シャドウアタック 4.さびれた村

 ナプガーナ密林は、デルカダール地方とは気候も植物もまるで違っていた。巨木が並び、月も星も光は届かない。時々、誰が造ったのか彫刻のある大きな石の柱が傾いたまま残っていたりしている。柱からも木の枝からもツタが垂れ下がり、動物やモンスターがその下を徘徊していた。
 カミュたちは夜通し歩くつもりでいたのだが、少し高くなったところに出たとき、不思議なものを見つけた。雨風にさらされて白くなり、緑の苔をまといつかせた女神像だった。その足もとに焚き火を焚いた跡があった。
「おっ、キャンプか……ちょうどいい。今日はここで休んでいこうぜ」
すでに真夜中だった。密林のあちこちで虫の鳴き声がしていた。大きめの石で囲んだ炉の中に二人は火を熾した。木片が燃えるのを眺めながら、二人はたき火のそばに置いた樽の上に座って簡単な食事をとった。
 デルカダールの下町で絡まれたのはその日の宵の口だった。少々強引なやり方でその場は切り抜け、カミュたちは市街富裕層地区にあるデクの店へたどりついた。
 デクは、カミュを見るなり、抱きついてきた。
「アニキー!カミュのアニキ!お化けじゃない!本物のアニキだー!無事でよかった。ずっと心配してたんだよー!」
そのあとに続く説明でデクがレッドオーブを横取りしたのではないと納得して、カミュは心中ほっとした。
「それにしてもデクの野郎がいっちょまえに店なんぞ開いているとはな」
焚き火の前に座っていると、商人の道に進んだ元相棒を素直に祝福できる。確かに盗賊よりはデクに向いていると思った。
「しかも町の一等地にヨメさん付きだぜ?あれでオレと盗賊やってたなんてな。お宝もとめて世界中駆けまわってたのがなんだかなつかしく思えてくるぜ」
くすくすとイレブンは笑った。
「きみは“アニキ”だったんだね。どう見てもデクさんのほうが大きいけど」
カミュは、横目でイレブンのようすをうかがった。下町での凄惨な立ち回りの後、しばらくしてイレブンは元のひよこ坊やに戻っていた。
「うるせえな、男の値打ちは背丈じゃねえよ」
 ぴよぴよヒヨコ、と呼んでいた方を仮に『ベビー』と呼ぶことにしよう、とカミュは決めた。寝顔なんかもろに赤ん坊だから。
 そしてあの狂犬、傲慢でとげとげしく、戦い始めると返り血に酔ったように暴れまくる方を『サイコ』と名付ける。
 『ベビー』と『サイコ』は、いったいいつ切り替わるのか。密林を歩きながら、カミュはずっとそのことを考えていた。
「なあ、下町で戦ったときのことだが」
「うん?ああ。よく助かったよね、ぼくたち」
下層地区の人口をごっそり減らしておいて、どの口が言うか。
「何人くらいやった、勇者様?」
イレブンベビーは小首をかしげた。
「覚えてないよ。無我夢中だった」
夢中、か。夢中には違いないだろうと思う。あのときイレブンサイコは口角が吊り上がり、凄いような笑顔になっていた。白いほほに飛び散った血痕は、サイコが片手で拭い、手の甲から滴る血はみずからの舌で嘗めとっていた。
 デルカダール城下町へ続く通路を守る兵士は、乱闘があっても動かなかった。その場の配置は番兵一名のみ、そもそも一般兵は下層地区の住民の喧嘩には関心がなく、基本立ち入ったりしない。だがその夜、乱闘の後に静まり返った下町の、死屍累々の街の中を血みどろの二人連れがひたひたと歩いて来るのを見て兵士は震えあがったようだった。友軍兵士を呼ぶための声をあげることすら忘れて硬直していた。
「お、おまえら、な、なっ」
槍を抱えてがたがたしながら、ようやく兵士はそう言った。
 カミュは、イレブンサイコが片手剣をだらりと下げたまま兵士を見下すのを呆れながら眺めていた。
「ぼくを知らないのか?悪魔の子だよ」
兵士は泣きそうな顔でその場にへたりこんだ。
 イレブンは目を見開いたまま一言、“失せろ”と吐き捨てた。兵士は悲鳴を上げて走り去った。
「あいつが正気に戻ったらグレイグ将軍にチクるだろう。急ぐぞ」
二人は通路の闇の中を歩き出した。そして城下町へたどりついたときは、剣は鞘におさまり、険しかったイレブンの表情はすっかりぽやぽやしていた。
 ベビーは密林の緑の天蓋を見上げた。
「身の危険だと思ったのは覚えてる。デルカダールはいろんな人がいて、おのぼりさんには危ないんだよ、って村の人が言ってた。その通りだった」
カミュは考え込んだ。なるほど“危険”がポイントかもしれない。自分の身が危ないとなると、ベビーの皮をかなぐり捨ててサイコに戻るのかも。
 ベビーは自分の手を見た。
「あの人たちにも家族があるはずだよね」
「下手な同情はやめとけ。剣を持った時から覚悟していたはずだ」
「そうなんだけどね」
ベビーは両手を握り合わせ、その上に顎を乗せた。
「ぼくはたぶん、今日のことをかあさ……母には言えないと思う。幼馴染にもね」
「言う必要ねえな」
「もちろん言わない。でも、なんか、気持ちがさ」
イレブンは頭を振った。
「ごめん。こんなことカミュに言ったってどうなるわけでもないのにね。自分で解決するよ」
カミュの頭の中で、言葉がぐるぐる回っていた。忘れんなよ、お前は勇者だ。ありとあらゆるモンスターがお前を殺しに来る。人間ですら、デルカダール王国は現にお前の命を狙っている。そんなんじゃお前、長くは生きられないぞ……。
「なあイレブン、お前にいいものをやるよ。今までいろんなお宝を手に入れてきたオレとデク、とっておきの逸品だ」
 説教をあきらめて、カミュはそう提案した。
「その名も不思議な鍛冶台!こいつの上に素材をのせてふしぎなハンマーでトンカンたたけば……なんとビックリ!金属の剣はもちろんのこと木のブーメランになんと布の服まで!材質を問わずあらゆる装備が作れちまうんだ。すげえだろ!」
焚き火の前から立ち上がって、不思議な鍛冶台へイレブンを連れてきた。陶器のような金属のような不思議な大釜の横に台がついている。奇妙な模様が全体に描かれ、魔力のオーラを放っていた。
 しげしげとイレブンは不思議な鍛冶台を眺めていた。
「これ、どうやって使うの?」
「ふしぎな鍛冶をするには作りたい装備の素材と専用のレシピブックが必要なんだ」
どうやら、うまく気持ちをそらせたらしい。カミュは簡単なレシピブックと素材を渡した。イレブンはさっそく眼を通した。
「青銅の剣と聖なるナイフだって。やってみていいかな」
そう言ってイレブンは不思議な鍛冶台の前に座り込んだ。しばらくトンカンと音がしていた。おそらく青銅の剣を作っているのだろう。今日イレブンが使っていたのは地下牢獄の兵士から取り上げた一般兵支給品の片手剣のはずだった。今はおそらく、刃こぼれを起こしてぼろぼろになっているだろう。人の骨はけっこう固いのだから。
 自分の短剣の手入れをしていると、イレブンが焚き火の前に戻って来た。
「……おう、はじめての鍛冶、おつかれさん。どうだ、うまくできたか?」
うん、と言ってイレブンが見せたのは、聖なるナイフ+2だった。だが、イレブンの武器は片手剣か大剣のはず。
「おまえ、装備は」
そう言いかけると早口でイレブンが遮った。
「カミュが使って」
焚き火の明かりがどこか幼い顔に照り映え、眼がきらきら輝いて見える。まるで小さな子が母親につんできた花を渡すように、誇りと恥ずかしさで彼は赤くなっていた。
「自分のもちゃんと造ったから、これは、カミュに」
 カミュはゆっくり手を出し、イレブンの手の上から聖なるナイフを受け取った。刃を明かりにかざし、じっと眺めた。
「いいな、これ」
ぱっとイレブンの顔が輝いた。
「ほんと?」
「ああ。よく斬れそうだ。ありがとうな」
嬉しくて物も言えないでいるらしい。もし彼が子犬だったら、尻尾をちぎれそうなほど振り回していただろう。満足感に満ちたイレブン『ベビー』の赤子のような笑顔がまぶしかった。と同時に、自分でもわけのわからない感覚にカミュは襲われていた。
 グローブを外し、指でイレブンの髪をつまみ、それでも撫でるのがてれくさくてクシャっと髪をかき回した。
「……さてと、いろんなことがあってさすがに疲れちまったよ。今日はそろそろ休むことにしようぜ」
焚き火をけして暗がりに横たわり、星明りの下で自分の左手を眺めてカミュは考えた。妹の頭を撫でてやったのは、いったいどのくらい前のことだったろうか、と。

 輝く根の巻き付いた大きな樹の前にイレブンは立ち尽くしていた。樹の下に、六歳ぐらいの赤いスカーフの女の子と青い服の男の子、そして子犬がいた。
 男の子はベージュのインナーの上に、肩と裾に白い三角の模様がある青緑のチュニックを着ていた。細いオレンジ色のベルトを巻いているが、長すぎてベルトがあまり、かた結びにしていた。
 少年と少女と子犬の周りだけ、不思議な光に満ちている。その中から男の子だけがイレブンに向かって走ってきた。
 サラサラした髪がふっくらしたほほにかかり、無邪気な笑顔をたたえている。
 カミュは立ち止まった。その子供は、カミュが『イレブンベビー』と呼ぶ存在に酷似していた。
「お兄ちゃん!さっきはお礼を言いそびれちゃったけどエマのスカーフ、取ってくれてありがと!またこの村に遊びにきてね!」
男の子は笑顔を見せるとぱっとふりむいて木の根元へ駆け戻っていく。二人と一匹のいる光景はふわりと光に満ちて、そして静かに消えた。
 イレブンはただ黙って立っていた。左手の甲に紋章が光る。その光輝が次第に薄れていった。
「なにボーっとしてんだ?大丈夫か?」
ようやくカミュは声をかけることができた。
「今そこに」
と言いかけてイレブンは絶句した。そして初めてイシの村の情景に気付いたかのように、目を見開いた。
 家はすべて廃墟となっていた。黒こげの梁は、まだくすぶって煙をあげていた。石垣と扉だけを残して燃えやすいものはすべて焼かれたらしい。道の上には廃材が散乱し、きれいに立っていた柵は乱れ倒されていた。イレブンの生まれ故郷はほとんど無人の廃村となっていた。夕闇の濃くなってきた空にいく筋も煙が立ち上っていった。
 ナプガーナ密林から渓谷地帯へ抜け、イシの村へ入った瞬間、二人はこの惨状に出くわした。イレブンはふらふらと歩き出して何も言わずに姿を消した。驚いたカミュはあちこち廃墟の村を探し回り、あの木を見つめて立っているイレブンをようやく探し出したところだった。
「まったくひでえことをしやがる!勇者を育てた村というだけでこの仕打ちかっ!?」
イレブンはまだ、口を開くことさえできないようすだった。
「お前を捕まえた後デルカダールの兵士たちがやってきて焼きはらったんだろうな……」
イレブンは何一つ反応しない。
「そういやお前がポーっとしてる時、お前のアザと木に巻きついた根が光ってたが、また前みたいになんか見えたのか?」
「……昔のイシの村」
抑揚のない声でイレブンがつぶやいた。
「みんな幸せで、明るくて……。どうしてぼくは、デルカダールなんかへ行ったんだ。ずっとイシにいればよかった。ぼくのせいで、村は……」
 目の焦点が合っていない。その顔は涙で汚れていた。
「お前」
声をかけようとしてカミュはためらった。
 イレブンが、二人いた。
 一人は呆然として現実に対応できていないイレブン、もう一人はそのそばにいる半透明の影。
――影の方が、『ベビー』だ。
ベビーは泣きじゃくっていた。本体がゆらゆらしながらも立っているのに比べて、ベビーは座り込み天を仰ぎ、カミュの耳には聞こえない無音の慟哭を放って泣いていた。両手を握りしめ、何度も激しく地をたたき、失ったものの大きさと理不尽さを訴えていた。
 カミュは踵を返した。
 自分がかけてやれる言葉など、何一つなかった。イレブンは肉親はじめ、もっとも近しい、大事な人々をすべて失ったのだ。それはカミュも知っている痛みだった。
 村の中を川が流れていた。カミュはその傍に石を集めて炉を作った。廃墟になった家の資材を掘り起こして使えば楽だったのだが、主を失った家々をそっとしておいてやりたくてわざわざ石を拾い集めた。
 道具はキャンプ用のものがすべてそろっている。日没はゆっくり進行していた。やがて薄く星の現れた空の下、鍋からうっすらと水蒸気があがり始めた。
 食事の用意ができたところで、カミュは相棒を迎えに行った。イレブンは(二人とも)あの木のところにいて、根元にうずくまっていた。
 先にベビーが気付いて顔を上げ、カミュの方を見た。カミュだと気づくと縋りつくような目になった。まだ少しすすり泣いていた。
「来な」
意地を張るかと思ったが、イレブンは身じろぎした。ゆっくりとだが、自力で立ち上がった。
「こっちだ」
無言でイレブンがついてきた。
 川辺にキャンプの用意ができているのを見て、イレブンは少し驚いた顔になった。たき火のまわりに置いた丸太の上に座ったが、そのまま手で顔を覆ってしまった。
 すぐそばにベビーがいた。同じように腰かけていた。やはり落ち込んでいるようだったが、カミュが鍋から椀へ料理をよそうのをじっと眺めていた。無口で無表情なイレブンの感情をベビーは代弁しているらしい。こいつはたぶん、空腹のはず。
「食欲ないかもしれないが、何か食っとけ。体のためだ」
カミュの差し出す椀を、イレブンはのろのろと受け取り、匙で機械的に食べ物を口に運んだ。
 向かいの木箱に座って、カミュもいっしょに食事をしていた。すでに満天の星が夜空を覆っている。茜色の夕焼けが予言した通り、穏やかで風のない夜になっていた。
「何も聞かないのか」
掠れた声でイレブンが言った。
「お前が言うことがあるなら聞く。ただし、明日だ。今夜は寝ろよ」
イレブンは空になった椀をじっと見つめていた。
「きみは、ひどいな」
ぽつりとイレブンは言った。
「悲しくて悔しくて、デルカダールを国ごと滅ぼしてやりたくなったのに、温かいものをお腹にいれて眠ったら、もうできないじゃないか」
ちらっとイレブンはベビーを見た。ベビーは本体によりかかり、眠そうに眼をこすっていた。
「はあ?好きなだけ恨んでくれ。ついでに明日と明後日の食事当番はおまえだからな」
いつも寝るときに使う厚地の毛布をカミュは取り出して頭からイレブンに乱暴に被せた。
「さっさと寝ろ」
手で毛布をつかんで、イレブンは頭を振った。前髪が左右に振り分けられた。彼は立ち上がった。
「来て。ぼくの家は、そこだ。焼け残ってる」
カミュはあわてて体をひねり、背後を見た。どうやら、イレブンの自宅の前でキャンプしようとしていたようだった。
 火の始末をして毛布を抱え、カミュたちは廃屋へ入り込んだ。ひとつだけ焼け残ったベッドが月明かりを浴びていた。
「少し狭いけど……」
「オレは床で寝るよ」
ベビーはカミュの方を見た。驚いたことに、影の存在のままカミュの服のひじのあたりをつかんで引っ張ろうとした。
――添い寝しろ、だと?
イレブンの本体はためらいがちにベッドへ上がった。
「あ、気が変わった。隣に入れてくれ」
イレブンは無言だった。だが、壁際の方へ体を少しだけずらせてくれた。空いた隙間にカミュはむりやりもぐりこんだ。
「……お休み」
こちらに背を向けたイレブンの肩が震えていた。声を殺して泣いているのだとわかった。
 泣いているなんて知られたくないだろうなと思った。が、縋りつくような目でベビーが見ていたのを思い出した。
――今晩だけだぞ。
手を伸ばして震えている肩をそっとたたいた。びくんと肩先がはねた。
 子供をねかしつけるように規則的にたたいていると、次第にすすり泣きは弱くなっていった。

 天井のなくなった廃屋に、太陽の光が射しこんだ。お互いに何も言わずに起きて旅立ちの支度を整えた。やはり黙ったまま廃屋を出て、あの輝く木の根を巻き付けた木のところへ歩いて行った。
 イレブンは無言でその木を見つめた。
「もう、お前の紋章は反応しないのか」
こく、とイレブンはうなずいた。
「昨日、気が付いたらぼくは、十年前のイシにいた」
まだ少しかすれた声でイレブンは話し始めた。
「母さんや、村の人や、エマや、死んだはずのじい……祖父が、いた」
イレブンは空を仰いだ。
「そもそもぼくがデルカダールへ行ったのは、母を通して祖父がそう言ったからだったんだ。勇者と名乗り、王様に緑の石のペンダントを見せに行けって」
「お前のじいさんは事情を知ってたはずだな。本人は何か言ってたか?」
「祖父はつつみかくさず教えるって言ってたよ」
そうだ、とイレブンはつぶやいた。
「イシの大滝の三角岩の前を、掘れって」
カミュは大きな木に巻き付いた大樹の根を見上げた。
「お前にはきっとこの根を通じて過去を見るチカラがそなわっているんだな。それじゃじいさんの言葉を信じてイシの大滝とやらに行ってみるか。イシの大滝は村を出て東に向かった所なんだな?」
「そうだよ」
と言いながら、イレブンはまだ木を見上げていた。
 カミュの目には、本体の後ろで、まったく同じポーズで木を見上げているベビーが見えた。
「……まだ、“悲しくて悔しい”のか。デルカダールを滅ぼしたいくらいに」
イレブンはカミュに視線を向けた。
「暴れたいなら、暴れりゃいい」
それがイレブンサイコの本領だろう、とカミュは思った。
「うん、本当はね。でも、祖父が人を恨むなって言ってたから」
本体の後ろでベビーは力なく首を振った。そしてまるで本体の背に張り付くようにして姿を消した。
「つらいのはわかるが……ここにいても何も始まらない。行くぞ、イレブン!」
そう言って先に立った。ようやくイレブンは動き始めた。