だいじょうぶか?」
シャークアイは、ふと目元をほころばせた。
「おれたちもそうは簡単にやられはしないが、助太刀してくださる方があれば、ありがたくおまねきする」
最前列の漁師は、震え上がった。
「とんでもない、おれなんか」
マリベルは、まだうなだれているアルスにささやいた。
「ほらっ、出番よ」
「だ、だめだよ」
「何ぼけにでてんのよ。あんたなら、戦えるでしょ?」
アルスは目を閉じてガンコに繰り返した。
「ぼくは、やっちゃだめなんだ」