ダークネイション物語 2.第二話

 古いサンプル仲間に再会したのは、本社の別のフロアだった。人間たちが“たあくす”と呼ぶ特別なオフィスである。
 ルーファウスのそばにいるようになって以来、ダークネイションの宇宙は、ずいぶん広がった。ルーファウスが15歳の天才少年から、史上最年少の専務となり、神羅の“皇太子”として副社長に就任する間、 ダークネイションはずっと彼の傍らにいた。
 科学部門自慢の脳には、何人分ものデータが格納されている。一番大切なのは主人のルーファウスだったが、ルーファウスが“問題なし、警戒対象外=味方”と認定した人物も何人か知っていた。プレジデント・神羅、ルーファウスの秘書、そしてタークスのツォンなどなど。それ以外の存在は、 ダークネイションにとってすべて“潜在的脅威=敵”だった。
 漆黒の毛皮の下に筋肉を波打たせ、ダークネイションは本社の廊下、主人の傍らを悠々と歩いていた。総務部所属の社員たちが、あわてて逃げていく。
 半歩前を、ルーファウスより頭ひとつ分背の高い黒髪の男、ツォンが歩き、何か説明しているようだった。ダークネイションは彼が気に入っていた。主人のルーファウスは機嫌が悪いとダークネイションにかまってくれないのだが、ツォンは黙ってルーファウスのかんしゃくをやりすごしながら、そっとダークネイションの耳の後ろをかいてくれたりするのである。突っ走りがちな副社長のお守りという意味では同役にあたるこの男に、ダークネイションは親近感を感じていた。
もっともツォンの率いる群れの中には、ダークネイションにとって苦手な人間もいた。
「ルーファウス様、御覧の通りです」
オフィスのドアを開けて、ためいきまじりにツォンが言った。
「どうしているかと思ってきてみれば。たわいないな、うちの英雄殿は」
いつもの口調でルーファウスがつぶやいた。そのとき、ダークネイションは知っている匂いをかぎつけた。非常に古いデータだが、ダークネイションにはすぐにそれが誰だかわかった。JNV-001だった。
 彼はソファの上で眠っているようだった。ダークネイションは頭を彼に近寄せた。匂いを確かめ、皮膚に触れて確認した。その瞳をのぞきこんで、ダークネイションはうれしかった。
 セフィロスが、半分眠ったまま、わずかに体を壁際にずらせた。それがどういう意味なのか、ダークネイションにはすぐにわかった。あの狭い宇宙、本社の科学部門で実験待ちをしていたとき、 ダークネイションとその兄弟たちはよりそって暖をとっていた。真っ白なフロアはとりわけ寒々しい。だが、ダークネイションの幼獣たちは、とても体温が高いのだった。だから時には別のサンプルもおしくらまんじゅうに混じっていた。
 あのころ、このJNV-001もまだ幼くて、全身にダークネイションの兄弟たちがくっついて、ほとんど猫まみれで体を温めたのではなかったか。ダークネイションは喜んですりより、丸めた体を彼の胸におしつけるようにして添い寝した。
「おい……」
嫉妬交じりにルーファウスがダークネイションの頭をこづいた。
「離れろ、こら」
前足をセフィロスの肩にまわし、ダークネイションは薄目を開け、ルーファウスを斜めに見上げた。
「ばっ、ばかにするな!こいつはおまえのじゃないんだぞっ。ツォン、ツォン!」
「なんでしょうか?」
「このずうずうしい大猫をひっぱがせ!」
「何も猫にはりあわなくても」
「黙れっ」
顔が真っ赤になっている。
「どいつも、こいつもっ」
ダークネイションの体の下で、セフィロスがみじろぎした。
「うるさいな……」
ルーファウスはぱっと飛びさがった。ふだんの落ち着き払った態度はどこへいったのか、赤くなってうろたえている。
「ルーファウスか?何を騒いでいるんだ、いったい」
ルーファウスは口をぱくぱくしていた。ダークネイションはソファから飛び降りて主人の足元へ行き、ちょこんとすわった。
「いまさら機嫌を取りに来るな!」
「ルーファウス様」
「部屋に戻るっ」
「まだ書類が」」
「あとだっ」
ルーファウスは飛び出していってしまった。
「ありゃ、ヒステリーだぞ、と」
やれやれ、とツォンは首を振った。ダークネイションは、ツォンのところへいき、前足でポン、とたたいてやった。ため息をついてツォンはダークネイションのほうを見た。
「おまえが騒ぎの元だろう」
肩をすくめられたらそうしたいところだった。ダークネイションはもう一度、おさななじみの膝に頭をこすりつけると、自分の持ち場……ルーファウスのそば……へ戻ろうと部屋を出た。
「またな」
後ろでサンプル仲間が、ひらひらと手を振ってくれた。

 エレベーターの停止した音を聞きつけて、ダークネイションは頭をあげた。優れた聴覚が、足音の主を教えてくれた。タークスの主任。そして、もう一人。副社長室へ向かってくる。
 ダークネイションは身を起こし、窓際の豪華な椅子へ近寄った。
「どうした、DN」
ダークネイションのことを、DN=”でぃーえん”と主人は呼んでいた。触手をルーファウスの手のひらに這わせ、DNはトパーズの瞳で主人を見上げた。
「誰か来るのか」
返事の変わりに、DNは喉を鳴らした。
 ほどなく、ツォンが現れた。
「失礼いたします、ルーファウス様」
「今、社を出ようと思っていたんだが」
「申し訳ありません。先日の件です」
「古代種か」
ツォンの後ろには、背の高い若い男が立っていた。髪が赤く、タバコのにおいがする。それだけでDNは苦手なのだが、その男、レノは、やけにDNをかまいたがるのだった。
「クロ、来い、来い」
 DNは鼻を鳴らした。誰がクロだ、誰が!レノはなれなれしく近寄ると、DNの頭をがしっとつかんで毛皮をかきまわした。DNはじっと耐えた。主人のルーファウスが危険にさらされない限り、 護衛モンスターは攻撃的にならないように設定されている。ツォンもレノも、ルーファウスが“問題なし”としてDNに記憶させた個体なので、忌々しいという理由で猫パンチをするわけにはいかなかった。
「レノ、ご報告を……なにをやっているんだ」
「クロが遊んでほしそうな顔をしているんで」
レノはDNの頭を放し、目を覗き込んだ。
「今度カツブシ持ってきてやるからな、クロ」
前髪をぱさ、とかきあげて、ルーファウスは言った。
「今度そいつが無礼をしたら、食いちぎってやれ、DN」
了解の印に、DNはうなってみせた。レノは、おびえるどころか、にやにやしている。
「かわいいぞ、と」
口頭での報告は、時間がかかった。レノは、DNに対する態度はいただけないが、優秀なエージェントらしい。ルーファウスの聞くことすべてに、明確な答えを返していた。
「彼女の背後関係には興味がある。育成歴を知りたい」
「多少の資料は、私が持っていますが」
壁にかかった時計を見上げてルーファウスは言った。
「これから付き合いで昼食会に出る。続きは車の中で聞かせてくれ」
「わかりました。レノ、ルードに監視の範囲を広げて続行と伝えてくれ」
レノは聞いていなかった。すぐにDNの尻尾をつかもうとする。んぎゃっ、とうなってDNは威嚇した。レノはうれしそうだった。からかわれているらしい。あわててルーファウスのそばへより、白いスーツのはしをくわえて、早く行こう、と引いた。
「おまえは、本当にあいつが苦手なんだな」