シャドウアタック 1.主人公、ぷにぷににつき

 ディングドング、ディングドング、と少し濁った音をたてて鐘楼の鐘が鳴った。わずかな間をおいてこだまが帰ってきた。
 この教会は谷間にある。年老いたシスターが一人で切り盛りする、こぢんまりとした祈りの場だった。それでも聖堂は灯明を供えて飾りも整えているが、それ以外の部屋は質素なものだった。腰羽目板をまわした白壁の小さな部屋で、壁際に本棚、その前にテーブルとイス、隅にベッドが置いてある。アーチ型の窓には緑と紫の幾何学模様のステンドグラスがはまっていた。
 ベッドサイドの椅子の上でカミュは足を組みなおした。ベッドで眠っているのは相棒だった。
 かすかな寝息をたてて彼は眠っていた。シスターが好意で貸してくれた部屋の簡素なベッドの上で、わき腹を下にしてやや体を丸めるような体勢で、何の心配もなさそうな顔で横たわっていた。
 カミュは、その寝顔を眺めながら、深甚な疑問に捕らわれていた。
「こいつ、本当に勇者か?」
 本人の口から、彼は十六歳だと聞いた。故郷の村ではれっきとした成人なのだとも聞かされた。
 嘘つけ、とカミュは思う。ぷにぷにのぽてぽてのつやつやのサラサラじゃねえか。
 つまり、赤子の顔になっている。乳を呑んで腹いっぱいになり、満足そうにげっぷをして目を閉じた赤ん坊のような極上の表情で彼は寝ていた。楽しい夢を見ているのか、顔つきがゆるみ、ほほが薔薇色になっている。唇が動き、少し口元がほころんだ。枕に横顔をこすりつけ、むにゃむにゃと何かつぶやいた。絹糸のような前髪が額に落ちかかった。
 もともときめ細かい白い肌と人形めいてととのった顔立ちのせいで美少女に見えかねない。いや、絶対初見の彼より、ほほが丸みをまして幼く見える。そして眠っているせいか唇がふっくらして薄紅色だった。ますますカミュは、よだれをくっつけたまま眠る赤ん坊を連想した。
 彼の名は、イレブン。
 地の底に降り立った勇者。
 がく、とカミュはあごを落とした。
「おまえ、ほんっとうに勇者なんだろうな?」
待て待て、とカミュは自分に言い聞かせた。そもそもイレブンがデルカダール城地下牢へ投獄されたのは、イレブンが勇者だと名乗り、デルカダール王がそれを信じたからにほかならない。イレブンが勇者であることは、いわば王国お墨付きの事実だった。
 それに初めて会った時は、確かにイレブンはぷにぷにではなかったのだ。木の椅子に背を預け、カミュは脱獄の顛末を思い起こした。

 デルカダール城地下水道の通路際に積み上げた木箱は、放置されて長いのか、カビの臭いがした。木箱の陰で二人の脱獄囚はじっと息を殺した。耳を澄ませると、流れていく地下水の音、石畳の上を巡回する兵士の靴音、天井から落ちる水滴などが意識に入ってくる。壁掛け松明は間隔を開けて配置されているだけだったので、全体に薄暗く、灯下以外は暗がりが広がっていた。
 カミュは低い声で、イレブンの手の中の松明を指してささやいた。
「見つかるとやっかいだ。松明を消してオレについてこい」
黄色みがかった松明の灯りの下にイレブンの顔が見えていた。唇を固く結び、じっとこちらを見据えて、というよりもにらみつけていた。
「きみが信用できない」
とイレブンは言った。
「あ?」
「どうしてつれて逃げてくれるんだ?」
こいつ、ピリピリしてるなとカミュは思った。無理もない、誰も信用できないという心境なのだろう。デルカダール王に会って、勇者と名乗って、そしていきなり投獄されたのだから。
「……ぼくを、裏切るつもりなんじゃないのか」
あのな、とカミュは言った。
「盗賊仲間なんて裏切るのが当たり前だ。オレは、事情があっておまえに利用価値があるから同行する。自分の命が危うくなったら見捨てるから心配するな」
イレブンは驚きに目を見開いた。疑心暗鬼だったくせに、なんだかむっとしたような顔をしていた。
「けど、脱獄の間は俺の言うことを聞け。理由は、お前がどしろうとのお坊ちゃんだからだ」
イレブンは反論できないようで、ただ歯を食いしばった。
「まあオレの元の相棒よりはお前はマシだよ。あいつは忍び歩きが壊滅的に下手だったからな。お前はよくやってる」
デクは気配を殺さなくてはならない場面で必ず悪目立ちするという悪癖を持っていた。
 無言でイレブンは松明を消した。灯火がなくなると足もとさえおぼつかない暗さだった。
 カミュは耳を澄ませた。兵士の靴音、右からひとつ、角の向こうからひとつ。壁に沿ってカミュは動いた。壁のくぼみへ身を落とし込み、兵士どうしが出会って異常なしと互いに報告するのを待った。安心してすきのできた兵士の真後ろを通って通路を横断し、そこに放置された樽の背後に隠れた。
 イレブンは懸命についてきた。うっかり樽を蹴って兵士の注意を引いたりたりしない。デクのように緊張で動けないということもないようだった。
「少し待ってくれ。きみは早すぎる」
それでも樽の後ろへ追いついたイレブンが言った。
「兵士の死角を選んで動くだけだぞ」
「どこが死角かなんてわからない」
「そりゃあ、その」
目の前の人間の殺気や警戒心を把握するのはカミュの本能だった。
「兵士どもの顔見ると、なんか、光ってるっぽいとこがあるだろ?それがピカッとしたら動かない。消えたらすぐに動いて隠れればいい」
「光なんて、見えない。どうしてそんなことができる?」
「知らねえ。昔ッからできた」
後に心眼一閃を体得したときも、カミュ自身は自分の心眼の働きを言葉ではうまく説明できなかった。
「わかんなけりゃ、いい。とにかくついてこい。ここから出たいだろ?」
返事を待たずにカミュは前方を指した。
「あの橋を渡るぞ」
低くつぶやいた。
「先に行ってようすを見てくれ」
「ぼくが?」
「オレは後ろを見てる。気になるんだよ、さっきの兵士が。行け」
ぎら、とイレブンの眼が光った。
「ぼくに命令するな!」
「おい、オレたちはお散歩してるわけじゃない。脱獄中は」
「好きで脱獄なんてしてるわけじゃない!こんなことならイシから出なけりゃよかった」
手で声を抑えろと合図してカミュはささやいた。
「おまえ勇者なんだろ?」
イレブンの苛立ちはおさまらないようだった。
「昨日の夜、初めて知ったんだぞ、自分が勇者だってことを!いきなり称号だけついても、どうしようもないじゃないかっ。どうしろっていうんだ、ぼくに!」
 いきなり明るい光が襲ってきた。
「いたぞ!」
声を聴かれたらしい。くそっとカミュはつぶやいた。相手は二人。重装兵ではなく一般兵で装備はたいしたことないし、強くもない。カミュは短剣を抜いた。
「切り抜ける。さっきの剣を使え」
そうささやいて手前にいた兵士に向かってカミュは飛び出した。思った通り、兵士はひるんだ。
 カミュの視界の隅で血しぶきがあがった。イレブンが剣でもう一人の兵士の胸を切り下げていた。
 壁掛け松明の灯りが怯え切った若い兵士の顔と、それほど年齢差のないイレブンの顔を照らし出していた。一瞬、カミュはその顔に見惚れた。敵をしとめた戦士の残酷な満足感がそこにあった。なんでこいつは、ここまでうれしそうなんだ。
 盗賊としてアンダーグラウンドですごした数年間に、カミュはいろいろな人間と知り合った。敵を狩ったときにこんな顔になる者も大勢いた。そういう種類の人間には同じ特徴があった。控えめに言って「戦闘狂」。
 イレブンは倒れた敵には目もくれず、カミュの前にいた兵士にためらいなく刃を向けた。ひいっと悲鳴があがった。カミュは腰を沈め、生き残りの兵士の足を払った。もともと体勢を崩していた兵士は地下水路へ背中から落っこちた。
 イレブンは水路を流されていく兵士を眺めていたが、舌打ちをひとつして剣を納めた。
「行こう」
カミュは肩をすくめて歩き出した。
 不機嫌で傲慢で戦闘狂。デクは別として、アンダーグラウンドならそんなやつはあたりまえだった。カミュの考えでは、仁義に厚く性格円満温厚なんてやつのほうが、腹に一物ありそうで怖いと思う。
――第一、そんなやつだったらいざというとき裏切りにくいじゃないか。
つまりカミュにとっては、今のイレブンはごく付き合いやすい相手だった。
 二人は通路の先の橋にさしかかった。橋の向こうからデルカダール兵の一団が松明を掲げて走ってきた。通路を戻ろうとしたとき、さきほど離れて行った兵士たちがこちらへ来るのが見えた。すでに抜刀していた。
「ちっ……。しつこいヤツらだ……」
両端から武装した兵士たちが迫ってくる。二人はじりじりと中央に寄せられていた。
 普通の見回りの時にこの橋を渡るのは、一度にせいぜい二人。今は重武装した兵士の一団プラス脱獄囚二人の体重がこの古い石橋にかかっている。おそらく古くなっていたのだろう。橋を形作る切り石が重みに耐えかねてたわみ、たわんだところから抜け始めた。
「おいおい、マジか……」
橋の異変に気付いてカミュはつぶやいた。気付いていない兵士が重い金属製のブーツで一歩前に出ようとして、石橋を踏み抜いた。がらっと音がして切り石がひとつぬけた。
 抜け落ちたそれは、要石だったのだろう。あっという間に橋の崩落がおこった。橋の中央にいた脱獄囚二人はもとより、寄せてきた兵士たちも巻き込まれた。石でできた空洞に落石の音が響き渡る。悲鳴と水音が続いた。
「うわあああああああーっっ!!」
世界は暗黒の中に沈んでいった。

 カミュが目を覚ましたのは、暗い湿った岩場だった。排水とカビ、そして何か生臭い匂いがした。橋が落ちて地下水路でこんなところまで流されてしまったらしい。
 いっしょに落ちた兵士たちは鎧の重さでおぼれたのか、だれもいなかった。が、気が付くとイレブンがそばに倒れていた。
「無事か?」
肩をゆすって起こすと、彼は眼をあけた。
「おかげで兵士たちを振りきれたな」
イレブンはゆっくり身を起こした。それほどダメージは負っていない。まだ逃げられそうだった。
「この先から出られるかもしれねえ。先へ進もうぜ」
 二人は歩き出した。二人は用心しながら曲がりくねったトンネル状の道を進んだ。道は広間のようなところへ二人を導いた。広間の中はトンネルよりさらに闇が深かった。地底の広間の真ん中に大きな岩の塊があるようだった。目を凝らすと、ごつごつした何かがぞろりと移動したのが見えた。岩にそっくりで固そうなそれは、いきなり眼を開いた。
 本能がカミュの足を縛った。そのわきをイレブンが通ろうとするのを、腕を前に出して止めた。
「待て……。何かいるぞ」
二人は身構え、岩の塊を見上げた。
「何かって、岩の上か?」
「じゃねえよ、お前の言う岩が」
 赤い目がぎろりとにらむ。岩の塊にはありえない皮革質の翼がはばたき、尖った背びれがうごめいた。ごつごつした黒っぽい頭部がのけぞった。長大な首が天の高みへ伸び上がり、白牙の列をむき出しに大きく顎を開いて威嚇した。初めて間近に見るドラゴンの偉容に、イレブンは立ちすくんだ。
 尾のひとふりでドラゴンはあたりを薙ぎ払った。岩壁が崩れ土ぼこりがあがる。その煙幕の陰から大きな口を突き出し、ドラゴンはイレブンを狙った。
 イレブンは意を決したように剣を抜いた。カミュはその腕をつかんだ。
「まともに戦って勝てる相手じゃない!さっさと逃げるぞ!」
放せ!とイレブンがわめいた。
「あいつは殺す!」
眼が真剣だった。
「ふざけるな、ブラックドラゴンだぞ!」
「やらなきゃ、やられる!」
見開いた目、紅潮した顔面の、狂熱に浮かされたような顔だった。カミュの手を振り払い、イレブンは剣を構えてブラックドラゴンに対峙した。唇がめくれあがり、歯がむき出しになった。
「バカやろ……」
レベル、装備、攻撃力、守備力、どれをもってブラックドラゴンに拮抗できるというのか。戦闘狂だけが持ちうる尖った殺意を携えてイレブンはドラゴンへ向かって突っ込んだ。彼の身長で届く範囲はドラゴンの前足どまりだが、剣の先端は岩のような皮膚にわずかな傷をつけた。ドラゴンが喉を鳴らした。
「ガ……」
カミュの眼には絶望的な予測が見えていた。至近距離で一撃をくらい、イレブンが戦闘不能となって岩床に転がる姿だった。
 ブラックドラゴンは前足の爪をむきだした。が、それをイレブンの上にたたきつける直前、ふいに前足をひっこめ、身をかがめ、ようすをうかがった。
 カミュは呆然とした。ブラックドラゴンがようすを見る?ついぞ見たことのない光景だった。ドラゴンよりはるかに小さなイレブンは、デルカダール兵と戦い、水路に落ち、ほとんど回復していない。だが自分に数倍する巨体を気迫だけで威圧していた。
 夢を見ているのか、とカミュは思った。古の勇者は伝説の剣を掲げ、愛する姫のためにたった一人で竜と戦ったのです……。
「グワォ!」
カミュの白昼夢は敗れた。1ターンはようすを見たブラックドラゴンが、ついに攻撃に転じた。イレブンはその場へくずれた。とどめとばかりにドラゴンは、大きく伸びあがって牙を剥いた。
 その大振りがなかったら間に合ったかどうか。カミュは飛び出した。イレブンの体をドラゴンの目の前でかっさらった。シャキン、と激しい音を立てて牙と牙がむなしく打ち鳴らされた。
 意識のない体を肩に担ぎ上げ、カミュは走り出した。
「チッ!しつこいやつだ!」
命がけの追いかけっこは延々と続いた。洞窟に住む他の生物、昆虫のほかにスライムやももんじゃなどがドラゴンに気付いて一目散に走りだす。同じ方向へ人間二人。カミュはようやく岩の隙間を見つけて飛び込んだ。スライムや人間なら通れるが、竜の巨体にはとうていぬけられない隙間だった。
 傍らにイレブンを下し、カミュは岩壁に背を張り付けて息を殺した。ドラゴンが鼻先を突き出して来た。眼を細め、獲物の臭いを探っているようだった。しばらくすると頭がひっこんだ。どすん、どすんという音が遠ざかっていった。
「……行ったか。ふう。あぶねえ、あぶねえ。なんとか振りきったな」
足もとでイレブンが身じろぎした。
 意識が戻ったらしい。だが、ドラゴンとむちゃくちゃな接近戦を試みて顔も手も傷だらけになっている。
「見捨てて逃げるんじゃなかったのか」
眼の下の傷を手の甲でぬぐってイレブンがそうつぶやいた。
 めんどくせぇ奴だ、とカミュは思ったが、竜の気配を探りながらぶっきらぼうに答えた。
「オレの問題だ。気にするな」
しばらく沈黙があった。ぼそっとイレブンがつぶやいた。
「ありがとう」
思わずカミュは振り向いた。傷ついたイレブンは岩壁に背をつけ、膝を抱えて座り、うつむいていた。下を向いた顔の頬のあたりが薄紅色に染まっていた。
 傲慢で不機嫌で血に飢えたバケモンのくせにお前、なんてこと言いやがる。そう思っているのがまるわかりらしく、イレブンはとげとげしくたずねた。
「ぼくの顔に何かついているのか?」
いや、とつぶやいてカミュは咳払いをした。
「しかしなんだってあんな魔物が城の地下なんかに……。とにかく先を急ごうぜ」
ほとんど照れ隠しだったが、イレブンがようやく立ち上がった。
 二人は知らなかった。このブラックドラゴンが、とりわけ執念深い性質であることを。