黒い服の男 3.第三話

 ジョン・ヴァインは、目で仲間の様子をうかがった。状況はかなりやばい。神羅カンパニーの兵器開発部から機密事項を持ち出した、と思い込んでいたのに、泳がされて一網打尽になるかどうかの瀬戸際である。
 スキンヘッドの大男が駐車場の出口をふさいでいる。やけに冷静沈着なオールバックの、リーダーらしい男が正面で銃を構えている。そしてジョンの前にいるのは、赤毛の長髪になぜかゴーグルの、妙にチンピラめいてはいるが、肝のすわった面構えの若い男だった。得物は、長い銀色の棒のようなものだった。
タークス。
 ミッドガルで裏の稼業をやっていれば、必ずぶつかる物騒なお兄さんたち……カンパニーの用心棒である。
「うわぁあ!」
ヴァインの仲間の一番若くて経験の浅いのが、やぶれかぶれになってスキンヘッドのほうへ飛び出していった。それが合図だったかのように、オールバックが動いた。ヴァインの仲間の別なのが一人、有無を言わさず足を払われ、腕をひねりあげられて床に顔をこする。
 今、裏口まで行かれれば、逃げられる!とっさにヴァインの足が動いた。
「おっと!」
銀色のロッドが飛んできた。赤毛はにやりと笑い、腹を狙ってきた。
「うわっ」
あわてて避けると、上から首を目がけて。しゃがんでよければ、足斬り。赤毛はロッドを、小刻みに突き動かし、あるいは水車のように回し、また水平に薙ぎ払い、自在に扱っている。しかも、すごい速さだった。ときどき、びりっとした衝撃が走った。ヴァインはまるでばたばたと踊るようなぶざまなかっこうをさらすはめになった。ヴァインは唇をかんだ。
「どうした、ん~?」
悲鳴を上げて避けたとき、ロッドの先が柱のひびにひっかかった。ちっ、と赤毛は舌打ちした。ヴァインはそのすきに身を翻し裏口めがけていっさんに走った。わずかに開いたすきまから、外の光がもれる。ヴァインの手が取っ手にかかった。
「そこまで」
低い声がそう言った。同時になにか、冷たいものがこめかみにあたった。感触、大きさ、形、どれをとっても銃口に間違いなかった。
 頭を動かさないようにして、おそるおそる横目をつかった。別の黒服の男が立っていた。黒光りする銃を自然に構えて、ヴァインの頭につきつけている。背が高い。タークスという組織は、タッパのあるのをそろえるのだろうか。下半分しか見えない顔は色白でなかなか男前らしかった。目立つ前髪は光沢のある銀色、赤毛と同じように、かなり髪が長いらしい。首の後ろでひとつに結んでいるらしく結い紐のはしが肩にかかっていた。
後ろから赤毛が追いかけてきた。
「おい、殺すなよ、と」
「このあいだそう言われたから、今日は気をつけた」
ヴァインの仲間を引っ立てて、スキンヘッドとオールバックがやってきた。赤毛が声をかけた。
「大丈夫、無傷だ」
リーダーの男は、あきらかにほっとしたようだった。
「よかった。こいつが主犯だからな。いろいろ聞かなきゃならないんで、昨日みたいにひき肉にされると面倒になるところだった」
スキンヘッドは、ぽん、とヴァインの肩をたたいた。
「魔法も使われなかったのか。おまえさん、本当に運がよかったな」
「黒こげにされても、報告書に写真を載せるとき困るんだぞ」
口々に、うれしそうな言葉を交わしている。ヴァインは首をひねった。なんなんだ、こいつら?

 社員食堂の出口には、遅い昼食を取りにやってきた社員がうろうろしていた。昼間、神羅本社ビルが擁する人口は小さな町ほどもある。社員食堂はいくつかのフロアに設置されていた。もちろん、幹部社員が訪問客をもてなすための豪華なレストランもあるが、一般社員には高嶺の花だった。
 さらに、売店もあちこちにある。もっとお手軽には、自動販売機コーナーも設けられていた。もちろん、提供は関連会社の神羅ビバレッジだった。
 制服の女子社員たちが、食堂から連れ立って出てきた。一人が声を潜めた。
「コーヒーの自動販売機のところにいるの、タークスじゃない?」
別の女子社員がふりむいた。
「あら、そうよ。赤毛の長髪、レノさんだ」
「知ってるの?」
「え、まあ」
「タークスに知り合いがいるなんて、なんか社内で、やばいことやってない?」
タークスの業務内容に関しては、社内では公然の秘密である。
「いっしょにいるの、誰?」
「新人じゃないの?」
「誰か志願したんだわ。髪長いんだ。後ろで結んでる。あんな人、神羅にいたかな」
「社員多いし、知り合いでもわからないね。レノさんはとにかく、あの制服だと、個性がなくなっちゃうから」
レノは、四個目の缶コーヒーを取り出し、手に余る二個を放り投げた。ぱし、ぱし、と音を立てて、“新人”は受け取った。
 一仕事終えて、ああ、食った、食った、という気分だった。本日の日替わりはハンバーグ定食だった。
「うまかったか?」
「ああ」
プラスチックのトレイに定食と水の入ったコップを乗せて窓際のテーブルまで自分で運び、堂々と食っているセフィロスは、ちょっとした見ものだった。
 表向き療養中ということになっているセフィロスが、見慣れないかっこうで社員食堂で飯を食っているとばれては、監視/警備体制の意味がない。だが、ほかの社員はとりあえず気が付かなかったらしい。レノは楽しんだものの、けっこう、危ない橋だった。
「おれは何か、ヘンなことをしたか?」
「ああいう食堂は初めてじゃないんだな?」
「以前は兵士用食堂でいっしょに食事していた」
「たとえば、ひいきされてる、なんていうことは?今日みたいに」
顔は隠しても雰囲気だけで、男前オーラを発しているらしい。食堂のおばちゃんたちは、とってもたくさんよそってくれた。
「ひいきだったのか?」
少し首をかしげて、彼は言った。
 セフィロスの行動のはしばしに、とんでもなく常識が欠落しているのが見えることがある。ミッドガルに住む普通の市民なら、当たり前に知っていることをまったくわかっていないのだ。どんな風に育てられたんだ、あんたは?と、レノは心の中でつぶやいた。
 缶コーヒーをおみやげにして、二人はタークス本部へ帰ってきた。ちょうど、カンパニー修理課が来ていた。修理屋が使い込んだ道具箱の中に、レンチを放りこんで言った。
「はい終わりました~。伝票にサインくださいね」
ルードがめんどうくさそうに走り書きをした。
「この階の男子トイレも、水道壊れてたぞ」
「ビル全体が、ガタが来てんじゃないすか?」
十代じゃないかと思われる若い修理屋は肩をすくめ、しれっとした返事を返した。あちこちで文句を言われて、すっかりすれっからしになってしまったらしい。
「おい、エアコンも頼む」
ルード言うと、修理屋は首を振った。
「来週まで予約でいっぱいなんすよ」
「優先してくれ。大事なお預かりものを抱えてるんだ」
お預かりものが小声でクレームをつけた。
「おれならかまわない」
修理屋はさっさと出て行った。
「じゃ、また来ま~す」
ルードはためいきをついた。
「ツォンさんに言って、予算をあげてもらうか」
「毎回言ってるんだぞ。ほい、これ」
缶コーヒーをひとつ渡すと、ルードは文句を垂れた。
「甘ったるいんだ、これは」
「苦情は神羅ビバレッジまで」
セフィロスはデスクの上に缶を置くと、やっとサングラスをはずし髪をほどいた。たちまち、“名もない黒服の男“から、美貌の英雄が鮮やかに匂い立つ。
 デスクの上に浅く腰掛け、プルトップを引いて、唇に飲み口をあて、喉をのけぞらせた。ごく、と飲み込むとき、ひとすじのコーヒーがこぼれて、あごにかかった。缶をおろし、右手の甲で口元をぬぐう。ふう、とためいきをついた。
 ルードはサングラスの下で、目をぱちくりしていた。見とれてしまっていたらしい。
 レノは反対側のデスクにすわり、灰皿をひきよせ、タバコをくわえた。
「最近、楽だな」
ぽつりとレノが言った。音を立ててマッチをすり、火をつける。
「え?」
「楽だな、と。ツォンさんが踏み込んで、おれとおまえがとっつかまえて、こいつが押さえで」
助っ人だとしたら、これ以上強力な人材はまずいない。まるで、ずっと昔から4人で活動しているような気がした。
 タバコから、薄い煙がたちのぼった。
 監視を始めて、数日がたとうとしていた。最初はぎくしゃくしていたのだが、セフィロスのほうが非常識なくらい悠々としているので、ルードもレノも、だんだん慣れてきた。現場にも同行しているのだが、いつのまにか押さえとして、ちゃんと仕事までしている。
 セフィロスはネクタイの結び目に指をかけてゆるめた。
「少し、寝る」
上着を脱ぎ、オフィスのすみに置かれたソファに、セフィロスは横になった。
「夕べはおれが寝てたんで、その……」
ルードは口ごもった。返事はなかった。
 24時間体制の監視が始まって以来、セフィロスは自宅にもオフィスにも帰っていなかった。夜はタークス本部の奥にある仮眠室で寝ている。そして、誰にも会わせないように、メンバーの誰かが表のオフィスのこのソファで寝ることにしていた。
 食事は手の空いているメンバーが、彼といっしょに外食するか、オフィスへ何か買ってくることですませている。とにかく、部外者が彼に接近しないように、厳重に注意していた。
 軟禁に近い、かなり不自由な生活だった。しかも、セフィロスは神羅でも指折りの高給取りのはずだった。だが、野戦を繰り返している彼の日常生活は質素なのか、もともと衣食住に関心がないのか、一度も不満を口にしたことはなかった。
 ノックなしにドアが開いた。それが習性で、レノはさっと身構えた。入ってきたのはツォンだった。
「セフィロ……」
言いかけて、ツォンは意外そうな顔をした。
 うつぶせに横たわり、片手を軽くまげ、その上にほほを乗せたかっこうで彼は眠っていた。何の警戒もしていないのか、すやすやと寝息さえもれた。
「どうした」
ツォンの後ろから別の人物があらわれた。やや変則的な白のスリーピースは、見間違えようもない。レノは目を丸くしただけだったが、ルードはあわてて椅子から立ち上がった。
 カンパニーの副社長、ルーファウス・神羅だった。
「ルーファウス様、このとおりです」
「はっ」
ルーファウスは苦笑した。
「どうしているかと思ってきてみれば。無邪気なもんだな、うちの英雄どのは」
女子社員の大半が胸をときめかせる整った二枚目顔に、どこか高慢な表情を浮かべて、彼はソファに近寄り、見下ろした。
「あどけないくらいだ」
傍らに腰を下ろして、ルーファウスは眠っている人の顔から、前髪をそっとどけた。
「親父が死んだら会社といっしょにあんたを相続することになるんだぞ、私は。そのときまで、いい子にしていてくれよ」
ルーファウスの前に、何かが割り込んできた。黒ヒョウだった。ルードは顔色を変えたが、ツォンがささやいた。
「副社長のペットだ」
本物の黒ヒョウではない。肩から奇妙な触手が生えている。「ペット」は、その触手をのばし、眠っている男にそっと触れた。
「ん……」
 ダークネイションは、ソファに前足をかけてのびあがり、主人と同じように上からのぞきこんだ。セフィロスが薄く目を開けた。縦長の虹彩をもった目が、おなじような目と出会った。一呼吸置いて、半分眠ったままの彼は、壁際のほうへ少し体を寄せた。ダークネイションは、空けてもらったスペースに、しなやかな動作でもぐりこみ、添い寝を始めた。
「おい……」
嫉妬交じりにルーファウスが大猫の頭をこづいた。