パラケルサスの犯罪 23.第四章 第四話

 グラン・ウブラッジ常駐部隊の兵士が、ペインター大尉に手錠をかけた。
 かちり、という音を立てて手錠がはまると、リッキーが声を上げた。
「なんであの人たちおじさんにあんなことするの?ねえ、ロッティおばちゃん!」
アルはターナー看護婦のほうを見て、すぐに目を伏せた。シャーロット・ターナーの冷静な仮面は、崩れ落ちてあとかたもない。目をうつろに見開いて、ただ目の前を眺めているだけだった。
 騒ぎを聞きつけたグラン・ウブラッジの住人が、地下へ押しかけてきている。だが兵士たちに制止されて、狭い入り口から内部を覗き込んでいるようだった。ざわざわというささやき声が、大温室に入り込み、奇妙にこだましていた。
 あのあと、エドが待機させていた常駐軍の兵士が、ぞろぞろと現れた。だいたい話の内容を聞いていたらしい。大尉はすぐに逮捕された。
 その中の隊長という人が、エドとアルに紋切り型の感謝の言葉を伝えてきた。アルは、聞きたくなかった。
 隊長も気まずい雰囲気を察したようで、すぐに部下を指揮して、現場の写真を撮らせたり、書類を作ったり、という雑用を始めた。
 兵士たちのあいだからざわめきが起こった。入り口が開き、院長が温室へやってきたのだった。
「ケシは、無事か!」
エドは無言でうなずいた。
「そ、そうか。この貴重な温室をおとりにしたことは許せないが、まあいい」
あざけるような目で院長はエドを見下ろした。
「手際の悪さはともかく、おまえは自分の仕事をした、と東方司令部には言っておいてやる。十三歳でお手柄か。ふん、他の連中が情けなさすぎたのだ」
聞いていてアルはむかむかした。口をはさまなかったのは、ひとえにエドが、院長とも大尉とも目を合わせないようにして、じっと立ったまま、我慢しているからだった。
 院長は、靴音も高く、大尉へ近寄った。
「きさまか……ここで拾ってやった恩も忘れおって。役立たずの上に泥棒か」
大尉は何も言い返さなかった。院長の目がぎらぎらしていた。
「なんだ、その顔は」
いきなり院長は大尉を殴りつけた。
「ひっ」
リッキーが悲鳴をあげた。だが、大尉はうめき声ひとつあげずに倒れこんだ。兵士たちがあわてて支えた。
「立たせろ。まだ気がおさまらん」
兵士は院長の顔色をうかがっているようだった。つぶやくように大尉は言った。
「勝者はすべてを取る。敗者は黙って立つのみ」
院長は手を伸ばして、大尉の襟首をつかもうとした。思わずアルは言った。
「やめてください!」
院長の目は、理性のタガがはずれたような凶暴な光をもっていた。
「ふざけるな」
大きな拳を後ろにひいて、無抵抗な大尉の顔を狙った。エドが、いきなり大尉の前へ飛び出した。
「いっしょに殴られたいかっ!」
「こいつに指一本触れるなっ!」
二人の怒声が大温室の中で響きあった。
「こいつは第一級の反逆罪で裁かれる。軍事法廷では弁護人もつかんぞ!」
「軍事法廷なんかへ行かせるもんか。罪が確定する前は、一般の被告と同様に権利を尊重してもらおう」
ひっひ、といやな笑い方を院長はしてみせた。
「それが君の要望か、エルリック君?」
エドは真っ向から院長の目を見つめた。
「ああ、そうだ」
「こどもだな」
その一言にあらんかぎりの侮蔑をこめて院長は言った。
「どっちみち、こいつの身柄は私の手元にあるんだぞ。獄中での事故はよくあることだ」
エドは叫んだ。
「こいつの髪ひとすじ、傷をつけてみろっ、おれは……」
冷ややかな声がさえぎった。
「やめてよ」
ターナー看護婦だった。
「今、ごちゃごちゃ言うくらいなら、どうしてこの人を逮捕させたの」
ターナー看護婦はエドをにらみつけ、それからペインター大尉に歩み寄った。
「シャーロット」
逮捕されてからはじめて、大尉が話し掛けた。
「やっと名前で呼んでくれたわね」
哀しそうにシャーロット・ターナーは言った。
「君にも、嘘をついていました。ごめん。こんな男のことなど、忘れてください」
シャーロットは、大尉の顔にそっと指を触れた。
「愛してるってさんざん言ったのを、なんだと思っていたの?待っているわ。帰ってきて、ローレンス」
「自分は……」
大尉はうつむいた。
「こいつのことは、あきらめるのだな、ターナー君。持ち場へ戻りなさい。もし、今言ったことを取り消したいのなら」
シャーロットは、院長の言葉をぴしゃりとさえぎった。
「たった今、辞職することにしました。だから、私の持ち場は、この人の隣以外の、どこにもありません」
「セントラルがこのホレイショ・ヘイバーンを認める日が来れば、こいつのやったことは立派な反逆罪だ。その被告をわざわざ選ぶか!バカな女だ。連行しろ」
「まだ決まってないわっ」
院長は兵士たちにあごをしゃくった。
 兵士が二人、大尉を両側からはさんで、歩くようにうながした。シャーロットはすすり泣き、大尉の軍服に指を食い込ませた。
「さあ、もう、行って」
大尉自身が彼女をなだめ、そして、手錠をかけられたまま歩き出した。大温室を一歩出れば、グラン・ウブラッジ中がその姿を見ることになる。リッキーは不安そうにシャーロットの手をつかんだ。
「大尉のおじさん、どうなるの、ねえ?」
そのようすを横目で見下ろし、院長は残りの兵士たちを従えて、勝ち誇った態度で歩き出した。
「おお、忘れるところだった。ついさきほど、リチャード・ラッシュ容疑者は、意識の戻らないまま死亡したよ」
ペインター大尉と、シャーロットの顔がこわばった。
「知りたかろうと思ってな」
ぶしつけな高笑いさえあげて、院長はひきあげていった。
 大温室は、再び静かになった。
 フランク・ディビスが、泣きじゃくるシャーロットの背を優しく撫でた。
「とにかく、ここを出よう。な、ターナーさん」
シャーロットはよろりと歩いた。
「ディビスさん、ご存知なんでしょう。まんいち反逆罪に問われたら、あの人」
後は涙声になってしまった。ディビスは首を振った。
「むだな希望をもたせるこた、わしにはできんが、どんな時でも、明日は来るもんだ」
ロングホーンは、ぎこちなくリッキーの手をひいた。
 申し合わせたように、シャーロットたちは顔をあげ、エルリック兄弟と視線を合わせた。
「あなたたちさえ、来なければ!」
シャーロットの後ろに、グラン・ウブラッジの住人たちがひしめいていた。
「お上にも情はあったもんだよ、昔は」
フランク・ディビスが苦々しげに言った。
「おじさんはどうなるの?」
リッキーの目が、答えを求めてアルの視線にからみついた。アルには、答えてあげられなかった。
「ぶっちゃけた話、大温室爆破まで待てなかったんですか」
ロングホーンが、乾いた声でたずねた。
 冷たい視線がいくつも突き刺さってくる。魂だけのアルでさえ、その冷たさにたじろぐほどだった。
 エドは、ずっと、無言だった。
「“鋼の錬金術師”、この称号を忘れないわ。あなたには、血も涙もないの?」
とシャーロットは言った。
「今後、あの人を助けようなんてことはしないで。それは偽善よ。あなたはお手柄だったかもしれないけど、人道からすれば、罪を犯したわ」
アルは、エドが息を吸い込む音を聞いた。
「自分の罪がどこにあるのかぐらい、最初から知っている」
声は、震えていない。アルは気がついて、できるだけしゃんと立った。このグラン・ウブラッジで、今、エドの側に立てるのは、アルだけだった。エドはしっかりと顔を上げて言い切った。
「けど今度の逮捕については、おれは自分の信条の前に罪を犯してはいない」
シャーロットのほうが逆に、言葉に詰まったようだった。
 エドは歩き出した。花畑の通路はどれも細い。まさにシャーロットたちの傍らをすりぬけるようにして、エドとアルは出口へ向かって歩いた。
 大温室の外は、グラン・ウブラッジ中の人間が集まってきているような込み合い方だった。が、二人が来ると、まるで近寄りたくないかのように、自然に人波がわかれ、道ができた。
 アルは、エドをかばうように寄り添って歩いた。白い目がいくつも向けられているのがわかった。涙も出なければ、震えもしない体でよかった、とアルは頭の片隅で考えた。
 そして、エドが、どれほどの努力で歩き続けているのかも、わかった。