海原の王者 2.カジノ・コスタール

 しっとりと湿り気を帯びた洞窟内の空気に突然潮風が吹き込んだようだった。
 背の高い客人は、すすめられるままに席に着いた。コスタール王と差し向かいである。
「あ~、わざわざど~もね」
なんとも軽い挨拶にも、鼻白むようなことはなかった。伝説の大海賊は、うすく微笑んだ。
「書状を拝見したところでは、困りごとがあったとか」
「君ぐらいしか、あてがないんだよね~」
「まあ、陛下」
つい王妃は口を出した。
「申し訳ありません、シャークアイ殿。手紙に書き送りました通りでございます。海に生きる者たちの難儀、なにとぞお救いくださいませ。どうすれば海底王は御怒りを解いてくださいますでしょうか」
 陸上にはあまたの王国があるが、それぞれに利害は絡む。また、なによりも、海の中の異変ともなれば、手も足も出ない。漁獲高の激減と海の異常については、この水の民の総領に頼む意外に手はなかった。
「王妃さまとお見受けする」
シャークアイの視線を受けるのは、ホビットの女にとってさえ、胸がときめくことだった。
「このたびの異変についてはわれわれも気づいていた。が、海底王には責はない」
王が、甲高い声を出した。
「え、まじ?」
「と、人魚が申していた」
こともなげにシャークアイは言った。
「おそらく、制御の利かぬ海の怪物のしわざではないかと思う。だいたいの場所もつかんでいる。御心配なく」
「鎮めてくださいますか?」
「われわれは、水の精霊を祭る水の民。もとより、海の平安はわれわれの責任だからな」
シャークアイは小さく会釈して席を立った。
「よかった~。じゃ、頼むねっ」
シャークアイは形のよい口元をほころばせた。
「国王陛下」
「ん~?」
「昔、コスタールに、私を友と呼んでくれた男がいた」
「ずっと前のコスタール王だ。御先祖様だね~」
「陛下に会って、彼を思い出した。よく似ておられる」
そう言って、シャークアイは退出していった。
「素敵な方ですわね。それに、たいそうな眼力で」
からかうように王妃が言うと、コスタール王は別人のように引き締まった顔でちっと舌打ちした。
「ばればれか。やりにくい男だ」
「あの方なら、海を鎮めてくださいますわ」
「そう信じよう。各国の王たちに約束した手前もある」

 グランエスタード島で賭け事と言えば、お祭りのときにやるボートレースで誰が勝つか当てる程度で、それもたいそうささやかなものだった。
 というわけでマリベルは、自分にギャンブラーの才能があるとは、ついぞ思ったこともなかった。旅に出るまでは。
「アルス」
手のひらを差し出す。
「なに?」
「なにじゃないわ、倍にしてやるって言ってんのよ」
 カジノはカジノのままだった。もとをたどればコスタール王の住まいだっただけに広々としていて、内装も豪華そのもの。壁際のスロットマシーンが、ちんじゃら、ちんじゃらと景気のいい音をたてている。
 赤系統の絨毯を踏んで部屋の中央へ行けば、ポーカーでサシの勝負をやっていた。恰幅のいい紳士がダブルアップに挑戦している。あかぬけた女たちがグラス片手にその成り行きを見守っている。
 隣の台がマリベルの好きな獲物、ラッキーパネル。シャッフルカードを引いてしまった客はあわてているが、渋い中年男の胴元は、人生こんなもんですとほくそえむ。
「でも、マリベル、今回はぼくがお金もってる旅じゃないよ」
ちっとマリベルは舌打ちをした。
「あとでボルカノ小父さんから元手をせびってやる。そうしたら……」
十指を組み合わせてぼきぼきと音を鳴らし、マリベルはボルカノたちを追いかけた。
 国営カジノの地下には気のきいたレストランがあった。元はワイン貯蔵室だったために、天井から壁から全部レンガでできている。アーチ型に組んだ入り口をぬけていくと、見覚えのある酒場だった。
「へい、7名さまで。少々お待ちを。今夜は特別な団体様がお見えなんで」
マリベルはずいっとすすみでた。
「あたしみたいな女の子が入れないほどこんでいるんじゃないでしょ?」
胡麻塩頭のチーフウェイターが、ぱっと顔を輝かせた。
「こりゃこりゃ、あのお嬢さんじゃないですか!いつお着きで?今日?ええ、ええ、ただいまお席を用意しますんで。少々、ほんの少々お時間くださいませ」
あわてて飛んでいくウェイターを、ジフが見送ってつぶやいた。
「マリベルお嬢さん……いったい、いつ……」
ふん、とマリベルはつぶやいた。なにせラッキーパネルで勝ったあの記念すべき夜には、このレストランを借り切って、チップをはずんで大盤振る舞いをしてやったのだ。(料理の大半はガボの胃袋へ消えたのだが。)このくらいは当然。
 待たされている客たちのブーイングを背中に受けて、アミット号の一行はマリベルを先頭に食堂へ入っていった。
 天井の高いレンガの部屋に、うわん、と人声がこだまする。
 テーブルに四、五人づつかたまっているのは、大半が海の男と一目でわかった。タバコの煙と、酒の香気。食欲をそそる料理の香り。
「おや、おや」
ボルカノがつぶやいた。ダイニングルームの真ん中の一番いい場所を占めているのは、確かに特別な団体だった。
「マール・デ・ドラゴーン号の乗組員らしいぜ」
隣のテーブルで誰かがささやきあっていた。
「見るからに、ただもんじゃねえよなぁ」
くすっとマリベルは笑った。
 若いボロンゴがいる。斬り込み隊二番隊長ルドブレがいる。目つきの鋭い水夫長のオトゥールがいる。優男の吟遊詩人コーラルがいる。ほかにも、かつて航海の間に知り合いになったマール・デ・ドラゴーンの乗組員たちが、おおぜいこの店に集まっていた。
「そりゃ、並のお人らじゃねえさ」
訳知り顔の年寄りが言う。
「何百年も前にこのコスタールを出発して魔王とやりあった人たちだ」
「あっしは、そのあたりのことはわからねえが」
ジョッキを運んできたウェイターが言った。
「行儀はいいし、金の使い方はきれいだし、紳士でいらっしゃいますぜ、あちらさんは」
「キャプテンのお仕込みがいいんだねぇ」
客たちは感心したように彼らを眺め、ひそひそとうわさしあった。
「そのキャプテンはどこだ?」
「国王陛下がじきじきに会って今回のことを頼んでいるらしいぜ」
マール・デ・ドラゴーン号の乗組員たちのテーブルのむこうから、レンガのアーチをくぐって別の一団が現れた。水夫たちは歓声を上げて迎えた。
「やっぱりコスタールの酒は美味いですぜ!」
「おおさ。一杯注いでくれ」
マール・デ・ドラゴーンの幹部たちである。その中の一人を見て、食堂はいっせいにざわめいた。
 その男は、それほど背は高くないが、胸板は厚く腕は太く、潮風にさらされた顔色の持ち主だった。
「航海士のカデルさんだ」
ひそひそと声があがる。
「昼間、あの船を港へ入れた手並みを見たか?」
「あの人にはあのくらい、あたりめぇよ。神業のカデルといわれた人だ。お近づきになりてぇもんだが」
コスタールの船乗りも、周りの国から来た男たちも、マール・デ・ドラゴーンの幹部たちを畏敬の目で見守っていた。
 きげんよく飲んでいたカデルが、ふと目を上げ、いきなり真顔になり、弾かれたように席を立った。
「アルスさんじゃないですか!」
酒場中の視線がアミット号のテーブルに集中した。
 カデルを先頭に、わっとばかりにマール・デ・ドラゴーンの連中が押しかけてきた。ボルカノはおろか、マリベルでさえそっちのけだった。
「おなつかしいっ」
「またお目にかかれるなんて」
「おひさしぶりっす!お元気そうで」
「背、伸びましたなあ」
アルスは照れて赤くなった。
「あのっ、そのっ」
妙にもじもじしている。そこへボルカノのバリトンが響いた。
「おひさしぶりですねぇ、みなさん」
「こりゃ、ボルカノさん、失礼しました。コスタールへはお仕事で?」
アミット号の水夫たちは隅っこへ押しやられて口をパクパクとあけたり閉じたりしている。
「あのね、あたしもいるのよ」
やっと気のついたボロンゴが、満面の笑顔を浮かべた。
「マリベルさん!ご一緒だったんですね?あいかわらずかわいいや」
「あら、正直ね」
コーラルが竪琴片手にやってきた。
「ずっとお嬢さんに捧げる歌を作ってたんですよ」
こうこなくっちゃ。マリベルは特別に、にっこりしてやった。
「うれしいわ。聞かせてちょうだい」
「喜んで」
横目で見ると、他の客たちの表情がおもしろかった。どの顔にも一様に、こいつら何者?と書いてあるのだ。ボロンゴがマリベルに手を貸して、テーブルの上に女王様のように座らせてくれた。コーラルがいい調子で竪琴をかき鳴らす。
「なんだ、ありゃ」
無作法な声のした方を見ると出っ歯の小男がいた。アミット号を無理やり停めた大きな漁船の船長、キャプテン・ブラガムである。マリベルはふん、と横を向いた。この、マリベル・ザ・スーパースター・アミットを知らない方がまぬけなのよ。
「ヘイ、お料理はこちらで!」
「ラム酒のおかわり、お持ちしましたっ」
「ヨーッ、ホーッ」
酒が入ると誰かが舟歌を歌いだして、ただのランチがいきなり大宴会へと盛り上がっていった。