月と海神の王国 2.テパを探して

 船の上から見張りが降りてきた。
「上陸できそうな場所があります」
ロイが振り向いた。サリューたちは立ち上がった。
 船はオールを出して細かく流れを探りながら岸壁に近寄った。
「あのあたり、岸が低くなっています」
報告に来た水夫が指したあたりは、森の入り口だった。見通しはやはりよくないが人一人通れるくらいの隙間はあった。水夫が数名船縁から板を渡していた。
「ようし!」
ロイは荷物のひもを片手に持って肩へひっかけた。
「探してみましょうか」
アムも杖を手にして続いた。
「ぼくたちのこと、一日待ってみてください」
とサリューが船長に話をつけた。
「一日待って戻らなかったら、船はベラヌールへ帰ってください。ぼくたちもルーラでそっちへ合流します」
「わかりました。お気をつけて」
 一日半分の水と食料を携えて、三人は森に入り込んだ。遠くから吠えるような声がいくつも聞こえてくる。このあたりに生息する大型の猿、ヒババンゴが鳴き交わしているようだった。
 ロイとサリューは剣を抜いて、邪魔になる枝を払いながら進み始めた。
「油断すんな」
「うん」
とサリューは答えた。
「町を襲うような攻撃的なモンスターがいるわけだよね。気をつけよう」
アムがつぶやいた。
「それにしても妙な雰囲気だわ……静かすぎる」
近くを流れる河の水音、猿嘯、鳥啼に囲まれているのに、三人はぴりぴりした緊張感に包まれていた。
 彼らが踏みしめるのは、巨木の樹の根がからみあうぼこぼこした地面だった。根と根の間の土はじっとりと湿り、苔を生じている。靴で体重をかけると苔の下からじわっと水が染み出した。
「凄い湿気ね」
気温はむしろ低めなのだが、いつのまにかわきの下に汗を感じる。
「考えてみればこのへんはすごいよね。すぐ近所にロンダルキアがあるんだ」
サリューは森の彼方にそびえる岩壁を指さした。森の木々がシルエットになって黒く見える隙間から、長々と連なる山脈が見えていた。
「ロンダルキアからの風なのね。そのせいかしら。身体が重いわ」
 禁じられたロンダルキア台地を守る山脈は、天へ届きそうな岩壁だった。その向こうに大神官ハーゴンがいる。アムの視線が険しくなった。
「うっ」
前方でロイがうめき声をあげた。
「どうしたの?」
「見ろ」
パーティがいるのは、川から少し移動した森の中だった。黒々した樹木の枝を落としたとき、樹が少なくて下草だけの空き地のようなところに出くわした。
「ここ、町?」
サリューはあたりを見回した。
「ほら、あそこ、教会だったんだ」
よく知っているシンボルが屋根板ごと地面にめりこんでいる。
 ロイが空き地の真ん中へすたすたと歩き出した。
「間違いねえ!ここが十字路だ。四つ角に建物があったんだ、ほら、土台が残ってる」
石を組んだ土台が森の下生えの中に残っていた。柱をたてるための穴も見て取れた。
「ここが……」
アムもその場所へ行って並んだ。
「ほんとね。これも、あれも、家の名残よ。驚いた。ずいぶん大きな町だわ」
下草に被われていてもよく見るときれいに区画が作られているのがわかった。
「木製のものはほとんど残ってないね」
「焼き討ちがあったって言ってたからな。燃やされたんだろう」
サリューは見当をつけて見回した。町だと思って見ると、低いながら石壁の名残が残っている。一カ所開いているのは町の門だったのだろう。
「あそこが門だとすると、ぼくたちが来たよりちょっと下流に船着き場があったんだね。ここ、町のメインストリートか」
名前も知らないその町には、十年前まで大勢の男女が行き交い、生活していたはずだった。サリューは呆然として滅亡の風景の前に立ち尽くした。
「見て。向こう側にも門があるわ」
とアムが言った。アーチなどは崩れてなくなっているが、門柱は低いながら残っていた。
「どこへ続くんだ」
三人は森の奥をすかして見た。
「わからないわ。また行き止まりかも」
サリューが説得するように言った。
「先へ進んでみようよ。ほかに手がかりもないし」
「そうだな。一つづつつぶしていくしかないんだ」
そう言って広い背に、ロイは食料の入った荷物を担ぎ上げた。
「満月の塔にのぞみがあるんなら、どこまでもくらいついてやるぜ」
 アムが足を止めた。
「たぶん、大丈夫。満月の塔にあたしが望んでいるものがあるなら、ほんとにあるなら、きっと海底の洞窟へ入れるわ」
自分の迷いを振り切るように、きっぱりとアムは言った。

 その名を「月のかけら」という。どのような物でできているのか賢者にもわからなかった。金属でも石でも陶器でもない、何か不思議な超自然的物質である。わかっているのは、海でそれを使うと水位があがり、浅瀬が消えて船が通れるようになる、ということだけ。
 ロンダルキアへ入る手がかりを探して、このところパーティは海に浮かぶとある孤島の、狭い岩礁もどきにぽっかりと口を開けたその洞窟へ潜入を試みていた。だが、入り口は見えているのに、島の周りをぐるりと浅瀬に囲まれていて船をつける場所がなかった。
「こうなりゃ泳いで渡ってやる!」
とロイは息巻いたのだが、牙のような岩が激しい潮流の下からいくつも見えたり隠れたりする岩場を泳いで渡るのは結局不可能、と結論づけるしかなかったのだ。
 その時アムが提案したのが、月のかけらだった。
「私、見たことがあるの、小さいときにね。海の水が少し上がって、浅瀬じゃなくなればいいんだわ。そうしたら、船であの入り口まで入れるはずよ」
アムの記憶だけを手掛かりに、パーティは満月の塔と、そこにあるという月のかけらを求めて探索を続けていた。
 川辺の廃墟のメインストリートからつながる道は今にも消えそうになりながら森の中を続いていた。植物の育ち具合からして、数年前までは街道として機能していたらしいことがうかがえる。パーティは川辺の近くよりよほど楽に街道を進んでいった。
 時々モンスターには出くわした。大型の猿ヒババンゴや、武器を振り回す蛮人くびかり族などは攻撃力が高く、しょっちゅう出てくるとなかなか苦戦するはめになった。
「レベルあげるよりも探索を中心にしていこうよ」
サリューが提案して、パーティはヒババンゴの鳴き声が聞こえたときは道を迂回したりして先へ進んだ。
「こう体が重くなかったら、もっといけるんだけどな」
ロイは不満そうだった。
「ロイも体調悪い?」
「病気とかじゃねえ」
とロイは言った。
「どうもこう、げんなりするんだ。何もしてねえのに疲れる」
この土地のせいかな、とサリューは思っている。
「妖気を含んだロンダルキアの空気が流れ込んでくるんだ」
パーティは、この水郷を囲むような山脈の内側をなぞるように探検を進めていた。水郷を囲む山脈とロンダルキア山脈に挟まれているので、空が狭いような気がする。
「しっ、サリュー、あそこ……」
アムが杖で指した方には大木があった。ただの樹ではなく、なかほどに顔があり、柔らかな地面から根を引っこ抜き、のっそりと歩いていた。人面樹だった。その後ろを水鳥の雛のように赤黒い物がたくさん付いていく。群を呼ぶモンスター、ブラッドハンドだった。
「(やりすごそうよ)」
「(ちくしょう……)」
悔しそうなロイを抑えてパーティは彼らが通り過ぎるのを待った。
 しばらく歩くと、あたりのようすが変わってきた。湿度は下がり、地面が固くなった。道そのものも上り坂になり、明らかに山の上へと向かっていた。生えている樹の種類も変化している。根も幹も太い巨木が減り、山地特有の樹木群になっていた。
 その木々の枝の間に、サリューはふと、何か光ったような気がした。
 ロイが言い掛けた。
「だいぶ遅くなったな。そろそろ引き返さないと、水が尽きるぞ。残念だが」
「待って!」
とサリューは叫んだ。
「見て、あそこ!下の方に灯りがついたよ。人がいるんだ!」
「えっ、どこだ?」
サリューは指さした。
「ほら、樹の枝越しに水面が見えるでしょ?あれ、貯水池かな?その向こうすれすれに光ってるよ」
あっとアムが言った。
「もうひとつついたわ」
 午後の遅い時間だった。人家では灯をともして、これから夕餉だろうか。
「やったな!ここ突っ切って行かれないか?あ~ちょっときつそうだな」
サリューは黄ばんだ地図を取り出した。
「古い地図だけど、地形は変わってないね。ここからもうちょっと東へ行って、南へ下って回り込めばいいみたい」
アムが地図をのぞきこんだ。
「まあ、テパだわ」
「知ってるの?」
「この水郷にあったはずの町の一つよ。まだ残ってたのね。よかった。行ってみましょうよ!」

 深い森、険しい山に守られて、小さいが澄んで美しい湖があった。夕陽を映してきらきらする水面をかいま見ながらパーティは人が住んでいるらしいところへ向かっていた。
 河口に近いあたりのいかにも水郷と言った入り組んだ小川はこのあたりにはなかったが、三人の前になり後になり一筋の川が山脈の方から流れ来ていた。その細い流れに導かれるように三人は歩き続けた。
 すでに黒々と見える森の合間に集落の灯りが見えてきた。あの川は生活用水なのか、集落の中をつっきっているらしい。川のせせらぎは近づくにつれて大きくなっていった。
 森の上の方に教会のシンボルが見えた。集落の入り口に立っているらしい。
「とりあえず、まだここは襲われてないみたいだね」
とサリューは言った。
「町って話だったが、小さくねえか?」
とロイは言った。
「宿屋があるといいんだがなあ」
「なかったら、誰かにお願いしてみようよ」
勇者の一行だからと言って常に優遇されるとは限らないが、手持ちの食料を渡せば屋根の下で眠れるくらいのことは期待できる、と三人は考えていた。
 ロイが肩にかけた荷物をずらし、ひもをほどいて中を確かめた。
「チーズに干し肉か。う~ん」
「ぼくは乾パンと干しぶどうもってるよ。あと、胡桃」
二人の脇をすっとアムが通り抜け、先に立った。
「いじましいこと言ってないで、とにかく行ってみましょう!」
杖を振り振り、勢いよく歩いていく。従兄弟二人はあわてて荷物をしまった。
 教会は村の入り口に立っていた。他の町によくいる警備の兵士は、いなかった。教会の向こうに橋があり、向こう岸に家がいくつも見える。最初に思ったより大きいよねとサリューは思った。
「アム、待ってよー」
アムは教会をすぎてもう橋の半ばにさしかかっていた。足を止め、あたりを見回していた。ロイとサリューがやっと橋の前まで来た時だった。
「旅の人かね?」
橋の向こうで村人が気づいて声をかけてきた。
「ええ、私たち……」
アムが言い掛けたとき、村人が顔色を変えた。
「おい、あんたたち!!」
その後を言わずに村人は背後に向かって声をかけた。
「みんな、来てくれ!」
なんだ、なんだ、と村人たちがぞろぞろやってきた。アムの姿を見て、何事か口々に言葉を交わし始めた。
 後から来た大柄な男がこちらをにらんだ。
「あんたたち、どこから入ったんだ!?」
サリューたちはアムのそばにかたまった。
「夕ご飯時にごめんなさい。ぼくたち、あっちからこの村を見つけてきました」
とサリューは言った。
 村人たちの険しい表情は変わらない。
「おれたちは旅をしてるんだが、あ~、食い物が尽きそうなんだ。人が住んでるみたいなんでふらっと来ちまった」
 緊張感のない、ざっくばらんな口調はロイの持ち味だった。これまでの町ではこんな挨拶で警戒心を解いてくれる人も大勢いた。
「見てよ、あれ」
村人の中に、若くはないがなかなか色っぽい女がいた。何を見つけたのかその年増はそうつぶやいた。村人たちの視線が次第に厳しくなるのがわかった。
「あれは、まさか……」
「どうする?」
「まずいぞ」
ロイがささやいた。
「あいつら、なんか警戒してんぞ。何見てんだ?」
「ごめん、わかんないや」
サリューはそう言わざるを得なかった。実際彼らは何を見ているのだろう。自分たちの顔をあらかじめ知っていた、というのでない限り、彼らの目に意味のあるものと映りそうなのは、三人が衣服にそれぞれ身につけているロトの紋章以外にないのだが。
「でも、この人たち、ただのヒトだし」
ハーゴンが大神官をつとめる邪教の信徒なのだろうか。
 アムが進み出た。
「この中にモハメという人はいて?」
たそがれ時の薄闇の中でも、アムはとてもきれいで、王女様の貫禄があった。
「ムーンブルグの者ですわ、私は」
アムはそう告げた。村人たちはざわめき、それからなぜか肩の力が抜けたようだった。
 やけに地名を強調したね、とサリューは思った。こんなに離れているのに、ムーンブルグとこのテパと言う集落は関係があるのだろうか。
「ドン・モハメがこのあたりにいると思って来ました。他意はありません」
年増女がこちらのパーティに視線を走らせた。
「ムーンブルグのお嬢さん、あなたは……いいとして、その、ほかの方々は?」
アムは言いよどんだようだった。ちらっとサリューたちを見て、渋々認めた。
「ローレシアとサマルトリアから。訳あって一緒に旅をしています」
ざわざわと村人たちは言葉を交わし始めた。
「ねえ、アム」
サリューが言い掛けると、しっとアムがつぶやいた。
 橋の向こうの群衆の中から、一人の男が前に出てきた。
「わしがドン・モハメだ」
印象的な男だった。痩身、鷲鼻で、髪はもう白くなっている。あごのまわりに白い髭をたくわえていた。年寄りと呼ぶにしては堂々として、背筋も伸びている。こちらへ向ける瞳は鋭く、ゆだんなく身構えていた。
「おうかがいしたいことがあって来ました。月のかけらがどこにあるかご存じでしょう?」
とアムは言った。
 群衆はしんと静まりかえった。先ほどの緊張感がよみがえった。
「知らんでもない。だが、それを知ってどうする……どうなさるおつもりかな?」
ドン・モハメの視線はアムに集中していた。
「子細あって私たちはある洞窟に入りたいのです。月のかけらを使えば、海の」
「待った!!」
いきなり大音声をあげてドン・モハメが遮った。
「待った、待ってくだされ」
おいおい、とロイがつぶやいた。
「なあ、もう日が暮れるぞ。とにかく俺たちを村に入れてくれないか?顔をつきあわせてじっくり談判しようじゃねえか」
またざわめきが起こった。
「残念だが、この村には宿屋がないのでな」
ドン・モハメが言った。
「寝泊まりするところに贅沢は言わねえつもりだが」
「とにかく、困るのだ。贅沢しないというのなら野宿してもらおう」
「えっ、そんな」
思わずサリューが言い掛けた。
「わかりました」
いきなり横からアムが言った。ドン・モハメも村の人々もあきらかにほっとした顔になった。
「申し訳ござらぬ」
そうつぶやくドン・モハメに、アムはさっと視線を投げた。
「あ、お話ししてる」
そんなに親しくないはずの二人が、目と目で会話をしている。それはサリューの直感だった。
 やれやれ、とロイはうなった。
「明日もう一回寄せてもらうぜ」
「橋からこちらに入っては困る」
「何もしねえよ」
そのとき、橋の脇の教会の扉が開いた。ひと目で神父とわかる人が出てきた。
「旅の方々、教会でも雨風しのぐくらいはできます。おいでになりませんか」
「へえ?いいのか?」
神父はちらっとドン・モハメたちを見た。ドン・モハメはうなずいた。
「さ、どうぞ」
「助かりますわ」
アムはさっさと教会へ入っていった。
「やれやれ、余所者嫌いの村も多いが、ここは別格だな」
ロイがそうつぶやいて後に続いた。
「おーい、サマ、何やってんだ?」
「あ、今行くよ」
変だ。この村、変だ。変すぎる。そして、一番おかしいのが、アムだなんて!