泣き虫親分 4.ラインハット城一周三次元障害物競走

 ラインハット城警備隊長は、職制上は王国軍将軍の配下になるのだが、今の隊長は上司の命令より、日の出の勢いを誇る王妃の意に添う方を、重要視する男だった。
 兵士の一人が、ヘンリー様は星の間へ逃げ込まれました、と報告に来ると、隊長は、王妃に忠誠心を見せるのはこのときとばかり、部下の大半を率いてものものしく捕り物に乗り出した。
「ヘンリー様は、どちらだ?」
 先に星の間を包囲していた兵士たちが、奥にいらっしゃいます、と告げた。星の間は、青く塗った高い丸天井の美しい部屋だった。ラインハット城を訪れる来賓の休息室である。
「ヘンリーさま、」
言いながら隊長は、部屋へ入ってきょろきょろした。
「いないぞ!」
「そんなはずは……出てはいらっしゃいませんでした!」
そのとき、オレストは、壁の奥にある巨大な飾り戸棚が、小さく開いているのを目にした。近寄って開け放ち、オレストは感嘆の声をあげた。
「どうした、オレスト、お」
チャーリーも口が利けない。戸棚の中には隠し扉がついていたのである。ヘンリーはここから脱出したに違いなかった。
「どこへつながっているんだ?」
オレストは扉を開けて首を突っ込んだが、薄暗くて何も見えなかった。
 チャーリーが隊長を呼んできた。
「ここから逃げたのは間違いない。全員、後を追え!」
オレスト、チャーリーはじめ、兵士たちは顔を見合わせた。一同、いずれもヘンリーから、インクだの手桶の汚水だのを食らったことのある者ばかりである。
「何をやっている、行くぞ!」
相手が子どもだとみくびっている隊長は、先頭きって隠し通路へ乗り込んでいった。

 隠し通路の存在は、昔から噂になっていた。実際、築城当時から軍事上の理由でひとつ、ふたつ、作られたらしい。が、代々の城主が仕掛けを増やしていったらしく、ラインハット城の壁の内側は入り組んだくもの巣のようになっていた。
 星の間に入り口を持つ通路は、東翼の廊下の、肖像画の裏が出口だった。
「どこへ行った?」
隊長はあたりを見回した。
「あそこです!」
兵士が叫ぶ。廊下を走っていく、青いケープの少年が目に映った。
「追いかけろ!」
警備隊が追うとヘンリーはちらっとこちらを見て、スピードをあげた。が、子どもの足のことで、隊長はすぐに追いつきそうになった。ヘンリーは角を曲がると一番近い扉をいきなり開けて飛び込んだ。
「お逃げなさるな!」
大声で叫ぶと、隊長は同じ扉をひきあけた。
「おやおや」
そうつぶやいたのは、室内にいた貴族の若者だった。隊長は硬直した。ディントン大公、アドリアン。だが、彼が腕に抱いているのは、ディントン大公妃ではなかった。
「これは、失礼を……」
「ノックをする礼儀くらいは、守っていただきたいね?」
優しい口調と冷たい視線でそう言われて、隊長は青くなって後退った。
「そのぉ、ヘンリー様は」
女官らしい若い女の背中に腕を回したままアドリアンは面倒くさそうに答えた。
「反対側のドアから飛び出していきましたよ。『ごめんね、叔父上』とか何とか叫んで。まったく、いたずら者なのだから。ねえ?」
恥ずかしさと誇らしさの入り混じった表情で、女官は美貌の大公の胸に顔をうずめている。アドリアンは優しくささやいた。
「寒くはないですか?隙間風が入るようだが……」
早くドアを閉めて立ち去ってくれ、の意である。隊長は蒼白になった。
「では、これにて」
あわてて逃げ出そうとした隊長の背中に、アドリアンが追い討ちをかけた。
「もうお帰りですか。職務熱心で、まことにご苦労。私から将軍に一言伝えておきましょう」
 将軍の命令を待たずに勝手にヘンリー捕獲のために部下を動かした、と伝えられては隊長の立場はない。扉の外で、あわれ警備隊長はすわりこんでしまった。
「あの、ヘンリー様はどうしましょう?」
チャーリーが聞くと、隊長はため息をついた。
「つかまえろ。それを手柄にして、王妃様におすがりすれば、なんとか首はつながるかもしれん……」

 ラインハット城一周三次元障害物競走は始まったばかりだった。女官部屋で隊長がまず、脱落している。その後も警備隊は脱落者を増やし続けていった。 坊ちゃん育ちの7歳児のはずのヘンリーは、オレストが考えていた以上のとんでもないクソガキだったのである。
「ここまでおいで~」
城の外壁にはりついて、ヘンリーは大人たちを挑発した。
「おい、あぶないぞ!」
一人が言ったが、救護室送りばかりを出してなかなか捕まえられずにいるので、警備隊のほうも頭に血が上っていた。
「いや、外壁の彫刻が足がかりになってるんだ」
「第一、あそこなら逃げ場がない。絶好のチャンスだ」
そう言って兵士二名が、窓から出て、小さな足場をつたってヘンリーに近寄ろうとした。
「よし、いいぞ!」
ヘンリーはにやっとして、上のほうを向いてそう言った。次の瞬間、兵士たちの上に砂の雨が降ってきた。
「うわっ」
普通の場所ならなんでもない砂だが、足場がいけなかった。一人が見事に足を踏み外した。もう一人がとっさに落ちた男の鎖帷子の端をつかんで、あやうく転落を免れた。下は、城の周囲をめぐる濠である。
「たすけてくれーっ」
「あははははっ」
 後年、オレストが何度も聞くことになる、会心の笑い声(のソプラノ版)をあげてヘンリーは身軽に壁を登っていった。
「二人とも、もどれ。ゆっくりとだ。誰か上の階へ行って、砂を撒いたガキどもをとっつかまえてこい。残りはおれに続け!」
指示を出してその場をまとめながら、オレストは苦りきっていた。
 ヘンリーがクリームパフで懐柔した子分たちは、親分を実によくサポートしていた。タイミングを見計らって砂を撒いたり、油をひいたり、大活躍だった。もしかして、おれの同僚どもより使えるんじゃないか、とオレストがひそかに考えたくらいである。
「いたぞ!」
上の階で捜索を続けていた兵士の一隊が、青いケープを発見して殺到した。
「おい、オレスト、あっちにもいる!」
オレストとチャーリーはほかの兵士と別行動で、二人目のケープの少年を追ったが、捕まえてみると厨房の下働きの子だった。
「しまった!」
あわてて引き返したが、他の兵士たちは悲惨だった。後で知ったことだが、完全にひっかけられたらしかった。
 回廊のアルコーヴをヘンリーが乱暴に蹴り上げると入り口がぽっかりと開く。狭い通路へ、ヘンリーがもぐりこむのを見届けて兵士たちが追いかけると、子分が外からその入り口を閉じてしまった。大きな鎧を引いてきたらしい。
 ヘンリーはあっという間に通過、出口も封じてしまう。行きも退きもできず、あわてる兵士たちをオレストとチャーリーは救出しなくてはならなかった。
 この段階で、まだ追いかける根性が残っているのは数名になっていた。
「ガキどもも、だいぶつかまえたんだがな」
「ヘンリー様も、もう、子分なしか」
はあ、はあ、と荒い息をして、オレストたちは顔を見合わせた。
「行くぞ、こんどこそ、あのクソガキ、ふんじばる!」