パラケルサスの犯罪 21.第四章 第二話

 誰かが病棟の窓の中で騒いでいる。斜面にいきなり機銃が生えては、それは驚くだろう、とアルは思った。
「驚いたのは、こっちだよ。兄さんたら、もう」
アルと大尉は、また非常口を抜けて、エドたちのいるところへ上がってきた。
「おっ、そんなに受けたか?」
エドは笑った。
「けど、これを考えたのはおれじゃない、“パラケルサス”だ」
「こんな、簡単なトリックでね……」
ボイドは、落ちそうなほど身を乗り出して、下の階をにらんでいる。
「簡単なもんさ。見ただろ?一番上の練成陣は、実は穴を作っただけなんだ。練成が始まると、穴が開き、それが大きく広がって、ネジをつかんでいる部分もなくなってしまう」
エドは親指で下を指して見せた。
「そうしてネジが落ちれば、補強板も下へ落ちる。そこには、目当ての練成陣が材料を待ち構えているわけだ」
ボイドが首を振った。
「この目で見たのでなければ、信じられないね。下の練成陣は、あらかじめ作動させておいたんだな?」
「そのとおり。ただし、下のにはあらかじめ“検出”スクリプトを描いて、力の発動を停止しておくんだ」
マーヴェルが聞いた。
「その次の連続作動は、そうすると?」
「これのくり返しだよ。下の練成陣に、“コンクリートの台のついた鉄の機関銃を作る”っていう式を描いておけば、練成陣が勝手にコンクリを吸い上げて、補強版が下へ落ちていくわけだ」
「なるほど」
エドは首を振った。
「ただ、これは垂直方向下向きにしか連続作動しない。本物じゃないんだ」
「はあ」
マーヴェルはもう、ため息しか出ないようだった。エドは顔を上げて、グラン・ウブラッジの頂上を振り仰いだ。
「この町だから、できた。この斜面があって初めて可能になる連続作動練成陣だったわけだ。二回目の事件、地下に描いた“爆発”練成陣をあいつが連続作動させられなかったのは、そういうわけだったのさ」
「でも、ぼくは凄いと思うよ」
とアルは言った。
「何言ってんだ、アル。このトリックを可能にしたのは、ひとえにおまえのスクリプトなんだぞ?」
「よしてよ」
「本気だって。大総統にかけあって、六茫星勲章をもらってやるよ」
アルはばたばたと手を振った。
「やめてよ、もう。でもさ、そうだとするとぼくたちの考えた“パラケルサス”が、またちょっとちがってくるね?」
「ああ。錬金術の老大家、というより、例えば」
と、言いかけて、エドは片手で額をおさえた。
「待った。あいつだ」
うわ、と、ペインター大尉が口の中でつぶやいた。
 アルたちのいる階の非常口が開き、青い制服の兵士たちがばらばらと出てきた。彼らが敬礼して立つ中を、あまり機嫌のよくなさそうな院長がのしのしとやってきた。
「悪いな、大尉。おれたち、またやっちゃった?」
エドが軽く言うと、大尉は泣き笑いのような顔になった。
「も、もう、いいです。いっしょに怒られましょう」
院長は自分が招聘した錬金術師たちを眼下ににらみつけた。まずは、ボイド。
「ガキのような錬金術師のあとにくっついてまわって、恥ずかしいと思わないのか」
軍属の哀しさで、ボイドが思わず直立不動になる。院長は目もくれず、マーヴェルに視線をうつした。
「おまえも腰ぎんちゃくか。結局グラン・ウブラッジへ何しに来たんだ、君は。ああ?!」
マーヴェルは本当に泣きそうになっていた。その次がアルだった。
「おい、顔のない男。ここは、わしの管轄だぞ。こそこそされるのはかなわん。特に、うさんくさいやつにはな」
「ぼくたちはこそこそしたおぼえはないです。堂々とやってます」
アルの指摘は、冷たいひとにらみに返された。
「ペインター……」
大尉の顔がひきつった。
「おまえはもう、何もやるなと言ったはずだ」
大尉はごくりとツバを飲み込んで言い始めた。
「院長先生、事前にご許可を得なかったのは、こちらの手落ちでしたが」
「もういい!」
院長は怒鳴りつけた。
「おまえには何も期待しておらん。最前線で散ったおまえの同僚はえらかったな、え?グラン・ウブラッジへ回ってくるのは、クズだけだ」
大尉はうなだれた。
「そして」
院長のほこさきが、エドに向かおうとしたときだった。
「行こう、アル」
そう言って、エドは院長の脇をすりぬけた。院長は、つかみかかりたいような形相になった。
「待てっ、きさま」
「いやだ、待たない」
「話は終わっとらんぞ」
「おれには何も、話すことはないね」
そう言ってエドは、歩いていった。ざっと音を立てて、兵士たちがその前を遮った。
「よせよせ。あんたら、国家錬金術師の実験を邪魔する度胸があるのかよ」
はるかに小さいエドの言葉に、兵士たちが動揺した。エドは後ろも見ないで言った。
「おい、院長」
「な、なんだ」
「あんたがおれたちを招聘したときの条件をちゃんと確かめてみな。学術目的の実験は無制限だぞ」
院長はまた顔色が真っ赤になった。
「きさま、それが」
「ああ、これがおれの態度だよ。どこへ行ってもな」
「それで通ると思うかっ、小生意気なガキが」
額に筋が浮いている。血圧高そうだけど、だいじょうぶかな、とアルはぼんやり考えた。
 エドがはじめて振り向いた。
「このいばり屋の、ねたみ屋。業績あげのために手段を選ばない悪党。そのくせ、他人が何か始めると気になってしかたがないから、やたらのぞきにくる小心者」
院長の目玉は、飛び出しそうだった。
 アルは手をひらひらさせた。
「兄さん!兄さんたら、そんないきなり本当のこと言っちゃ」
「うるさいっ」
歯軋りとともに院長はそう吐き出した。
「何とでも言え。私はいつまでもこんなところでくすぶっているつもりはない。南方司令部は、わたしの値打ちがわかる人間はおらんのだ。セントラルへ配置換えになったら、おぼえていろよ?」
「ほざくだけなら、タダだよな」
院長は吼えた。
「もうすぐだっ。阿片の実から、粉末がとれるようになる。阿片粉末は、十倍の重さの金に等しい!」
院長は自分の言葉に酔ったようだった。
「それだけの富が、どれほどの政治的な力になるか、おまえのようなガキにわかるか?セントラルならきっと、その重要性を理解できるはずだ!」
「もう、刈り取りを始めるのか?」
「そうとも。“パラケルサス”がふっ飛ばしたのはサンプルに過ぎん。本格的な阿片づくりはこれからだ!あの大温室があるかぎり、いくらでも造ることができる」
「でかい声だな」
エドは、やれやれと首を振った。
「バカか、あんた」

 ヘイバーン院長は、かっかしていた。
「あのガキ……あのチビ……躾けがなっとらん!親の顔が見たいわ」
ターナー看護婦がふりむいた。
「院長先生、何かおっしゃいましたか?」
「かまうなっ」
怒号は、彼女の冷静なマスクにぶつかってくだけちった。はい、と小さく返事をして、ターナー看護婦は、カルテを机の上に置いた。
「これはもういい」
「午後の手術のものですが」
「医局の適当なやつに渡せ。わたしには口答えをしないでもらいたいものだ」
いらいらと院長は言った。
「大尉を呼んでくれ」
「管理部のペインター大尉でしょうか」
院長はまた、声を張り上げた。
「あの役立たずに用はないっ」
どれだけどなっても、ターナー看護婦はおびえなかった。院長の苛立ちは、いっそう募った。
「直属の常駐軍の大尉殿ですね」
「そうだ。それからコーヒー」
そのとき、誰かが院長室の扉をノックした。院長は顔をしかめ、扉のほうへあごをしゃくった。ターナー看護婦が扉を開いた。
「院長いる?」
ついさきほどまで散々こけにしてくれた、少年錬金術師だった。ごつい鎧姿の弟はいなかった。
「こんなところまで何をしに来た!」
「聞きたいことがある」
エドワード・エルリックは、ターナー看護婦を見上げた。どこか気遣うような表情だった。
「悪いんだけど、席をはずしてもらえないかな?」
「わかりました」
ターナー看護婦は、院長がついぞ見ない表情……微笑を浮かべ、会釈して出て行った。出て行く足取りが、なんとなくうれしそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「もうすぐ刈り取りが始まることを知っているのは、グラン・ウブラッジの中で、誰だ?」
と、いきなりエドは聞いた。
院長は鼻を鳴らした。
「べつに隠すことでもないからな。阿片づくりは合法なのだ」
「そうだったな」
エドは言い、指で軽く、前髪をすいた。
「“パラケルサス”が、動き出すぞ」
「なんだと?」
「あいつの狙いが、阿片の壊滅にあるとしたら、木箱だけじゃ済まない」
院長は言葉に詰まった。
「まったく、あんた、声がでかすぎるよ。グラン・ウブラッジ全体に宣伝しちゃったんだな?そろそろ次の阿片ができてくるって」
「それで。私にどうしろと言うんだ」
「十中八九、“パラケルサス”は花畑を狙ってやってくる」
思わず院長はぎくっとした。サンプルが焼失したいま、あの花畑だけが、野望をつなぎとめているのだった。
「地下の大温室の警備の担当は?交代時間は?装備は?」
「そこまでは……部下に聞いてくれ」
エドはしばらく黙っていた。
「じゃあ、明日から警備をとりわけ厳重にしてほしい」
「言われなくてもわかっとる。明日といわず、今夜から」
エドは首を振った。
「明日から、だ。そこがミソなんでね。『警備を強化するので、明日から温室は立ち入り禁止』という内容の注意書きを作って、グラン・ウブラッジ中に貼りだしてほしい」
院長はせめてもの抵抗を試みた。
「わたしも、部下たちも、注意書きを一枚づつ作るほど暇ではない」
「管理部に頼んで作成してもらってくれ。絶対、必要なんだ。いいな?」

 ジェニー・レンは、やつあたりをこめてタイプライターのバーを戻した。チン、と大きな音がした。
「ついてないわ」
管理部員は夕食をとりに一般食堂の方へ降りてしまっているが、ジェニーの前には院長命令の残業がでんと乗っていた。
「ええと、『本日より地下フロア一帯及び大温室は、厳重な立ち入り禁止とする』と」
気配を感じてジェニーは顔を上げた。
「あ、大尉も残業ですか?」
ペインター大尉だった。
「帳簿を、ちょっとね」
気の弱いのが玉にキズだがなかなかハンサムな大尉と二人きり、というのは、悪くなかった。
「コーヒー、飲む?」
「あ、いれましょうか」
「ああ、座ってて。たまには、いれるよ」
すいません、と言ってまたタイプライターに向かった。しばらくすると、コーヒーのいい香りが漂った。
「阿片の効能を発見したのは、錬金術師だったんですってね」
コーヒーカップを持った大尉がふりむいた。
「詳しいねぇ」
「ロッティ……ターナーさんが教えてくれたんです。大昔の錬金術師は、医師でもあったんだ、って」
砂糖とクリームは、と大尉は聞いてくれた。
「でも、阿片にはいいイメージないなあ。院長先生がからんでるせいかな」
そう言って、大尉はタイプライターのそばに、コーヒーカップを置いた。
「鎮痛剤としては、いい薬なんでしょ?」
「いい薬っていうのは、たいてい強い毒でもあるらしいよ。安全な薬は、あんまり効かないんだって。ほら、“毒にも薬にもならない”っていうやつ」
「阿片の場合、飲みすぎが問題なんですよね」
「それが阿片中毒だ。悲惨だよね」
「ここだけの話、人をだまして、阿片を高いお金で買い続けさせるなんて、ひどいと思うんです。それが、合法だっていうんだから、まったく」
しゃべりながら手も動かし続けていたおかげで、原稿は仕上がってしまった。
「これ、明日印刷でいいかしら」
「いいんじゃないの?もう夜だし」
ジェニーは大きな封筒に書類をおさめ、机に置いた。
「じゃ、お先に失礼させていただきます。コーヒーごちそうさまでした」
「どういたしまして。カップ、洗っておくよ。しばらく帳簿見てるから」