泣き虫親分 6.チキンレース

 警備隊長は、青くなった。
「あの老兵は、その、御政道に異論ありということで、城内の牢へ呼んで叱責しております」
そう言って、ちらっと王妃を見た。
 セイラは、ほっとしていた。なにはともあれ、その件に関しては、王妃が命じたことではなかったのである。
「あの老人は、昔、余の父上の命を救ったのだ。以来、放言苦しからずという扱いであったのだが、それほど聞き逃せない異論であったのか?」
警備隊長は、しきりに汗をぬぐった。
「よくは存じません。ただ、レンフォード殿がそのように聞いた、と訴えられましたので」
「そんなことが、ありましたの?」
王妃は、興味もなさそうだった。
 城も国も、ヘンリー派とデール派に分かれ、ヘンリー側についた人間は次々と投獄されている、とはセイラも知っていた。が、フランクていどの小物は、警備隊長が証拠もなく密告だけで逮捕してしまうというのはよくあることだった。
「レンフォードには余から言っておく。フランクじいは、牢から出してやれ。まだまだヘンリーに、にらみをきかせてもらわなくてはならないからな」
「か、かしこまりました」
デールは、あどけないような微笑を浮かべた。
「よかったですね、母上」
「本当に。デール、おまえは乱暴な遊びをしてはいけませんよ?」
デールはにっこり笑ってうけあった。
「もちろんです、母上」

 王妃の命令で、セイラは自室へ戻るエリオス王とデール王子を、廊下まで見送っていった。商家で育ったセイラが驚いたことの一つが、王家の家族の疎遠さである。お互い、別々の部屋で暮らし、会うときは侍女や従僕を先触れに出して都合を聞かなければならない。会えば会ったで、大勢の召使に囲まれて、敬語の会話を上品にかわす。
 例外は、城中に出没するヘンリーくらいのものだった。
 廊下の先は二つに分かれている。エリオス王もデール王子も、それぞれの侍女侍従に囲まれて、別々の部屋へ向かう所だった。小さなホールのようになっていて、大きく窓が取ってある。なにやら外が騒がしいとセイラはぼんやり思った。
 ふと、エリオスが次男に言った。
「いろいろとおまえたちに背負わせてしまった。悪かったね、デール」
なんのことだろう、とセイラは、見送りのために伏し目にしていた視線をそっとあげて王のほうをうかがった。
 デールは、薄い水色の瞳で父王を見上げた。
「ぼくたちは大丈夫です」
ひどく大人びたまなざしだった。
「父上、母上のことを、お好きですか?」
エリオスはそっとデールの髪に触れた。
「アデルは彼女なりにまっすぐだ。かわいいひとだよ。デール、ヘンリーと仲良くしているのかい?」
「父上がご存知の通りです」
「そうか」
言うなりエリオスは、セイラがどきっとするような豪華な笑顔を見せてくれた。
「父上」
デールは、遠慮がちにエリオスのケープのすそをつかんだ。
「抱っこしてください、とお願いしてもいいですか?」
「いいよ?」
珍しく子どもっぽいしぐさで、デールはエリオスの首に腕を巻きつけて抱き上げてもらった。
「ありがとうございます。ぼく、あの屋根の向こうを見たかったのです」

 ヘンリーは、見張り台の一番はしへ後退した。
「おれをつかまえるって?手柄にするって?あんまりなめてくれるなよ」
ランスは一歩近寄った。
「無駄だ。こっちへ来い」
「やだね」
ランスはむっとしたようだった。
 オレストは、城壁の上にいた。見張り台からは風に乗って、子どもっぽい声が流れてくる。近づくに連れて、にらみ合う子どもたちがはっきり見えてきた。
「今じゃ、おれたちのほうが立場は強いんだぞ。負け犬のくせに」
ランスが言うと、大きく口を開けてヘンリーは笑った。
「でもおまえは今、おれのことをなんともできないじゃないか!おまえは来い、と命令する。でも、おれはおまえの命令なんて聞く義理はないんだ。さて、強いのはどっちだ?」
「おれには王妃様がついてる」
「おまえさ、絶対、親分にはなれないぞ?命令のし方がわかってないんだ」
「ごちゃごちゃ言うな!死ぬまでそこにいる気か?」
ヘンリーは胸の前で、両手をひらひらさせた。
「おまえにつかまるくらいなら、それでもいいなあ」
「なんだと?」
ヘンリーは、片足を軽く上げて、すぐ後ろの見張り台の縁にかかとを乗せた。
「そろそろかな。ランス、おれがここから、もう一歩下がるって言ったら、おまえ、止められるか?」
ランスはせせら笑おうとしたが、顔が引きつっただけだった。
「バカな……」
「義母上が、おまえをかばいとおしてくれるといいけどなあ?」
ランスは唾を飲み込んだ。
 今、ヘンリーが墜落死したら。
 すべてがランスのせいということになれば、デール王子は文句なしで王太子となれる。
 王妃はおそらく、ランス一人を切り捨てて、かわりに次期国王の生母の座を取るだろう。それは、貴族の家に生まれた者にはわかりやすくもありふれた構図だった。
 ランスは、しわがれた声をあげた。
「戻れ、戻ってきてくれ!」
「じゃあなっ」
陽気に言うと、ヘンリーはまさに一歩だけ、後へ踏み出したのだった。
「ぎゃあっ」
悲鳴をあげたのはランスのほうだった。オレストはランスにかまわず、ヘンリーの落ちたあたりへ突進した。オレストの眼下、はるか下方、城の外壁が尽きて濠になるあたりを、青いケープが一枚、ひらりと舞って落ちて行くのが見えた。オレストの総身から血の気がひいた。
「まさかっ」

 エリオスとデールの見ている窓から、見張り台の裏側が良く見えた。話し声が途切れたかと思うと、子どもの悲鳴があがり、ヘンリーが垂直に落ちて……真下にある部屋の窓の、石造りのひさしに飛び降りてきた。落下は大人の身長の半分ほどの高さに過ぎない。
 見張り台の縁から自分の頭がのぞかないようにひさしの上でしゃがみこみ、留め金をはずし、青いケープをさっと空中へ放つ。ケープはヘンリーの代わりに視線を集めて、ひらひらと落ちていった。
「おや、見事なもんだ」
「むずかしいですよね~」
父と弟の、のんびりした評が聞こえたのか、ヘンリーはこちらへ向かって一度手を振り、壁のくぼみに手をかけて窓まで降り始めた。
「あのへんは崩れやすいのだぞ?あぶないな」
「父上も降りたことがあるのですか?」
「アドリアンたちをおどかすのに、よく使ったよ」
くすくすとエリオスは笑った。
「セイラ」
あきれて口もきけずに見ていたセイラは、はっと我に帰った。
「は、はい」
「フランクじい、ヘンリー、それからヘンリーを追いかけていた兵士に、余の部屋へ来るように伝えておくれ」