パラケルサスの犯罪 20.第四章 第一話

 グラン・ウブラッジの管理部は、この大病院兼都市を陰で支える場所だった。豪華な幹部用のフロアから一階下がったところにあり、軍部というよりお役所の雰囲気が強い。
 実際、グラン・ウブラッジに常駐している部隊は院長の直属でいちおう精鋭ということになっているが、この管理部のほうは南方司令部の総務から派遣の形だった。
 机がいくつも並び、壁に大きな黒板がかかっていて、いろいろな予定が書き出されている。愛煙家が多いらしく、あちこちからタバコの煙が上がっていた。
「すいません、ペインター大尉はいらっしゃいますか?」
アルが聞くと、青い制服の女性兵士が振り向いて、ギョッとした顔になった。
「あ、その、ぼくは」
たいていの人は、アルを見たとき、こういう反応を示す。だが、女性兵士はすぐに気を落ち着かせた。
「エルリックさんですね、錬金術師の助手の」
「はい」
「大尉は、あ、今こちらへ来ます」
机の列の向こうから、ペインター大尉がやってきた。ウィーバー軍曹やほかの兵士がいっしょだった。何か打ち合わせでもしていたらしい。
「すいません、兄が実験をやるって言い出したんです。屋上の砲塔群のところへ出たいんですが、鍵を貸してもらえますか」
「ああ、わかりました。お待ちください」
大尉は壁際に近寄ると、同じような鍵束がいくつもかかっている中から、一つ選んで取りはずした。じゃら、と音がした。
「実験て、錬金術のですか?」
「そうらしいです。あと、チョークか何かありますか」
「ジェニー、貸してもらえる?」
最初の女性兵士が、机の引き出しから、紙箱入りのチョークを出してアルに渡した。
「使いかけですけど」
「じゅうぶんです。ありがとう」
 実験するとエドが言い出したのは、今朝のことだった。昨日、アルと一緒に駅まで電話を借りに行き、東方司令部と何か話をしていたようだった。
 アルには会話の中身はあまりよく聞こえなかった。だが電話の最後のほうで、エドは“いいとこどりはしない”と言っていた。その口調がアルには気になった。思いつめているようだった。
「ここんとこ、兄さんのようすが、何か変なんです」
屋上へ向かって歩きながら、アルはそう言ってみた。
「体調でも崩したのでは?」
と、大尉は言った。
「ロングホーンさんも、具合が悪いみたいですよ。水があわないらしくて」
「ぼくも兄さんも、この一年あちこち旅行してばかりですけど、水があわないってことはあまりなかったんです。体調が悪いというより、なにか悩んでいるみたいなんですけど」
う~ん、と大尉は真剣に考え込んだ。
「あ、その、すいません」
あまり真剣なのでアルが言うと大尉は顔を上げ、人のよさそうな表情で笑った。
「兄弟仲がいいですね」
「え、そうですか。これでもごく最近まで、ぼくたち、とっくみあいの兄弟げんかをしてたんですよ」
あはは、と大尉は笑った。
「エドワードさんもかなりできるけど、体格に差がありすぎて、勝負にならないでしょう?」
「ええ、まあ……」
階段をあがったところに、マーヴェルがいた。
「アルフォンス君、何か始めるのかい?」
「練成陣の実験ですって」
ほお、という口をしてマーヴェルは言った。
「拝見してもいいかな」
「かまわないと思いますよ」
とアルは言った。
「じゃ、ボイド君にも声をかけてくるよ」
結局、ボイドもやってきて、エドのところについたときは、四人だった。
「や、大尉、悪いな」
「どういたしまして。これが鍵です」
「実は、一つ下の階にも出たいんだけど」
「その鍵束で、全部開きますよ」
「そうか」
「で、いったい、なにをするんだねっ?」
マーヴェルが目を輝かせて聞いた。
「一番最初に“パラケルサス”がやった練成の過程を再現できるんじゃないかと思って」
「じゃ、練成陣の連続作動を!?」
はしゃぐマーヴェルに、ボイドがぴしゃりと言った。
「まさか。練成陣の基本は円の力だ。循環する力は円の中からは出られない。出てしまえば循環しないのだから、力は発動しない。基本中の基本だ!」
エドは指先で額をかいた。
「いや、そこまで本格的な話じゃなくて。ま、百聞は一見にしかずだな。アル、チョークくれよ」
「はいこれ」
アルは、長めの白いチョークを渡した。もし町で誰か、ポケットのふちがチョークの粉で白くなっている人物がいたら、それはビリヤードの点付け係か、小学校の教師か、さもなければ錬金術師だ。アルとエドの所属する業界で、もっともよく使われる道具の一つだった。
「おれは上いくから、おまえは下にいてくれ」
「わかった」
「ぼくたちも、見学させてもらうよ」
ボイドとマーヴェルは、エドといっしょに非常口から外の砲塔群へ出て行った。
「わくわくしますね!」
アルはペインター大尉といっしょに、下の階へ向かった。
下の階の非常口を出ると、大尉がまず、言った。
「うわっ、風が強いな」
大尉の軍服の上着のすそが、ばたばたと音を立ててはためいている。今日もよく晴れて、グラン・ウブラッジ古戦場と、その向こうの駅や農場がよく見えた。
 “下”の階は、病棟の六階くらいにあたるだろうか。足場はあいかわらず手すりも何もなく、めまいがするほど高かった。
「お~い」
上からエドの声がした。
「兄さん?ここだよ!」
「こっち来てくれ、アル。おれたちのいる、真下まで」
アルは、そろそろと移動して、エドのいるところの真下に立った。キャットウォークのはしまで下がってうんと頭をそらせて、やっと上の階のエドが見える。ふつうに顔を上げただけでは、ずんぐりした砲塔を支えるコンクリートしか見えない。
「ここでいい?」
「OK!」
「あまり練成陣を描くスペースがないよ?」
アルと大尉の居る場所は、両側に砲塔がでんと載っていて、あまり広くはない。
「小さいのでいいんだ」
と、エドが上から叫んだ。
「その場所に描けるぎりぎりの大きさで、練成陣をつくってくれ」
「式は?」
向かい風にどなっているようで、なかなか声が通らない。
「ん~、再現目的の実験だから、機銃が練成されるようにしてくれ。ただし、撃つつもりはないから引き金は固定しなくていい」
「わかった~」
「アル!」
「え?」
「一番外側に、おまえのスクリプトを描いてくれ」
「ぼくのって、あれ?練成材料を検出するやつ?」
「そうだ!絶対だぞ」
はいはい、とつぶやいて、アルはチョークを手にかがみこんだ。上に張り出した砲塔の支えが覆い被さるようで、そこはひんやりとした日陰になっていた。
「アルフォンスさん、自分にお手伝いできることがありますか?」
ペインター大尉だった。
「いえ、おかまいなく」
二重の円、内接する五芒星、その各頂点にシンボル、間を埋めるスクリプト、すべては構築式へ。
「あのう、つかぬ事をお尋ねしますが」
「はい?」
大尉は感心したような表情で、アルの手元をのぞきこんでいた。
「“これ造れ、あれ造れ”って言われて、すぐに必要な式とか、シンボルとか、思い出せるんですか?」
アルはこくこくとうなずいた。
「やったことのあるものなら、わりあい簡単です」
「凄いなあ」
「ええと、その、だからよく練成するものは得意だし、あまりやらないものは不得意です」
「エドワードさんも?」
「兄さんはだいたいなんでもできますけどね」
一度もつくったことのないシロモノでも、両手をあわせるだけで。アルは咳払いした。
「一番得意な分野は、金属だって本人は言ってます」
「へええ」
大尉は上を向いた。風向きによって、上の階から声が聞こえてくる。
「どーしてそこにそーゆーものを」
「うっせーな、これでいーんだよっ」
「しかしそんな状態で進めたら、穴が開くぞ」
「それが狙いなんだ!横でごちゃごちゃ言うな」
「でも、エルリック君、これはなんだい?見たこともない組み合わせだし」
「だーっ、もう、うぜぇ!」
「そんな乱暴なスクリプトを描くやつがあるか!」
「乱暴じゃないんだ、こっちに補完するスクリプトを描くんだから」
「えーっ、どうやるんだい?」
「勘弁してくれ。ああ、めんどくせぇ。こんなもん描くの、ひさしぶりなんだよ、おれ」
几帳面で口うるさいボイドと、無邪気な知りたがり屋のマーヴェルが、横からしょっちゅう口をはさんでいる。そこへ気の短いエドのどなり声がまじり、上の階はにぎやかなこと、このうえなかった。
 アルは首を振った。
「兄さん、ここんとこ、いつもなしで済ましてたからねぇ」
アルはためいきをつき、自分の練成陣を仕上げてチョークを置いた。
「お~い、描いたよ?」
「ちょっと待っててくれ!」
なんとか邪魔者を撃退して、久々の練成陣を仕上げたらしい。しばらくすると、エドが顔を出した。
「よし、発動してくれ」
「練成の材料、何も入ってないよ?」
「それでいいんだ」
「でも、たぶん、何も反応しないと思う」
「そのはずだな」
エドは落ち着いていた。
 アルは肩をすくめ、練成陣の上に両手のひらを重ねた。意識を集中させる。突然、手の中に何かがうまれた。手ごたえを感じる。そこには、まぎれもない“力”が脈々と息づいていた。
「来た!」
アルは、“力”を解き放った。
何も起こらない。起こりようがなかった。
「兄さん、やってみたよ?」
「よし、こっちも行く!アル、大尉、少し離れて見ててくれ」
あんたたち、どいててくれ、と、エドが錬金術師たちを遠ざけるのをアルは聞いた。
「行け!」
エドがつぶやく。上のほうでまぶしいような練成反応が起こった。
 アルは首をひねった。いったい、上の階に描かれた練成陣は、何を練成しているのだろう?見上げるアルの目には、コンクリートの塊しか見えなかった。
「あれ?」
だが、そのコンクリートの部分から、光がさした。穴が開き始めているらしい。日陰なのに、太陽が差し込んでいる。
「コンクリをたくさん使って、何か作ってるんだ。材料をとりすぎて、穴ができちゃったんだな」
エドにも似合わない、錬金術のシロウトがやりそうな失策だった。
 次の瞬間、わっと言ってアルは飛びのいた。上から何か、ごついものが落ちてきたのだった。
「これ、補強板だ」
アルの頭上の砲塔支えは、厚めの鉄の板で覆われている。コンクリート部分がなくなってしまったので、埋め込んだネジごと下へ落ちてきたものらしかった。
ぼとぼととネジが落ち、補強版が数枚降ってくる。着地したところは、ちょうど、下の練成陣の真ん中。
 ただのチョークの線が、うっすらと光を帯びた。
 光は急激に輝きを増した。
 白熱の波。
 練成反応である。
 大尉が息を呑む音がした。
 練成陣のなかで、鉄の塊がみるみるうちに立ち上がる。あっというまに、黒光りする銃身を持つ、機銃ができあがっていた。
アルは片手で額をおさえた。
「こんな……」
上からエドの声が降ってきた。
「うまくいったみたいだな!」
大きな穴から、エドの顔がのぞきこんでいた。