シャドウアタック 3.おかえり

 カミュの唇のはしがひくひくした。おお勇者よ、かわいいとは何事だ。
「ああ、ハクがついたぞ」
そう言ってやると、うれしそうに布をあちこちひっぱっていた。
「それじゃ、デルカダールに戻るぞ」
こくん、とイレブンはうなずいた。
「ありがとう、カミュ。きみに助けられっぱなしだね。村に着いたらお礼をするよ」
なんと言おうか、カミュは迷った。一点曇りなく信頼していると語るイレブンの視線がまぶしいくらいだった。
「礼なんか気にするな。どうやら預言によると、オレはお前を助ける運命にあるらしい」
預言者の言葉を頭から信じているつもりはなかった。だが、カミュの中で奇妙な気持ちが生まれかけていた。足もとでぴよぴよと鳴くヒヨコを両掌で包んで守ってやりたい、と初めて思った。
「改めてよろしく頼むぜ!勇者さま!」
ぱっとイレブンは微笑んだ。素直なんだな、と思った瞬間、カミュは顔がこわばるのを感じた。
 目の前のイレブンのすぐそばに、もう一人イレブンがいた。
――ここにいたのか、狂犬。
声に出さずにそうささやいた。同じ顔、同じ服のイレブンが二人、カミュには見える。一人は幼いような輪郭でニコニコしているいいとこのお坊ちゃん、もう一人はきつい目つきでこちらを見据えている、はるかに剣呑な雰囲気の危険な少年、いや、危険な男だった。デルカダール城の地下を駆け抜けたもう一人の脱獄囚にまちがいなかった。
「どうしたの、カミュ?」
あ、いや、と口の中でカミュはつぶやいた。
「あのさ、あっちの樹にレッドベリーがなってるんだけど、出発の前に取りに行っていい?」
「迷子になるなよ」
「うん」
ひよこ坊やが歩き出すと、狂犬はじろりとカミュに視線をくれ、その後について動き出した。数歩進んだところでその姿が薄くなり、やがて見えなくなった。
ようやくカミュは理解した。あの戦闘きちがいは、イレブンの影だった。

 遙か上空の夜空を背景にデルカダール城の天守閣がそびえたっている。城は頑丈な外壁に取り巻かれ、その外側に濠を巡らせていた。いつしか濠は枯れ、そのあとには人々がやってきた。
 王城内はもちろん、市街にさえ居場所のない貧しい人々は、その場所に家を建て、いつしか外壁にへばりつくような細長い街を形作った。
 街は狭くてゴミだらけだった。壁沿いにいくつも掘っ立て小屋が並んでいる。小屋の上には外壁を支えにして柱を立て危なっかしい二階、三階建てが造られていた。
 元が濠なので、見上げると濠にかかる石橋の裏側が見える。水面だったあたりの高さに縦横無尽に縄が張り渡され、そこにみすぼらしい洗濯物がいくつもひらひらしていた。
 あらゆるところから腐ったような匂いがする。この場所が濠だったころから、上の町の人々はゴミをここへ投げ捨てる習慣があった。
 生ごみ目当ての野良犬がうろうろしている。犬は地べたに寝転がる酔っ払いでもかまわずに踏んで歩いた。
 その野良犬と残飯を取り合うのは孤児たちだった。彼らは物乞いや置き引き、かっぱらいができるような年齢になるまで、自力で食いぶちを得なくてはならないのだ。
 今夜もいかがわしい女たち、目つきの悪い男たちが酒場に集まって騒がしい。倒れないように上からロープで縛ってあるような天幕では、盗品かもしれない商品を並べた店が堂々と営業していた。
 人の多さに気後れして隅の方で立ち止まり、上を見上げた。夜空は細長く切り取られて見えた。
「口あけっぱなしで上見てるとあぶねえぞ」
ぼそっと相棒が言った。
「犬のくそが落ちてくる」
イレブンはあわててうつむき、顔を隠す布を深く引いた。
 デルカダール下町の通りの中央にはかがり火を置いて明るくしているが、その光は通りの端には届かない。暗がりでは痩せこけた子供たちが欠けた椀を前にしてうずくまっていた。
 そら、とつぶやいてカミュは通りすぎざま、子供の前の椀に小銭を投げてやった。
「景気のいいお兄さん、遊んでかない?」
化粧の濃い女たちが声をかけに来た。カミュはフードを目深にかぶり、用はないぞと手で追い払った。
「上の城下町とは違う雰囲気でおどろいただろ?ならず者たちが暮らす掃きだめ……ここもまたデルカダールのひとつのカオさ」
イレブンは小声で答えた。
「うん、驚いたよ」
イレブンが一番驚いたのは、カミュだった。
 フードを被って特徴のある青髪と容貌を隠し、人混みの中を踊るようにカミュは通り抜けていく。まわりのならず者のなかに見事に溶け込んで、カミュはまったくめだたなくなった。外見がどうというより、少し背を丸めた姿勢やすり足のような音を立てない歩き方が下町の住民特有のものだった。
 彼はアンダーグラウンドの気配を漂わせていた。サッシュにはさんだ短剣の柄をこれ見よがしにつかんで油断なく警戒しているのに、どこか肩の力が抜けた感じがする。
 教会で目覚めた後、カミュはずっと一緒にいてくれて、ずっと優しかった、とイレブンは思った。だが、今のカミュは初めて見たときのカミュ、地下牢獄に捕らわれていたのにいとも簡単に兵士を倒して牢を抜けたあの謎の男の顔をしていた。
 あのとき、右手に鍵束、左手に剣を下げてつかつかと彼はやってきた。剣を左肩に担ぎ上げ底光りのする眼でつぶやいた。
「オレの前に勇者が現れるとはな……」
あれはつい数日前のことなのに、まるで大昔のような気がする。カミュは水を得た魚のようにデルカダール下層という名の地下世界を自然に、気ままに、泳ぎ回っていた。
「きみを見ているやつらがいる」
 イレブンは、一歩前を行く相棒にそうささやいた。先ほどからある種の住人達、明らかに堅気とは違う雰囲気の男たちがこちらを見て、イレブンと目が合うと眼をそらし暗がりへ引っ込むということが何度かあった。
 くくっとカミュは笑い声をたてた。 
「オレもこの町じゃけっこうな顔だったからな。その分、オレを獲物にしようとするような身の程知らずはいないさ。みんな命は惜しい」
声を潜めるでもなくカミュはそう言って、目付きの悪い男たちがたむろしている店の前を通りすぎた。一人がこちらを横目でにらみ、ぺっと唾を地面へ吐き捨てた。
「あいつらが見てるのは、お前だ、イレブン」
とカミュが言った。イレブンはうなずいた。
「浮いてるんだろうな、ぼく」
自分が田舎者だという自覚はある。前を歩くカミュが振り向いて肩越しにささやいた。
「お前、姿勢が良すぎるんだよ。布きれくらいじゃお育ちは隠せねえか。ま、しかたない。けど、ケバい姉ちゃんに誘われてもついていくなよ?」
くすんだ緑のフードの下で目が笑っていた。
 イレブンは少しむっとした。
「子供扱いしないでよ」
「わかった、わかった。じゃ、本題にはいるぞ」
歩きながらカミュが話し始めた。
「……1年前オレは相棒のデクと協力し古代からデルカダール王国に伝わる秘宝レッドオーブを盗み出した。まぁ下手を打って捕まりはしたがあらかじめオーブは後から回収できるよう安全な場所に隠しておいたのさ」
カミュは人差し指で前方を指した。
「まっすぐ進んだ先に城下町のゴミを集めたでっかいゴミ捨て場がある。その奥を掘り返してオーブを埋めたんだ」
確かに外壁に沿って、雪崩が起きたかのように大量のゴミが積み上げられている場所がみえた。イレブンたちのいるところまで異臭が漂ってきた。
「ヤツら自分たちが出したゴミの中に自分たちのお宝が隠されてるなんて夢にも思ってないだろうぜ。さあさっさと回収しに行こう。ゴミ捨て場はこの奥だ」
鼻をつく悪臭が道案内となり、ゴミ捨て場はすぐにわかった。口をしばったゴミ袋、廃材や壊れた樽、馬車の車輪などが乱雑に積み上げられたようなところだった。
 驚いたことに、そのゴミの山の上に人がけっこうたくさんいた。手に麻袋を持ち、ゴミの山を漁っている。少しでも売れそうなものをより分けているらしかった。
「どけどけ、おまえら!」
カミュはそう言ってゴミ漁りたちを追い払った。けっこうな顔だ、と言ったのはうそではなかったらしく、ゴミ拾いたちはしぶしぶ山を下りて遠ざかった。老婆、浮浪児、明らかな病人など、そのゴミの山が生活の手段なのだろう。
「かわいそうかも」
「すぐ戻ってくるさ、オレたちが行ったあとで。すぐにオーブを回収するからお前は邪魔が入らないよう見張っててくれ」
カミュは思い切りよくゴミの山の下へもぐりこんだ。
「間違いない……。たしか……この辺りに……」
しばらくの間、カミュは無言で探していた。
「……無い」
カミュが立ち上がった。表情が険しい。眉が逆立ち、歯ぎしりしかねないようすだった。
「バカな!なんで無いんだ!?この場所を知っているのはオレとあとはアイツくらいしか……」
カミュは言葉を切ってうつむき、こぶしを握って口元へあてた。それはカミュが何か考えるときのくせだとイレブンはもう知っていた。
「まさか……デクの野郎……オーブを持ち逃げしやがったのか!?」
ふりむいて掌にこぶしをたたきつけた。
「くそっ……デクの野郎!見つけ出してしめあげてやる!お前にもアイツを探すのを手伝ってもらうぜ。デクの足取りを追うんだ!」
有無を言わせないという口ぶりだった。
「この先にオレたちが昔ねぐらにしていた下宿がある。2階建ての建物だからすぐにわかるはずだ。まずはそこへ行くぞ」
と言ったカミュが、眉をひそめた。
 イレブンたちを遠巻きにして、ゴミ漁りたちが集まっている。彼らがこわごわと観察しているのは、さきほど通りの端の暗がりからイレブンたちを眺めていた男たちだった。
 先頭に二人、その後ろに三人、横から一人、後ろから三人。きょろきょろすまいと思いながらも、イレブンは迫ってくる人数を数えた。
「これはみなさん、おそろいで」
小馬鹿にした口調でカミュは先頭の男に話しかけた。
「オレらに何か用か?」
 先頭の男は頭の禿げあがった大男だった。武器屋の主人のように胸の中央で太いバンドを交差させている。おかげで腕、頸、胸などの隆々とした筋肉がよくわかった。
「小遣い稼ぎさ」
大男はにやにやしていた。その隣の、やや背は低いが汚い頭巾を被った目のギラギラした男がつぶやいた。
「賞金首をほっとく手はねえ」
へえ?とつぶやいてカミュは一度目を閉じ、また開いた。親指で自分の胸を指した。
「このカミュ様の首を狙って十人、いや、上の方にも二人」
両手を広げてカミュは呆れたようにため息をついた。
「たったこれだけか?なめられたもんじゃねえか」
カミュの靴のつま先とかかとが、カツカツ、トントンと音を立てた。まるで戦うのをわくわくと待ちかねているようだった。長い指が短剣の柄を愛しげにまさぐった。
「お前さんだけじゃねえ。あんたの後ろの坊やもおたずねものだろ?」
周りの男たちがにやにや笑いを浮かべている意味がイレブンにはやっとわかった。
 イレブンはカミュの後ろに回り、背中合わせに立って剣の柄に手をかけ、身構えた。だが、この下層地区の危険な暗がりでは、自分がいかにちょろいカモだと思われているかがよくわかった。
 大男が鼻を鳴らした。
「なあ、兄弟、物は相談だが、その坊や、渡してくれねえか。賞金首一つ分の稼ぎになる。そうしたら俺ら、わざわざあんたと切ったはったしなくてすむんだよ」
カミュは薄笑いであしらった。
「こいつを売れって?お断りだ。それから、オレがいつてめえと兄弟になったよ、ああ?」
「それじゃ、しょうがねえ」
と頭巾の男が言った。
「数で押していくか。いざとなったらこの下町の住人全員がお前らを狩りに集まってくるさ」
あはは、と声を上げてカミュは笑った。
「楽しそうだな、おい」
 イレブンは口から心臓が飛び出しそうな思いをしていた。振り向いてカミュの表情をうかがうと、彼は半眼閉じて片方の眉をくいっとあげていた。この状況でどうしてあんな、余裕のありげな顔ができるのか。
「おい、イレブン」
「な、何?」
「おまえ、自分の身は守れるよな」
口の中が渇いてうまく声が出ない。それでも返事をしようと口を開いた。

 カミュの目には、賞金狙いで集まって来た連中が明滅して見えた。やる気のあるヤツ、ないヤツ。腕に自信のあるヤツ、ないヤツ。実際に腕が立つ相手とただの自信過剰。
 すべて見回して、真っ先に葬るのは目のギラついた頭巾の男、と思っていた。あとは蹴散らせる。こっちのダメージもあるだろうが、切り抜けられると踏んでいた。
 ただひとつの不安要素はイレブンだった。丘の教会から下層地区へ上ってくる間に、カミュたちはわざとモンスターにぶつかって何度か戦闘をやってみた。イレブンはあるていど剣を扱いなれていた。とどめを刺すこともできるようになったし、呼吸を合わせて戦うすべもだんだん身についてきた。
 だが向こうが人数を増やしてイレブン一人を包んで捕獲したらカミュには成す術もない。そうなったら一度撤退して再度救出しなくてはならない。
――そんなにめんどくせえなら、売るか?
さきほど大男が提案したように。
 カミュは小さく首を振った。足もとのヒヨコが羽毛をふくらませて首を沈め、ぎゅっと目を閉じて身をふるわせているイメージが頭に浮かんだ。
「おい、イレブン」
「な、何?」
「おまえ、自分の身は守れるよな」
イレブンが防御に徹してくれれば、こっちは好きなだけ暴れまわってやる、とカミュは考えていた。
 イレブンが何か言いかけて口を閉じた。
 ぞくっとカミュの全身が総毛立った。
 真後ろにいるイレブンの気配が変わっていく。
 片手剣の柄を握りなおす、チャキ、という音がした。
 その場に殺気があふれだす。
 背後から冷たい水を浴びせられたような心地がした。
 カミュの顔がこわばったのだろう。目の前の大男がうれしそうにニヤリとした。カミュは、笑い出したくなった。
「よう、相棒。おかえり」
と、前を見たままカミュはそう言った。
「さっそくだが、そっちの五人ばかり、まかせていいか」
背中合わせの戦闘狂にそう声をかけた。
「誰に向かって口をきいている」
低い声で傲然とした反問が返ってきた。
 カミュからは見えなかったが、背後から囲みに来た寄せ手にもイレブンの変貌はわかったようだった。せいぜい驚け、とカミュは思った。ブラックドラゴンをして二の足を踏ませた気迫がその場を圧倒していた。
「こいつらを黙らせればいいんだな?」
ほどほどにしてくれや、とカミュはつぶやき、短剣の柄を逆手に持ち替えた。
「行くぞ!」