鬼神

DQ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負(第54回) by tonnbo_trumpet

 森の女王の威厳と戯れる乙女の愛らしさをあわせもったエルフの貴婦人が、そのたおやかな白い手をかざした。
 手の下にあるのは赤みがかった黒いもやに覆われた小さな手箱だった。
「ロザリーさま、ご無理はなさいませぬよう」
軽めの鎧をつけ銀の弓を背に負ったエルフの弓兵たちの長が心配そうに声をかけた。
「だいじょうぶ」
ロザリーは、うっすらとほほえんでいた。
「ただの呪いです。開き方がわかればそのまま解けますわ」
 ロザリーは古エルフの生き残りであり、今の世では失われてしまった知識や魔法を受け継いでいる。そのため今のエルフたちにはお手上げの難問があると、ロザリーはときおりその力を頼られることがあった。
 そういうときエルフたちは、こぞってロザリーヒルを訪れる。そこは魔王ピサロの庇護によってロザリーの住まう塔のある場所だった。魔王公認であるため、エルフとは仇敵どうしの魔族もロザリーヒルには手を出さない。ある意味世界一安全な場所でもあった。
 ロザリーはその日、村の境界線を出て草原の中央へ赴いた。とあるエルフの一族から呪われた手箱を託されてきたエルフの弓兵たちは、うっとりと彼女をむかえた。
 現存するただ一人の古エルフであり、魔王ピサロの寵愛を受ける森の貴婦人は、白い美しい馬に騎乗して現れた。馬のくつわをとるのは、黒い長上着と黒いズボンを身につけた背の高い男の召使だった。
 黒服の従者は持ってきた長柄の日傘を草原に固定し、その下に折りたたみの簡単なストールを置いて女主人を座らせた。うやうやしく従者が差し出す手を借りて、ロザリーは女王のようにその座におさまった。
「ありがとう、ピサロナイト」
寡黙なピサロナイトは拱手して頭を垂れ、無言で一歩引いた。
 ロザリーは、複雑な呪いを施された手箱の開呪を依頼されていた。人の目にはわからないが、その手箱は己の周りに黒い障気を絶え間なく噴出させて誰にも手を触れさせない。だがロザリーには障気のなかに魔法文字が見えるらしく、白魚の指で大気を探るようにして開呪法をさぐっていた。
 彼女の集中を乱さないようにエルフたちは沈黙していた。彼らがいるのはロザリーヒルのまわりにある草原だった。太陽が命をはぐくみ、草が、樹が、虫が、獣が、短い期間にせいいっぱい繁殖しようと生き急いでいる。エルフたちの額の汗をさわやかな風が触れて冷やしていった。
 時が流れた。弓兵たちは落ち着かない気持ちでロザリーを眺めていた。
--時間がかかるな。まだか……。
--本当はだめなのに、時間を稼いでいるのではないか?
--しょせん、魔王などとかかわりあう女など信用できるものか。
 突然ロザリーが朱唇を開いた。
「この呪いは、二重三重になっています。これから最後の呪いを破りますが、その瞬間この手箱は魔獣を生み出して呪い破りを行った者を襲うようになっています。覚悟はよろしいですか」
エルフ兵たちは互いの顔を見合った。
 何がいやだといって、エルフにとってむき出しの激情や悪意ほど苦手なものはない。だが呪いとはそもそも悪意の塊なのだ。
「え、あの、その」
もじもじしている弓兵たちをロザリーは見渡した。
「このまま開けないでお返ししましょうか」
 弓兵の中の一人が、姑息なことを言い始めた。
「でも、そんな恐ろしいものが出てきたら、まっさきにロザリー様が……噛まれてしまいます」
ロザリーは紅の瞳でその弓兵を見つめた。
「魔王ピサロは、そのようになることを望みません」
ま、まぁ、と弓兵は口走った。
「ずいぶんと魔王の寵愛に自信がおありのようで」
ちら、とロザリーは視線をとばした。その視線を受け止めたのは、寡黙で慎ましい黒服の従者だった。彼はその手に皮の鞘に納めた剣を抱え、無言で顎を引いた。いつでもどうぞ、ロザリー様、と。
 ロザリーの手が呪われた手箱の上で数度翻った。早い調子でその唇が呪い破りの呪文を唱えた。きぃん、と金属音が鳴った。手箱の留め金が音を立ててはずれ、蓋が大きく開いた。
 ぎぇーっ、と奇声があがった。同時に大気の中へ悪臭が漂った。毒々しい悪意は、鋭い爪の狂った大猿として具現化した。
「くっ」
エルフ兵はあわてふためいた。エルフたちは少数の例外をのぞいて近接戦闘を嫌う。悪意も殺意も、忌避の対象なのだ。彼らが得意とする戦法は弓術のような、距離を置いての遠距離攻撃だった。が、これだけ近いと弓も使えずにエルフ兵は混乱した。
 呪われた手箱の中から、口から泡を飛ばしていきりたつ大猿が何頭も飛び出してきた。
「げっ、げっ、ぎげげっ」
ほんの少し前の静寂と平和が、下品な猿怪にかき乱されていく。ついに一頭が鋭い爪をむき出しにしてロザリーに襲いかかった。
 そのとき、黒服の従者が動いた。謙虚も寡黙も、その瞬間に消え失せた。先ほどまでの控えめな従者とはまるで別人の、容赦のない俊敏な戦士がそこにいた。
 皮の鞘から滑り出したのは長大な剛剣だった。どう見ても重そうなその剣を片手にひっさげピサロナイトは走った。
 抜刀して頭上へ振り上げ、苛烈な一撃を見舞うまでがひと呼吸だった。ロザリーにつめよろうとしていた猿怪は袈裟懸けにたたき斬られた。
 ストールに座ったままのロザリーは目を閉じた。
 ずしゃ、ばさっと剣戟の音が響きわたった。猿怪どもはあるいは悲鳴を上げ、あるいは猛り狂ったが、一頭も助からなかった。
 こわごわとエルフ兵は彼を見上げた。猿怪の紫がかった体液が返り血として大量にピサロナイトの顔にも身体にもかかっていた。その鬼神のような姿で、ピサロナイトは刃についた体液を振り払い、ゆっくり鞘におさめた。
「御前を汚しました、ロザリー様。どうかお許しを」
 ロザリーはストールから立ち上がった。エルフ兵の長に手箱を渡した。
「これを」
「お、恐れ入ります」
ロザリーの目が、さきほどのエルフ兵を捉えた。
「これほどの剣士を、私一人の安全のためにここへ張り付けておく。ピサロ様のお心に私が自信を持ってはいけませんか」
言い返すこともできずに、エルフ兵はうつむいた。
「戻りましょう」
そう言ってロザリーはエルフたちに背を向けた。ロザリーとピサロナイトの目があった。身だしなみのよい従者に立ち戻り、返り血をぬぐっていたピサロナイトが初めて微笑んだ。
「お送りいたします、ロザリー様」
と鬼神のような従者が静かにそう言った。