ルプガナの嵐 7.破産した商人

 死者を視るのはあまり快い経験ではない。特に、ひとだまのような抽象的な姿ではなく、生者のようにはっきり見える場合には。実の父親の霊でさえ、全身を劫火に焼かれた凄まじい姿だった。アムは身震いした。
「見えるんだね?」
自分よりもやや劣るとはいえ、魔力を持つ従兄弟にアムはうなずいて見せた。
「いるわ。女よ。まだ若くて、そして何か、探しているみたい」
ロイは、釈然としないらしかったが、それでもニコルから離れた。
「探すって、何をだ?」
アムは呼吸を整えた。
「そこのあなた、何を探しているの?」
もてる魔力をこめて、アムはたずねた。ニコルと女の亡霊は、同時に顔を上げて答えた。
「たいせつなものよ。恋人にもらったの」
「なくしてしまったのね?」
女の顔に憎しみが浮かんだ。
「ちがうわ、あれは取られたの。でもきっと、ここにあるのよ。誰かがかくしてるんだわ」
「一体何を探してるの?それと、どうしてそれがここにあるって思うの?」
迷子になった少女のような頼りない顔で、女の亡霊は答えた。
「何を探しているのか、わからなくなっちゃったの。でも、それがあればちゃんとわかるわ。あの人が、くれたんですもの」
亡霊はニコルの手を使って自分の目元ぬぐった。
「このあいだ、この町でその気配を感じたの。だからここへ、気配の一番強いところへ来たの。それで探していたんだけど、見つからなくて」
アムはふと気付いた。
「そのときも、誰かを使ったのね?とりついて?」
「だって!あたしの体はなくなっちゃったんですもの、しょうがないわ」
女の亡霊は早口に訴えた。
「こんなことしたくなかったのよ。けど、自分でも抑えようがないの。だから人の体も借りたし、夢でみんなに呼びかけてみたわ。あれがどこにあるか知っている人がいないかと思って」
サリューがためいきをついた。
「そういうことか」
「なんだ?」
小声でサリューはロイに説明した。
「ここに人が住まなくなったわけ。毎晩住人全員が同じ夢を見たり、自分や家族が亡霊にとりつかれたりしたら、気味が悪くって住んでいられないよね」
アムはもう一度女の亡霊に向き合った。
「とにかく、その子を返してくれない?」
「この体?いやよ、まだ探すの」
幼い少女のように亡霊はだだをこねた。
「あれはあたしの、あたしの、あたしのなのよ!」
「あなたから取り上げたりしないわ」
アムはニコルの体を使っている亡霊に近寄った。
「あたしたちも手伝ってあげるわ」
十分に近寄った瞬間、アムは手にした手巾をいきなりニコルの顔にかぶせた。うっとニコルがつぶやき、その体が崩れ落ちた。
「悪いわね。この子の体はとりあえず返してもらうわよ」
「おい、何をしたんだ?」
「なんてことないわ。ハンカチに聖水をしみこませただけ」
 そのときだった。アムはぞっと身震いした。
「なに、これ」
サリューも不快そうな顔になり、両手で自分の体をひしと抱いている。
「“闇”が来てる」
立っていられないほどの悪寒にアムは襲われていた。ロイでさえ、剣の柄に手をかけて辺りを見回していた。
「何かいるよな。すごい殺気だ」
 三人は誰からともなく身を寄せ合い、背中合わせに立った。手が切れるほどの冷たさ、厳しさはどんどん募ってくる。ついにサリューが言った。
「こうしてちゃ、だめだ。出ようよ」
「ニコルを置いていけないわ」
とは言ったものの、アムはもう、体を動かすのもつらいほどだった。
 ロイはつかつかと近寄って、少女の体を肩に担ぎ上げた。
「行こうぜ」
この従兄弟の精神が“闇”に影響されにくいことが、ひどくありがたかった。

 ニコルはベルモント邸に送り届けたがベルモント氏にはやはり会えなかった。アムたちはとりあえず坂を下り下町へ戻ることにした。
「なんだったんだ、さっきの」
とロイが言った。
「ありゃあ、あれだよな。最初の日、こっちを見ていたヤツラと同じ殺気だな」
「あの女の亡霊は大量の闇を呼び寄せた、ってことじゃないかしら」
とアムは言った。
「そいつ、ハーゴンの手先か?」
「わからない。わざと闇を呼んだのか、それとも闇のほうであの亡霊のつくった空間を狙ってきたのか」
「だいたい、その、亡霊ってのは何者なんだ?」
 ロイはあいまいな言い方をした。見えないのだから仕方がない、とアムは思った。
「若い女の亡霊だとしかわからないわ。もう少し話をすれば自分の名前を明かすかもしれないけど。そうしたら昇天させられるかもしれない」
「そういうもんなのか?」
「多少は交霊の心得もあるわ」
「アムは、ホンモノだねえ」
サリューが感心したように言った。サマルトリア伝統の技術の中には、占い以外にも交霊術や浄霊術もたしかあったはず、とアムは思い出した。
「たいしたことないの。からかわないでよ。でも、これからどうすればいいかしら」
頼みの綱のニコルが亡霊の狂気のなかにあるのでは、もう、ベルモントへのツテがない。
 三人は下町に入ったところだった。港の方がいやに騒がしくなっていた。みんな小走りに港の桟橋の方へ走っていく。そうでないものは仕事の手を休めて数人づつ街角にかたまり、興奮して口々にしゃべり交わしていた。
 街角の人々の中に、ルプガナの三人娘がいた。
「なにかあったんですか?」
サリューが聞いた。ミゼットが振り向いた。
「『星降る腕輪』号が帰ってきたんだって!」
「あ、行方不明の」
「アレフガルドのガライ港からルプガナを指して出発した『星降る腕輪』号が、半月も遅れてぼろぼろになって、ついさっき入港したんですって」
「ここんところ、大体沈んでたからね。船長から水夫から、あまり人死にもなかったんですってよ」
 それはよかったわね、と言おうとしたとき、一人の男がこちらに向かってよろめいてくるのが見えた。アムは驚いてその男を見上げた。初老の紳士のようだったが、激しい心労のためにげっそりとやせていた。
「レイモンさん!」
ミゼットたちが叫んだ。少女たちはかいがいしく老人の手を取って樹の根元に座らせた。ポーラは走って、冷たいレモン水の入ったマグを持ってきた。
「さあ、これを飲んで」
レイモンと呼ばれた老人は、持っていた杖を手放すとマグを受け取った。一口レモン水をすすると、深いため息をもらした。
「船が、入港したと聞いたのでな」
苦しいようなしゃがれた声だった。
「もしや、わしの『風の狼』が」
そのあとは、嗚咽になった。
 エイメが横を向いて、小さくアムにささやいた。
「レイモンさんは、このところの嵐で、まっさきに船をなくしなさったのよ。全財産を積んだ『風の狼』号をね」
 では、気の毒に、船が戻ったと聞いて、もしや自分の持ち船ではないかと思い、ここまで出てきたのだろう。一度燃え上がった希望が潰えるのは、期待した分だけつらいはずだとアムは思った。
 レイモンは両手で頭を支えてじっとうなだれた。
「あのとき、わしが船出を急がせさえしなかったら」
ミゼットがそっと老人の腕をたたいた。
「レイモンさん、気をしっかり持って」
「お守りになるからと言われて、おんぼろ小路の商人からあれを買っていっしょに船荷に入れたのに、なんのかいもなく」
ポーラが話しかけた。
「とにかく、ルプガナに船が戻ってきたんだから、ようやくルビス様も手を緩めてくださる気になったのかもしれないですよ」
アムは小さくつぶやいた。
「ルプガナじゃ、ルビス様は海の女神なのね」
サリューはうなずいた。
「ぼくたちは大地の精霊女神と教えられたでしょ?でも、昔からルビス様は海と縁が深いみたいだよ。ルビス様の御神体がおわします神殿は海の底にあるんだって」
レイモンはようやく気持ちがおさまったようだった。
「迷惑をかけましたな、お嬢さんがた」
「お送りしましょうか?」
「いやいや」
老人は片手を振って立ち上がった。
「町に出たのは、用事もありましてな。海の底からわしの財宝を引き上げてくれる人を募ろうと思って、商人組合まで」
ミゼットが手を貸した。
「前向きなのはいいことすけど、レイモンさん、その」
「いや、お嬢さん、わしにもまだ、礼を差し上げるくらいの持ち合わせはある。心配せんでくだされ。沈んだ宝が帰ってくれば、家族と、長年いっしょにやってきた店の者たちとで、細々とでも店をやっていかれるんじゃ」