雨と太陽の王国 4.王女出陣また光の玉を預かる一族のありやなしや、サマルトリアの王子古書に没頭すること

 翌朝、サリューが城へ戻ると、ロイは寝不足の顔をしていた。
「あれ?どーしたの?」
「別に」
ぼそっとロイは言い、配給された黒パンをかじり、チーズを丸呑みにすると、少し寝ると言って消えてしまった。
「ロイね、私の部屋の前でずっとがんばってくれたらしいの」
「ああ、あの酔っ払い貴族のおじさんが」
「ええ。でも戸口にロイがいたんで、あきらめたらしいわ」
アムはつぶやいた。
「自分の身くらい、自分で守れるのに。サリューは徹夜でしょ?休んでね」
「ぼくはだいじょうぶだよ。城の門のとこにいたお年寄りに祝福してもらったからね」
「光の祝福?」
「知ってたの?」
「昔、父が話してくれたわ。魔法の使い手にとって、MPのあるなしは死活問題ですもの。魔力を全回復してくれる光の祝福のことは、よくおぼえてる。そう、御健在だったの」
「失礼いたします」
片方の腕を血のにじんだ白布で肩からつった兵士がきびきびと入ってきて一礼した。
「コーネリアス隊長の補佐を務めるクロと申します」
サリューは会釈を返した。夜を徹したろう城戦の間に、別働隊を率いて戦っていた男だった。
「南海上より、小悪魔の群れが接近しております。夜には攻撃してくるかと思われます」
アムは立ち上がった。
「グレムリンね?私が出ます」
はっと言ってクロは敬礼した。
「その前に」
アムはクロの負傷した腕に白魚の指で触れ、何事かつぶやき始めた。
 高慢に近い物言いをするわりに、アムは傷ついたものを見過ごしにできない性格をしている。今もクロの至近距離にある柔らかなほほ、すばらしい芳香のする髪、ローブの袖口からのぞく手の目にしみる白さ。
「その腕、もう大丈夫よ」
クロは真っ赤になって硬直していた。
「あ、あ、あ」
「どういたしまして。さあ、いきましょう」
 緒戦を優勢に進めたことで、ラダトーム側の士気は上がっていた。が、兵士全体が異様に盛り上がっているのは、それだけではなかった。
 ローラ姫の再来といわれるあでやかな王女が、今、陣頭に立つのである。

 ロイが目を覚ますと夕方近かった。眠気覚ましに素振りをたっぷりとやった。今夜はアムが戦いに出たらしい。ロイはそのへんの剣を3本ばかりまとめて振り上げ、振り下ろしながら、目が城壁のほうへ向くのを抑えられなかった。
 水が飲みたくなって厨房へ足を向けると、ちょうどサリューがいた。手に何か荷物を下げている。
「サーリュージュ様」
可憐な声が厨房の中から呼んだ。パタパタと足音がして、下働きの少女が追いかけてきた。サリューは足をとめて振り返った。
「アイキョー?どうしたの?」
「お忘れ物です」
そう言ってエプロンの中に入れたものを差し出した。
「忘れたんじゃなくて、それ、返したんだよ。みんなで食べなよ」
「そんな、もったいない」
頬の赤い少女はとまどっているようだった。
「いいよ。ぼくたちここへ来るまでは、木の根っこかじって野宿してきたんだ。こんないいものをいきなり食べたら、おなか驚いちゃうよ」
そういってサリューは、干し肉のかたまりと固焼きのビスケット一袋をアイキョーの手の中へ押し込んだ。
「あれ、手?」
アイキョーは真っ赤になった。
「すみません、荒れていて」
「水仕事に慣れてないんだね」
アイキョーはうつむいた。
「あたしは侍女とか女官じゃなくて公爵夫人の個人的なメイドだったんです。でも今はこんなときだから、あたしでも何か役に立ちたくてお台所で……でも指は荒れちゃって」
サリューは、サマルトリア王家の一員なら誰でもできる、天使の笑顔を見せた。
「アイキョー、えらいんだね。手を出して。おまじないだよ」
ロイは声をかけた。
「こら、若い娘の手を勝手に握るな」
「どうして?」
回復呪文をかけてやり、じゃあね、と少女に手をふってサリューはうれしそうに荷物を見せた。
「起きたんなら、一緒に食べようよ。今夜はリンゴにくるみに、魚のマリネと、丸いパンだよ」
ロイは井戸端で水を飲んだ。腹の虫が鳴った。
「そういや、昼食ってなかった」
 先にたって歩き出したサリューが振り返った。
「食べたかった?ごめんね。今、返しちゃった」
アレはおれの分だったのかとロイは思ったが、黙っていた。初めて出会ってからこのかた、サリューのマイペースぶりはまったく変わっていない。
「これは、ロイアル様」
 連れてこられた所は古文書の保管庫のようだった。トール史官がかび臭い空気の中からロイを見つけて挨拶をよこした。
「夜の配給、始まってるよ。エセルリー殿にお持ちしないと」
「では、失礼いたします。何か御用がおありでしたら、お呼びください」
トールが出て行くとロイは顔をしかめてきいた。
「ここで食うのか?」
「だって、いいもん見つけたんだ」
サリューは得意げに、古めかしい分厚い本のところへロイをひっぱってきた。
「ほらね、ここにスプレッドラーミアがついてるでしょ?」
「なんだ、これ?」
「『冒険の書』」
「なに?」
「最初のページを見てみなよ」
ロイはおそるおそる古い書物を開いた。
「『明け方、不思議な夢を見た。今日でぼくは16歳になる。城へ登る準備をしなくてはならない。もう、子供ではいられない……』」
「勇者ロトの冒険の書なんだ」
 ロイは口がきけなかった。伝説の人、勇者の中の勇者。それがいま、冒険の書を通じてロイに語りかけている。
「こっちにも記録があるよ。ラルス一世のころお城にいた吟遊詩人の手紙でね。『ロトと呼ばれし勇者は、年のころは二十歳を少々でたばかりの青年で、優雅と精悍を兼ね備えたお人だ。佳い顔だちをしておられる。光の鎧をまとった姿はまさに神々しいようだ』。ハンサムな御先祖をもったらしいね、ぼくたち」
 ロイはまだ夢中で古書に目を走らせていた。ロマリア、イシス、テドン、まだまだ続く長い冒険の記録である。
「で、肝心の光の玉なんだけどね、ロイ、聞いてる」
「う、ああ」
「この本の最後のほうに、大魔王戦の記録があるんだ。勇者ロトは、ちゃんと光の玉を使ってるんだよ」
「そりゃ、そうなんだろう?」
「もう、しっかりしてよ。光の玉はめちゃくちゃなほどの浄化能力があるっていったでしょ。今まで光の玉を持ったのがわかってるのは誰だと思う?」
「だから、竜の女王様、勇者ロト」
「それからラルス16世の時代にあらわれた竜王。ラダトームから持ってったんだから」
「それなら、竜退治のアレフもそうだ。持って帰ったんだから」
「ね、わかった?いままで光の玉を持ったことがあるのは、竜族か勇者だけなんだ」
「なんでだ?」
「なにせすさまじい浄化力、もしかしたら光の玉は、そんじょそこらのもんにはさわることさえできないアイテムなんじゃないかな?」
ロイはうなった。
「けど、ラルス一世からラルス16世の間まで、すごい間があいてるんだぞ?そんなに危ない光の玉を、そのあいだいったい、どうしてたんだ?」
「管理人がいた、と思うんだ」
「あてずっぽかよ」
「ひどいなぁ」
のんびりした口調でサリューは文句をつけ、リンゴをひとくちかじりとった。
「これを見てよ。歴代宮廷のお給料の記録」
それは黄ばんだ表面にびっしり数字を書き込んだ羊皮紙だった。
「げっ」
サリューはうれしそうにその巻物を広げた。
「ここ、ここ。ラルス2世の治世3年目に、新しい部署が設けられてる。名前はただ、“ほこら”とあるだけ。この部署のメンバーは、巫女が一人だけなんだ。名前はフロリンダで、出身地は雨の祠」
ロイは酢漬けの魚をパンにはさんで豪快に噛み切った。しばらくもぐもぐしてから言った。
「その巫女が管理人?どうしてわかる?」
「フロリンダは、勇者ロトの娘じゃないかな。フロリンダの名前の横に、小さなマークがついてるでしょ。これ、スプレッドラーミアじゃない?」
強いて言えば翼を広げた鳥に見えなくもない。中央にぽつんと赤い点が描きくわえられている。だが、すでに消えかかったそのしるしは、何とも判別できなかった。
「なんだかな。第一、勇者ロトは、大魔王を倒したあと、仲間とともに消え去ったってきいたぞ」
「じゃ、ぼくたちは何なのさ?いたんだよ、子孫は」
サリューは指についたリンゴの果汁をなめた。
「母親が誰なのかは、わからない。でも、御先祖は男前だったらしいから、たぶん女に不自由はしなかったんじゃないかな」
「サマ、おまえ」
かわいいツラして、そんなせりふをいつ覚えた、とロイは思った。