野薔薇の咲く村 4.戦士は微笑む

 翌日、ルークたちは小船を洞窟の中へ乗り入れた。
 以前、ラインハットの古代遺跡へ入り込んだとき、このサンタローズの洞窟とどこか似ていると思ったものだ。
「あたりまえだ。あの遺跡も、古代レヌール人が作ったからな」
ヘンリーはそう言って、器用に櫂を操った。
洞窟の中はひんやりして薄暗く、櫂が水をかくタプ、タプ、という音が規則正しく反響する。
 ルークの櫂を漕ぐ手は、とまりがちだった。道が見える。幼いルークがたった一人で、薬屋の主人を探しにいった道だ。どんなにかこわくて、そしてどきどきしたことか。あの小さなスライムは今もいるのだろうか。
 一度など、へとへとに疲れて、戻ってきてしまったことがあった。足を引きずって家へ戻るとサンチョが声をかけてくれた。
「どこへ行ってたんです、坊ちゃん。ほら、熱いスープをおあがりなさい。冷めないうちに」
 スープをすすっているうちに二階から父が降りてきて、元気に遊んだか、と聞いてにっと笑った。
 10年以上、その風景は心のそこにずっと大事にしまっていた。いつか帰れると信じて。だが。ルークは、両手のひらで額を支えた。
 すべては幻。実体のない思い出。
 何のためにぼくは生き延びたんだ?
 何のためにぼくは戻ってきたんだ?
 いつのまにか、櫂をもったまま手が止まっていたらしかった。顔をあげると、心配そうな顔でヘンリーが見ていた。
 無理にでも笑おうとしたとき、ヘンリーはすっと顔をそむけ、まったく違う方を指差して言った。
「見ろ」
 川は途中から、明らかに天然ではない、人工の柵でふさがれていた。柵の間から水だけが暗い水路をほとばしり出てくる。
「ずいぶん古い柵だ。こりゃ、いきどまりだな」
「そうだね。途中の島へつけてみよう。下り階段があった」
 その後は、長い道のりだった。古代人はさまざまな仕掛けを施しておいたようだった。
 ついに最下層へ二人はたどり着いた。そこは、明らかに他の階とは異なり、装飾を施した太い柱が天井を支える人工的な空間だった。
「ここは、サンタローズの地下か?」
「こんなもんがあったなんて」
 つきあたりは、祭壇のようになっていた。何を祭ったのかは、もう定かではない。その裏側に扉があった。
 扉の中は、小部屋になっていた。内部はふた間に分かれ、最初の間はまるで鍛冶屋の細工場のようだったが、奥にはほとんど何も置いていなかった。
「なんなんだ、ここは。祭具室か?」
「何か、あるよ」
 奥の間の方で、ルークは奇妙なものを発見した。厳重に布で巻かれた、細長い包みである。そばに羊皮紙の巻物があった。
「『ルークよ、おまえがこれを読んでいるという事は、何らかの理由で私はすでにおまえのそばにいないのだろう』」
最初の一行を読んで、ルークは絶句した。
「手紙だ、父さんからの」
ヘンリーが目を丸くした。
「なんだって、おい」
「ま、まって」
 ルークはなつかしい父の手跡を追っていった。母のマーサは不思議な力を持ち、魔界へ連れ去られたこと、伝説の装備を身に付けた勇者ならそのあとを追うことができること……。
「私は世界中を旅して天空の剣を見つけることができた。しかしいまだに伝説の勇者は見つからぬ……ルークよ!残りの防具を探し出し、勇者を見つけ、我が妻マーサを助け出すのだ。頼んだぞ、ルーク」
 ルークは、布包みをそっと取り上げた。重かった。端から少しずつ布を解いていくと、中からドラゴンを模した柄のある、大きな剣が現れた。幅広のさやに覆われて、その刀身は見えない。
「天空の剣」
この剣を父も触れたことだろう。そう思ってルークはそっとさやの上から指を触れた。不思議な感触だった。昨日出し尽くしたと思った涙が、再び熱く目じりを濡らした。
「ヘンリー、やっとわかったよ」
「なにが?」
「手がかりなんて、いいわけだ。ぼくはサンタローズに帰れば、父やサンチョが待っていて、昔と同じようにぼくを甘やかしてくれる、と、心のどこかで思い込んでいたんだ。何に裏切られたわけじゃない。思い込みだ」
「もうよせよ」
「いいんだよ。ほら、ぼくは父さんを見つけた。やっぱりここでぼくを待っていたんだ」
ルークは剣の上に手紙を重ねた。
「海辺の修道院の院長様がね、こんなことを言ってたよ。どこへ行き何をするかは、全て自分で考えなくてはいけない、でもそれが生きるということだ、って」
「ルーク」
「父さんは、ぼくに、生きろと言う。がんばれるよ、きっと」
ヘンリーはちょっと横を向き、それから、わざと乱暴に言った。
「ったく、しっかりしろよな」
「うん」
「それ、ちょっと、貸せ」
ヘンリーは天空の剣の上に自分の手を乗せた。
「死者に“許してくれ”、と言うのは“おれの心を軽くしてくれ”という意味だ」
「ヘンリー?」
「黙ってろ。だからおれは、パパスさんに“許してくれ”とは言わない。そのかわり、おれはラインハットを、けしてこのままにしてはおかない。約束する」
真顔で言ってから、ヘンリーはため息をついた。
「でもなあ、魔界に、天空の装備に、伝説の勇者か。ラインハットどころじゃないな。大変な話になっちまった」
ルークは再び剣を大切にくるみこんだ。
「さあ、行こう」
「これから、どうするんだ?」
「ビスタ港には今は船の便がないらしいから、一度オラクルベリーへ帰らない?馬車を買うお金もたまったし」
「ああ。そうするか。正直言って、都会の風が恋しくなってきた」
 足元に、光の魔方陣が現れた。
「ヘンリー、つかまって」
脱出呪文が発動し、金色の霧がかかったように周りの風景がぼやけてきた。父が使ったはずのこの部屋を、ルークは最後にもう一度見回した。
「ぼくは行きます、父さん」
ふっと足元が宙に浮く。その瞬間、ルークは、ありありと、パパスの幻を見た。
父は、いつもそうであったとおり、口元に微笑を浮かべていた。