風雲ユグノア城 4.「希望」の別名

  デルカダール王は両手でジエーゴの肩をつかんだ。
「はぐれたと思ったぞ、お前もこちらへ来ていたのだな!」
「はい。どうも時間差がありましたようで。私は数日前に来て、矢も楯もたまらずソルティコ騎士団を率いてユグノアまで参じました。何かに呼ばれたような心持がいたします」
ふふふ、とデルカダール王は静かに笑っていた。ジエーゴは笑顔を返した。
「見たところ、皆さまもご無事なようで」
 サマディー王が小走りにやってきた。
「師匠、ぼく、心配したんですよ!?」
こほん、とジエーゴがせきばらいをした。
「あ、うむ、駆けつけ、大儀であった」
「おそれいります」
そう言って眉を上げ、にやりとした。
 ゆっくりした足取りでクレイモラン王が進み出た。
「なんとかユグノア城は無事じゃったな。それにしても赤子の勇者殿が案じられてならん」
「まったく」
とロウが応じて、小声で付け加えた。
「クレイは上手だね、じいさまぶりっこ」
クレイモラン王は表情を変えずにうそぶいた。
「ふむ。年の功じゃ」
 反対側で、さきほどゴリアテと名乗った騎士がジエーゴに話しかけていた。
「パパ、このあいだからちょっとヘンだよ?どうしたの?あの方は“王子”じゃないでしょ?」
うるせぇ、とジエーゴがつぶやいた。
「俺だって説明のしようがねえんだ。まあ、そのうち話してやらぁ。おめえはグレイグを手伝って来い。おら、さっさと行け」
 グレイグなら、マルティナも知っている。ホメロスと二人、いつもお父さまのそばにいる騎士だった。グレイグたちはどうやら、モンスターに荒らされた町中を片付け、ケガ人を拾い上げているようだった。
 昼頃降りだした雨は、嵐となってユグノア城を襲った後、夜半になってようやく過ぎ去ったようだった。小雨だけが時々ぱらついていた。
「姫、こちらで雨をお避けください」
ユグノア兵のコートを着た兵士たちが、マルティナを城門の陰で休ませようとやってきた。
「待って!」
マルティナはあわてて父を見上げた。
「お父さま、川へ落ちたときイレブンが籠ごと流されてしまったの!どうかイレブンを助けて!」
父王のまわりには、いろいろな国の王家の人々が集まって話し込んでいた。
「うむ……。なんとかしてみよう。マルティナ、おまえは休んでおいで」
「はい……」
大人たちは難しい顔をしていた。
 雨は次第にあがってきた。黒雲が風に乗って飛び去るとそのすきまから時々明るい月が見えた。グレイグの部下の一人が、大きな地図を持ってきた。人々は額をつきあわせて地図を見ていた。
「ここから流されたとすると、このあたりか」
「いや、だいぶ川の流れが速かったぞ」
「では、ここまで探せば」
「この闇夜では探すと言っても……」
「支流も多いか」
「籠の耐水性は?」
誰かが首を振った。
「ただの藤蔓編みじゃ」
周囲の雰囲気は沈みきっていた。
 ロウのそばにアーウィンがやってきた。
「ロウさま、どうかエレノアをお願いします」
きっとロウがふりむいた。
「一人で探しに行くつもりか?」
「居ても立っても居られないのです!」
「落ち着け!」
他の王たちも声をかけた。
「このような時、王たる者が軽々に動いてはいかん」
アーウィンは言い返した。
「しかし、他の騎士たちは城の復興と民の救護に忙しいではないですか」
「だが、おまえ一人で飛びだして、探す当てでもあるのか」
アーウィンは拳を握りしめた。
「ロウさま、私は、どうすれば……」
 その時だった。サマディー王が、表情を変えた。
「ロウさ……ユグノア先王殿!」
「すまん、あとにして」
サマディー王は声を張った。
「一人、忘れてる!」
王たちは振り向いた。
「なんと?」
サマディー王の目が月明かりに煌めいていた。
「ぼくたちがここにいて、師匠が来てくれました。でも、まだ足りないんです。もう一人、来てるはず。そうですよね!?」
クレイモラン王がうなずいた。
「冒険者殿か。どうして忘れていた……」
「そうか!」
とデルカダール王が言った。
「ロウ、あいつを探せ!」
「テオ……そうだ、テオがまだ来てない。まだ、希望はある!」
王たちは互いの顔を見てしっかりとうなずき合った。
 四人の王が何の話をしているのか、まわりにはわからないようだった。が、王たちの表情は見違えるように生き生きしていた。
「グレイグ、重装兵をすべてこれへ!」
「アーウィン、ユグノア兵で動ける者はどれほどいる?」
「ソルティコ騎士団、別動隊集合!」
矢継ぎ早の号令によって、ユグノア城門前に将兵が集まってきた。
「捜索は山狩りでも川沿いでもない。川に近い町、村、集落すべてを回ってテオという男を探せ」
グレイグが尋ねた。
「テオ、とおっしゃいますと?」
デルカダール王は、仲間のほうを見た。
「冒険者殿は私より少し年下だったから、もういい歳だと思うね」
「そうか。考えてみればその通りだ。グレイグ、テオという名の年寄りを探して連れてきてくれ」
横からロウが言い添えた。
「丁重に。そうでないと、へそを曲げるだ、じゃろう」
事情を呑みこみきれないまま、兵たちは馬を駆って城門から散っていった。
「ロウさま……」
アーウィンがそうつぶやいた。ロウは、義理の息子の肩をそっとたたいた。
「夜が明けたら必ずこのあたりも捜索する。今は、ムリじゃ」
「テオ、というのは?」
ロウは首を振った。
「今のわしに説明できることではない。だが、“テオ”は『希望』の別名だと思っていてくれ。それよりエレノアを休ませてくれんか」
アーウィンは首を振った。
「私たちは二人とも、あの子が帰るまでここにいるつもりです」
ロウの表情がいくらか和らいだ。
「夫婦そろって頑固者が……。よかろう。共にここで待とうか」
 あたりの物音は次第に少なくなっていった。壊された城壁の中の町でも、人々は眠りについたらしい。警備のために残った兵士たちが辛抱強くかがり火を守り、巡回する足音だけが聞こえていた。
 明々と焚いたかがり火のまわりで四人の王たちは、さすがに腰かけたものの、黙ったままその場にいた。明らかに彼らは待っているのだった。
 小さなマルティナは屋根のある場所で眠るように言われたが、どうしても一人だけ休む気になれず、城の前に戻ってきてしまった。父王の姿は火のそばにあったが、なんとなく邪魔してはいけないという気がした。
 黒雲は完全に去った。恨めしいほど明るい満月が地上を照らしていた。その月もじわじわと傾き、空がうっすらと明るみを帯びてきた。
 うとうとしていたマルティナは、ふと我に返った。聞きなれた音がしたと思った。蹄が小石を蹴る音、馬の遠いいななき、車輪の回る音。
 たぶん馬車が、近付いてくる。巡回していた兵士たちが槍を手にしたまま迎えにいった。遠いところで声を潜めて何かやりとりしていた。
 かがり火のまわりにいた王たちが、ふと身じろぎをした。サマディー王を皮切りに、急にきょろきょろと頭を動かした。
 遠くの馬車の音が止まった。静まり返った夜明けに、足音が響いた。
 いつのまにか夜が明け、日がのぼりかけている。かがり火が色あせ、太陽が地平線を割り開こうとしていた。
 四人の王たちは腰を浮かせた。
 足音が近づいてきた。
 城のそばの木立の間から太陽がのぼる。
 梢の間から差し込む金の輝きの中を、誰かやってきた。
 木立から現れたのは、紫の袖なしコートを着た男だった。両腕に大きな籠を抱えていた。彼の表情にマルティナは目を惹きつけられた。何か面白いことを知っているような、愉快そうな顔をしていた。一歩一歩、その男はしっかりと歩いて来た。
「テオ!」
デルカダール王が、クレイモラン王が、ユグノアの先王が、サマディー王が、そしてソルティコ領主が一斉に動き出し、その男めがけて転がるように走りだした……と思ったのに、今マルティナの目には別の情景が映っていた。
 小さなマルティナは、思わず手を握って目をこすった。
 仙人めいた高齢のクレイモラン王は消え、豊かな髪を長い三つ編みにした背の高い若者がいた。すっかり禿げてゆで卵そっくりの先王ロウも見えず、さらさらした茶色の髪の気品のある美青年がいた。むっちり肥えたサマディー王の代わりにくせっ毛に大きな目の男の子が、威厳のある鷲鼻のソルティコ領主のかわりにその息子そっくりの少年がいた。そしてマルティナの父デルカダール王は、プラチナブロンドの髪に銀の鎧をつけたかっこいい剣士と化していた。
 籠を抱いた男は、嬉しそうに笑って、よう!と言い、最初に飛んできたサラサラ髪の若者に大きな籠を手渡した。あの時川の流れがマルティナの手から取り上げた籠だと、やっとマルティナは気付いた。
「ありがとう、ありがとう!」
「テオさん、魔法みたいです!」
「さすが冒険者殿」
「よく見つけたな!」
「これが勇者さまか。か、かわいい」
五人の若者は興奮したようすで籠の中の赤子を眺めていた。
 一人が背後に向かって叫んだ。
「エレノア!アーウィン!イレブンが帰ってきたぞ!」
間髪入れずにアーウィン夫妻がとんできた。
「お、お父さま!?」
エレノアは必死の形相になっていた。
 エレノアから視線を戻して、マルティナはあっとつぶやいた。いきなり現れた五人の若者は消え、年配の王たちに戻っていた。
「釣りをしていて見つけましたのじゃ」
紫のコートの男、と思ったのは、丸い頭に丸い黄色い帽子を被った、柔和な顔の年寄りだった。
「さあ、母君へお返しいたしますぞ」
エレノアはもう、籠ごとイレブンを抱きあげ、顔をおしつけてむせび泣いていた。
「よかった……。本当によかった」
アーウィンは安堵のあまり、ぐったりしていた。
「この御恩は忘れません。何か、お礼を」
ほっほっほ、と丸い帽子の老人は笑った。
「たまたま迷子を見つけてお連れしたまで。お気になされるな」
そんなことはないとマルティナは知っていた。この人が“テオ”だと思った。不思議な思いをしながらマルティナは彼らに近寄った。
 テオがつつましく言った。
「さて、用も済みました。わしはおいとまいたしましょう」
「せめて食事なりとごいっしょに」
「いやいや、そうもいかん」
そう言いながら、テオはなぜか、四大国の王たちとジエーゴの方を見た。
「帰る時間なのでな」
王たちはうなずいた。
 ぱちぱちとマルティナは目を瞬いた。そのとき、テオと視線があった。彼はマルティナの方を見て、いたずらっぽい目つきで片目を閉じた。
 テオの身体がぼんやりと白く光り始めた。その身体の周りで薄青い光の粒子が舞い、ぱちぱちと弾けた。
 その光は王たちにも移り、その場は夜明けの空よりも明るくなった。
 マルティナはきょろきょろした。不思議な光に誰も気づいていない。兵士たちは完全に無視していた。
 ただひとつの反応は、赤ん坊用の大きな藤編みの籠だった。小さなイレブンが紅葉のような両手を上げ、きゃっきゃっと喜びながらうち振っていた。ぷくぷくした柔らかそうな手の甲で、勇者の紋章がくっきりと輝いていた。

 またこれなの、と思ってサマルはちょっとうんざりした。行きと同じく帰りもあの真っ白な光に背中を押されている。これが時間の中を旅行する方法らしいが、サマルはもう少しどうにかならないかしらと思っていた。なにせ、まわりのようすがほとんどわからないのだから。
「みなさん、こちらへ」
 あの声は誰だろう。口調はジエーゴに似ているが、声が違う気がした。
「おっと、みんないるか?」
「はぐれたくないね、今度は」
 白い光はようやく勢いを弱めた。サマルはおそるおそる目を開いた。
 見渡す限り純白の世界だった。地平線に至るまで白い平面が続いている。それどころか、天の頂も雪を欺く白さであり、一定の間隔で光の輪が上からゆっくりと降りてきた。真っ白な世界の中の異物が、自分たちだった。
「大丈夫、ここから元の時代へ帰れます」
サマルは、ほっとした。同時にあたりを見回した。すぐ隣にジエーゴがいる。モーゼフとクレイの長身はそのそばにあった。その向こうに、紫のコートの人影を見つけた。
「みんないますか?あれ、ロウさんはどこ?」
「ぼくはここだよ」
その声は後ろから聞こえた。サマルがふりむくと、確かにそれはロウだった。
「え?」
とクレイがつぶやいた。
「私の前にもユグノアのがいるよ?」
おい、とモーゼフの声がした。
「なぜロウがテオの服を着ているのだ?」
「オレがどうしたって?」
え、え、え?と口々に言いながら、皆きょろきょろした。
 サマルはとまどった。フォーカードこと、自分を含め四人の王子、そしてジエーゴ、加えてテオの合計六人が旅の仲間のはず。だがその場には、七人めがいた。
「あなたは?」
その人はサマルより少し年上の少年に見えた。テオと同じ紫の袖なしコートを身に着け、留め金を襟元まできちんと留めている。髪はロウと同じ薄い茶色であごまでの長さがあり、サラサラして綺麗だった。そして、サマルの知っているロウにとてもよく似ていた。
 彼は微笑み、動き出した。まっすぐテオに向かうと、いきなり抱きしめた。
「ありがとう」
テオは、めったに見せないほど驚いた顔で固まっていた。
「あんた、いったい……?」
ふ、と彼は笑い、テオを放した。くるりと向きを変え、今度はロウを両手でぎゅっと抱いた。
「ありがとう」
ロウは驚きのあまり、喘いだ。
「きみの手の、それ!」
 不思議な人はロウを放し、後へさがった。
「ここでお別れです。あなたがたの得た未来の記憶は、元の時代に戻ったらすぐに失われていくでしょう。だから、今だけ。みなさん、ありがとう、本当に」
そう言って微笑んだ。どうしてこの人はこんなに寂しそうに笑うのだろう、とサマルは思った。

 焚き火の炎は楽しそうにパチパチ音を立てて燃えていた。その上に乗せた鍋の中からいい匂いが漂ってきた。西にある山の端へ太陽は沈み、背後の森からはふくろうの鳴き声が聞こえてきた。星明りに照らされて風もなく、気持ちのいい夜だった。
「あれ?」
ぼくは何をしていたのだっけ。サマルはそう思ってあたりを見回した。
 仲間たちは焚き火の周りに座っていた。テオの手の中には遺跡から見つかった古代鏡があり、袋にしまおうとしているようだった。
「今、何か大切なことを聞いた気がした」
とゼフがつぶやいた。
「私もです、王子」
とジエーゴが言った。ロウがつぶやいた。
「え~、髪の手入れを毎日しようと、ぼくは思ったんだよ。あとは、う~ん」
クレイだけは一言も言わずに自分の手のひらに何か書きつけていた。
 テオは肩をすくめた。
「けどなんか知らんが、気分がいいね。何かやり遂げたような気がする」
テオの言葉でなんとなく緊張がほぐれた。金縛りのような状態から、仲間たちが食事の準備に動き始めた。
「なんだか、ひどく腹が減ったな」
「今日は別に激しい戦闘もしてないのにね」
 テオは一度古代鏡をのぞきこんだ。
「あれ、鏡に亀裂がある」
「え、ほんとですか?」
さっき借りた時に自分が何かしたかと思ってサマルはあわててのぞきこんだ。たしかに鏡面の隅に髪の毛のような細い傷ができていた。
「サマルのせいじゃないって。古いモノなんだ、キズのひとつやふたつあるだろう」
そう言って古代鏡を袋へしまい込んだ。
「第一あんまり完璧なブツだと、道具屋へ売り払うのも気が引ける。このくらいでいいのさ」
煮えたよ~、とロウが言い、ジエーゴたちは食器を出していた。
「テオさん、前向きですよね。六人全員ぼうっとしてたなんてただ事じゃないのに」
「まあいいじゃないか」
珍しくクレイがそう言った。
「何もなかったのだし」
そうそう、とテオが応じた。
「“不思議”はトレジャーハンターの日常茶飯事だ。さあみんな、飯にしようぜ? 」
 夜風が吹き抜けた。グランドツアーの間、食事時はいつも楽しい。いつもと変わらない、ありふれたキャンプの夜が、静かに更けていった。