ビーストモード 4.対抗占い師

 こほん、とロウが咳払いをした。
「皆の衆、シルビアは死んではおらんぞ」
鋭い目で人々を見回して彼はそう言った。
「体力は全回復した。じゃが、何か魔術的なやりかたで意識をもぎ取られたようじゃ。アリスやグレイグと同じく自分の船室で眠ってもらうことにした」
年は取ってもユグノアの先王の貫録は別物だった。みな、ロウの言葉を傾聴していた。
「何か言うことはありゃせんかの、ディーサさんや」
ディーサは白っぽい顔になっていた。心なしか髪がぼさぼさになり、マントの上から濃い緑色のストールを首の周りにぐるぐる巻き付け、猫背ぎみだった。
「昨夜のあたしの占いが間違っていた可能性は確かにあります。でも、人狼が二頭いる可能性も考えてくれませんか。あの人、グレイグさんからは確かに人外の気配を感じるんです」
ディーサを妙な眼で見ていたボーとクラースから、不服そうな呟きがあがった。
「二頭?ただでさえ珍しい人狼が同じ縄張りに二頭?」
「聞いたことねえなあ」
きっとディーサは二人を振り返った。
「なんだい!あんたらだって昨日はグレイグさんを閉じ込めることに賛成したじゃないかっ」
「そのときはそのとき、今日は今日だ」
「ディーサさん、貴女がグレイグを怪しいと思ったのはいつからかな?」
とロウが尋ねた。
「気配がというなら、最初から怪しんでいなくてはおかしいことになりますぞ」
「言い出せなかっただけです!」
「アリスをかばおうともしなかったのは?」
「それは!」
ロウは鋭い目付きで彼女をにらんだ。
「実は貴女が人狼なのではないかな?」
「なんですって?」
ディーサの顔に血の気がのぼった。
「言っていいことと悪いことがあるでしょう!なんであたしが」
「占いじゃよ」
とロウは言った。
「昨夜わしは部屋にこもり、シルビアとイレブンに護衛されながら、貴女のことを占っておったのじゃ。ディーサさん、貴女の正体は人狼じゃ。間違いない」
「ちょっと!」
ちょうどそのとき、カミュがお茶の入ったマグカップを彼女の前に出そうとした。ディーサのあまりの剣幕の凄さに、カミュはマグを持ったまま後ずさった。いれたてのお茶がマグからこぼれ、トレイの上に水滴が散った。
「あたしがなんだって言うの!そこの若いの、あんまりバカにすんじゃないよ、この穀潰しが」
たん、と音をたててトレイをテーブルに置き、カミュは身を翻して食堂から駆け去った。
「カミュ!」
「待つんじゃ、イレブン」
ロウが鋭く制止した。
「グレイグやアリスに強要して、自分は嫌だは通らんぞ。ディーサさんには眠ってもらおうか」
きっとディーサは向き直った。
「そんなにあたしが邪魔ですか?え、そうなんでしょう?プロの占い師がそばにいちゃ困りますよね、そうでしょ、人狼さん!」
「何を言っ取るんじゃ、貴女が」
怒りにまかせた甲高い声でディーサはロウの話を遮った。
「占ったですって?ほんとに占いなんかできるんですか?そうよ、最初っから騙していたんでしょう!」
ディーサは目がぎらついていた。
「あなただわ、あなたが二頭めの人狼よ!」
「止めてください!」
ディーサの金切り声に対抗するには、イレブンも声を大きくしなければならなかった。
「おじいさまは人間です!」
ディーサはせせら笑った。
「あなた、生まれてからずっと、一瞬もこの人から目を離したことがないの?そんなわけないでしょう?人狼がおじいさまに化けて孫よ、と言ってきたのじゃないってどうして言えるの!」
「どうしてって、おじいさまはぼくの両親のことを知ってたし」
「それじゃママに聞いてごらんなさいよ!」
生まれてすぐに家族を失ったイレブンは言葉に詰まった。
 ディーサはクラースたちの方を見た。
「あたしはとりあえず、あんたがたのことは信用してるよ。そうだ、あんたら、なんでもいいから聞いてみてくれないかい、この地方のこととか、占いのこととか」
「ディーサさん、あんた、お城の広場で占い師をやってるって言ったてな」
「ええ、そうよ」
「つい最近、クレイモランの町が全部凍っちまったことがあったんだが、そのときあんた、どこにいた?」
「外が寒いときは知り合いの酒場で客の間を回って占いのご用を聞いてるの。そのときも酒場にいたわ」
「なんて店だ?」
「雪月花亭ってとこ」
「そこなら知ってるぞ」
とボーが言った。
「よし、じゃあ、こうしよう。ロウのじいさまとディーサさん、本物の人狼はどっちか、多数決をとろうじゃないか。黒票の多かった方に閉じこもって眠ってもらおう。どうだい、坊っちゃん」
イレブンはロウの方を見た。
「仕方あるまい」
イレブンはうなずいた。
「同意します。ぼくは、ディーサさんに黒を一票入れます」
ふんっとディーサは横を向いた。
「俺はじい様に黒だ」
ボーだった。
「ディーサさんはクレイモランのことも氷漬けのことも知ってる。たぶん、出入りしたことがあるんだろうぜ」
「人間に化けた狼だってそのくらいできますよね?」
イレブンが言ったが、ボーは首を降るだけだった。
「悪いがあっしもじいさまに黒をつけさせてもらいます」
クラースがそう言った。
「そんなことって」
「理由はボーと同じでさ。ああちくしょう、嫌な気分だ」
沈黙が漂った。
 わかった、とロウが言った。
「こうなっては仕方がない。わしが眠りにつこう。じゃが、その前に孫と二人きりで話がしたい。そのくらいはかまわんじゃろうな?」

 イレブンはロウと二人で、ロウの船室にいた。ベッドに並んで座り、イレブンはつぶやいた。
「多数決のとき、カミュがいたら引き分けにもちこめたのに」
ロウは、いたわるようにイレブンの肩に手を置いた。
「わしがおまえに追うなと言ったんじゃ。これも定めなのじゃろう」
ロウの手がイレブンの肩をそっとたたいた。
「ここからはわしにできることは何もない。おまえが頼りじゃ」
じっとロウはイレブンの目をのぞきこんだ。
「船が動くようになったらクレイモランへ行け。人狼が冬の森の王ならば、氷の魔女リーズレットは冬の女神じゃ。シャール女王を通してリーズレットに助けを求めるがいい」
「わかりました」
うむ、とロウはうなずいた。
「ディーサは人狼じゃ。わしは自分の占いに確信を持っておる。気をつけよ。くれぐれもあの女と二人きりになってはいかん。カミュにもそう伝えておくれ」
おじいさま、とイレブンはつぶやいた。
「ぼくは……」
耳の奥にこだまする高らかな遠吠え。青い獣毛。
――ビーストモードは連携技だ。スキルがなくても、発動は可能なんだ。
「何か悩んでおるのじゃな?」
驚いて顔を上げた。ロウは微笑んでいた。
「イレブンや、信じ安いことを信じるのは、誰にでもできる。じゃが、とうてい信じられないことを信じるには、覚悟がいる。覚えておくんじゃぞ」
カミュは人狼じゃないと信じるには、覚悟が要る。深く息を吐いてイレブンはうなずいた。
「はい。覚悟はあります」

 ロウにゆめみの花を与えて眠らせたあと、イレブンは船室に施錠してその場を離れた。三日目に見つけた青い獣毛を薄紙にはさんでイレブンはまだ持っていた。だが、それをロウにさえ見せることができなかった。
 パーティの仲間たちは、シルビアでさえも、カミュのビーストモードを見ていない。サマディー郊外で唯一度ビーストモードを発動した満月の夜があったのだが、シルビアが加入したのはそれよりも時間的に後だった。
――ビーストモードに入っているときのことを、カミュは覚えているのか?
あの月夜の直後、パーティはファーリス王子を助けて魔蟲の巣へ遠征することになっていろいろと大変だった。だから、あのあとカミュにその疑問をぶつけてはいなかった。
 おそらく今のカミュに聞いても無駄だろうとイレブンは思い、頭を振った。今できることは信じることだけだった。
 船の中は人が少なかった。ディーサたちはイレブンと顔を合わせるのが気まずいのか、自分の部屋にこもっていた。イレブンはあちこち探し回り、ようやくシルビア号の船倉の奥でうずくまっている相棒を見つけた。
「またこんなとこにいて」
カミュはびくっとしてこちらを見ると、唇を震わせた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
それは食べ物に釣られて密航して、この場所で見つかったときと同じだった。イレブンは泣いているカミュの傍らに座り込んで肩を抱いた。
「怒ってないよ、誰も怒ってない」
本当の年齢より幼いと錯覚しているのだろうとシルビアは言っていたが、カミュは以前よりよく泣くようになった。
「オレ、役立たずとかごく潰しとか、前に言われたことがあるんだと思います。なんか辛くて嫌なことを思い出しそうで怖くて……逃げちゃって……ごめんなさい」
カミュは盗賊だった。けして恵まれた少年時代ではなかったのだろう。カミュの頭を自分の胸に引き付けるように抱き寄せて、イレブンはささやいた。
「ごく潰しなんて、ぼくはそんなこと思ってない」
自分の服の胸のあたりが涙で湿っている。紫のレザーコートの一部を、カミュの長い指がつかんで震えていた。
 “今のカミュちゃんはすごくいい子”とはシルビアの評価だった。アンダーグラウンドに沈む前の彼は、こんなふうに少し泣き虫で、でも世話好きで、素直な男の子だったのだろう。
 自分の知っているカミュをイレブンは思い出した。世界を斜めから見ているような、醒めた視線が印象的だった。
“牢屋に入れられたぐらいでオロオロビクビクしやがって。しけた野郎だな”。
嘲るような、からかうような口調は今でも耳に残っている。でも、生死のかかった大事な時には、カミュは声を荒げてイレブンを叱咤した。
“オレのことはかまうんじゃない!イレブンお前だけでも逃げるんだ!”
懐かしい思い出がいくつも思い浮かんだ。
“マジか!はじめての鍛冶なのにやるな、イレブン!練習したらもっとうまくなると思うぜ!”
キミはけっこう人を乗せるのがうまかったね、とイレブンは思った。おかげでぼくはすっかり鍛冶職人だ。
“おい、うまくいったじゃないか。これが〈かえん斬り〉か。斬った瞬間ほんとに火が出るのな。かっこいいぜ、お前”。
そう言った時、ツリ目気味の目が笑いで細くなり、口元をにやっとさせていた。悪戯が成功した男の子のような、満足そうなその笑顔が好きだった、とイレブンは思った。
“オレの名前はカミュ。覚えていてくれよな……”
あのとき、キミは信じてくれた。イレブンは深く息を吐き出した。
――覚悟しよう。キミを信じると。

 足音ひとつたてずに人外なる者は縄張りを歩いていた。人がだいぶ減ったので、見つかる心配も少なくなった。
 深夜、人外の者は、醜い外見を脱して天に与えられた本来の姿へ変わった。ふさふさした毛皮のコートは真冬の深夜でも暖かかった。柔らかい肉球をそっと床につけ、人狼は優雅に船内を歩き始めた。
 先日の狩りで、獲物から反撃を受けたのは予想外だった。人狼の回復力をもってすれば傷などすぐに治るはずだった。が、彼の使った武器は先端に毒を含んでいたらしい。首筋から肩にかけて、いまだに痺れが残っている。だが、この船の中のヒトを狩るていどならこのくらいの痺れは問題にはなるまい。人狼はそう考えていた。
 今夜は生き残りの中から一人選んで噛み裂くつもりだった。毎日そうやって数を減らし、動ける人間がいなくなったら、ゆっくりと船室の錠を壊して眠っている人間を食らうつもりだった。なんて素敵なハッピーエンド。頭から尾の先まで一気にぶるっと震わせて、ことが計画通りに進むという、ささやかだが確かな達成感を味わった。
――さて、今夜はどれにしよう。
 人狼はふと歩みを止めた。五感のうち最も鋭敏な感覚、嗅覚が、誰かいる、と伝えてきた。気まぐれで今夜の犠牲者と決めた者が船室を出て廊下を移動しているらしい。
 その獲物は、最初から気になっていた。獲物の姿と獲物の匂いが矛盾していたからだった。が、数日間観察しても特筆すべきものがない。特別な力はなしという結論に達していた。
 獲物が移動しているのは連夜の襲撃に怯えて逃げ出すことを選んだか、と人狼は思い、ほくそ笑んだ。怯え切った犠牲者はなぜか、美味い。何度も生き血をすすった口から牙を剥きだしにして人狼は歩みを再開した。人狼の魔力による結界のために魔法で脱出することはできないし、流氷の上を走って逃げるにはヒトはあまりにもノロマだった。
 魔力で鍵を操作し、肩でドアを押し開け、人狼は広々とした甲板へやってきた。吐く息は白く、夜空は黒々として、細い三日月だけが金色だった。ここ数日降り続いた雪は前足の先が沈むほどに積もっていた。突風が雪を舞いあげた。
 視界を奪う粉雪が落ちたとき、人狼は息を呑んだ。
――おまえはっ!
 同時に知っている匂いが鼻を突いた。
 不意をつかれたのは確かだったが、人狼はすぐに身構えた。縄張りを侵された狼は、どんな相手であろうと反撃する。
 ぐぅるるるる、と唸り声が上がった。頭を低くして身構え、二人の人外は雪の上でにらみ合った。
――しまった、前足の付け根に痺れが……。
相手の戦闘力は自分と拮抗している。前肢の動きにわずかなもたつきがあっても命取りになりかねない。人狼は嫌な汗を感じていた。
 片方の足が雪を蹴り、相手に飛びかかった。押し倒して頭部を雪に押し付け、喉を狙った。それをいやがってもう片方は抑えを振りほどき、跳ね起きてまたぶつかりあった。二対の紅瞳がにらみ合い、鋼爪と銀牙が激突した。夜空に響く激しい音は、金の三日月だけが聞いていた。

 明け方から風が次第に強くなってきた。イレブンは海鳥の鳴き声で目を覚ました。服を着てカミュの船室を見に行ったが、もういなかった。
 案の定、彼は厨房にいた。
「おはようございます」
照れたような表情は、がんばって用意した朝食のためだろう。
「美味しそうだ」
カミュは乏しくなってきた保存食材からミートボール入りのスープを作りあげていた。腕前はやはり衰えていなかった。
 えへへ、と笑いながらカミュはスープボウルを並べて注ぎ始めた。
「チーズを奮発しちゃいました」
食欲をそそる香りと湯気が厨房から食堂へ流れ出した。
「おっ、いい匂いだな」
ボーがやってきた。後ろからクラースも顔を出した。
「あったかいってだけでお宝でさ」
昨日のいきさつから言いたいことがないこともなかったが、イレブンは言葉を呑みこんでスープを配った。
「あとディーサさんか」
呼びにいかないと、とイレブンが思ったとき、クラースが立ち上がった。
「昨日の今日じゃ、あの人も坊ちゃんと顔を合わせにくいんじゃねえかな。あっしが行きますよ」
そう言って食堂を出た。
「なあ、坊ちゃん、じいさまのことは気の毒だったが、今朝誰もやられてなけりゃ、つまり」
と、言いづらそうにボーが話しかけた。イレブンは片手を振った。
「多数決だったんですから、恨みなんかありません。もうそろそろ氷も溶けて」
そこまで言いかけたときだった。廊下を走ってくる音がした。
「ディーサがいねぇ!」
青い顔のクラースが駆け込んできてそう叫んだ。
 船に残ったメンバー、すなわちイレブン、カミュ、ボー、クラースは全員でディーサの船室を見に行き、呆然とした。文字通り、ディーサはいなくなっていた。
 船室はもぬけの殻だった。ベッドには使った形跡があったが、毛布は冷えきっていてだいぶ前にベッドを出たようだった。そして乱れた寝具の上に衣服が一通り残されていた。
「死体すらねえってどういうことだ」
とボーがつぶやいた。
「気まずくて船から逃げ出したとしても、女一人、しかも裸で逃げるわけがねえ」
クラースも首をひねった。
「まだ船の中にいるのかな?」
 話し合った結果、四人全員で船内を回ってみることにした。船の中には、やはりディーサはいなかった。が、念のためと甲板へ縄梯子のようすを見に出たとき、緊張が走った。
 真っ白に積もった雪は、盛大に乱れていた。そのうえで何かが起こったことは明白だった。血しぶきが雪の上に残り、その中にあの青い獣毛が何本も混じっていた。
「ここで殺されたのか?」
イレブンは背筋が寒くなった。ディーサの遺体がないのは、身体をすべて食われたということなのだろうか。
「いやだーっ」
ボーだった。
「俺はもう嫌だ、まるで生殺しじゃねえかっ」
「落ち着きなよ、ボー。みんなおなじ」
ボーは両手で頭を抱え、クラースの手を振り払うように左右にゆすった。
「おまえか?ほんとはおまえなのか?」
クラースはむっとしたようだった。
「そんなわけねえだろう!」
「だって、おまえらしかいねえじゃねえか!」
ひときわ甲高い声でそうわめくと、ボーは雪の中に座り込んでわあわあと泣き出した。
 イレブンは愕然とした。ディーサはグレイグとロウの二人を黒と占い、二人とも閉じ込められている。それなのに襲撃が行われた以上、ディーサは間違いを犯したのだ。人狼はまだいると考えるべきだった。
――容疑者は三人だ。ボー、クラース、そしてカミュ。
冷たい風が吹いて来た。風の中に雪が混じっていた。また吹雪になりそうだった。
「ボーさん、とにかく船に入りましょう」
まだひっく、ひっくと言いながらボーは顔をあげた。
「決めたぜ。俺を閉じ込めてくれ」
ボーの顔は正気と狂気の境目のような危うさだった。
「眠らせてくれ。しっかり鍵をかけて眠ってるなら、その方がましだ」
ひひひひひ、とボーは笑っていた。
「こんな怖い目に合うくらいなら、寝てるうちに殺された方がいいよ、なあ、そうだろ?」