ビーストモード 6.一匹狼

 イレブンは、満足していた。アーロとシルビアを襲ったのも、船内で何食わぬ顔でふるまって、みんなをだまし続けていたのも、カミュではなかった。
――ぼくにはそれで十分。
 カミュを信じることは、すなわちカミュが犯人ではないという仮定に立つことだった。そのうえで真犯人を探すために、シルビアの部屋を捜索してあの短剣をイレブンは探し出した。今朝、そこから得た結論は、二頭目の狼の存在だった。
 左手の甲の紋章は、光を失ったままだった。ウルノーガにしてやられたとき、たぶん自分は勇者の力を失ったのだろう。その失敗をどうにか償いたいと思ってきたが、今はグレイグもシルビアもおじいさまもいる。ならばこの命、泣き虫で気の弱い、世話好きで心優しい狼のために使おう。
「カ……」
呼んだ名前は突然の風にさらわれた。雪交じりの風は冷たくて、そして殺気をはらんでいた。
 イレブンはとび下がって身構えた。視界が真っ青になった。次の瞬間、ものすごい力でみぞおちを突かれた。
「イレブンさん!」
気が付くと雪まみれの甲板の端にイレブンはうずくまっていた。腹の痛みのあまり、息もできなかった。無意識に腹を守ろうと腕を動かした。
「うぐっ」
痛みのあまり、うめいてしまった。腕の筋を斬られたのか、黒いインナーの右袖が裂け、血が線状に噴出した。
 カミュの声がした、とイレブンは思った。視線を上げるとカミュの怯えた顔があった。
 イレブンは驚きに息を呑んだ。カミュの向こうに数名の人物がいた。
「ヨクヤッタ。ゴ苦労」
地厚のポンチョで身を覆った背の高い男が、しゃべり慣れていないようなぎこちない声でそう言った。その男の頭髪は腰にかかるほど長く、そして青く、額から頭頂まで見事に逆立っていた。
 イレブンは呆気にとられ、その男を見上げた。現在二十歳前後のカミュが十年か二十年ほど年を取ったらこんな感じだろうか。長身で筋肉質、精悍な美貌の持ち主で、威風あたりを払うほどの貫録を備えていた。
「だれですか……」
怯えた子犬のようなカミュが震えながら男を見上げ、そう問いかけた。カミュに似た青髪の男は眼尻の少し上がった冷たい目で見下ろした。
「一族ノ長ニ話シカケルトキハ、礼儀ヲ守ルガイイ」
それだけでカミュはびくっとして身をすくめた。
 イレブンは痛みに耐えながら甲板を見回した。長と名乗った男の後ろに同じ青髪の、やや若い男が二人、女が一人いた。どれもカミュと顔立ちに共通点があった。
 長は片手をつきだした。
「獲物ヲヨコセ。一族ノ血肉ダ」
カミュが青ざめた。
「食べるんですか!?」
「倒シタ獲物ハ食ラウノガ狼ノ正義ダ」
「ソンナコトモ知ラヌノカ。ドンナ育チ方ヲシタノダ?」
「躾ガナッテイナイト見エル」
口々に青髪の一族が言った。
 痛みに耐え、荒い呼吸をしながらイレブンは考え込んだ。剣は装備していない。利き腕をやられた。だがまだ、魔力はある。ベギラマ……この雪の中では威力が落ちるかも。ならばイオラ。デイン系魔法を使えなくなってしまったことが悔しかった。
 カミュが気付いたらしく、イレブンに手を差し出した。その手にすがってなんとかイレブンは身を起こした。
「カミュは渡さない!」
長と名乗った男を見つめてイレブンは言った。
「あなたの一族じゃない、彼はぼくの相棒だ」
「オ黙リ!」
青髪の女がいきなりイレブンの眼前を手でかすめた。長い指は一本ずつ鋭い爪が生えていた。あわててカミュがイレブンを引き寄せた。そのさまがおかしかったのか、青髪の一族はくすくす笑った。
「ダイブ前ノコトダ」
と長は話し始めた。くすくす笑いはぴたりと止んだ。
「一族ノ娘ガ、群レヲ出タママ帰ッテコナクナッタ。一匹狼トナッタノカト思ッタガ、ナント、人間ノ男ト暮ラシハジメタ。ソレカラマモナク、娘ハ仔ヲナシタ」
イレブンの後ろで、カミュは震えていた。
「そんなこと、知らないです。オレ、ちがいます」
長は一歩前に出た。
「オマエダ。アノ娘ガ何人ノ仔ヲ産ンダカハ、ワカラン。ダガ、オマエハソノ中ノ一人ダ。……彼女ト同ジ匂イガスル」
 イレブンはクラースの話を記憶の中から引きずりだした。“たいていの群れは父親狼と母親狼のペアとその子供たちなんで。十頭ぐらいでひとつの群れをつくります。狼の仔は、子供のうちは群れに守られて可愛がられます。仔の中には成長すると群れを離れて一匹狼になり、新しい群れをつくるのもいます”
「長よ」
青髪の若者が呼びかけた。そちらを振り向きもせずに長は“許す”とつぶやいた。発言を許可された若者が言った。
「コノ者、ひとノ血ガ混ジッタタメカ、一族ニシテハ未熟スギマス。本当ニ連レ帰ルオツモリデスカ」
長はじっと考えていた。
「コヤツガでぃーさヲ倒シタノハ本当ダ。ガ、オマエハ狼ノ姿ニ変化デキヌノダナ?」
カミュは涙混じりに訴えた。
「できません、変化なんて無理です。だから、もう、オレのことなんかほっといてください、お願いします」
じろ、と一族が彼に冷たい目を向けた。
「一族デハナイト言ウノナラ、オマエハタダノ獲物ダ」
イレブンはベホイムを試みていた。効きが悪いのがもどかしい。ディーサが張った結界を、青狼の一族は強化しているのかもしれないと思った。
 時間稼ぎを兼ねてイレブンは話しかけた。
「あなたたちは、ディーサと同じ一族なのか?」
「口ヲキクコトヲ許シタ覚エハナイゾ」
と長は言ったが、イレブンに目を向けた。
「でぃーさハ一匹狼ニナラズニ群レニ残ッタ雌ダ。私トハ同腹ノ仔ダッタ」
妹だと言いたいらしかった。
「ソシテアノ娘モナ」
最初何のことを言っているのかわからなかった。が、カミュが顔をこわばらせた。ディーサ、長、そしてカミュの母親となった人狼がすべて同腹なら、長はカミュのおそらく伯父にあたる、とやっとイレブンは理解した。長にしたがう若い人狼は、その子供たち、つまりカミュの従兄弟たちということか、と。
「否定スルノナラバ、イタシカタナイ。血肉ヲモラウゾ」
長はそう宣言した。それが合図だったかのように、若い人狼たちが変化を始めた。体型が変わり、体毛が増え、何より殺気が急激に膨らんでいく。青い獣毛に覆われた三頭の魔狼が赤い目を光らせてこちらを包囲していた。
「イオラ!」
腕をかばったまま、イレブンは魔力を放った。魔力の爆発は粉雪を盛大に舞い上げた。魔狼たちは鼻先から粉雪を振り落とした。
 ほとんどダメージを負っていない。イオラの効果範囲からすばやく離脱したようだった。
 牙を噛み鳴らしながら再び魔狼たちが近寄ってきた。呼吸が荒くなり、むき出しの牙の下の赤い舌から湯気がたちのぼっていた。
「やめろ」
とカミュが少し上ずった震え声で言った。
「でていけ」
「誰ニ向カッテ言ッテイルノダ」
冷静に長が尋ねた。
「ココハ我ガ一族ノ縄張リダ」
「ちがう」
とカミュは言った。その声はもう、震えていなかった。
「チガウ!」
そっとイレブンを甲板の上に座らせて、カミュは前に出た。その腕が両方とも、だらりと垂れた。うずくまった状態でイレブンは彼の背を見上げた。
 カミュの全身が金色のオーラに包まれた。両手を掲げ、背を反らせ、カミュは吼えた。
「アオオオーーーンンンッ」
それはまぎれもなく遠吠えだった。
 三頭の魔狼は後ずさった。うち一頭は、後ろ足の間に尾をはさみこんでいた。
 迷子の子犬のような記憶喪失の若者はどこへ行ったのか。そこにいるのは、人の形をした狼だった。瞳のない赤一色の目を怒らせて、カミュは咆哮を放った。
「ガアアァァァァッ!!」
ヒトの声ではない、もっと原始的で直感的な威嚇だった。
「おれノ縄張リダ!出テ行ケ!」
「ホウ、貴様……」
イレブンは手を伸ばした。攻撃魔法の場合効果範囲が狭く、発動は避けられてしまう。だが、補助魔法ならいけるかもしれない。試す価値はあった。
「ラリホーマ」
若い魔狼たちはぎくりとして固まり、やがてその場に崩れ落ちた。長はとっさに自分の腕に牙を立てた。
 完全なビーストモードを発動したカミュは、イレブンが初めて会った時に装備していた愛用の短剣を逆手に構えた。通常の倍のスピードで鋼の爪が長を襲った。血しぶきがあがった。長はうなり声をあげて反撃に出た。
「カミュ、これを」
シルビアのベッドの下から持ち出したポイズンスケイルを後ろから差し出した。背後も見ずにカミュの右手が短剣の柄をつかみ取った。自分の短剣とポイズンスケイルを空中に放って持ち替え、ポイズンスケイルを左手に装備して、カミュが気合を入れた。毒の滴る刃が長を狙った。
 長は、まだ変化しなかった。だが人型のままでも圧倒的な力は見ているだけでわかった。すさまじい速さで二人の立ち位置が入れ変わる。強靭な筋肉が飛翔のようなジャンプを生み出す。甲板に薄く積もった雪を巻き上げ、アクロバティックな戦闘が繰り広げられた。
――月光のもと、獣たちが乱れ舞う。ガッときちゃったねえ……。
 凄惨な殺し合いには不似合いな言葉が、なぜか耳の中によみがえった。
「ラリホーマならまだ何度も使える。カミュ、聞こえる?分身を思い出して。キミならできる」
出来るか否かは置いておいて、イレブンは長の気持ちを乱すためにしゃべり続けた。
「今のキミのチカラは通常よりずっと上がってる。そうだ、その武器は毒を持ってる!タナトスハントを狙って!頼む、ぼくの相棒!」
「生意気ナ!」
いきなり長はイレブンめがけて跳びかかってきた。
 その爪をカミュの短剣が阻んだ。真っ赤な瞳が至近距離で煌めいた。逆手からの一撃で長をひるませ、カミュは体当たりで長を突き飛ばした。
 長は少し離れたところで、身構えた。明らかに間合いを取っていた。
「おれハ、オマエノ一族ニ属サナイ」
カミュは言い放った。
「ココガおれノ縄張リ、仲間タチコソおれノ属スル群レ、ソシテコイツガおれノ群レノ長ダ。オマエジャナイ!」
自分のことを言っているのだと気付いて、イレブンはちょっと驚いた。
 長はじっとこちらを見ていた。
「……認メヨウ」
ぽつりと彼は、そう言った。
「オマエハ一匹狼トナッタ。私ノ群レトハ無縁ダ。二度ト会ウマイ」
長はゆっくりと戦闘態勢を解いた。
「行クゾ」
三頭の魔狼は、ようやく目を覚ましたらしく身を震わせた。長は口の中で何か唱え、一族ごと姿を消してしまった。
 雪の中に短剣が落ちた。カミュがその前に座り込んだ。
「オ、オレ」
言葉も腕も、カミュは震えていた。
「イレブンさん、オレ」
「ありがとう、カミュ」
膝でいざってそばへ行き、イレブンは彼に寄り添った。
「ありがとう」
カミュは泣きながら笑っていた。
 その頭を腕で抱えて引き寄せ、イレブンは天を仰いだ。
 雪はやんでいた。久しぶりに雪雲が退いていく。雲と雲の隙間から真っ青な空が垣間見えた。魔狼結界が破れたのだとイレブンは悟った。
 雲間から陽光が射した。空からキラキラとあふれ出る光はシルビア号を、ステージの上の大スターのように豪華に照らし出した。

 その日のうちに水面を埋め尽くした流氷群は流れ出していった。結界が崩壊した後、シルビアはほとんどすぐに目を覚ました。パーティの仲間もめざめの花で意識を取り戻した。
 クレイモラン王国海軍はシルビア号が立ち往生しているのを見ていたらしく、海路が回復すると真っ先に救助艇を送ってくれた。その小舟にアーロとクラースの遺体と、目を覚ましたボーを乗せて、兵士たちに頼んでクレイモランへ送り返した。
 ボーは人が変わったようにおとなしくなっていた。人狼はディーサだった、もう死んでしまったと聞くとそれで納得して家へ帰っていった。
 久しぶりにパーティだけで食堂に集まると、みんな自分が寝ていた間のことを知りたがった。はにかむカミュを隣に置いて、イレブンは一部始終を物語った。
「おぬし、人と魔狼の混血じゃったのか」
驚いてロウが言うと、カミュは赤くなった。
「あの、実はオレ、甲板で対決したときのことをあんまりよく覚えてないんです。まるで夢を見てるみたいにぼんやりしてて」
「カミュはかっこよかったよ?『ココガおれノ縄張リ、仲間タチコソおれノ属スル群レ』なんて」
かああっとカミュの頬が紅潮した。
「やめてくださいよ……」
 以前からの疑問はあるていど解決した、とイレブンは思った。夜見た夢を朝起きてから細かく思い出せないように、カミュはビーストモードに入った時のことをほとんど覚えていない。
「偉かったな」
少し笑ってグレイグが言った。カミュはおそるおそる顔を上げた。
「俺は役に立たなかったようだ。よくぞ勇者を守ってくれた」
「え、あっ」
やっとそのことに気付いたらしく、カミュは口ごもった。
「そうよ?カミュちゃん立派!カミュちゃん凄い!何かご褒美をあげましょうね」
シルビアが話しかけた。
「グレイグさん、シルビアさん、オレ」
カミュは、恥ずかしそうだが、同時に顔が輝いて見えるほどうれしそうだった。
「何がいいかしら、ねえ?」
「すいません、オレ、あんまりうれしくて、思いつかないです……、あ、そうだ、ひとつだけ」
「何でも聞いたげるわよ、言ってごらんなさい?」
もじもじしながらカミュは言いだした。
「厨房に入れてもらえませんか?アリスさんの仕事とか手伝いたいんです」
シルビアは振り向いた。
「アリスちゃん、どうかしら?」
厨房からアリスが顔を出した。
「あっしの方があのミートボールスープのレシピを知りたいでげすよ。キッチンを手伝ってくれるなら、歓迎しやす」
「ほんとですか!?」
ふぉっふぉっとロウが笑った。
「ではさっそくじゃが、年寄りに茶をひとつもらえんかの」
はいっと答えてカミュは立ち上がった。グレイグに背をたたかれ、シルビアに頭を撫でられて、カミュは嬉しそうに応じ、厨房へ消えた。
「迷子の子犬は、少し慣れたようじゃな」
イレブンはロウに笑いかけた。
「はい。もう大丈夫だと思います」
シルビアが尋ねた。
「ねえ、魔狼ちゃんのつくった結界がずっと続いてたら、本当に死ぬつもりだったの、イレブンちゃん?」
「あれは賭けでした。カミュのなかに昔のカミュが残ってたら、ぼくを殺さないだろうと思ってました。でも万一襲ってきたら」
あのポイズンスケイルを使って心中するつもりだった、という言葉をイレブンは口に出しては言わなかった。
「あいつはもう、人狼にはならんのか?」
とグレイグが言った。
「魔狼結界がなければ、もともとカミュはひとりだけでビーストモードを発動したりしません。ぼくとセーニャがいなければできないんです」
異変後いまだめぐり会えないマルティナ、セーニャ、ベロニカのことをイレブンは考えた。セーニャには今日のことをきちんと話してカミュのコントロールについて相談しておかないと、と思った。
「シルビアの姉さん」
アリスが声をかけた。
「今度の騒ぎで、水も食料もだいぶ心もとねえでがす。どうします?」
「一度ソルティコへ引き返した方がいいようね」
よっしゃ、とアリスが応じた。
「そんじゃあ、残ってるもん全部使って豪勢な飯をつくりやしょう!」
やった、と楽しそうなカミュの声が聞こえた。

 食事は久しぶりに賑やかで、とても楽しかった。食後にまた今後について細かいことを相談し、片付けも終わり、みな船室へ引きあげていった。
「終わり良ければ総て良し、だね」
カミュと二人で船室まで廊下を歩きながら、しみじみイレブンはそう言った。
「ですね」
穏やかにカミュが答えた。
「じゃあ、お休み、カミュ」
あの、とカミュが言った。
「ひとつだけ、聞いていいですか?」
「どうぞ?何?」
ちょっと小首をかしげてカミュは言いだした。
「どうしてイレブンさんは、ときどき二人いるんですか?」
え、とイレブンはつぶやいた。
「今、なんて言ったの?」
「イレブンさんの後ろに、もう一人そっくり同じイレブンさんがいるときがあるんですけど、誰ですか?双子じゃないですよね?」
“おまえ、双子とかいないよな”
脱獄直後、教会の小部屋でカミュはまったく同じことを尋ねた、とイレブンは思い出した。
「キミはずっと、それを見てたの、ぼくの“双子”を?」
何の邪気もなく、ただ不思議そうにカミュはこちらを見つめていた。
「アラ、言っちゃったのね、それ」
話しかけたのはシルビアだった。
「シルビアにも見えるの?」
「ううん、ダメなの。前もね、見えるのはカミュちゃんとベロニカちゃんだけだったのよ」
「……詳しく教えてください!」
それが、イレブンが自分のもうひとつの人格について知った瞬間だった。