月と海神の王国 5.使いッパシリ

 満月の塔から船は川をさかのぼり、テパの村のすぐ近くに接岸した。大型船の帆柱が見えたのか、パーティが船を降りると川岸にテパの村人を率いたドン・モハメが迎えに出ていた。
「月のかけらは?」
アムは白い手のひらをドン・モハメの前に掲げた。中指にリングをひっかけ、そのリングから不思議なものが下がっていた。
 銀の枠で囲った紫色の円盤だった。円の中央下方に金色の三日月が描かれている。金属の光沢とも陶器の艶ともちがう、不思議な質感の品だった。
「おお!」
ドン・モハメが叫び、背後の村人がざわめいた。
「そ、それを」
ドン・モハメが目を輝かせてのばしてきた指の先で、アムは白魚の指をさっと閉じ、円盤を隠してしまった。
「これを実際に取ってきたのは私たちよ?先に使わせていただきます。いいわね?」
続いてわき上がった非難の声を、アムは平然とやり過ごした。
「何か文句があって?」
片手に月のかけらを握り、もう片方の手を腰に当て、アムはテパの村人を眺め回した。
 ふとサリューは気づいた。群衆の中にイリヤの姿はあったが、ジーナがいなかった。彼女がいればまたにらみあいになったことだろう。
 ジーナほどはっきり噛みついてくる住人はいなかったが、人々は焦りや困惑の顔でアムを見つめている。
「おかあさん……」
ナンナの娘が、母の手を握り、じっと顔を見上げていた。
「仮にも勇者だ、ちゃんと持って帰ってくる。信じてくれ」
と、ロイが言った。
 こほん、とドン・モハメが咳払いをした。
「月のかけらを使えば、浅瀬が消えまするな」
じろ、とアムは彼をにらみつけた。
「ええ、その通り」
ドン・モハメは一言づつはっきり発音した。
「おいでになりますか、海底の洞窟へ」
アムはちらっとサリューの方を見た。
「ドン・モハメ、ぼくたち、海底の洞窟って名前までお話ししてましたっけ?よくご存じですね」
そうサリューがそう言うと、お若い方、とドン・モハメはつぶやき、慎重に話し始めた。
「たいていの年寄りは無駄な知識を貯めておるものです。海底の洞窟は、大地の底の炎に炙られる過酷なダンジョン。ご存じですか」
「知りませんでした」
とサリューは答えた。
「海の中にあるのに、暑いの?」
「トンネルの中を溶けた岩が流れる恐ろしいところです。きちんと備えをしておかねば、一歩ごとに命を削られますぞ」
ロイが肩をすくめた。
「ご忠告どうも。とりあえず行ってくるわ。じゃ」
ロイがきびすを返そうとしたときだった。
「待って」
とサリューが言った。
「溶岩の流れる邪悪な洞窟のことは聞いたことがあるよ。ドン・モハメ、どんな備えが必要ななんですか?」
「水の羽衣。特にHPの低い御婦人には必須でしょうな」
テパの人々のようすが変わった。じっと黙ってドン・モハメに注目していた。
「……でもそれ、すごく高価なものですよね」
ロイもうなずいた。
「大金持った仲介役が教会でそんなことを言ってたぞ」
「いかにもさよう。だが、条件を呑んでいただけるなら、水の羽衣をプレゼントいたしましょうぞ」
「条件?」
「水の羽衣ができあがるまで、テパに月のかけらを預けていただきたい」
 サリューは思わずアムの顔をうかがった。アムは右手の人差し指を曲げ、その関節をかじりたいかのように口元にあてて考え込んでいた。
「でも、水の羽衣を作るのをそちらがわざと遅らせたら、私たちはずっとお預けになるわね?」
ドン・モハメが胸を張った。
「このドン・モハメ、決めた納期を破ったことはない!」
村人たちがざわめきだした。
「ムーンブルグのお嬢さん、水郷の織物職人をバカにしないでくださいね」
とナンナは言った。
「モハメの親方は、風の羽衣を十日で織って仕立て上げたのよ」
「風の……」
言い掛けてサリューは気が付いた。背中に負った荷物をおろし、袋の中に手を入れて薄くて繊細な生地をつかみだした。
「もしかして、これ?」
サリューが両手で広げた風のマントを見て、テパの人々が声を上げた。
「まさしく、それだ!」
ドン・モハメが叫んだ。
「十数年前にわしの工房で作り上げて風の塔へ納めたのだ。なぜあんたが持っている?」
「必要があって持ち出しました」
ぴしゃりとアムが言った。腰に手を当て、アムは言外に“何か文句がある?”と言っていた。ふとドン・モハメが目をそらせた。
 あ、まただ、とサリューは思った。また二人でお話してる。
 アムとはけっこう長い付き合いをしてきた。そうとう高飛車な言い方をするときもあるが、アムは王女の位をかさにきて自分だけに特別な扱いをするよう他人に要求したことはなかった。
 つまり、とサリューは考えた。風のマントはたぶんムーンブルグ王家が所有するもので、ドン・モハメやテパの人たちもアムもそのことを了解しているわけだ。
「いいわ、ドン・モハメ、月のかけらを預けましょう。水の羽衣を作ってくださるわね」
「お任せあれ」
アムがこちらを見た。
「風のマントを作ったのなら、この人の腕は確かだわ」
ロイがうなずいた。
「ただでいい防具が手に入るチャンスだもんな」
サリューは黙っていた。アムはまた、ドン・モハメの味方をして、月のかけらと水の羽衣の契約をすすめようとしているのが見て取れた。
 アムは中指からリングを抜き、月のかけらを差し出した。
「納期を決めましょうか。十日と言ったわね?」
ドン・モハメはアムの手からいそいそと月のかけらを取った。
「さよう。わしと、ここにいる織り子でかかれば、織り始めてから羽衣の完成まで十日でよろしい」
「わかりました。今日から十日後に受け取りにきます」
 ドン・モハメの顔に、勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。
「いやいや。それはなりません」
「どういうこと?」
「まず、材料がなければ織り始めることができませんのでな。水の羽衣になれる材料は、雨露の糸だけ。このあたりですぐ手に入るものではない」
一瞬、アムが顔色を変えた。ものすごい自制心で言い返すのを抑えたようだとサリューは思った。
てめえっ、とかわりにロイが小さくののしった。
「あんた、けっこうなタヌキだな」
ドン・モハメを睨みつけてアムが聞いた。
「私たちが代理で仕入れてきます。どこで手に入るの?」
「遠くアレフガルドの王都、ラダトームでならもしかしたら入手可能かもしれませんな」
そのあとをロイは言わせなかった。
「すぐ帰ってくる!サマ!」
「わかってるっ」
アムが走り寄ってくる。従兄姉たちの手を両手でつかんで、サリューは腹立ち紛れに荒っぽく魔法を使った。
「ルーラッ!」

 ラダトーム王家の紋章を入れた制服の兵士たちが、町の門を守っていた。街路には石畳を敷き詰め、その上を市民が忙しげに歩き回っていた。ひと目で視界におさめきれないほどの人数である。建ち並ぶ店に出たり入ったりして、商いも盛んだった。
「久しぶりに見るとすげえな」
「ラダトームは大都市だよねえ」
このところ密林と化した水郷を歩き回っていたために、あらためてラダトームの繁栄にパーティは目を見張るような気がしていた。
「いやだわ」
苦笑混じりにアムがつぶやいた。
「こんなに人が多いとどぎまぎする。人酔いするなんて、なんて田舎者かしら、あたし」
「初めてリリザへたどりついたとき、俺もそんな感じだったな」
言っては悪いが、テパは田舎なのだ。もともとテアマト水郷のはずれにある町であり、今は避難民を収容しているのだから。
「とにかく早く帰ろうよ」
そうだな、とロイはうなずいた。
「雨露の糸ってのは、どこで売ってるんだ?」
「ぼく、聞いてくるね」
サリューは身軽に飛び出した。
 何度か聞き回って、サリューたちはとある店の情報を得た。珍しいものなら、そこに行けばたぶん、ある、という。
 教えられたのは人通りの多いメインストリートをそれて、なんとなくあやしげな雰囲気の一郭だった。
「あ、金の扉だ」
その店があるはずの路地には、金の鍵の扉がもうけられていた。鍵を開けて中へはいると、ひやりとした薄暗い通路になっていた。
 少し進むと鋳鉄の看板が軒からさがっているのが見えた。巣を張った蜘蛛の図柄で、その腹のあたりに「まだら屋」とあった。看板の下にイーゼルが出ていて、そこに大きな石版が載っていた。チョークで、「ドラゴンの目玉、入荷しました」とか、「エビルエスカルゴ、高価買い取りいたします」とか、「干し首各種お取り扱い」とか、妙な文言が書き込まれていた。
「この手の雰囲気、俺は苦手だ」
「じゃ、僕が開ける」
サリューは、古びた木の扉についた銅の取っ手を握って、そっと開いた。
どこかでチャイムが鳴った。
「いらっしゃいませ」
腰の曲がった魔女がでてくるかと思えば、店にいたのはくりくりした目の小柄な娘だった。
「旅の方ですか?何をお求めでしょう」
「あの、雨露の糸は置いてますか?」
あっさりと店番の娘は言った。
「ございますよ。色と番号は」
「番号?」
三人は顔を見合わせた。
「太い方から十番、九番と下って参ります」
王子たちは途方に暮れ、従姉の顔をうかがった。
 こほんとアムはせきばらいをした。
「水の羽衣を作りたいのだけど」
店番の娘は陳列棚の方へ歩きかけて振り向いた。
「お客様、テパからお見えですか?」
「ええ。ドン・モハメの使いで来たわ」
ま、と店番の娘はつぶやき、あわてたようすで帳場へ引き返して分厚い帳簿を持ち出した。指をなめてばさばさとページをめくっていく。
「水の羽衣なら、一番か二番、どうしたって三番より上ってことはないわ。あら、どうしよう」
しばらく帳簿と棚の間を見比べていたが、店番の娘はついにあきらめた。
「申し訳ありません、お求めの糸はこのところ入荷がございません」
「まじか!俺たち、どうしても欲しいんだが」
 あのお、とサリューは困り切っている娘に話しかけた。
「聞いてもいいですか?雨露の糸って、何?」
え?という顔で娘はサリューの方を見た。
「糸は、糸です。なんでも雨雲の中に棲んでいる小さなドラゴンの一種が吐くんだそうですわ。それが風に乗ってふわふわ漂ってくるのを、業者が集めて糸に紡ぎ上げるそうで」
アムが顔をしかめた。
「なんか、その、そんなのが吐くの?唾みたい。ちょっと気持ちが悪いわ」
店番の娘はほがらかに笑い飛ばした。
「お客様、それを言ったら絹なんて、蚕の吐く糸でしょう。雨露の糸は綺麗なものですわ。しかもたいへん丈夫なんですよ」
「そういえば、そうかしら」
店番の娘は、帳簿の最後のページを開いた。
「最後の入荷は数年前のことですけど、ルプガナの業者が持ち込んできましたわね。確か、今の季節だと、雨露の糸はドラゴンの角の北の塔にひっかかっていることがあるそうですよ」
ロイがためいきをついた。
「また遠回りか」
「しょうがないじゃない。ありがとう。行ってみるね」

 ラダトームからルプガナへ渡って一泊、翌日弁当持参でドラゴンの角へ雨露の糸採集に行ったため、「すぐに戻る」と啖呵を切ったにもかかわらず、テパへ戻ったのは二日後の夕暮れになっていた。
「だって~、ルプガナからテパまでルーラできないんだもん」
いやんなっちゃうよ、とサリューはつぶやいた。 
「これでも早くなったんだがな」
パーティはそれでも以前のように山脈を回り込んでいるのではなく、船で川をさかのぼってテパのすぐ近くの岸へ船をつけようとしていた。
「けどさあ、相変わらずモンスター出るし」
しゅっと音を立ててアムが杖をしごいた。
「噂をすれば陰よ」
川の上でモンスターに襲われるのはよくあることだった。
「団体さんだ」
しびれくらげがわらわらと寄ってくる。川岸から浅瀬をじゃぶじゃぶと人面樹が渡ってくる。その後ろからくびかり族がひとり、ひょいと顔を出した。
「こりゃ、陸海おそろいで。仲いいな」
ロイが肩先の鞘口から一息で剣を抜き出した。
 アムはたぶんバギを使うから、しびれくらげは一掃できる。くびかり族はロイが相手をしてくれるだろう。それなら僕は人面樹のHPを削っておけばいい。三人の段取りを考えてサリューは自分の敵をすぐに決めた。
「お先にっ!」
シャッシャッと音を立ててはやぶさの剣を振るった。人面樹の顔にきれいなX字型の傷がついた。サリューの横を竜巻がうなりをあげて通り過ぎる。巻き込まれたしびれクラゲがへらへら笑った顔のまま吹っ飛んだ。
 勝った、そう思った瞬間、切迫した声でアムが叫んだ。
「ロイ、何をやってるの!?」
ぐるっと首を回して、サリューはひっと声を上げた。
 くびかり族がロイに迫っていた。ふりあげた斧が、まっすぐロイに落ち掛かっている。ロイは、ただ突っ立ったままだった。
 サリューのターンは終わっている。アムもサリューも何もできない。最後の瞬間、やっとロイが盾をかかげて防御の体勢を取った。ほとんどダメージを与えられずにくびかり族は引き下がった。
「何ぼやっとしてるの!」
「え、あ、いや」
ロイは、珍しく口ごもった。
「来るよ!」
魔法を使うことも退却することも知らないくびかり族は、ぴょんと跳ねるとまた斧をふりあげておそってきた。サリューははやぶさの剣で受け、手首を返して突き放し、斜め下から切り上げた。アムが杖をかざして火球を撃った。くびかり族のまとう旅人の服がぼっと燃えた。
「あ、人面樹……」
さきほどダメージを与えておいた敵を思い出して、サリューはきょろきょろした。人面樹は仰向けに倒れ、水面へ落下していくところだった。剣を振り切ったロイが、ふっと息を吐いた。
「悪かったな、サマ」
「あ、ううん」
傷を負ったくびかり族は逃げてしまっていた。
「なんでモンスターを攻撃しなかったの?」
ロイはこちらを見ないようにして剣を鞘に納めた。
「段取り間違えた。それだけだ」
ちがう。それはサリューの直感だった。ロイはモンスターを攻撃しなかったんじゃない。ロイは、くびかり族を攻撃しなかったんだ。
 もう一度サリューが聞こうとする前に、アムが小言を言った。
「もうっ、しっかりしてよねっ」
妙に素直にロイが答えた。
「そうだな。気をつける。あ、テパだぞ」
船は岸に向けて近寄っていた。
 ヘンだ。すっごく、ヘンだ。サリューはゴーグルをとって、片手で髪をかきまわした。故郷のサマルトリアを出国して以来、最悪の悪寒にサリューは襲われていた。
「こないだからアムがへんなのに、今度はロイまでおかしくなったなんて!」