海原の王者 5.竜の戦い

 アルスは港の通りを桟橋へ向けて走っていた。
「おい、アルス」
ジフが声をかけてきた。
「おまえ、どこにいたんだよ。ボルカノさんが探してたんだぞ。会ったか?」
「はい、ジフさん」
ジフは、なんとなくまぶしそうな表情になった。
「あれ、おまえ……」
「すいません、船は、マール・デ・ドラゴーンは、もう出ましたか?」
「え、あ、これからだ」
「よかった、まにあった!」
アルスはまた走り出した。後ろでジフが、“あいつ、半人前のはずなのに”とつぶやいていた。
 マール・デ・ドラゴーンのまわりには、人だかりがしていた。
「すいません、どいてください!ぼくも、のせて」
上のほうから声が降ってきた。
「アルス!遅いわよ!ボロンゴ、はしごお願いっ」
「へいっ」
アルスは縄ばしごにとりついてやっと船の中へ入った。すでに船は動き始めている。
「その顔じゃ、決心ついたのね?」
と、マリベルが言った。
「うん。さっきはごめん」
「ふん。なんかおごんなさいよ。倍返しだからね。カデルさ~ん、アルスのバカが来たわよ~」
カデル航海士が、舵の座から叫び返した。
「マリベルさんの言ったとおりでしたね!」
斬り込み隊長ガネルと砲撃隊長ロッシュをしたがえてシャークアイがかけつけてきた。
「よく来てくれたな」
シャークアイの目を見て、言いたいことはその百倍はあるにちがいないとアルスは思った。
「遅れてすいません、キャプテン。ぼくが、やります」
「よかろう」
すぐにキャプテンは厳しい顔つきになった。
「ジョプトリの計算で、ヤツは意外に近くにいることがわかった。本船とコスタールから借りた船でヤツの退路を断つ」
「おれらの弾幕で足止めをしておくさ」
「とどめは斬り込み隊がつとめるつもりでしたが、アルスさんが出てくださるならありがたく後詰にまわらせてもらいます」
ロッシュとガネルが口々に言った。
「わかりました、よろしく。たぶんモンスターは、海竜の一種だと思います。だとしたらすごくすばやさが高いはず」
「砲弾よりも、モリをぶちこんでやるか?ロープつけて?」
「船がひきずられますよ」
「カデル旦那がついてるんだ、アルスさん、だいじょうぶだって」
「ではお願いします。舳先のどっちかを空けてください。そこから斬りこみます」
水夫たちが総出で荷物の移動をやってくれた。その大騒ぎの中に、マリベルがたっていた。
「マリベル」
「何よ、その顔」
「いや、その」
ふん、とマリベルは言った。
「あんたがもし来なかったら、あたしだけでも協力しようと思ってたのよ。でも、 あんたが来たのなら、濡れるような仕事は全部アルスだからね」
それはまさにマリベルの言いそうなことで、アルスは笑った。
「うん。ぼくがやるから、いつものように回復頼むよ」
マリベルは肩をすくめた。
「回復するほど時間があるかしら?」
「メタルキングだって1ターンはもつよ」
「逆にいえば1ターンの勝負ね。どうするつもり?」
「出会い頭に最大の力で攻撃する。それしかないと思う」
「一撃必殺?あんた、武器は?」
あ、と思ってアルスは口をぽかんと開けた。
「今からガネルさんに借りてこようか」
「ばかねぇ」
マリベルはそう言うと後ろに回していた手を出した。その手には、華麗な刀身の刀が握られていた。
「水竜の剣……どうして」
「こんなこともあろうかと思ったの。今度の航海じゃかよわいマリベルちゃんが一緒なのに、武器なしってどういうことよ」
「う」
「それから、これも持っていきなさい」
マリベルが差し出したのは緑色の宝石のついたアミュレットだった。
「風の……?」
「そうよ。鈍足のアルスでも、少しは早く動けるわ」
 すばやさの高いモンスターが相手である。武器はあるが防具はまったくない。一撃でしとめることができなければ、こちらが瞬殺されるおそれがあった。すばやさは、この戦いで最大のポイントだった。
「ありがとう」
「いい?しとめ損なったらキャプテンがなんと言おうと、あたしが承知しないからね」
「う、うん」
急いで装備しているときに、カデルの声が響き渡った。
「発見、散開!」
コスタールの船が海面に大きな輪を描くように広がっていった。
「船の下に、それぞれ網を張ってるって、ボロンゴが言ってたわ。あいつが本気で逃げる気ならたぶん破っていくだろうけど、それでも少しは時間が稼げるはずよ」
「わかった」
舷側にいた若い砲撃隊員が叫んだ。
「親方ーっ、キャプテーンっ、何かいますっ」
 身を乗り出すようにして指差す。そこは一見、何もないように見えた。 次の瞬間、波が大きく盛り上がり、その下から青黒いものがのぞいた。それは見る見るうちに海上へつき上がり、伸び上がり、柱のように聳え立った。
「海へび、いや、首です!」
マール・デ・ドラゴーンのミズンマスト・トゲンスルをのぞきこむようなかっこうで、海竜は長い首をかしげた。小さな目が悪意をこめてぎらりと光った。
「撃てぃっ」
ロッシュが叫んだ。数条の銛がロープをひいて襲い掛かった。が、首長竜はいきなり水しぶきをあげてもぐった。波が壁のように盛り上がり、船は大きく上下動した。
「クソっ」
カデルと水夫たちが必死に安定を保つ。シャークアイは舷側をつかんで微動だにしなかった。水の民の長は、神経を張り詰めているようだった。いる、とつぶやいた。
「あいつだ、アルス、できるか?」
アルスにも、巨大で悪意を放つ存在を感じ取ることができた。足元のはるか下でそれはうねった。船はまた、大きくゆれた。ゆれをやり過ごして、アルスは答えた。
「できます!」
シャークアイはうなずいた。
「各員、配置につけ!次に上がったところを仕留めるぞ!」
「アイ、サー!」
あちこちから威勢のいい返答が返ってきた。キャプテンの熱意がたちまち船全体を覆う。海賊船マール・デ・ドラゴーン号は、戦闘態勢に入って武者震いをするようだった。
 アルスはキャプテンの方を向いた。
「ボートを下ろさせてください。ここからでは、届かない」
シャークアイは秀麗な眉を軽くひそめた。
「危険だぞ」
「承知の上です」
「よし、許す。オトゥール、ボートを下ろせ」
「は!」
水夫長はボロンゴに命じて、艦載のボートを一艘、波立つ水面へ下ろした。水竜の剣を下げたアルスが、乗りうつったときだった。
「ちょっと待った」
そう言って、ボートへ飛び乗ってきた者がいた。
「父ちゃん!」
「オールよこせ。おれが漕いでやる」
「だって!危ないよ」
「一蓮托生よ。第一、おめえみてぇなひよっこに心配される父ちゃんじゃねえぞ?」
そう言ってボルカノはにやっと笑った。
「わかった。じゃ、オールは頼むね?」
「おお、まかせろ」

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 小さなボートが波を切って勇ましく進んでいく。マリベルはふん、とつぶやいた。
「火がつくまでが長いのよね、あいつは」
言いながら、両手の袖をまくりあげた。
「こんなことまでしてやるなんて、あたしってなんて優しくて、おくゆかしいのかしら?」
隣でボロンゴがへ?とつぶやいた。
「“来たれ、大地の幻魔。天地雷鳴士の資格をもってマリベルが汝を呼ぶ。いでよ、バルバルー”。ちょっと、なにやってんのよ、バイキルトよ、バイキルト!」

 アルスは剣を持ち直した。殺気と悪意がかたまりになって、急激に浮上してくる。ボートを狙っている、とアルスは直感した。
 片足をボートの舳先にかけ、剣を正面に向けて構えアルスは目を閉じた。すさまじい速さで上がってくるそれを、アルスはたしかに捕らえていた。
 後ろの本船から大きな喚声が上がった。海竜の尻尾がいきなり水面へ立ち上がり、ボートをしたたかに打ち据えたのだ。
「おっと!」
ボルカノが練達の腕前でボートを避けさせたのもわかった。
 オーラを高めながらアルスは待った。体が上下に揺れる。自分でもおかしいほど気持ちは落ち着いていた。
「よし!」
アルスは目を見開いた。ほんの数メートル先の海面が、高く盛り上がり始めた。その下であの目が、強烈な悪意を放っていた。
 アルスは飛んだ。
 つま先が舳先を蹴る。
 眼下に一面の海が広がる。
 強い潮の匂い。
 耳たぶで風が鳴る。
「喰らえ……アルテマソード!」