黒い服の男 2.第二話

 具体的にどうやって、あの目立つ男を隠すか。
「任務だって言って、ミッドガルから遠くへ送り出せばいいんじゃないですか」
ツォンは首を振った。
「いや、かえって監視が行き届かなくなる、と副社長はお考えだ。あくまで、われわれがはりつかなくてはならない」
「三人でやるのはけっこうきついぞ?新人を入れて欲しいぞ、と」
「考えておく。セフィロスなのだが、たった今、出勤してきたらしい」
「そりゃ、珍しい」
「なんと戦闘服を着ていない、と報告が入っている。最初、営業部員か何かと見間違えた、という話だ。これで行こう」
「は?」
「彼は伊達に神羅の広告塔をやっているわけじゃないが、メディアに登場するセフィロスはたいていあの黒いコート姿だ。それを脱いだ状態なら、少しはごまかせる。神羅には千人からいる社員の一人だ。それなら社内のどのオフィスに入り浸っていてもおかしくない」
ルードは、頭をかいた。
「いや、おかしいです。ほかはともかく、ここへはめったな人間は出入りしないから」
取り出したタバコに火をつけて、レノが煙を吐き出した。
「いっそ、タークスの新人てことにしたらどうだ」
ルードが、ぱくぱくと口を開け閉めして、やっと言った。
「確かに、監視は楽だが……」
「ルード」
「は?」
「タークスの制服で、サイズの合いそうなのを探してきてくれ」

 治安維持部門の中に、ソルジャー部隊を統括するオフィスがあった。中に、参謀部、兵站部、車両部、人事部、SSI事務局などが入っていて、それぞれに責任者がいた。
 普通の部署では、総務部秘書課から派遣された秘書たちが業務を請け負うが、ソルジャー部隊は特殊であり、機密も多かったので、そういった責任者には神羅兵から選抜された従卒がつくことになっていた。
 治安維持部門のフロアは、重厚な色合いの自然素材を多く用いたインテリアで、クラシックなホテルを思わせる。従卒の制服を着た少年が、大きな細長い荷物を抱えて、廊下を歩いていた。
 部署名を記したすりガラスのドアがいくつも並んでいたが、少年は廊下を抜けて一番奥のオフィスをめざした。ガラスではなく、そこだけはどっしりとした木製のドアがついている。ドアプレートには金文字で一語、司令官、とあった。
 抱えていた荷物を下に置くと、従卒の少年は、緊張してノックした。
「入れ」
まぎれもない、セフィロスの声だった。
「フレデリック・リー二等兵、戻りました」
正面に大きなガラスを壁面いっぱいに使った部屋だった。曇りだが、景色は壮大だった。本社にあるオフィスは、窓から必ず魔晄炉のどれかが見えるようになっている。今日も盛大に煙を吐き出していた。
 ガラス壁の前の贅沢な両袖のデスクの前に、部屋の主がいた。机の横の端末から顔を上げてフレッドを見た。
 この人を、印刷物や映像で何度となく見ているが、今日はなんとなく印象が違った。いつも防具で強調されている肩が、スーツを着ているせいで、細めにすっきりと見える。締め上げているウェストもジャケットの中なので、逆三角の上半身があまり目立たない。それとも、いつも無表情で厳しそうな人が、どことなく表情が柔らかいせいだろうか。
「なんだ、それは?」
セフィロスの視線は、フレッドの足元に向かっていた。フレッドはうやうやしく荷物をデスクまでもっていった。
「社内便の小包です」
包装を解いて同封の伝票を、セフィロスはつまみあげた。
「兵器開発部門……代替だと?」
あきれたようなためいきをつき、パッキングから本体を取り出す。
「うわあ」
思わずフレッドはつぶやいた。日本刀だった。
 セフィロスは両手で鞘を払った。
「ふん」
利き手に持って、すわったまま軽く振り、手首を返した。
「軽すぎる。こんなもんで、おれの正宗のかわりにしろというのか?」
なんだか、ぼやいているように聞こえた。戦場では、冷酷なまでに果断な人が。くす、とフレッドは笑った。
「なにか、おかしいか?」
「いえ、日本刀、近くで見るの初めてだったので」
「ソルジャーになれば、扱う機会もあるだろう」
「そ、そうでしょうか。自分は、兵士を志願したとき、家族や友達から、似合わないと散々言われました。それがソルジャーになって、あなたのようにそんな武器を持つようになるなんて、そんなこと自分が言ったら、きっとみんな笑います」
「家族に、友達か」
そんな顔をしないで欲しい、とフレッドは思った。まるで憧れてでもいるような。
「とても贅沢な言葉だ」
「……コーヒーをさしあげましょうか、サー?」
「では、ブラックで」
ノックの音がした。
「入れ」
許可をほとんど待たずにドアが開いた。黒い服を着た男が立っていた。髪も黒く、それをオールバックにしている。額にひとつあるほくろと、アーモンド型の目のために、ウータイの仏像のように見えた。
「タークス主任、ツォンと申します。社長命令により、ご足労いただきたい」
「どんな命令だ」
「こちらの端末に届いていると思いますが」
セフィロスは、自分のデスクの上の端末を操作して、軽く眉をひそめた。
「おれが狙われている?護衛だと?」
「あなたは、神羅全体のシンボルであり、シールドです。少しでも傷が付けば、会社のイメージにかかわります。あなたは今から療養中という発表が出されますが、警備のために、身分を隠してわれわれと行動をともにしていただきます」
セフィロスは無表情につぶやいた。
「コーヒーを飲む暇はなさそうだ、フレッド。ツォン、こいつは持っていってもいいか?」
そう言ってセフィロスは、代替の日本刀を手に取った。

 上に超の付く有名人を、名前も顔もない黒い服の男、秘密工作員に見せかけるという作業を、ツォンは部下たちにまかせた。
「おい、もういいか?」
スチールのドアは、別に鍵もかかっていない。声を掛けて、ツォンは自分の職場に入った。中は、メンバーのデスクが並ぶ、雑然としたオフィスだった。ものであふれた作業机。壁いっぱいのキャビネット。仮眠用のソファ。ホワイトボードの予定表。枯れかけた観葉植物。中身のあふれたくずかご。ツォンはきょろきょろした。
 そのとき、一番奥にある自分のデスクにセフィロスがいることに気づいた。
 黒い上着とボトム、サングラスは、たしかにタークスの制服だった。デスクの上にのうのうと長い足を乗せ、高く組んでいる。コントラストの強い白シャツは、胸の半ばまではだけられていた。むきだしの鎖骨の下に金鎖が見えた。左手は日本刀の柄を握り、鞘に入った刀身を肩に当てて、とんとんと軽くたたいていた。
 ぽかんとしているこちらをおもしろがっているように薄い唇がひくりと動いた。右手の指がサングラスのフレームにかかる。顔から少しだけサングラスを放して彼は言った。
「こんなものか?」
レイバンのふちから、知らぬもののない、ソルジャーグリーンの目がこちらを見ている。
「なんというか……レノ、おい、レノ!なんだ、これは!」
セフィロスはぼそっとつぶやいた。
「なにか文句があるのか?」
ツォンは、冷静さを取り戻そうと努力した。
「やりすぎです、サー。もっと、目立たないようにしていただきたい」
腹筋だけで机から足を下ろし、セフィロスが立ち上がった。でかい、とツォンは思った。身長は、たぶん自分とそれほど変わらないのだろうが、雰囲気が、とにかく、威圧的だった。
「ネクタイをすればいいのか?」
意外に素直な返事だった。
 日本刀を置き、シャツのボタンをとめ、ポケットから黒いネクタイを出して、器用に首に巻いていく。きゅ、と音を立てて締め上げ、あらためてサングラスをかけると、立派なメン・イン・ブラックの出来上がりだった。
「これじゃ、平凡だぞ」
ツォンは、怒りを込めて不良部下をにらみつけた。
「非凡にしてどうする。きさま、ブリーフィングを聞いていなかったのか!」
レノは二の腕をぴしゃぴしゃたたいて笑っていた。
「主任」
セフィロスが声を掛けた。
「おれはおまえたちと行動を共にする、と聞いた。今日はこれからどうするのだ?」
ツォンはためいきをつき、自分のデスクに腰掛けた。
「今受け持っているメインのミッションは、ほかでもないあのワーム事件ですが、実は、向こうの出方待ちになっています、サー」
「敬称はいらない」
ツォンは、了解した印に肩をすくめた。
「先日の騒動の、そもそもの原因となったワームは、とある事業所からリリースされたものだった」
「事業所?」
「バートリー兄弟社。この名前はダミーではなく、実際にジョンとデイビッド・バートリーという人物がいることがわかっている」
「動機は」
サングラスをかけているので、彼の表情はわからなかったが、ツォンは奇妙な錯覚に囚われた。まるで、本当にタークスに優秀な新人が入って、事件の背景を説明しているような気がする。
「この二人には、愉快犯以外の動機があるようには見えない。魔晄エネルギーのあらゆる恩恵を受けて、普通に成長している。カンパニーに怨恨を抱いているとは思えないが、報酬目当てということなら、十分ありえる。交友関係の背後にテロリストグループがあり、彼らに雇われたらしい」
「身柄はどうなった」
「確保していない」
「なぜ、待っている?」
「バートリー兄弟は、ミッドガル五番街に潜伏している。すぐに逮捕することもできるが、今は、もっと上の組織と連絡するのを待って、監視だけつけている状態だ。人を雇ってツナギが来るのを見張らせている」
「ツォンさん、今日の定時連絡が、そろそろだ」
とうとつにセフィロスが言った。
「私も行く」
「マジか!」
レノがつぶやいた。
「街中、どこへ行っても、神羅のポスターがべたべた貼ってある。あんた、面が割れまくりだぞ、と」
ツォンは首を振った。
「いや、24時間護衛が社長命令だ。同行していただこう。ただし戦場と違って、その刀はやはり目立ちすぎる。武器は別に支給するので、置いていってもらおう。銃は扱えるか?」
「こう見えても、軍人なんだが」
皮肉めいた口調が返ってきた。
「能書きはけっこう。射撃練習場へおいでいただこう」

 銃架に並んでいるハンドガンの類を、セフィロスは眉をひそめて見回した。
「頼りないな」
ツォンは肩をすくめた。
「あなたなら携帯式の迫撃砲でも扱えるだろうが、くれぐれも目立たないでいただきたいのだ」
しぶしぶセフィロスは、ベレッタ社のM92Fを手にした。
「なぜ、それを?」
「特に意味はない。強いて言えば、おれは左利きだ」
セフィロスはマガジンを銃底にはめこんだ。上着を脱いで折りたたみの椅子に放り投げ、ゴーグルを装着する。
「さまになるもんだ、と」
セーフティをはずし、スライダーを引いて初弾を送り込んでから、セオリー通り、肩幅に足を開いて両手で銃把を握り、まっすぐ腕を伸ばして正面に構えた。
 ルードとレノが、ツォンの後ろで固唾を飲んで見守っていた。
「レディ、ゴー!」
おおざっぱな人型の的が立ち上がる。文字通り、銃口が火を噴いた。特注ブレードを軽々と振り回す肩は、衝撃を吸収してびくともしない。たちまち全弾が撃ちつくされた。
 硝煙が立ち昇る。
 的は、蜂の巣になってはいなかった。黒々とした穴が、ひとつ開いている。機械のような正確さで、セフィロスは15発すべてを同じ場所に命中させたのだった。見ている前で、穴の開いたところにびしっと水平のひびが入り、的の上半分が折れて後ろへ落ちていった。
「人間わざじゃないな」
ゴーグルをはずしたセフィロスは、息も乱していない。
「そうか。うまくあたってよかった」
奇妙なコメントが帰ってきて、ツォン以下、そろって彼のほうに顔を向けてしまった。上着の袖に手を通してセフィロスは、簡単に説明した。
「こんなに小さいので最後に射撃訓練をやったのは、10、いや15年近く前だ」
「15年前、あんた、ガキじゃなかったか?」
「ああ。一度だけ実戦に持ち出して、すぐに宝条に取り上げられてしまった」
「どうして?」
「全部の弾を、敵一人に向かって撃ってしまってはいけなかったそうだ」
ツォンたちは、壊れた的を見て、ためいきをついた。
「弾丸が切れた後は?」
「殴った」
もう、ごめんなさい、と謝りたくなってしまうような返事だった。
「とりあえず、これが気に入った。持っていくぞ?」
M9と呼ばれるそれを手のひらに載せて、セフィロスは聞いた。
「では、それを支給した、ということにしておく。ここにサインを」