泣き虫親分 5.一の子分

 自分で言っておいて、むなしい、とオレストは思った。ヘンリーの青いケープがひらひらするのを追いかけて、どこかの部屋の暖炉から、妙な隠し通路へ入り込んでしまったのである。
 暗い。前を行くチャーリーの姿さえ見えない。他の兵士がついてこないところを見ると、迷子になったのかもしれなかった。
「おい、ここはどこだ?」
「まともな階じゃないみたいだな。床下というか、天井裏というか」
前方に小さな光が見えた。
「ちょうどいい、どこにいるかわかるぞ!」
光は、足元からさしていた。穴が開いているらしい。チャーリーがその穴に目を近づけたとたん、妙にこもった悲鳴をあげた。
「なんなんだ?」
オレストが横からのぞきこむ。
 なんと、身分の低い侍女たちが共同で使う寝室だった。若い娘がうすもの一枚のあらわな姿で鏡に向かい、唇に紅をさしていた。
 早くここを出よう、とオレストは手でチャーリーを押し出した。チャーリーはしぶしぶうごきだした。
「けど、オレスト、この通路、いったい誰が作ったんだ?」
「おれが、知るか!」

 誰が作ったかわからない通路は、その後もあちこちにつながっていた。なかには、城へ参内してきた大貴族専用の控え室の裏側で、中の話が筒抜けというところへつながっている通路もあった。
 やっと明るいところへ出るとオレストとチャーリーはへとへとになっていた。いつのまにか、城の中でもかなり高いフロアへ来てしまっている。この上は、城を取り囲む城壁の上で歩哨の兵士が歩くところだった。
「こんなとこでいつも遊んでいるのか、あのガキは」
「教育上よくねえよな」
そのときだった。
「おまえたち、警備隊の所属か!」
子どもの声だった。目を上げると、ランス、マックス、テディの三人組が立っていた。あいかわらず、尊大で気難しい表情だった。
「ヘンリー様は捕らえたのか?」
「まだです」
「役に立たないやつだ!」
マックスは叫ぶように言った。
「だから、ぼくたちがつかまえなきゃならないんだろう?ああ、やだやだ。ヘンリー様のまわりには、下賎な子分どもがいっぱいいるし」
ぶつぶつとテディが言った。
「兵士!」
いきなりランスが言った。
「子分たちは逮捕したのか?」
「ほぼ全員かと思われます」
「あいつはどっちへ行った?」
「そこの廊下を曲がっていらしたようです」
聞くだけ聞くと、ランスはものも言わずに走っていった。
「あ、待ってよう、ぬけがけはずるいぞ」
テディとマックスがあとを追っていく。
けっ、とチャーリーがつぶやいた。
「クソガキもクソガキだが、あいつらもいけすかねえ。オレスト、もうほっとこうぜ」
「そうだな……いや、気になるんで、ちょっと見てくる」
「おまえもたいがい、人がいいな。責任とらされるようなことはするなよ」

 ランスは意地の悪そうな笑い方をした。
「見張り台の出口は三つ。おれはここからどかないし、あとの二つはマックスとテディがいる。逃げられないぞ」
ヘンリーは、上へ上へと登っていったのだった。着いたところは、城壁歩廊のさらに上にある、見張り台だった。
「もう、子分はみんなつかまったんだってな。おまえは一人、こっちは三人だ。おとなしく、こっちへ来い」
 風が青いケープを吹き上げる。見張り台は周囲に手すりも何もなく、目のくらむような高さだった。ヘンリーは両腕を組み、石床にしっかり足を踏ん張った。
「みんなじゃないさ、ランス。おれの、一の子分がまだ残ってる」

 髪をとき流し、白いうすものをまとって、アデル王妃は寝台に臥せっていた。エリオス王は寝台のわきにすわって、王妃の手をとり、そっとなでていた。
「さあ、さあ、もう泣かないで」
 王妃付の侍女は美しい娘たちが多かったが、このときばかりはエリオスも彼女たちには目もくれず、アデルだけにむかって、やさしく話しかけていた。
「うらやましいですわ、王妃様」
 侍女の一人がうっとりとつぶやいた。美青年の王は王妃付きの侍女たちにも笑顔と愛敬をふりまくので、たいへん人気があった。
 事実、セイラのような身分の低い……商家の出身である……侍女にさえ、王はていねいに名前を問い、その名前の韻を踏んだ即席の詩を作って、セイラの耳元にささやいてくれたのである。
 もっとも、城内の侍女や女官は一度はエリオス王から詩を献じられていて、それも彼にとってはどうやら“こんにちは、よろしく”ていどの挨拶らしい、とわかってから、セイラはむだな幻想は捨てることにしていた。
 果実酒のおかわりをもってこようと、セイラはその場をはずして控え室へ下がった。そのとき、控えの間から朋輩の侍女がやってきた。
「デール様付きの女官殿が見えたのですが、どうしましょう」
「ご用件は聞いてくださいましたか?」
「デール様が、母君をお見舞いなさりたいとか」
 王妃のプライベートエリアのあるこの一角には、庭園での騒ぎを聞いた貴族のだれかれが見舞いと称して押しかけてきていた。半分は王妃に取り入りたくて顔を出しにきたのだが、残り半分は大恥をかいた彼女がどんな顔をしているのか一目見たい、というやじ馬である。
 セイラたち侍女は、そういう客をすべて、ていねいに断っていた。が、デールだけは例外と、セイラは判断した。
「デール様ならば、大事無いと思います。おいでいただくように申し上げてください」
「わかりました」
侍女が下がってまもなく、デール王子付きの侍女が先触れに現われた。
「王妃様、デール様がお見舞いにお見えになりました」
「まあ、すぐに通して!」
 アデルは寝台の中で座りなおした。扉が開いて、6歳になるデール王子が自分の侍女たちを従えて入ってきた。レース飾りのついた紺色の服に、白いケープと白いマントで、アデル好みの王子さま風である。
 デールは父王に会釈するとすぐにアデルのそばへきて、母に両腕をまわし、ほほにキスをした。
「母上、だいじょうぶですか?」
「ええ、ええ、だいじょうぶよ。まあ、デールが心配してくれるなんて。わたくしのかわいい、かわいい、デール」
アデルは感傷的にささやきながら、小さな息子をしっかりと抱きしめた。デールは、母をなだめるように、そっと背中をたたいていた。
「母上をなだめるのは、余よりもデールのほうが上手だな」
デールは、何も言わなかったが、穏やかな笑顔を父に見せた。
「どうしてヘンリーがあんないたずらをしたのか、デールは知っているのか?」
ふん、とアデルは鼻を鳴らした。
「いたずらがしたかったのでしょう!人を困らせるのが好きだなんて、なんて子かしら!」
勢いのままに、ぐいぐいと息子を揺さぶる。母上、苦しいです、とつぶやいて、デールは腕から抜け出し、エリオスに答えた。
「どうしてかは知りませんけど、このあいだ兄上は、『フランクの頑固じじいがいなくなったから、これから好きなことができるぞ』って言ってたって、兄上の子分の一人が言っていました」
エリオスは首をかしげた。
「フランクのじい?どうして、じいがいなくなったのだ?余が子どものころから中庭で隠居しているのだぞ?」
「ぼくもわかりませんけど、逮捕されたのですって」
セイラはもう、果実酒の盆をサイドテーブルに置いて控えていた。
「城内の警備隊長を呼んできてくれないか、セイラ?」
「かしこまりました」