泣き虫親分 3.みみず入り花束

 

それは、国家行事としての大式典ではなかったが、宮廷では特別視されているもののひとつだった。宮廷人が献上という名目で贈ってくるプレゼントを、内輪で披露するのである。
 献上を受けるのは勢力の証拠、そのお披露目に招待されるのは愛顧のしるし。アデル王妃が“お友達”を集めて、宝石細工を見せびらかすのは、したがって宮廷での勢力図……誰と誰が同盟しているか、その結束の堅さはどのていどか……を見せる大事な行事だった。
 ここ数日、急に春めいてきたので、場所は城壁の上の回廊から濠の上へ大きく張り出した空中庭園である。エリオス王も、二人の王子も出席していた。
 オレストが警備に立つ位置から、幼い王子たちが見えた。デール王子はおとなしく、どことなく頼りなさそうな表情をしていた。生まれたときからアデルに大事にされ侍女たちが十重二十重に取り囲んで、オレストなどは声を聞いたこともない。
ヘンリーの方は意外としゃきっとして、何かたくらんでいる風ではない。が、オレストは油断できないと思っていた。
今日の王妃は、艶やかに咲き誇る花だった。本日の招待客は彼女の取り巻きばかりである。デールが生まれるまでは、卑賤の出よ、浅ましい女よ、と宮廷中からさげすまれていたが、次期国王の生母となるらしいとウワサが広まるにつれ、大小の貴族たちが手のひら返したように彼女にすりより、必死で取り入ろうとしていた。
 その“お友達”が声をそろえて懇願するかたちで、アデルはようやく、今日の献上品、大粒のエメラルドを配した、繊細な金の首飾りを胸につけて見せた。アデル王妃の、広くくった胸元、鎖骨も美しい白い柔肌に、エメラルドはよく映えた。
 貴族、貴婦人たちがいっせいにほめそやした。エリオス王も惚れ惚れと眺めていた。
「これは、これは。贈りがいがあるというものですね」
 首飾りの贈り主は、エリオス王の弟、ディントン大公アドリアンだった。趣味のいい青年貴族で、自ら芸術の保護者をもって任じている。今日の首飾りも、大公が目をかけている若い宝石職人の作品だった。
「アデル以外にこれほどエメラルドの似合うひとはいまいよ。あいかわらず、ご婦人の身につけるものについては、慧眼だな、アドリアン?」
エリオス王が言うと、アドリアンは気取ったしぐさで形のよい手を胸に当てて、謝意を表した。
「兄上には、遠く及びませんが」
周辺の貴婦人の間から、甘いためいきがもれた。
王家の三人兄弟、エリオス、オーリン、アドリアンは容貌も雰囲気も似ていた。どことなく遊びなれた感じがあり、話術に長け、音楽その他宮廷人の芸事は一通りそつなくこなす。たいへんな衣装道楽で、今日もスラッシュや刺繍入りの見事な衣装で決めている。三人ともすでに妻帯しているが、恋多き人生を送るのはこの家系の特徴だった。
 富と身分と若さと容姿、また弁舌と才気にめぐまれれば、宮廷行事の花形となるのは当然の成り行きであり、今日も庭園のあちこちで、三人の周りには必ず人が集まっていた。が、その最大のものはもちろん、エリオスとアデル夫妻の周囲にできていた。
 アデルは、飾り扇で半ば面をおおうようにしていたが、その陰から王に流し目をおくった。
「わたくしごとき、首飾りの台のように見えることでしょう」
とんでもない、の大合唱がわきおこる。
「では子どもに聞いてみましょう。大人と違ってウソをつかないと申しますわ、ねえ」
そう言って、デール王子のほうを見た。
 その場を緊張が走りぬけた。宮廷の常として、人々の行動の順番は、席次に深くかかわってくる。上位を差し置いて下位の者の意見を聞いてはならないのだ。
 アデルが、ヘンリー王子よりわが子を先に招いたのは、年季の入った宮廷人にとっては、堂々とした王太子位強奪宣言も同じだった。
 侍女たちの間から、ランスたちが出てきた。少年たちはうやうやしくデールの後ろに回りこんだ。
「どうぞ、殿下、母君様がお待ちでいらっしゃいます」
デールはどこか人形のように、彼らに押し出されるように歩き出した。
「まあ、デールや、お友達ができたのね」
扇の陰から、アデルはにっこりと微笑んで見せた。
「レンフォード家のランスロット殿、トレヴィル家のマクシミリアン殿、ハイゲイト家のテオドア殿。デールと仲良くしてやってくださいね」
いずれも血統正しい家系である。つまり、これは、それらの家系がアデルと同盟し、デール擁立派にまわった、というデモンストレーションなのだった。
 そのときだった。ヘンリーが動いた。介添え役の侍従があわててついてきた。青のケープに白いひだ襟のついた水色の王子服、青いタイツと、ごくまっとうなよそゆき姿だった。
 エリオス王は、屈託のない笑顔を長男へ向けた。
「おお、ヘンリーも来たか。どうだ、義母上は、お美しかろう?」
貴族たちが息を飲んだ。王妃とその義理の息子の確執にまったく無頓着なのは、ラインハット中でこの王だけだった。
「はい、父上」
ヘンリーの頭の上に、かぶっている猫が見えるような気がするとオレストは思った。
「そういえば、しばらくぶりだな。きちんと学んでおるか?」
「はい、父上。先日は家庭教師の先生と、幾何のお話をしながらお濠を散歩してまいりました」
「それはよかった」
 オレストは思わず舌打ちした。その日、オレストたち警備兵は、濠にたまった水の中からその先生を救い出さなくてはならなかった。むろん、蹴り落としたのはヘンリーである。
 だが、問題児は、悠々とケープの下から両手を出した。
「きれいな白い花が咲いておりました。義母上に差し上げようと思って、摘んでまいりました」
「おお、そうか。アデル、ここにもあなたの賛美者がいるようだぞ」
「……まあ、光栄な」
言葉とはうらはらに、アデルは感情を剥き出しにしてヘンリーをにらみつけた。
「どうぞ、義母上」
ヘンリーは白い花の束を掲げた。アデルは不快そうな表情で動かなかった。
「アデル、少しかがんで、受け取ってやっておくれ」
王が機嫌よさそうに声をかけた。アデルは高貴な身分が慈悲を持って身を落とすという態度で、しぶしぶ、かがみこんだ。
 いきなりヘンリーは、アデルの胸元に花束を乱暴にねじりこんだ。
「受け取りなっ」
侍従を振り切って、そのまま走っていった。
 居合わせた貴族たちが、いっせいに咎めるような声をあげた。が、アデルの悲鳴が声量で上回った。
「な、なんなの、これ、あ、きゃ、誰か、ああっ」
アデルは扇を投げ捨て、必死で胸元から雑草をかき出そうとしていた。花の束の間から、太ったみみずがぞろりと這い出した。一匹や二匹ではない。
「虫が、虫がっ!取ってちょうだいっ」
金とエメラルドの首飾りを、アデルはむしりとった。
「誰か、助けてぇっ」
「王妃様、お気をたしかに!」
侍女たちも狼狽している。アデルは狂ったように胸元をつかんで絶叫していた。アデルの取り巻きは、まして右往左往するばかりだった。
「おお!」
エリオス王は、破顔一笑した。
「ヘンリーめ、やりおった!アデルや、余が介抱してとらす。虫など、すぐに取ってやろう。なんと美しい胸だ。まことに眼福……」
 エリオスは嬉々としてアデルの胴着のひもをゆるめにかかっていた。若い侍女が一人、庭園の手すりを飾る幕をむしりとって、王と王妃の前に掲げた。オレストはあわてて飛び出し、反対側を持って支えた。
 侍女は生真面目な表情で、きっとオレストを見た。オレストはそれと悟って、明後日の方へ視線を固定した。すぐ後ろの、幕一枚の後ろで、半裸の王妃がすすり泣いていた。
「ひどい、ひどいわ」
「かわいそうに。部屋へお連れしよう、アデル」
「とても、歩けませぬ」
「かわいそうに。気付けの薬をもとめてこよう」
エリオス王は幕から出てくると侍女に王妃のもとへ果実酒を運ぶように命じた。
「お集まりの諸君、王子のいたずらでこのようなことになり、たいへん申し訳ないのだが、今日はおひらきとしたい」
貴族たちは了解の呟きを漏らしながら出て行った。誰も彼も気の毒そうな表情を作っていたが、王の愛妃が面目を失ったことで意地の悪い喜びが目の中に踊るのは隠せなかった。大貴族クレメンス侯爵がエリオス王に近づき、なにやら話し掛けている間、オレストの視線の先をグレイブルグ大公妃ユリアが侍女たちを連れて通り過ぎていった。
「王妃様もお気の毒に」
ちら、と幕の方を見て、小声で付け加えた。
「取り乱されるのも無理ありませんわね、あのお血筋では。いいえ、お育ちかしら?」
オレストは、向かいで幕を支えている若い侍女が、怒りのあまり息を吸い込むのを聞いた。気が付くと、王妃のすすり泣きも止んでいた。
「セイラ……」
「あ、はい」
侍女は、あわてて女主人に答えた。
「御用でしょうか」
「くやしいの」
ほとんど抑揚を欠いた声で王妃はつぶやいた。
「ものすごく、くやしい。あたくしがそう言ったって、みんなに伝えてちょうだい」
「王妃様、あの」
「『もし、あたくしとのつながりを持っていたいのなら、どうすればいいかわかるでしょう。あたくしはとても怒っている』。それだけでいいわ。どうせ、あのユリアのように、本音ではみんな、あたくしを見下しているのよ。でも、いい。あたくしを利用したいのなら、あたくしのくやしさをどうにかしてごらん。そう伝えてちょうだい、セイラ!」
セイラは立ち尽くしていた。
 取りようによってはヘンリー王子の命を奪えとそそのかすような命令である。だがオレストは、何もいえなかった。一皮めくれば弱肉強食のこの宮廷に、美貌と寵愛だけを頼りに生きる女の執念に、若いオレストは完全に圧倒されていたのだった。