バード・オブ・パラダイス 6.隼は爪を研ぎ

 年が巡り、グレイグが十七、ゴリアテは十四になった。そのころ、ソルティコの若い騎士や年長の門下生たちに、奇妙な興奮の波がじわじわと押し寄せてきた。その興奮と、それに伴う大騒ぎに一番似ているものを探すなら、プロポーズ、であっただろう。
「あいつ、今年十四だよな」
と、彼らはささやきあった。十四歳は、先輩騎士の従者として採用される資格のできる年だった。
 ソルティコ騎士団の門下生のうち、デルカダール王国から学びに来ている者はかなりの割合に上る。ソルティコやその近郊の地元出身者も同じくらいの人数がいた。一番少ないのが、デルカダール以外の国から騎士道修行のために来ている若者たちで、サマディーや内海に面した諸国出身が多かった。そのほかでは、数は少ないがクレイモラン出身者もいた。
 外国出身の者は騎士として叙任されるとまもなく母国から帰国命令を受け取り、ソルティコを離れることになる。だから、それぞれ違う国から来た騎士と従者の関係は毎年の創立記念祭とその前の数か月間だけなのだが、時には一生続く縁となった。
 騎士と従者は主従であり同時に師弟でもある。出身国や血縁を越えた、ある意味強固な絆だった。
「ゴリアテは誰の従者になるんだ?」
 彼が十四歳になったとたんに従者に指名されることを、誰一人疑っていない。練習場、馬場、講義室、どこにいてもゴリアテは目立っていた。恵まれた容姿や優れた才能、領主家の正嫡という地位を別としても、ゴリアテはその場に現れた瞬間から、一挙手一投足が人々の注意を惹きつけた。それは実際ふしぎなことだった。特に奇抜と言うこともなく、同じソルティコ騎士団門下生の制服を身に着けているのだから。
 そう言う特別な雰囲気のことを“オーラ”と呼ぶのだ、とは、グレイグがホメロスに昔聞かされたことだった。思えば、ホメロス自身も十二になるかならずで「己の発するオーラで有象無象を引き寄せてしまう」という悩みを抱えていたのだろう。
 そしてソルティコでは、眩いばかりのオーラを放つソルティコの太陽を自分の従者にすることが可能なシーズンが、数か月後に迫っていた。
「誰の従者、って、師匠だろ?決まってるじゃないか」
と、騒ぎが起こるたびにグレイグは周囲に対してそう訂正していた。ぼくはパパの従者になるの、と小さなころからゴリアテ本人が言っていたではないか。
「でも、今年のジエーゴさまの従者はゴンゾだろう?」
そのことはもう騎士団中に知れ渡っていた。
「師匠は来年ゴリアテをご自分の従者にされるおつもりだろう。第一ソルティコ騎士団団長は、前任の団長が叙任するって習ったぞ」
「いや、騎士になる時はジエーゴさまが叙任するとしても、その前に従者になる時は誰が主人になるかは自由だろう」
と興奮した門下生が言い出した。
 ジエーゴでないとすると、いったい誰が?いつのまにか寄宿舎の食堂で、剣の練習場で、馬場で、ゴリアテを手に入れるのは誰なのか、とひそやかだが熱い議論が沸き起こるようになっていた。
「俺は今年中に叙任してもらえるんだ」
最年長、十八歳前後の騎士見習いの若者がつぶやいた。
「そうしたら……ゴリアテ……」
「そうは行くか!」
別の若者がいきり立った。ゴリアテのまったく知らないところで決闘が、しかも何度か行われたりもした。
 聞いたか?と練習場の隅でゴンゾが話しかけてきた。
「デルカコスタのビクトルが夕べ、サマディーのイズミルと決闘したらしい」
ビクトルは年長の門下生で羽振りのいい金持ちの息子、イズミルはサマディー王族のはしくれで、すでに騎士身分を持っている。
「どっちが勝った?」
「イズミルだよ。あいつは、ちょっと無神経で乱暴なんだ。負けたビクトルもあきらめが悪い。三年ぐらい前からゴリアテに眼をつけて、周りにアイツは俺のモノ発言を繰り返していたよ」
まいったな、とグレイグはつぶやいた。
「あとは、ソルティコのラウロを知ってるか?王族でも金持ちでもないけど、坊ちゃんひとすじってやつだ。ソルティコの太陽をよそ者に渡せるかって、やばい目つきでぶつぶつ言ってた」
「キモいな」
「うちのじいちゃんやセザールさんもそうとうの坊ちゃんびいきだが、ラウロは度を越してる。体術のクラスでラウロがゴリアテと当たった時に、ゴリアテに蹴り倒されてうっとりしてたって言うから」
ざわっとグレイグは鳥肌が立つのを感じた。
「あとは、イポリト、ダニエル、ベナト……」
「そんなにいるのか!」
「グレイグ、ゴリアテに忠告した方がいいよな?」
 グレイグ自身は、従者の話をゴリアテに振るのはためらわれた。たぶん、とてもがっかりしているはずだった。しかし、プロポーズ騒動は日に日に殺気だってきていた。
 かつてカルロス師範代のクラスでゴリアテと同級だった門下生たち、アルノー、ニコラ、ヴィートに相談すると、三人とも一斉にやれやれと首を振った。
「先輩たちも、バカだよなあ」
とアルノーがつぶやいた。
「遠くから見てる分には、まあ、かわいいからな。ベビーパンサーに見えるかも」
とニコラが答えた。ふんふん、と一同はうなずいた。たしかに愛想がよく年長者に礼儀正しく接するゴリアテは、しなやかで毛並みのいい、人懐こいベビーパンサーに見えるかもしれない。
「見えるだけなんだよなあ」
誰よりも被害にあっているゴンゾがつぶやいた。
 グレイグを始め、ゴリアテと同じクラスにいたことのある者はゴリアテの気性をよく知っていた。剣を持たせたとたん、ゴリアテは地獄の殺し屋(キラーパンサー)に変貌する。
「最近は剣だけじゃないらしいぞ」
とヴィートが言った。
「ようやく格闘技や水泳の稽古をさせてもらえるようになったそうだ」
そのことは、グレイグは自分の目で確認している。
「馬場でも見たぞ」
どんどん戦闘力をあげているらしい。グレイグたちは、先輩たちの目にゴリアテがひたすら可憐な美少年に映っていることにむしろ驚いていた。
「カルロス先生に聞いたんだが、あいつは今師範代代理みたいなものらしい」
とアルノーが言った。
「押しも押されもしないカルロスクラスの優等生、その上、後輩の面倒見がよくて、おだて上手の気配り上手なんだと」
ヴィートがつぶやいた。
「理想の上司だな。あと何年かしてゴリアテが騎士に叙任されたら、俺はどっちかというとあいつの従者になりたいね」
「知らないのか?」
ニコラが言い返した。
「ゴリアテの従者枠は、今言った後輩たちの予約でいっぱいだぞ」
乾いた笑いが起こった。
「話は元に戻るが、ゴリアテになんて言えばいいんだ」
もう一度グレイグが言った。
 イズミル、ビクトル、ラウロ、その他の求愛者たちは、どんな思いでゴリアテが鍛錬を繰り返しているのか知っているだろうか。あの銀のカナリヤは歌を忘れて爪を研ぎ、ハヤブサになろうとしているのに。ひとを惹きつける宝石めいたオーラを放つのは、ゴリアテ自身の覚悟と努力だった。

 記念祭が近づくにつれ、プロポーズ騒ぎは激化の一方だった。ついにグレイグは寄宿舎の廊下の隅にゴリアテを呼びだして、先輩にやばいのがいる、と忠告した。ゴリアテの答えはシンプルだった。
「とっくに知ってるよ」
いつも屈託なく誰にでも笑顔を見せるゴリアテが、ひどく冷淡に言葉を吐き捨てた。
「そうか、知ってるならいいいんだ。用心してくれれば」
しどろもどろのグレイグをゴリアテは遮った。
「あのさ、どうしてイズミルたちが、きみに決闘を申し込まないか、わかる?」
「それは、え~と」
年少クラスの頃、グレイグとゴリアテは二人だけ年下という理由でいつもセット扱いだった。今でも剣の実力が抜きんでているために、よく比べられ、引き合いに出される。
「グレイグは、ソルティコ騎士団の叙任システムの外にいるからさ。デルカダール王から直預かりの門下生なんだから」
「ああ。そうか。お前だって、そうだろう?お前を従者にできるのはジエーゴさまだけじゃないか」
「そうだよ。ぼくはそのつもりだし、パパだってそう、だと思うよ」
語尾はちょっと揺れた。
「でも、あいつらはそこへ割り込もうとしてる。その馴れ馴れしさに、イライラするんだ!」
とん、と音を立ててゴリアテは片足の靴底を床へたたきつけた。
「おまけに決闘だって?ぼくのいないところで、ぼくが反論できないところで、ぼくのことをああだこうだと決めつけるなんて。大きらいだ」
うつむいて唇を噛んだ。
「ゴリアテ、ごめん」
ゴリアテは首を振った。
「グレイグは何も悪いことしてない。きみが謝ることじゃないよ」
片手で悔し涙をぬぐい、“井戸で顔を洗ってくる”、とつぶやいてゴリアテは行ってしまった。
 グレイグはため息をついた。なんだかうまく言えなかった気がした。
「おれ、不器用だよなぁ」
「そうだな」
と背後で言われてグレイグは飛び上がった。
 廊下の曲がり角の向こう側に、数名の騎士たちがいた。その中に師範代を見つけてグレイグは驚いた。
「先生!あの」
ボネ師範代は、意外なことに口元がにやついていた。
「あまり気にするな、グレイグ。よくあることだ。おまえは知らないだろうが、デルカダールからの直預かりと知られるまでは、おまえのことも陰でだいぶ取り合いになってたんだぞ」
「……知りませんでした」
「毎年この手の騒ぎはなにかしらあるもんだ。だよなあ、カルロス?」
カルロス師範代は顔を半分手でおおってうめいた。
「ええ、まあ」
後ろにいた騎士たちがくすくす笑った。
「十五年くらい昔、このカルロス先生は門下生でいちばん可愛いと評判だったんだ」
「先生が十四になった時は、誰が従者にするかで大騒ぎだったもんさ」
え、とグレイグはつぶやいた。
 ほっほっほ、と笑い声がした。いつも寄宿舎の中庭で日向ぼっこをしているベネディクト老人が杖を片手に通りかかった。
「いやいや、少年だったジエーゴ殿の、従者デビュー争奪戦の騒ぎには及ばんよ」
ええっ!とグレイグはのけぞった。
「歴史は繰り返すんじゃよ、坊や。ただ、ゴリアテ坊やがイライラのあまり爆発しないように見守っておやり」
笑いながらベネディクト老人は廊下の角を曲がって去り、物騒なつぶやきだけがあとに残った。
「悪くすると、人死にが出るでのう」

 その年の創立記念祭の準備は始まり、ジエーゴは従者を務めるゴンゾにつきっきりで教えていた。ゴリアテは何も言わず、ただ黙々と修行を続けていた。
 ある日の午後、サマディーのイズミルが自主練習の名目でゴリアテをこの屋外練習場へ呼び出した。
 イズミルは二十歳近い年齢ですでに叙任を受け、騎士の身分を持っている。今年の創立記念祭が終わったら帰国して軍隊に入ることになっていた。
「ぼくにご用ですか、先輩?」
呼び出されたゴリアテはそう尋ねた。
 イズミルはおもむろにゴリアテに近寄った。かなり身長が違うのをわざわざかがみこみ、いきなり片手でゴリアテの顎をつかんだ。
「ゴリアテ?」
ゴリアテは不思議そうにイズミルを見上げた。
「……あなたは、誰?」
二人は年齢差のために同じクラスになったことはない。少なくともゴリアテは相手を知らなかった。
「サマディーのイズミル。きみはかわいいから、ぼくの従者にしてやろう」
自信満々にそう言った。
 同じ練習場にいた門下生たちがざわめいた。イズミルは競争相手を屠ってきた実力にモノを言わせ、特に内密にすることもなく、堂々と屋外練習場でプロポーズをしていた。
 ゴリアテは落ち着いてイズミルの指をはずした。
「ぼくはパパの従者になる。あなたじゃなくて」
「俺の方がいい」
イズミルは無遠慮に顔を近づけ、ゴリアテの肌の匂いをかいでいた。ゴリアテの眼が不穏な光を帯びた。
「いいことたくさん教えてやる」
言いながらイズミルはもう片方の手でゴリアテ抱き寄せた。
 あ~あ、とまわりからため息のような声がもれた。
 ゴリアテの手がイズミルの片手をそっと握った。身体が密着するかのように見えた瞬間、ゴリアテのひじ打ちがイズミルのみぞおちへ綺麗に入った。
「ぐっ」
前かがみになってイズミルがうめく。ゴリアテは片足で大きくイズミルの脚を払った。イズミルの身体が泳ぎ、顔から練習場へ激突した。イズミルの背を膝で地面へ押し付け、腕をゴリアテがねじ上げた。
「一度しか言わないよ、サマディーのイズミル。ぼくはジエーゴの子、ゴリアテ。こんな無礼を許すつもりはないからね」
鼻血まみれの顔でイズミルがうめいた。
「よ、よぐも、こんな」
ぎりぎりと肘がねじあげられ、イズミルは悲鳴をあげた。
「悔しかったら、剣の勝負を申し込むこといい。それなら受けてあげるよ」
前髪がゴリアテの顔に落ちかかった。うっとおしそうに振り払うと、ゴリアテは立ち上がった。
 イズミルも跳ね起きて、木剣をひったくるように取って構えた。眼が血走っていた。
「やばいぞ」
見ていた門下生の一人がつぶやいた。
「止めるか?」
「お前、アレを止められるのか?」
ゴリアテの方も、練習名目だったので木剣を持っている。一歩も引かない気概なのは見ていてわかった。
「誰か、先生呼んで来い!」
割って入るのをあきらめて、門下生たちがわらわらと走りだした。

 日没間近のころ、領主館を取り巻く騎士養成所全体に悲鳴が響き渡った。青くなったゴンゾが走って呼びに来た。
「グレイグ、大変だ!」
騒ぎの元はすぐにわかった。ゴリアテは、石畳を敷き詰めた剣術の屋外練習場にいた。ちょうど日が暮れかかるころで、視線を海へ向ければ、雲を茜色に塗り替えて金の太陽が濃紺の水平線へ沈んでいく絶景を見ることができた。
 ゴリアテは、練習場の真ん中に一人、木の片手剣をだらりとさげて立っていた。黒髪が乱れ、額にいく筋も前髪が垂れていた。顎に擦り傷ができて血がにじんでいた。まだ呼吸が少し荒く、門下生の青い服に線状の跡がついていた。すべて激しい近接戦闘の痕跡だった。それなのに、ゴリアテは放心したような表情で風に吹かれている。色白の横顔を夕日が染め、黒い影が長くのびていた。
 グレイグが見つけたとき、練習場の周りにはカルロス師範代、数名の騎士、そしてジエーゴがすでにかけつけ、修羅場になった練習場を取り囲んでいた。
 ジエーゴは何も言わずに腕組みをしている。他の騎士たちは、ジエーゴをはばかって声をかけることを控えていた。
 日没の潮風がゴリアテの前髪をさらさらと吹いていた。ゴリアテは、やっと海からその場へ視線を戻し、静かに尋ねた。
「パパ、ぼくは、騎士団長になるにはどうすればいい?」
人前では呼ばなくなった“パパ”という言い方でゴリアテは尋ねた。まるでその場に、ジエーゴ父子以外の人間がいないかのようだった。
「大いなる試練はさすがにまだ早ぇな……、まず、俺を倒してみな」
最強の騎士はブラックな要求を軽々と突きつけた。
「じゃ、騎士になるには?」
ジエーゴは腕組みしたまま即答した。
「創立記念祭の剣術大会に、いっぺん優勝してこいや」
正規の騎士をすべて倒せと言われてゴリアテは軽く肩をすくめた。
 寄宿舎の窓に廊下に、門下生が鈴なりになっている。騎士たちも警邏任務についているふりをして、ちらちらとこちらをうかがっている。屋外練習場で起きた騒ぎをみんな聞きつけていた。
 ゴリアテはやはり無造作に尋ねた。
「来年の記念祭でパパの従者になるには?」
そうだなぁとジエーゴはつぶやいた。
「おまえ、来年十五か。その歳で正規の騎士を全部倒せっつうのは荷が重かろう。ふむ、剣術大会の予選通過までにおめぇとあたる門下生には、全部勝て」
「グレイグも含めて?」
「おう。グレイグもだ」
ゴリアテの口元がほころんだ。
「いいよ。グレイグも含めて、勝ち抜いてくる」
若いハヤブサは、静かな笑顔でそう言いきった。
 グレイグの後ろにいたゴンゾが、あえぐような声を漏らした。
「俺、一般人でよかった……」
ときに、とジエーゴは辺りを見回して言った。
「だいぶ派手にやったようだが、こいつはナニか、ケンカか?」
 屋外練習場に累々と転がっているのは、騒ぎのおおもと、サマディーのイズミル、そして便乗してゴリアテに挑んだデルカコスタのビクトル、ラウロ以下数名だった。
 これまでの成り行きと周辺の騒ぎのうっとうしさにむしゃくしゃしていたゴリアテがついに爆発し、木剣一本で彼らをたたきのめしたのだとグレイグは悟った。
 ゴリアテが微笑んだ。
「ううん、自主練習だよ?」
ジエーゴの視線がうずくまる門下生たちの上をぐるっとまわった。
「そうか。おまえら、倅の稽古につきあってもらって悪いな」
飄々とジエーゴは言った。
「まあ、ほどほどにな。ケガしてもつまらん」
「大丈夫。手加減してる」
ジエーゴはうなずいた。
「骨折どまりにしておけ。なに、若ぇから、骨なんざすぐに付く」
「うん、わかった」
邪気のない笑顔でゴリアテが保証した。そのまま銀の瞳がグレイグを捕らえた。ゴリアテがくす、と笑うのを、グレイグはひきつった笑顔で迎えるしかなかった。

 海から吹く風が色鮮やかな幟を大空へ翻した。今年の創立記念祭初日、ソルティコ大橋に近い領主館付近の広場では今まさに馬揃えが始まろうとしていた。
 広場の中央には、赤い上着、白いタイツのお仕着せの鼓笛隊がいた。マーチングドラムをベルトで肩から吊った鼓手たちが、ばちを取り上げ、リズミカルにたたき始めた。見物の市民たちはワクワクしながら待ち構えた。
 チェーンメイルの上に縁取りのあるコートを身につけた四人の騎士がそれぞれ広場の四隅に待機していた。
 領主館から四頭の馬が引きだされた。どれも体高のある立派な駿馬で、美々しい馬装を施されていた。
 手綱を取るのは、そろいの上着とタイツを身につけた少年たちだった。将来騎士になることを目的として修行を続けている従者たちである。従者は年少だが、軍馬の手綱を取って主人の元へ引いて行くようすは姿勢がよく、手つきに危なげがない。馬扱いの巧みさは、さすが修行の成果と思わせた。
 従者は片手に槍のように細長いものを持っていた。よく見ると、きっちりと巻いた旗だとわかった。
 従者の引いて来た馬に、四騎士がそれぞれまたがった。従者はその場で戦旗を巻き戻し、大きく広げて馬上の騎士に手渡した。
 広場から歓声が沸き上がった。カルロス、ボネ、フロラン、シモンの四騎士たちは片手で戦旗を掲げ、片手で手綱を操った。歩様はピアッフェ、馬の脚を高く上げさせ、跳ねるような動きをするが、前進することはない。
 四騎士の待ち構える中に、領主館からソルティコ騎士団団長が登場した。領民も観光客も歓声を上げて彼を迎えた。怒れる剣神の二つ名で知られる天下無双の騎士、ジエーゴ。堂々たる姿だった。
 観客席のはしでグレイグは雄姿を眺めていた。馬揃えに参加するのは正規の騎士のみ、選ばれた従者だけがアシストする。
 グレイグは目を凝らした。ジエーゴの後ろから従者が馬を引いて従っている。馬の手綱取るのはゴンゾことゴンザレス、十八歳。初の従者役でいきなり騎士団長直属という栄誉を手にしている。抜擢を知らされたとき、ゴンゾの祖父が泣いて喜んだのをグレイグも見ていた。
 グレイグ自身は十七になっていた。が、暗黙の了解で従者にはなっていない。馬揃えは観客席でのんびり見物していた。
「あの、俺みたいな臆病者がジエーゴさまの従者になってしまっていいのか、坊ちゃん?」
ゴンゾはジエーゴの従者に抜擢されたとき、おそるおそるゴリアテにうかがいをたてに来た。いつぞやネズミをつかまされた事件以来、ゴンゾはゴリアテを避けているようだった。ゴリアテの方はむしろ平然としていた。ゴンゾが自分から話しかけるのは珍しかった。
「いい」
とゴリアテは短く答えた。
「……楽しみにしてたんだろ?」
もじもじとゴンゾが聞いた。
 ゴリアテは十四歳になって急速に背が伸びていた。四歳違いのゴンゾより大きくなり、父のジエーゴに似てすらりとした長身になった。大人と同じ背丈があっても、まだ童顔を残し、首が細く見える。それでも鍛錬の結果、体幹にも四肢にも筋肉が付き、真顔になるとけっこう迫力があった。
 あのさ、とゴリアテは答えた。
「ぼくはゴンゾになら、パパの世話をまかせられる」
ゴンゾは泣きそうになった。あうあうと口を動かすが、言葉が出ないようだった。ゴリアテは少し表情をやわらげた。
「信用してるよ、ゴンゾだもの。だから、手を抜いたら許さないよ」
 ゴンゾはあわてて答えた。
「手抜きなんかしない!」
「それならいい。ちゃんと自信を持って従者をやるんだ。 “どうせ俺なんか”とか、またグダグダしたら」
ゴリアテは腕を組んでゴンゾに正面から向き直り、小鼻からフンッと息を噴き出した。
「ネズミをけしかけるからね?」
 馬揃えの場でゴンゾが緊張しているのは観客席からでもわかったが、ジエーゴの馬の手綱を取り、背筋を伸ばし、しっかりした足取りで引いていた。グレイグはこのとき知らなかったが、彼の愛馬リタリフォン、そしてサマディーのモグパックン兄弟と同じく、デルカダール王立ファーム産の血統正しい駿馬である。
 グレイグの目の前でジエーゴは騎乗した。最初はピアッフェ、それから少しずつ前進するパッサージュ。その間にジエーゴの後ろに旗を掲げた四騎がそろった。色違いのソルティコ騎士団団旗が翻る。
 控えていたソルティコ騎士の元に、それぞれの従者たちが馬を引いてきた。騎士たちはいっせいに騎乗し、所属する小隊旗のもとへ弾むような足取りのパッサージュで集合した。
 隊形が整った。鼓笛隊の笛吹きたちが浮き立つようなファンファーレを吹き鳴らした。パッサージュから並み足へ一斉に変わり、ソルティコ騎士団のパレードが始まった。
 先ほどに倍する歓声が町を揺るがした。ジエーゴは片手を高く上げて領民に挨拶し、自ら先頭に立って駒を進めた。
 一糸乱れず調子をそろえて騎馬隊が進んでいく。まるで全体で一頭の巨大な生き物のような見事さだった。
 ジエーゴが手をあげて鼓笛隊の隊長に合図すると、曲が変わった。四人の旗手は戦旗を翻して広場を周回し始めた。それぞれの旗手の後ろに所属の騎馬が一列になって従う。やがて四重の騎馬の輪が広場を取り巻いた。一度旗がさがり、また高々と天を指した。
 馬揃えはもともと軍事パレードであり、馬術の練度を披露するためのイベントだった。騎士たちはジエーゴの手振りと旗の動きだけで命令を理解して、華やかに展開し、また次々と隊形を変化させた。
 最初ゆっくりした並み足だったものが速歩、駈歩と次第に速くなっても、騎馬どうし、衝突どころか、かすりもさせない。最後は広場の四方から、戦闘用のギャロップに近い速さで斜めに次々と交差してみせた。
「すごいねぇ!」
グレイグの耳元で甲高い声がした。ジエーゴ邸に出入りする武器屋の主人一家だった。
「グレイグさん、坊ちゃまはどこ?」
武器屋の息子ラニは七歳になった。ソルティコの町へ出るとゴリアテめがけて駆け寄ってくる子供たちの一人で、グレイグも顔を覚えてしまった。
「ゴリアテはあそこだよ」
今日のゴリアテは貴賓席にいた。領主席の後ろに小姓として控えている。どんな表情なのかは、この距離ではわからなかった。
「坊ちゃまはうまに乗らないの?」
無邪気なラニに、グレイグは言葉を選んで説明した。
「あいつは明日の競馬式(こまくらべ)に出るんだよ」
「ほんと!?」
小さなラニは目をキラキラさせた。
「坊ちゃま、ずっと遊んでくれないの」
とラニは訴えた。
「今度会ったら、ぼくも騎士見習いになれる?って聞こうと思ったのに」
武器屋の主人がラニの頭をわしわし撫でた。
「本当に騎士さまになりたいなら、父ちゃんがお館さまに弟子入りをお願いしてやろうか」
「うん、してして?」
いいのかい、と武器屋の女房が言った。女ながら、れっきとした職人だとグレイグは知っていた。
「騎士さまになるのは大変なんだよ?お勉強も修行もね。坊ちゃまもお忙しいだろう?」
「う~ん、でも、ぼくは強くなって坊ちゃまと一緒に戦うんだ」
武器屋夫妻は顔を見合わせた。
「まあ、いいか。我が家から騎士さまが出るのは名誉なことだし」
「それじゃあ、明日の競馬式を見に行っていい?」
小さなラニに、武器屋の主人がうなずいた。
「ママはエレインの世話があるから、パパと見に行こう」
エレインはラニの四歳年下の妹だった。
「競馬式なら俺も出るぞ」
とグレイグは言ってみた。小さなラニはちょっと考え、満面の笑みになった。
「坊ちゃま応援するー!」
七歳児らしい正直さと残酷さでラニはそう答えた。