ルプガナ9.”ローレシアの王子は海へもぐって海底を調べた”

 鞘ぐるみ、剣帯ぐるみ、大きな剣をロイはサリューに預けた。
「それから、盾と、レザーヘルメットと、防具と、荷物も頼む」
サリューの華奢な腕の中に、ロイは遠慮なく装備品を積み上げた。
「うん。濡れないようにもってるから」
 かちゃりと音をたててバックルをはずし、ベルトを取り、青い上着を脱ぐと、ひょいとサリューの腕の中の荷物の上に載せた。おっと、とつぶやいてサリューは荷物を落とさないように少し両腕をあげた。なんのためらいもなくロイは下着をめくりあげた。胸がむきだしになった。
 あれ、とアムは思った。ロイが、ひまさえあれば素振りだの腕立て伏せだの上体起こしだのをやっているのは知っていたが、ロイの腹は、もう腹筋のあるところがわかる。一歳年下のロイをまだ子供だと思っていたのだが、今見ると胸板がかなり厚く、わき腹から背にかけてたくましく発達していた。
 ロイは頭から服をはずすために両腕を高く上げていた。その腕のつけねの肩のところに筋肉が盛り上がっている。それなのに乳首は色が薄く、小さかった。
 サリューと比べるともともとロイは肌が地黒なのだとぼんやり思っていた。全体がブロンズ色だが、わき腹からわきの下にかけて色が薄く、意外に皮膚のきめが細かい。もう、なめらかな腋毛を生じているのがなんだか生意気だと思った。 そして胸からわきにかけて、くっきりと傷が残っていた。いつも最前線で戦ってるから、とアムは思った。
 すぽ、と服から頭を抜いたロイと、目が合った。
「え~っと」
微妙な顔つきをしている。アムはやっと気がついて、くるっとうしろを向いた。どうやらまじまじと見つめ観察していたのを、こちらも観察されてしまったらしい。
「ロイ、まだ?重いよ」
「もうすぐだ。ちょっと待ってろ」
 ベルモントが出してくれた船は、中型だがなかなかしっかりした船だった。もうルプガナ港は見えなくなっている。
 天候はいいとはいえない。どんよりした曇り空で、ときどきぱらぱらと雨がふってきた。風もどんどん厳しさを増している。波は高かった。
「この間の嵐に比べたら、これでもずっとましなんでさ」
 案内のために同行してきた『星降る腕輪』号の船長がそう言った。すぐそばにあの光の輪が海中深くから輝きだしている。時刻はまだ昼下がりだが、暗めの空の中、不思議な光はゆるぎなく天を指していた。
 船べりでは、水夫たちがもう用意をしている。大きな網、丈夫なロープ。レイモンの話では、財宝と例のお守りは大きな宝箱にいれてあったということだった。
 アムの視界にサリューの腕が入った。ロイの服のあらかたがその上に乗っていた。
「あと、これもな」
使い古したブーツが、とどめとばかりに荷物の上に加わった。
「うわ~、ちょっと臭う、これ」
「うっせえな。あの光ってるところへもぐればいいんだな?」
ルプガナにも潜水のできる水夫はいるのだが、海底から輝く不思議な光の中へもぐって欲しい、というと、やはり誰もしり込みしたのである。
「まじで大丈夫なんだろうな」
「ロイは勇者ロトの末裔だもの。アレは手出ししないよ。平気、平気!さ、がんばって」
 どぼん、と言う音がした。アムは船べりへ近寄った。太いロープが船から次々と繰り出されていく。だいぶ深いところまで潜っているらしい。しばらくすると、ロープが停まった。
「見つかったのかな。わくわくするよ」
「サリュー、あなた、いったい何が見つかると思っているの?」
サリューはきょとんとした。
「え?」
「え、じゃなくて。勝手に計画を進めるから、わけがわからないわ」
それに、とアムは言いかけた。
 ロイことローレシアのロイアルは、勇者ロトのというより勇者アレフの末裔なのだ。もちろん、それすなわちロトの子孫なのだが。
「なんでその“アレ”が、ロトの末裔には何もしないっていうことになるの?」
「だってアレは、竜殺しのアレフのことは知らないだろうけど、勇者ロトとは顔見知りのはずだからさ」
 聞き返そうとしたときアムはサリューの言ったことを思い出した。“そのお守り、こんな形じゃありませんでしたか?全体がアンティークゴールドで、真ん中に薔薇色のカメオがついていて”。
「ああっ」
アムは叫んだ。
「それじゃあ、あの亡霊は、彼女なの?」
サリューはにこっと笑った。
「まちがいないよ」
 そのときだった。下からロープが強くひかれた。
「合図だ!引き上げるぞ」
船上の水夫たちが巻き上げ機に取り付いて、いっせいにロープを上げ始めた。厳しい風が吹きぬけていく。水夫の額に、汗が浮かんでいた。
 ついにロープの先端が現れ、そのさきには大きな網、その中にまぎれもなく宝箱が入っていた。
「あれだっ」
サリューは身を乗り出した。雨のふりしきる水面に、ロイが顔を出した。
「見つけてやったぞ!」
前髪が額にはりついているが、何もなかったらしく元気そうだった。
「ありがとう、ロイッ」
サリューは手を振った。
「早く上がって。体、あっためてよ」
イルカのような動きでロイはゆっくり船のほうへ泳いでもどってきた。
 あの不思議な光は、やはりこの宝箱から発しているようだった。宝箱が引き上げられると、光は次第に薄れていき、網を広げたときにはもう消えていた。
 サリューは宝箱の前にかがみこんだ。レイモンから預かってきた鍵で蓋を開いた。現れた財宝の贅沢さに、水夫たちからため息がもれた。
「どこかなっ」
サリューはうれしそうに手をつっこんでかきまわしている。腰布一枚を巻きつけただけのロイが、体からぽたぽたと水滴を落としたままのぞきこんだ。
「おい、何を探してるんだ」
「あの亡霊の探し物がここにあるはず……あった!」
サリューは立ち上がった。その手には、細い鎖が握られている。その先端に下がっているのは、金細工のペンダントだった。

 ルプガナのベルモント、レイモンをはじめ、商人組合の主だった者たちと、市場の顔役、船長たちなどが、ルプガナの町外れにあるおんぼろ小路へ集まっていた。おかげで見張りの荒くれ二人は、緊張しまくっていた。
「なんでこんなに集まっちゃったんだろう」
心底不思議そうにサマは言った。場所は、涸れ井戸のある小さな広場である。
「おまえがでかいこと言うからだろう!」
ロイはためいきをついた。
「おい、本当にこんなんで、ルプガナ海峡の嵐がおさまるのか?」
「だいじょうぶだよ。ねっ」
話をふられたアムは、ええ、とつぶやいた。
「それはたぶん、大丈夫よ。問題は、彼女の亡霊が呼び込んでしまったあの“闇”だわ」
サマは考え込んだ。
「う~ん。今は、ある意味であのひとが抑えてるんだよね」
「それをこれから、ニコルからはがして昇天させようというんだもの。どうなるかしら」
「おい、何の話をしてるんだ?」
ロイはしびれをきらしてそう言った。
「まったくおまえらは、二人で納得して話をすすめやがって」
サマはえへっと笑った。
「あれ、ロイには話してなかったっけ?彼女はね、あれを渡せば納得して天に帰ってくれるはずなんだ」
「彼女が帰ったあと、ニコルが残るわ。“闇”のまんなかに取り残されて」
「もしも~し?」
「あ、ごめん、詳しく言うとね」
待って、とアムがとめた。
「ニコルが来たわよ。それに、あの子達も」
 おんぼろ小路の入り口から、両親と兄弟に囲まれたニコルが歩いてくるのが見えた。ひどく青ざめて、不安そうにしていた。
 その後ろから、ミゼットとポーラとエイメがやってきた。アムが近寄った。
「ありがとう、来てくれて」
ミゼットたちは、居心地が悪そうだった。
「うん、来るには来たけど」
「あたしたち、何ができるかわからないんだけど」
「いいのよ、こっちへ来て」
サリューが声をかけた。
「先にぼくに話をさせてくれる?」
そして、ニコルの両親に向き直った。
「すみません、これからニコルさんをお借りします」
「お待ちください、殿下」
ベルモントが来た。
「その前に、これから何をするおつもりか、お聞かせください」
「はい」
サリューは素直にうなずいた。
「ここにいるアマランス王女は死者の霊を見ることができます。ニコルさんには、ある女の亡霊が憑いていました」
ニコルの母親が息を呑んだ。
「どうしてそんなことに!」
「たぶん、ニコルさんには素質があるんです」
ニコルが驚いて顔を上げた。
「ぼくたち人間があまり霊体をよく見ることができないように、霊もぼくたちをよく見ることができません。でもニコルさんは、あちらの存在からはすごくくっきりして見えやすいみたいです」
ニコルはささやくように聞いた。
「本当ですか」
「本当だよ。ぼくの一族には占い師が多いんだけど、交霊術をやる人も少しはいるんだ。ニコルみたいな素質は霊媒って言って、交霊術者や神官にはすごく大事なの。でも、日常的には取り付かれやすいから気をつけたほうがいい」
「あ、はい」
「そんなわけで、これからぼくたちでニコルについた霊を昇天させたいと思います。ただ、ちょっと危険なことがあって」
びく、とニコルの両親が反応した。
「この子がですか?」
「そんな、この子に何かあったら!」
両側からニコルの体を護るように抱え込んでいる。
 アムはルプガナの娘たちをひきつれてそのそばへ近寄った。
「あたしを覚えてる?」
ニコルはひるんだ。盗み見るような目つきで、アムとミゼットたちを見ていた。
「何か用?」
うつむいてニコルはぼそぼそと言った。
「昔あたしの母が言ったことを、あなたにも教えてあげる」
とアムは言った。