海原の王者 4.二人の父親

「ふざけないでよ」
マリベルはきょろっとあたりを確認した。人々はざわめいていた。会議が終わりジョプトリに報告するために列を作っているのだ。二人の周りはちょうど空白になっていた。
 マリベルは、ささやき声で、それでもはっきりと言った。
「あんた、それでも、シャークアイの息子なの?」
アルスは、びくっとして目を開けた。
「なんで……」
「あんたとキャプテンがマール・デ・ドラゴーンで二人きりで話をしてたとき、陰で聞いてたのよ」
アルスはまた、真っ赤になった。
「あれは、あの人は、ただ……」
「バカね、誰が見たって、親子じゃないの。気づいてないの?あのキャプテン、ときどきあんたのことを呼ぶとき、“どの”をつけるのを忘れるのよ。息子だってわかってるんだわ」
 アルスは何か言いかけて、今度は青くなった。マリベルの肩越しを見上げている。マリベルが振り返ると、ボルカノと目が合ってしまった。
 アルスはぱっと立ち上がり、逃げるように階段を駆け下りていった。
「あ~あ、あいつ、逃げちゃった」
ボルカノは、かるく首をふった。
「そういうやつなんですよ」
マリベルは、ボルカノの表情を探った。
「知ってたの?」
「うすうすね。一つ屋根の下に暮らしてるんだ。あいつが子供のころからもっているアザの形が変われば、いやでも気づきます。あれは、マール・デ・ドラゴーン号の帆についた紋章と同じだ」
マリベルは、ふふっと笑った。
「やっぱり、あいつが勝手にまわりに遠慮してただけなのね。おじさん、あたしのこと、女の子にしちゃきつすぎると思ってるんでしょ?」
「いやいや。あいつにはずばっと言ってくれる人が必要だったんです。でもね、何もマリベル嬢さんが憎まれ役になるこたぁないんですよ」
「それ、違うわ、おじさん」
「違いますか?」
「みんながうじうじして言えないような事は、わがまま娘がずばりと言っちゃうの。だからみんな、ふだんあたしがわがまましてても、許してくれるのよ」
マリベルはから元気でいっぱいの胸をはった。
「わがまま娘には、わがまま娘の義ってものがあんのよ!」

 コスタール市の大灯台は、歳月に耐えた立派な建物だった。最上階へ登ると港でマール・デ・ドラゴーン号が航海の準備をしているのが見えた。
 ボルカノはなんと声をかければいいか、言葉を捜しあぐねてためらった。それで、ただ、うずくまっている息子のそばへいって、自分も腰をおろした。
「……」
 あれからアルスはいなくなってしまった。カジノの隅々まで探し、アミット号の中も含めてコスタール中を見てまわったが、アルスはいなかった。それでボルカノは高いところから街を見ようと思いつき、この灯台の最上階へのぼり、そこで、緑色の上着の少年が一人で膝を抱えているのを見つけたのだった。
 潮風が吹く。
 かもめが鳴く。
 天気のいい日だった。
「どうした。父ちゃん、て言ってくれないのか?」
アルスはびくっとしたが、顔を膝へくっつけたままだった。
「なあ、アルス、おまえはおれの息子で、おれはおまえの父ちゃんだ」
「わかってる。だから……」
細い声で言うアルスの背をボルカノはそっとたたいた。
「まあ、聞け。だが、それは、おれたちが同じ人間だって事じゃあねえ。どこまでいっても、別人だ。別の人間なんだから、別の運命を持って生きている。あたりめえのこったろう?」
アルスはそっと顔を上げた。ボルカノは笑った。
「いいんだよ、それで。考えてみろ、父ちゃんも母ちゃんも、いつまでもおまえと一緒にいてやれるわけじゃない。順番で言えば、当然、先にあの世へいくだろうよ」
「父ちゃん、」
と言ってアルスはつまった。
「海の上で、考えたことはないか?人はちっぽけなもんで、死ぬときゃ死ぬし、たった一人だ。悲しいもんだよなあ、人間は」
「うん」
「しょせんひとりぼっちだからこそ、おれはマーレが大事だし、おまえが大事だ」
「それは、ぼくだって、さ」
「ありがとうな」
ボルカノは昔よくやったように、手のひらで息子の頭をぐりぐりとなでた。
「おれはな、おまえがあのでかい船に乗るんなら反対はしねえと決めてたんだ」
「マール・デ・ドラゴーン号のこと?」
「おお。知ってるか?あの一族は、全部が全部、血がつながってるわけじゃねえ。水の民や総領殿の心意気に感じた者が、一族に加わってるんだ。ちょうどキーファ王子とユバールの民みたいにな」
 アルスは、鳴き声に気をとられたかのように、かもめの群れを眺めた。
「おまえたちは、大変な苦労の末に世界を広げたんじゃないか。それをまた、自分の手で狭くするもんじゃない。おれもマーレも、おまえには好きな道を歩かせてやりたいのさ」
ボルカノはへっと笑った。
「第一、一人息子が後を継いでくれません、なんぞとぐちっちゃあ、グランエスタードの王様におれがどやされちまう」
アルスは足を伸ばした。水平線の向こうに大きな雲ができあがってきた。
「キーファは、えらいよね」
 アルスは、腰に下げた巾着にそっと触れた。そこには、文字を彫り付けた古い石版が入っている、とボルカノは知っていた。2度と会えない友人からの手紙である。
「うまくやってるようだったじゃねえか、え?」
「うん」
アルスは、初めて笑った。
「ぼく、行くよ、父ちゃん」
「おお。やるだけやってこい!」
ぐっと拳を握り締め、大きくアルスはうなずいた。いい、顔になっていた。
 ボルカノは少し胸をつかれた。そんな表情のアルスは、キャプテン・シャークアイに実によく似ていたのである。