ダークネイション物語 1.第一話

 透明な手袋をはめた人間の手が、首の後ろの毛皮をつかんでむいっと持ち上げた。小さなダークネイションは、思わず、みにゃあ、と悲鳴をあげた。
「文句垂れるな。おまえ、合格なんだから」
そう言って人間は、彼をアルミ製の箱の中へ入れた。
「DN-003、合格」
箱の上に顔を突き出すと、同じ人間が、彼の兄弟をつまみあげているのが見えた。
「DN-004、ちょっとだけ、基準に足らないか。おまえ、かわいそうだが、不合格だ。悪く思うなよ」
DN―004、「ダークネイション4号」は、バスケットへ放り込まれた。ガラス玉のような明るい茶色の瞳が、じっと003を見つめる。縦長の虹彩は兄弟共通だった。漆黒の毛皮に包まれた猫のような体格と、肩から生えた触手も同じだった。
 神羅カンパニー科学部門の作り上げた、護衛モンスターシリーズのうち、彼らダークネイションは最新の、またもっとも知能の高いバージョンだった。
 合否判定の後、不合格と決った兄弟たちの入ったバスケットを持って、別の人間が部屋から出て行った。そうやって連れて行かれた兄弟とは、二度と会えないのを003は知っていた。こうしてまた兄弟が減っていく。生まれたときは数が多く、ふたけただった兄弟たちは、半分以下に減っていた。
「今日はあと、何があるの?」
「壁見ろ。予定貼ってあるから」
「こんなにあんの?お昼食べられるかしら」
合格だったダークネイションの幼獣たちは、蓋のない浅い箱の中に入れられている。人間の手が、その箱を持ち上げた。
「すぐにここ片付けてくれ。次はラット出すから」
「まだラットなんか使ってんの?」
「慎重なんでね」
人間はぶつぶつ言いながら、箱を運んでいく。壁際に並んだ大きな棚を見上げて、人間はぼやいた。
「まいったわ、全部ふさがってる」
「しょうがないよ。今日は実験も判定も山ほどあるから。どこか、置けるところへ置いてくれ」
棚の隣のストールがひとつ、空いていた。人間の手がその上に箱を下ろした。
そのとき、箱が揺れた。持っている人間の手が、震えたらしい。
「ねえ、あの、そのすみのは……?」
別の人間が、しっと言った。
「あれは、統括の管轄だから、おれたちはかかわらないんだ」
「でも、やばいんじゃない?」
「キレた統括のほうがもっとやばいよ。それとも面と向かって抗議ができるか?」
「そりゃ、そうだけど」
彼らは壁の予定を見上げた。
「JNV―001の判定はもっと先だ。それまで、その椅子の上でいい」
「わかったわ」
そうして人間たちは、別の実験の準備を始めた。
 ダークネイションは、見た目黒い子猫に似ていたが運動能力はずっと高い。彼、DN―003は箱から身を乗り出してあたりを見回した。
 生まれてからずっと見慣れた風景が広がっている。この実験室とサンプル室が彼ら兄弟の宇宙のすべてだった。
 この宇宙を彼らと共有しているのは、白衣と手袋をつけた人間のほかは、別のサンプルたちだった。ラット、ウサギ、ある種の昆虫、時には大型の生物もいた。
 意志が通じる、とまではいえない。だが、同じサンプルどうし、ダークネイションは相手の感情をあるていど察することができた。
 たとえば、隣の棚の中のケージには、白いラットが数匹入っている。彼らも今日、判定があるのだ、とダークネイションは思った。あのケージの中の何匹と再会できるのだろうか。だが、彼らは崇高なほど安定した精神状態だった。あきらめのまじった視線でこちらを眺めていた。
 体がかくんと揺れた。身を乗り出しすぎて、バランスを崩したらしい。DN―003は床へ落っこちた。ケガをするほどドジではなかった。小さなダークネイションは、すぐに起き上がり、油断なく身構えた。
 隣で物音がした。ダークネイションはぎくっとした。音のしたほうをふりむくと、別のサンプルが彼を見つめていた。
 なんだ……とひそかにダークネイションは安堵した。JNV―001だった。彼よりもかなり大型で、ずっと合格判定を取り続けている優秀な個体である。DN-003は触手で彼に触れた。淡い好奇心が漂ってきた。
 敵意も恐怖もないことにDN-003は安心した。そっと彼にすりより、毛皮をこすりつけた。
「ふ……」
大型サンプルの喉が、小さな音を立てた。猫族のごろごろとは違うが、それはあきらかに満足した音だった。
 以前にもガラス越しにお互いを見たりしたことはあったが、これほど接触したのは初めてだった。DN―003は、桃色の舌を出して、JNV―001のなめらかなほほをなめた。記念に彼の匂いと味を記憶しておこうと思ったのだった。
 驚いたことに、JNV―001「ジェノバ1号」は、声を出して笑った。

 実験室へ入ったとたん、宝条統括は大声を上げた。
「何をやっている!」
研究員たちは飛び上がった。統括の視線は部屋の壁際に向いていた。10歳ぐらいの、上半身裸の男の子が、膝と手をついて床に這い、鼻先をくっつけるようにして、黒い子猫を見つめているのだった。
「セフィロス、やめなさい!」
その男の子、セフィロスはさっと表情を殺し、ゆっくり立ち上がった。
「猫の担当は誰だ!」
「すいません!」
二人の研究員が駆け寄ってきた。
「サンプルの管理がなっていないぞ」
「申し訳ありません」
「この子に何かあったらどうしてくれる」
「今日は予定が立て込んでいまして」
「君たちは減給だ」
言い捨てて宝条は、乱暴に少年の手を引いた。
「来なさい、おまえの判定はこれからだ。基準を満たしていることを祈るのだな」
小さなセフィロスはおとなしく歩き出した。

 その特別な日が来る前に、DN―003の兄弟たちは、一匹もいなくなっていた。彼だけが「ダークネイション」、カンパニー科学部門の最新の作品として、世に出るのだった。
 淘汰と訓練の日々は10年ほどかかった。その日初めて、ダークネイションは自分の主人となるべき少年に引き合わされた。
 成獣となったダークネイションはもう、黒い子猫ではなかった。色といい大きさといい、黒豹のように見える。強靭な筋肉をなめらかな毛皮が覆っていた。
「こいつの知能は、よく訓練された警察犬とほぼ同じです。忠誠心と守備力が高く、警備対象を守る本能を持っています」
金髪で色の白い少年が、近寄ってきた。しりを床につけて座ったダークネイションより、やや高めくらいの目線である。15歳の、ルーファウス・神羅だった。
 その日、科学部門全体が、緊張に包まれていた。プレジデント・神羅が、一人息子を本社ビルに連れてきたのである。目的は、大事な跡とりに身辺警護用のモンスターを与えることだった。
 プレジデントの妻は、ミッドガルの名門出身の女性だった。ルーファウスを産んでまもなく、亡くなっていた。プレジデントは、妻によく似た息子をかわいがっていると、社内では有名だった。未来の社長に違いない、と。
 ルーファウスは、本社の社員から熱い注目を浴びても平然としていた。おそらく生まれたときからそういう視線には慣れているのだろう。赤いエンブレムのあるグレイのジャケット……ミッドガルの名門校の制服を着た少年は、傲然と未来の部下たちを見下した。
「失礼します、手を出してください」
研究員は、少年の指に蜜のような液体を塗った。
「なんだ、これは?」
「これを、こいつになめさせてください。あなたの指をなめることで、こいつは体臭、味、触感などを記憶し、あなたを、自分の警備対象として認識します」
説明を聞くと少年はためらいなく、指をダークネイションの鼻先に差し出した。
ダークネイションは、訓練の通りに蜜をなめ始めた。甘い味は大好きだった。
「おいしいのか?」
少年はもう一方の手でダークネイションの後頭部を撫でた。
「ちゃんと覚えろよ。私がおまえの主人になるんだ」
もちろん、ダークネイションは、記憶した。この蜜といっしょに与えられる情報が彼の警備対象のものだった。ごろごろと喉を鳴らし、ダークネイションは頭を少年のジャケットにおしつけた。
「気に入ったか、ルーファウス」
プレジデントが聞いた。ルーファウスは父親を見上げ、うなずいた。
「ああ。こいつは、やかましく注意したりしないから、いい」
「ふむ」
若い研究員は揉み手をしていた。
「さすがルーファウス様、、社長に似て豪胆でいらっしゃいますね」
ルーファウスはそのおべっかを黙殺した。
「今日は、宝条君はどうしたんだ?」
プレジデントが聞くと、研究員たちは顔を見合わせた。
「その、統括は、大事な実験があるからということで失礼させていただきました」
プレジデントは苦笑いをした。
「あいつのプロジェクトか!しかたがないな。警備用モンスターは確かにいただいたと伝えてくれ」
「かしこまりました」
プレジデントの後について、ルーファウスも実験室に背を向けた。
「行くぞ」
呼ばれたダークネイションは、少し歩き、一度だけ自分の宇宙だった部屋を振り返った。
 閉ざされたドアの向こうでは、JNV-001が手術台の上に拘束されて、異常の有無を調べられている。すでに20歳になり、ソルジャーとして名をとどろかせていることなど、ダークネイションは知らない。ただ、定期検査のたびに容赦のない宝条の目に苛まれるサンプル仲間に、心の中で別れを告げて、ダークネイションは歩き出した。