ちいさいやちゃのお話 第二話

 閉じたまぶたは細いまつげのふちどりがついて、小さな三日月のようになっていた。ぷっくりと盛り上がったほっぺにその三日月がふたつ、ついている。さんかくおむすびのように両側のふくれた下ぶくれの顔は幼児特有のもの。唇の上側の中央が、ちょっととがっていた。
 信じられないほどなめらかでつやつやした皮膚だった。まだ赤ちゃんだから、とかごめは思った。
 時空間に開いた孔を通って、殺生丸・犬夜叉兄弟がこちらのワールドへ落ちてきてしまってから、すでに数日がたっていた。こちらがわの犬兄弟とまぎらわしい、ということはない。なにせ、むこうからやってきた殺生丸は7歳前後の素直でいかにもお坊ちゃま然とした少年であり、同じく犬夜叉はおにいちゃん(ちび夜叉に言わせると「あにさま」)の大好きな1,2歳の幼児なのだから。
 あっというまにちび夜叉はかごめになついてしまい、こうして楓の小屋でおとなしくお昼寝をしている。ちび夜叉の寝顔はかごめの知っている犬夜叉にそっくりで、だがいかにも幼く、かわいらしくて、かごめは内心おかしくてたまらなかった。
 かごめは井戸から持参したリュックを取り出して板敷きの上に中身を広げた。ちび夜叉にあげようと思って、いろいろと実家で集めてきたのだった。
 まず、でんでん太鼓。定番のおもちゃなので、たぶん大丈夫だろう。それからやわらかいタオル地のぬいぐるみのような大型積み木。色合いが鮮やかなのでちび夜叉の興味を引くだろうと思う。 それからひっぱって歩くとかたかた音がするアヒルのおもちゃと、プラスチック製の簡単なはめこみパズルができる箱。
「あと、これこれ」
多少後ろめたい気がしたのだが、ペットショップで見つけた小型犬用のおもちゃで、ゴムでできた骨もかごめは持ってきた。
 外から珊瑚の声がした。
「かごめちゃん、ちょっと」
「え、なに?」
土間に下りてそっと戸を開けると、珊瑚が立っていた。小さく片眼をつむり、片手拝みにする。
「七宝がすねちゃって」
どうしても赤ん坊のちび夜叉にばかりかまうことになって、最近七宝の機嫌が悪いのだった。
「わかった。荷物出したら、いくね」
 リュックのそばに戻ると、いろいろと使い勝手のいいトイレットペーパーを3、4巻き取り出した。その下から少し大きめの熊のぬいぐるみが出てきた。かごめの母推奨のメロディぬいぐるみである。
「ああ、つぶれちゃった」
毛をさっとなでてからおなかのねじを操作すると、オルゴールのメロディが流れ出した。ぬいぐるみをちび夜叉の枕元に置いてやりかごめは小屋の外に出た。

 しばらく珊瑚と二人がかりで七宝の機嫌をとってから、かごめは小屋へ戻ってきた。
「やちゃ?おっきした?」
明るい戸外から戻ってくると、室内は薄暗くてよく見えない。だが、足元に何かまとわりついた。
「なにこれ」
拾い上げると、白い薄い紙……トイレットペーパーの切れ端だとわかった。
「ちょっと!」
かごめは小屋の中に入り窓をふさぐ板をはねあげて棒で支え、ふりむいた。楓の小屋は、すさまじいことになっていた。
 小屋のまんなかに、赤い衣の上にミイラ男のように全身にペーパーをまきつけたちび夜叉が座り込んでいた。ちび夜叉にとってトイレットペーパーはおもちゃの一種だったらしい。得意そうにはしっこをくわえ、小さなお手手で思いっきりひっぱっている。ちび夜叉の周りにはトイレットペーパーが大量に折り重なっていた。
「かおめ!」
得意そうにちび夜叉は叫び、ペーパーの山の上に両足を踏ん張って立ち上がった。おしりでかわいい尻尾がふりふりと動いていた。
「やちゃ、これ、いったい」
 よく見ると、あの骨のおもちゃが転がっている。すでにたっぷり歯型がついていた。心いくまでがじがじやったらしい。その横にある、色のついたぼろきれはなんだろう?それがあの、タオル地のつみきだ、とわかったとたん、かごめはへたへたと座り込んだ。
 座ったとたんに何かが脚にあたった。かたかたのアヒルさん……だった木片だった。
「おかーさーん」
かごめはひそかにつぶやいた。そういえば、あの熊のオルゴールぬいぐるみはどうなっただろう。視線をめぐらすとどうやら無事だった。かごめは手を伸ばしてぬいぐるみを取ろうとした。指が触れたのか、コロロン、とかわいい音が鳴った。
 そのときだった。ちび夜叉は文字通り飛びついた。かなり大きめのぬいぐるみに飛びかかり、両手両足で押さえつけ、何の罪もないテディベアの頭にがぶりと噛み付いた。
「やちゃ!」
噛み付きながら小さなお手手を振り回す。
 ああ、とかごめは思った。どうやらちび夜叉は、戦っているらしい。敵(ぬいぐるみ)が動かなくなった(オルゴールのぜんまいが切れた)のを見定めて、ちび夜叉はようやく口を放し、ふっと勝利の余裕に満ちた微笑を見せた。
 ぬいぐるみの上にうずくまって、キラキラした目でかごめを見上げている。
「やちゃは、えらいのな?」
どうやらほめてもらえると信じきっているらしい。
 かごめは諦めて手を伸ばし、ちび夜叉を抱き上げた。ちび夜叉は大喜びで甘えている。
「はいはい、えらい、えらい。勘違いで、乱暴で……それであんなふうに育つわけね、あんた」
頭を撫でてやりながら、 でもおバカな子ほどかわいい、かごめは思った。

終わり