黒い服の男 4.第四話

 数日後、ルードが使っている神羅兵の一人が、緊急連絡を入れてきた。
「主任、バートリー兄弟が、動きました」
「よし!」
メンバー全員に緊張が走った。
「8番街の、ゴブリンズ・バーです。ディビッド・バートリーが入っていきました」
「そろそろ潜伏に痺れを切らしたんだろう。神羅から金が入る予定も狂ったはずだ」
しゃべりながらツォンは上着を開き、胸のホルダーに銃を仕込んだ。
「みんな、用意はいいな?出るぞ」
男たちはどやどやと部屋を出ようとした。
「待った」
ツォンはセフィロスに声を掛けた。
「特にあなたは、何もしないでくれ」
これから首を取りにいく相手は、セフィロスの秘密を握っていると自称する恐喝犯に他ならない。
「おれはいつも、そうしているぞ」
面が割れまくっているにもかかわらず、たしかにここ何日かの彼は、上出来だった。社員の、というよりもタークスの中に完全に埋没していた。
「特に今日は、だ。名前も個性もない、黒い服の男に徹してもらいたい」
「……わかった」
ゴブリンズ・バーは、秘密めいた奇妙な酒場だった。ツォンたちは仕事柄スラムに立ち入ることは多いが、猥雑なまでににぎやかなこの地域の中でも、異質な雰囲気が漂っていた。
 マスターの、苦虫を噛み潰したような顔のせいかもしれない。タバコの煙や汗の臭いが立ち込める、男くさい空気のせいかもしれない。
 ツォンたちが店の入り口をくぐると、いっせいに視線に取り巻かれた。一瞬で値踏みをされた、とわかる。ツォンは別に肩をそびやかすようなことはしなかった。自分たちを見てタークスだとわからないような雑魚を相手にするつもりはなかったし、こちらの素性を知っているようなクラスの連中は避けて通ってくれる。
「いらっしゃい。奥が空いてますぜ」
「いや、ここにしよう」
ツォンは、入り口をふさぐような席を選んだ。カウンターがL字に曲がっている角の部分である。マスターが注文をとりに来た。
「バーボンを」
「へい」
小声でつけくわえた。
「荒っぽいのは、勘弁してくださいよ。金をかけて店の内装やりなおしたばかりなんで」
「あきらめろ。手加減できるかどうか、わからないんでな」
ツォンの目は、店の壁際に据わっているディビッド・バートリーを捕らえていた。テーブルを挟んで向かい側に、大男がすわっていた。店内でもトレンチコートを脱いでいない。角刈りの髪も、ふくらんだふところも、手荒な仕事を厭わないらしいようすがうかがえた。
 トレンチコートは、じろ、とこちらのほうをうかがった。小声でルードが言った。
「報告によれば、仲間が付近で待機しています」
ちりちり、と氷の塊がグラスにふれあう音がした。マスターが琥珀色に染まったグラスを4つ、ツォンたちのほうへよこした。
 内装に手を入れた、というのは本当らしい。いい具合に使い込んであめ色になった木製のカウンタートップに、オイルレザーの丸いコースターが並ぶ。客たちが燻らせる紫煙を透かして、カウンター上の黄色い照明が厚手のグラスの縁をきらびやかに輝かせた。
 どんなふうに見えるのか、とツォンは思った。カンパニーを恐喝しようという男の眼に、自分たちはどんなふうに見えるのか、と。
 ルードは酒場の雰囲気が気に入ったらしく、たちまちくつろいでいた。レノはくわえタバコでグラスを持ち、足を組んでトレンチコートのほうを露骨に眺めてはにやにやしていた。そして自分は、と考えてツォンは苦笑した。
「乾杯!」
とうとつにグラスを取って、そう言った。セフィロスは少し首をかしげ、グラスを手にとり、目の高さにかかげた。レノが口笛を吹いた。4つのグラスが、小気味のいい音をたててふれあった。酒を口に含むと、強い芳香がひろがった。
「乾杯……ミッションに」
ツォンが言うと、へっとルードが笑った。
「乾杯。黒い服の男たちに」
「乾杯、と。……ぐれかけの英雄に」
ツォンはぎょっとした。当の本人は、くっと笑った。
「乾杯。とっくにぐれた秘密工作員に」
 タークスがわざわざバーに入ってメンツを見せたのは、外には誰もいないから逃げられる、と思わせるためだった。実際は、神羅兵が厳重に包囲している。問題は、全員そろっているかということ、そして、主犯を確保するということだった。
 男は声を殺して何か怒鳴りつけている。ディビッド・バートリーは蒼白だった。物騒な雰囲気を察したのか、店の客たちは青くなり、何人か、さっさと外へ飛び出していった。
 入れ替わりに、男たちが店に駆け込んできた。先頭は、Tシャツとハーフパンツにバンダナという場違いな格好の男だった。
「おい、やばいぞ。囲まれちまって」
言ってから、ツォンたちに気がついたらしい、ぎょっとした顔になった。
「バカ野郎!」
トレンチコートがうなった。
「よし、動くな。全員、本社まで来てもらおう」
そう言ったときだった。違和感があった。足がめりこむ。木の床があるはずなのに、ツォンの足は頼りなく沈み込んでいく。違う、床が抜けるのではなく、足が自由にならないのだった。全身からどっといやな汗が噴きだした。
「くそっ」
ルードがののしった。が、ふらふらとすわりこんでいた。レノはへたりこみながらとっさに、ロッドの先を自分の腕に押し付けようとしていた。
「おっと」
トレンチコートの男は、レノの手からロッドを蹴り飛ばした。
「一服、盛ったのか、と」
くやしそうにレノが上目遣いになってつぶやいた。
「天下のタークスさんが、情けないな。もうちっと調べれば、ここのマスターがおれの従兄弟だってことがわかったはずだ」
ツォンは思わず歯軋りしかけた。
「こいつら、どうする?」
バンダナの男が聞いた。
「決ってるだろう。神羅への恨みを全部しょって、あの世へ行ってもらう」
「最後まで会社孝行か。退職金が出なくて気の毒だったな」
バンダナがせせら笑い、手にした銃をツォンに向けた。
「やめろ」
と、誰かが言った。その低い声の主を、ツォンは知っている。驚いて左右に目を走らせた。ルードと、レノ。1トンはあるのじゃないかと思うような重い頭を、ツォンは必死であげた。
 セフィロス。どうして動ける?
「昔からおれは、薬の類がきかない。体質らしい」
左手には、愛銃、M9。バンダナの男に、ぴたりと狙いを定めている。
「ロン毛の兄ちゃん、まあ、待てよ」
トレンチコートが薄ら笑いを浮かべて言った。
「話し合おうぜ。そのテッポウしまってくれよ。おれたちのほうが、数か多いんだからよ」
M9のハンマーが上がった。銃声が響いた。犯人たちは、立ちすくんだ。なんとも無造作な発砲で、セフィロスは、犯人グループのうち数名を撃っていた。
「これで4対4だ。話し合えるか?」
相手を気遣っているような言い方だった。
「おっかない兄ちゃんだ……」
こわばった舌でトレンチコートが言った。
「けど、弾丸切れじゃねえのか?」
至極すなおにセフィロスはうなずいた。
「ああ、そうだ」
緊張の糸が切れたのか、バンダナが笑い出した。
「バカじゃねえのか、こいつ!」
胸のホルダーに丁寧に銃をしまい、すっとセフィロスが体を沈めた。カウンタの下には、スツールに座った客が足を乗せるための、金メッキの棒がとりつけてある。それを、力まかせにねじきった。音を立てて、留め金具が飛び散った。
「なんだ、その」
細長い円筒型の長い棒だった。彼の身長よりも長い。重さを量るようにかるくふって、彼は顔をしかめた。
「軽すぎるが、しかたない」
左腰を前にして右半身をひく。両手で金属棒の端を、ちょうど日本刀のように握り、床とは水平に、サングラスの高さにかまえた。
「なんなんだ、いったい!」
バンダナが撃った。バックステップで避ける。だがその拍子にサングラスがはずれて飛んだ。
 純粋な魔晄の輝きが現れた。バンダナの男は、ソルジャーグリーンの瞳をまともにのぞきこむことになった。
「あんた、その目、まさか」
魔晄エネルギーの支配する世界では、知らぬ者もいないその顔、そのかまえ。もはや、隠そうという意志がない以上、何を着ていようと関係がなかった。人の形をした最強の兵器が、戦いの意志をあからさまに見せつける。タバコ臭いバーのフロアに、死の大天使が、翼を広げて舞い降りた。
「セフィロスなのか!」
「そうだ」
トレンチコートは唇の端を笑いでゆがめた。
「会いたかったぜえ?ずっと、あんたを探してたんだ」
セフィロスは黙っていた。
「あんたにプレゼントがある」
「おれの、“秘密”か」
あっさりとセフィロスは言った。
 あっけにとられてツォンは彼の顔を見た。
「そんな顔をするな、ツォン。おまえたちがおれの監視をしていることは知っていた。護衛されるのなんか初めてだったからおかしいと思って調べさせていた」
「けど、そんな」
うまく口がまわらない。セフィロスは苦笑した。
「カンパニーの修理課の若い修理屋がよく来ていただろう。あれはおれの従卒だ。恐喝犯の脅しのネタが、このおれだということを、けっこう簡単に探り出してくれた」
くそっ、とツォンは心中つぶやいた。
 トレンチコートはポケットからディスクを取り出した。
「あんたならこれの中を見て意味がわかるはずだといわれた。知りたいだろう?へへ、最終回の大逆転じゃねえか。このディスクと引き換えに、おれたちを逃がしてくれよ」
端正な眉が上がった。
「おれになら意味が分かる、そう言った人間は、誰だ?」
「ソースが心配なのか?安心してくれ、これ以上はないってくらいの大物だ。あんたも知ってるやつだよ」
「名前は?」
「それは言えないが、どうだ、欲しいだろう。人間誰だって、自分の秘密を知りたいはずだ」
セフィロスは、微笑した。ツォンは目を見張った。何日も寝食をともにしても、一度も見たことのない会心の微笑だった。
「ツォン、おまえのミッションは終わった。もう護衛も監視しなくていいぞ」
「何を言ってる?」
「秘密は知りたくない」
「なんだと?」
それまで微動もしなかった金属棒が、いきなり突き出された。みぞおちに一撃をくらって、トレンチコートの男がふっとんだ。その手からディスクが落ちた。金属棒が上から垂直に、そのディスクを叩き割った。
「さあ、状況は元に戻ったな」
トレンチコートの男は、気絶して床に伸びている。バンダナの男は、後ろをふりむいた。ほかの連中は青くなって震えていた。男は銃を床に置き、そろそろと両手を挙げた。

 神羅兵は手際よく犯人グループを護送車に送り込んでいる。ツォンたちは、本社から回されてきたベンツの後部座席で、一息ついていた。
 酒に薬を混ぜるなどという初歩の手口にひっかかったこと、セフィロスがお見通しだったことで、ツォンのプライドはずたずたになっている。しびれていた手足に早く血を通わせたくて、ツォンは車を降りた。
 いつのまにか、雨が降り出していた。8番街のこのあたりは、ブロックごと封鎖されている。神羅兵たちが有無を言わせず通行止めにして、事後処理にあたっているようだった。犯人グループの武装解除と、逮捕、護送である。救急車が来ているのは、セフィロスにふっとばされた主犯のためのものかもしれない。
 セフィロス本人は雨の中に立ち、神羅兵の作業をじっと見守っていた。もう、髪も顔も隠してはいないので、監督している下位のソルジャーたちも一般兵士も、素性がわかるらしい。ときおり彼のほうをちらちら盗み見ていた。
 しとしとと、ミッドガルに雨が降る。長髪がすでにしっとりと濡れていた。彼が、ふりむいてこちらを見た。
「大丈夫か」
気遣われるとは思わなかったので、ツォンは驚いた。もっとも、この男が、意外と優しいのを、この何日かでツォンは気づいている。そもそも、ソルジャーの長としてこうまで尊敬され、慕われるには、ものすごく強い以外の理由もあるのだろう。
「ひとつ教えてくれ。あんたの秘密とは、なんだ」
くす、と彼は微笑んだ。
「知っていたら、秘密ではないな」
「探り出せなかったとは、驚きだな」
皮肉交じりに言うと、本当に彼は笑った。
「まだ気にしているのか?従卒は、ずっとおれの副官と連絡をとっていた。恐喝のネタを実際に探り出したのは、その優秀な副官だ。れっきとしたソルジャーだし、総務部のファイル運びのOLさんとは仲がいい」
言葉の内容よりも、楽しそうな彼の笑顔に見とれてしまった。こんな顔もする男だったか、と。
「ディスクの中身、知りたくなかったのか?どうして割った」
「あいつらが気に入らなかった」
セフィロスの視線がツォンを通り越して何かに注目した。ツォンはふりむいた。傘をさした少年兵が、黒い髪の大柄な男を案内してきた。
「お迎えが来たようだ」
足元の石畳に、小さな水溜りができていた。見ていると、いくつも波紋が広がって、模様になった。大きな黒いブーツで水溜りを踏んで、黒髪の男がセフィロスのところにやってきた。
 敬礼をして、話しかける。
「西部戦線で動きがありました。前線一同、司令官閣下のお帰りをお待ちしています」
先ほど話に出た副官らしい。彼は、腕に抱えていたレインコートを、セフィロスの肩にまわして、羽織らせた。
「ずぶぬれだぞ」
副官というより、友達のような口調でそう言った。
「雨が、気持ちがよかったから」
自然なしぐさでセフィロスは内ポケットからタバコを取り出し、唇にくわえた。
「おい、おまえがぐれかけてるって、本当なのか?」
きょとんとした目でセフィロスが彼を見た。
「ミッドガルにいる間に覚えたんだ。いいだろう、タバコくらい」
黒髪の男は、彼の唇からタバコを引っ張り出した。
「だめだ。さあ、前線へ戻るぞ」
わからないくらい小さく、セフィロスの肩がさがった。わざわざ天に顔を向けて、顔に雨粒を受けた。
「贅沢は、これでおしまいだな」
魔晄炉のあげる煙が、ミッドガルの空を鉛色の雲で覆う。けして美しくはないその空を、どこか懐かしそうに見上げて、彼はそうつぶやいた。