雨と太陽の王国 7.王女の胸中に深く秘めたる嘆き。この夜ラダトーム市外壁突破さる

 見事な布陣だった。
 歩兵のみだが、中央、右翼、左翼に分かれ、定石どおり中央に厚みを持たせている。うっかり正面から突っ込んでいけば、突き破ろうとしているうちに左右から包囲されて殲滅の憂き目に会う。
「こいつら、ただのオークなのか、本当に」
コーネリアスはわきの下に冷や汗を感じていた。
 中央から一頭のオークの戦士が姿をあらわした。ほかの個体に比べて頭一つ大きく、手に重そうな槍をつかんでいる。オークの戦士は、ロイアルにむかって手招きした。
「一騎打ちを望む、と?」
「ロイアルさま」
「わかってる」
ロイはコーネリアスに言った。
「これはあいつらの時間稼ぎだ。コーネリアス、信用できるものを城内各所へ配置して、床の物音に注意させろ。トンネルを掘っている音がしたらそこへ集中攻撃だ」
「ロイアル様は」
「勝手にやる」
コーネリアスの表情を見て、ロイアルは渋い顔をした。
「サマがいねえとやりにくいな。つまり、あいつを倒してくるってことだ。大将を取れば、こっちにも勝機ができる」
若さから来る傲慢なまでの自信がそこにあった。不快ではなかった。勇者のすえのあかしか、とコーネリアスは思った。
「お一人で無理をなさいませんように。世界はもう、あなたとお仲間にかかっておりますよ」
「だいじょうぶさ。勇者の末裔がどんな剣を使うか、お見せするよ」
「……御武運を!」
コーネリアスは心からそう言った。
 大刀を肩に担ぎ上げるようにして、ロイは戦場を半ばまで進んだ。敵の最前線から金色の毛皮に包まれたオークの戦士が歩いてきた。
 期せずして両者は立ち止まった。盾をつけた腕を前に、ロイは左半身を向けた。その盾をめがけて、長大な槍が突進してきた。

 ここには竜退治のアレフが使った冒険の書がない、とサリューは言った。
「たぶん、ローレシアへもってったんだな。あそこが本家だしね」
嬉々として古文書をあさるサリューは、場違いなほど楽しそうだった。
 “あきれた”が、“うらやましい”になり、そこへ小さな“ねたみ”が忍び寄ってきたようだった。
「罪は重いわね」
「え?」
アムは言わずにはいられなかった。
「私の父のこと。分家の主として、国を滅ぼすなんて」
「ねぇ」
サリューは本棚に突っ込んでいた首をもどした。
「ずっと気にしてるの?」
「あなただったら、気にしないでいられる?私はもう、王女じゃないわ。ただの、亡国の娘よ」
サリューはかりかり頭をかいた。
「ムーンペタを見たでしょ。あの難民の群れ。あんなになっても、離れていこうとしないのよ。いつかムーンブルグが蘇ると信じてるんだわ」
最初は何の悩みもないように見えるサリューを困らせてみたいだけだった。だが、小さなねたみが肩を押して、アムは自分でも止めようのない勢いで、胸のわだかまりを吐き出していた。
「バカじゃないの?!もうだめだって、わかりきってるじゃないっ」
サリューは悲しそうにアムを見つめたが、何も言わなかった。
「勝手に期待されたって、私には、むりなのに!」
アムは、恥ずかしさと悔しさで顔を覆った。長いあいだ流さなかった涙が、指の間から熱く溢れ出した。
 ちょん、とサリューがアムの肩に触れた。
「これ、あげる」
指を下ろしてみた。目の前にサリューの手のひらがあり、そのうえに乗っていたのは、一握りの干しブドウだった。
「食べていいよ。甘いよ」
世の中のどんな悲劇も干しブドウで克服できる、本気でそう思っているらしいサリューを見てアムは笑いがこみ上げてきた。
「うっ、くっくっく……」
「なんだよ。笑うならあげない」
やや気を悪くしたようにサリューは言った。
「ううん、もう笑わないからちょうだい」
やっぱり“弟”なのだ、彼は。
 アムはサリューと並んですわり、しばらく黙ったまま干しブドウをつまんだ。
「帰りたい?」
ぽつっとサリューが聞いた。
「ええ。いいえ。帰りたいのは、昔のムーンブルグ」
「じゃ、だめだよ」
真剣なまなざしでサリューは言った。
「大切に育てられた王女様だったころには、もうアムは帰れないよ。優しい父君に守られ、乳母や家庭教師の先生に甘えていた時代は、もう戻ってこないよ」
「きびしいこと」
「でも、こういうのはどう?一国の女王様になって、かわいい王子や王女から母様と慕われて、頼りになる夫君や重臣とともにムーンブルグの国民を守る立場になるんだ」
アムはまじまじとサリューを見つめた。
「ぼくもムーンペタへ行ったけどね。国民は“蘇る”とは言わなかった。“帰る”と言ってたよ。いつか、国へ帰るって」
干しブドウをつまんだまま、アムの指は止まった。
「ムーンブルグはまだ死んでないんだよ。何もかも、取り戻せる。アムがあきらめたときが、ムーンブルグの滅びる時だ」
「サリュー、あなたって」
そう言ったときだった。トールが走りこんできた。
「アマランス様、サーリュージュ様、敵が城下へ侵入いたしました!」
「まさか、ロイが負けるわけないわ!」
「ロイアル様は城外にて交戦中です」
「そういうことね?」
アムは立ち上がって、手の甲で残った涙をこすって拭いた。
「城下町の市民を城内へ誘導して!突破されたところはわたくしが防ぎます」
「ぼくも」
言いかけたサリューをアムはとめた。
「だめよ、光の玉を捜してくれるんでしょ?サリューは残って、続けて」
「う、うん」
「もう平気よ、だいじょうぶ」
アムは使い込んだ杖を手にとった。
「案内してちょうだい!」

 数名の兵士がラダトーム市外壁に群がっていた。中央に一頭のオークが暴れている。
「みんな、下がって!」
立て続けに真空の刃を飛ばす。オークはうめき声をあげて倒れた。
「姫様、この下に穴を掘られました!」
「すぐに次が来るわ。死体を引きずり出してちょうだい。誰か、厨房へ行って、煮た油を一鍋持ってきて。急いで!」
厨房では、城壁をよじ登ってくる敵に備えて、毎夜大鍋に油を煮えたぎらせている。アムはタイミングを見計らって、城壁の下の穴へ一気に流し込ませた。
「ぐぇっ」
「まだいるわ、もう一杯!」
悲鳴が尽きるまで煮え油を流してやった。数名が地面に耳をつけて様子をうかがった。
「……行ったようです」
「では、こちらの番ね」
そう言ってアムは、再び杖を引き寄せた。