ユグノアの子守歌 6.二人の祖父

 イレブンは道具袋から、古い手紙を取りだした。テオが三角岩の下に埋めた手紙だった。
「これ、ぼくを育ててくれた人から今のぼくへの手紙です。大樹の根の導きでぼくは、これを手に入れることができました。ぼくにとって十六年間、この人が祖父だったんです。ぼくの、じいじ、です」
マルティナは短い手紙に目を通した。緊張のために張っていた肩が、次第にゆるんでいった。
「すばらしい方だったのね」
そう言ってマルティナはテオの手紙を返してくれた。
「はい。優しくて、釣りの名人で、籠に入って流されてきた縁もゆかりもない赤子を拾って育ててくれた、ぼくの恩人です」
マルティナは小さく息を吐いた。
「キミにもキミの十六年間があったということね」
イレブンは古い手紙を大事な物入れにしまいこんだ。
「マルティナさん、あのひと、ロウさまの気持ちも、ぼくはわかるんです。でも、どうか時間をください。いきなりぼくの祖父をロウさまにしてしまうと、テオじいじに悪いような気がするから。ごめんなさい」
マルティナはイレブンの手の甲を、そっと撫でた。
「謝ることじゃないわ。それから、私のことはマルティナと呼んで?それはかまわないでしょう?」
「はい、ええと、マルティナ」
 ふふっと彼女は笑った。
「おかしいわよね、私、キミに会えたら話すことや、したいことがたくさんあったの。でも、なんだか全部……」
イレブンは隣に座る彼女のようすをうかがった。
「どんなことですか?」
「あのね、子守歌を歌ってあげたいと思っていたの。エレノアさまはキミに、よく子守歌を歌っていたのよ。私、その歌が好きだった。少しもの悲しい調べなのだけれどね。その歌は、本当は続きがあるのですって。ユグノア王家に伝わる伝承で、調べと歌詞に魔力がこもっているので、戦闘中に歌えば魔物が眠るそうよ」
「それは、すごいね」
マルティナは微笑んだ。ロウの話をしていたときの少し寂しい顔ではなく、もっと自然な笑顔だった。
「私、小さかったころロウさまにお願いしてそれを、“ユグノアの子守歌”を歌っていただいたのだけれど、ロウさまったら、続きを忘れてしまわれたのですって」
「ぼく、知りたいな、“ユグノアの子守歌”」
と、イレブンは言った。
「歌を覚えたら、ぼくがマルティナに歌ってあげるよ」
 マルティナの視線がさまよった。ふと気づくと、窓の外が明るくなっていた。太陽の光が部屋の中へ差し込んできた。夜が明けたようだった。
「雨があがったようね。とりあえずユグノア城へ戻りましょう」

 翌日の早朝、単騎で襲ってきたグレイグをかわしてマルティナとイレブンはユグノア城址へ戻り、仲間と合流した。
 虹色の枝はそのとき輝きを増し、パーティ全員に幻影を見せてくれた。
――どこか、深い森の中、滴る緑に囲まれた水面。流れ落ちる大瀑布、崖の端が空中へ伸び、その先に円形の水盤がある。水盤の真上は、六つの献台を周囲に配置した真円の祭壇だった。献台の上に六色のオーブが静かに舞い降りる。オーブが輝き渡るとき、リボン状の道が空中に現れ、遙か頭上に浮遊する岩の上の命の大樹へと向かった。
 夢から覚めた顔でパーティは互いを見回した。大樹への行き方がわかった、それは大きな前進だった。
 とりあえず、ロウの提案で、一行はロトゼタシアの外海をめざすことになった。グレイグ隊を警戒して、パーティはシルビア号の停泊地まで町に立ち寄らず、キャンプしながら戻ろうと決めた。
「ロウさま」
キャンプ地で夜半、食事も終わってそれぞれが寝支度を始めたころ、マルティナは物陰にロウを招いた。
「どうしたな、姫よ?」
ロウとマルティナは、すんなりとパーティに溶け込んでいた。実はロウたちは旅の途中でシルビアのステージを見たことがあったし、ラムダの一族についても知識があった。また何よりも長い旅の間に、初対面の相手の懐に分け入るコミュニケーション力を培ってきた。おかげで、キャンプはなかなか和やかなふんいきだった。
 ただ、イレブンだけがなんとなくぎこちなかった。
「私、あの雨の夜、イレブンと少し話をしました」
ほう、とロウは言った。
「イレブンは、育ての祖父からの手紙を見せてくれました。その人が川を流されてきた赤子を拾ってくれたのだそうです」
その手紙の、覚えている限りの文章をマルティナはロウに告げた。
「そして最後に、『人を恨んじゃいけないよ。わしは、お前のじいじで、しあわせじゃった』と」
ロウは黙って聞いていた。それから右手で左手の拳をおおい、しばらく瞑目していた。
「テオ殿と言ったか。わしの孫は良いお方にめぐり会って、きちんと育てていただいたのじゃな。ありがたや、ありがたや」
「ロウさま」
ロウは目を開いた。柔和な表情だった。
「『お前のじいじで、しあわせじゃった』か。わしが一生かかっても、これほど重い言葉をあの子に残してやることができるかどうか。姫や、これではイレブンに、わしを祖父と認めよと強制することはできんの」
ほっとしたような、寂しいような、言い難い感情の波にマルティナは揺さぶられていた。
「よろしいのですか」
「十六年待ったのじゃ。気長に待とうか、姫や」
はい、とマルティナは答えた。

  ロトゼタシア内海は波が穏やかでモンスターもあまり出てこなかった。シルビア号の舵をアリスにまかせてシルビアが船室へ降りてきた。
「シルビア?」
マルティナは心を決めて話しかけた。
「なあに、マルティナちゃん?」
ソルティコへ行くことになってから、なんとなくシルビアのようすが変わった、とマルティナは思ったが、それでも最初に確かめるべきは、シルビアだった。
「あの、あなたは商売柄、歌に詳しいのでは?ちょっと知りたいことがあるんだけど」
シルビアは気に入りの椅子に腰かけた。
「流行り歌なら多少覚えてるわよ?」
「それが、子守歌なの」
不思議そうにシルビアが聞き返した。
「どうして子守歌を知りたいの?」
どう説明しようかとマルティナは迷った。
 今だにぎこちないイレブンとロウの関係を、なんとかしたい。その方法をマルティナはひとつ思いついたのだった。
「“ユグノアの子守歌”というのだけど、眠り系の戦闘特技なの、本当は」
連携技“ユグノアの子守歌”をイレブンとロウの二人で使えたら、あるいは一緒に習得できたら、少しでも二人の溝が埋まるかもしれない。
「私は出だしだけ知っているの。でも、調べと歌詞にこめられた魔力を解放するには、全部歌えないとだめなのですって」
シルビアは両手を合わせて首を振った。
「残念だけど、アタシの知っているのはあれだけね。『おやすみ、おやすみ、大樹の子らよ』」
それは、ロトゼタシアのどの母親も我が子に歌う、一番有名な子守歌だった。
「ユグノアの、と言うなら、ロウちゃんが一番詳しいんじゃなくて?ね、ロウちゃん?」
ロウは分厚い魔法書を閉じて答えた。
「むう、シルビア、申し訳ないが、“ユグノアの子守歌”は代々ユグノア王家の女たちが伝えるものなんじゃ。わしのおふくろさまがわしの嫁に伝え、それを嫁が娘のエレノアに伝えた。エレノアならばすべて記憶していたはずじゃがのう」
 あの、と声がした。イレブンだった。
「ひとつ聞いてもいいでしょうか?」
うむ、とロウは言った。
「なんなりと」
「“ユグノアの子守歌”は、戦闘特技なのですか?それとも、子守歌?」
ロウは髭をひねりあげた。
「そこが微妙でなあ。たとえばわしの嫁は、ああ、お前のおばあさまじゃな、エレノアを寝かしつけるときは“ユグノアの子守歌”の前半を歌っておった。じゃが、戦闘中に魔物を眠らせるには、後半まで歌ってやらなくてはならん」
日ごろ見せる、ロウに対して遠慮がちな態度が影をひそめ、イレブンは熱心に聞いていた。
 マルティナはなんとなく嬉しかった。ロウのほうも無理に祖父ぶったようすではなく、魔法学上の知識を披露する態度にとどめていたが、長い付き合いのマルティナにはロウが内心喜んでいることが分かった。
「もうひとつ、“ユグノアの子守歌”は連携技じゃ。パートナーがおらんことには、使えんぞい。わしの知る限り、わしのじいさまの代からこちら、連携技として“ユグノアの子守歌”を使ったことはない。王家の女たちが代々歌い継ぐのみじゃった」
「私が知っているのは、前半までなの」
とマルティナは言った。
 アラ、とシルビアが声をかけた。
「どうしてマルティナちゃんが知っているの?」
「エレノアさまが赤ちゃんだったイレブンに歌っているのを、そばで聞いていたの。あのときエレノアさまは前半しか歌ってはいなかった」
シルビアが尋ねた。
「でもエレノアさまはその子守歌を最後まで覚えていたのね?」
ロウが答えた。
「おそらくな」
「ロウちゃんは知らないのね?」
「わしがユグノアの子守歌を最後まで聞いたのは、赤子の頃じゃったろう」
シルビアはじっと見つめた。
「エレノアさまも赤ちゃんだったイレブンちゃんに最後まで歌ってあげていたかもしれないわけね?」
「そのとおり」
よしっとつぶやいてシルビアが立ち上がった。
「ねえ、イレブンちゃん、ちょっと実験してみる?」
「何を?」
「今までに知り合ったサーカス仲間に、催眠術の得意な子がいてね。昔アタシもやり方を教えてもらったの。本職じゃないからそんなに上手じゃないけど、うまくいったらアナタ思い出せるかもしれないわ、赤ん坊のころの記憶を」
イレブンはぽかんとして、それからはっとした。
「ぼくは、聞いたことがあるかもしれないんだね?」
「そういうことよ。半分眠ったような状態にしてから、イレブンちゃんの小さかった頃の記憶をたどってみましょう。もしだめだったら、ロウちゃんで同じことをしてみるのもありね」
イレブンはうなずいた。
「ぼくはどうすればいい?」
「そうね、ちょっと部屋を暗くして、みんな壁際に下がってくれる?イレブンちゃんは一番大きなイスに深く腰掛けて、できるだけ体のチカラを抜いてね」
パーティは興味津々でシルビアの指示に従った。
 シルビアは振り向いた。
「カミュちゃん、そばに来てくれる?」
「オレ?」
「催眠術は、いろいろな人格を引き出すことがあるのよ。真っ先に出てくるのはたぶん」
イレブンサイコ。カミュはうなずいた。
「ああ、そばで見てる。やばそうならそう言う」
 イレブンは椅子に深く腰掛けて両手をアームレストにのせ、どこか心細そうな顔をしていた。
「イレブンちゃん、目を閉じてね。波の音が聞こえる?」
シルビア号の船室には内海の波が船腹を洗う音が絶え間なく響いていた。
「自分が暗い水面に浮かんで、一人で漂っているところを想像してみて」
シルビアの声は低くささやくようだった。
「さあ、アナタの身体は水に溶けていくわ。水といっしょになって、潜っていくの。深く……もっと深く……」
イレブンは目を閉じて、後頭部を椅子につけ、ぐったりしていた。イレブンの唇が動いた。
「だれだ……やめろ……」
同時に、目を閉じたままどこか苦しそうに顔を左右に振った。
「いい子ね。そこをどいて?今潜っているところなのよ」
シルビアがそう言っても、イレブンは逆らった。
「いやだ……」
 カミュは眠っているイレブンにささやきかけた。
「大丈夫だ、オレはここにいる。お前が起きるまで、守っててやるよ」
イレブンは胸を上下させながら、しばらく黙っていた。
「ぼくを裏切るんじゃないのか」
カミュはイレブンの手の紋章を指でそっとつついた。
「お前の相棒を信じろ」
しばらくイレブンは動かなかった。
「たのむ……」
かすかにそうつぶやいて、イレブンの身体が弛緩した。
 ふう、とシルビアが冷汗をぬぐった。
「聞こえる、イレブンちゃん?あなたは海の底にいるの。耳を澄ませてね。子守歌が聞こえるはずよ」

 五感はまだきちんと分かれていなかった。快さと柔らかさ、暖かさと甘さがすべて混ぜ合わされて全身を取り巻いている。イレブンは眠りと覚醒の境に居た。
「イレブン、やっとおねむかしら」
若い女の声がそう言った。背中をさする優しい手をイレブンは感じた。
 誰かがふぉふぉと笑った。
「婿殿は早う公務を終わらせんと、この子と遊ぶのに間に合わんの」
「そう思うなら、父上が手伝ってあげてくださいませ」
「いやじゃ。せっかく王位の面倒からいちぬけしたというに。ほれ、イレブンを貸せ。わしが抱っこしてやろう」
イレブンの周りに、何か別の匂いが混じった。
「おうおう、このように安心しきって」
優しく揺さぶる大きな手だった。
「おまえはこんなに幼いのに、特別な運命を背負っているのじゃな。よしよし。何も心配することはないぞ?父も母も、この祖父も、みんなでお前を守ってやるからの」
 小さな足音がした。
「ロウさま!」
まだ高い少女の声だった。
「アーウィンさまが、呼んできてって言ってました」
「おや、何事じゃ?」
女の声が笑いになった。
「やっぱりお手伝いがいるようですわね。行ってらっしゃいませ。マルティナ、父上をお願いね。イレブンはもう寝かせましょう。こちらへ」
暖かい手から離されて、小さなイレブンはぐずり声で抗議した。
 彼女は、低くささやいた。
「いとしきおさなご」
それは明らかに子守歌だった。

 シルビアが息を呑んだ。
「そうよ、お母さまといっしょに歌って、イレブンちゃん!」
深く椅子に腰かけたイレブンの唇が動く。
「いとしきおさなご」
「愛する命よ」
マルティナだった。幼女の頃、エレノアとかけあいで歌った歌を、今はイレブンと再現していた。
「このしらべにゆれ」
「歌の調べに乗り」
「こころやすらかに」
「すべてを委ねて」
「ここちよくいだかれて」
「おやすみなさい」
イレブンはうっすらと笑っていた。
 “ユグノアの子守歌”の前半がここで終わる。マルティナは口をつぐみ、緊張してイレブンを見つめていた。
「ちょうが……とぶ」
船室の中に、声にならないどよめきが起こった。シルビアが手で制し、全員で子守歌の後半に聞き入った。
「蝶が飛ぶ
たゆたう紫煙に乗り
無垢の魂導き
命の大樹へ
送り返すために」
前半の甘哀しい調べにくらべ、後半は静かだが力強い。歌い終わるころにはイレブンは、薔薇色の顔に満足そうな表情を浮かべ、熟睡していた。

 分厚い緑の鱗が全身を覆い、背骨にそって白い剣板を連ねた巨体が身を起こした。こちらをじろりと見る眼は赤く、首を低くして牙をむきだしにした。喉の奥には業火の兆しが見えていた。
「よりによってドラゴンかよ」
 シルビア号はソルティコへ向かう途中で飲料水補給のために停泊していた。内陸へ足を踏み入れたパーティは、現れたモンスターに即応した。フロントメンバーはイレブン、カミュ、マルティナ、そしてロウだった。
 先日遭遇したときは、勇者の気絶を待ってあわてて逃げ出した相手だった。数も同じ三頭。今回は取り囲まれたわけではなかったし、パーティのメンバーも増え、レベルも上がっている。それでも油断していい理由はなかった。
 カミュは横目でイレブンのようすをうかがった。ベビーは影にいる。だが本人はのぼせ上がることもなく、冷静だった。
「三頭いっぺんに相手をするのは、分が悪いぞ」
うん、とつぶやいて、何を思ったかイレブンは片手剣を鞘に収めた。
「どうする気だ?」
ロウのドルマかベロニカのイオで少し削ってもらうところかとカミュは考えた。
「カミュ、ヒュプノスハントの用意をして」
驚いて横顔を見た。
「オレはまだスリープダガーをしてないぞ?」
「ドラゴンはぼくらが寝かせる」
そう言ってイレブンは視線を巡らせた。たまたまロウが、ゾーンに入っていた。イレブンはロウのほうを向いて、はっきりと話しかけた。
「ですよね、おじいさま?」
ロウは一瞬、驚いた顔になった。しばらく黙っていたが、顔を上げてからからと笑った。
「もちろんじゃ」
口はにっと不敵に笑い、目がキラキラしていた。
 カミュはマルティナと目が合った。マルティナはうなずき、槍を構えて一歩下がった。連携技発動直後の第一撃をカミュに任せたのだと悟った。
「……わかった。お前を信じるからな?」
 三頭のドラゴンが、そろって咆哮した。大地が震えるほどの迫力だった。
 イレブンとロウは、それぞれ両手を広げた。
「愛しき幼子」
まだ少し高めのイレブンの声が、甘く悲し気な旋律を放った。
「愛する命よ」
ロウの低い声がよく似たメロディをたどった。祖父と孫のかけあいになる前半部分を、ドラゴンたちは警戒しつつ聞いていた。
「蝶が飛ぶ、たゆたう紫煙に乗り」
後半、力強い合唱となった。
 ついに一頭が頭を垂れた。次々とその場にうずくまり、尾を体側に回し、尾と体の間に長い首をつっこんで、三頭のドラゴンは瞼を閉じた。
「命の大樹へ送り返すために」
 チャッと音を立ててカミュは短剣を逆手に構えた。
「お先!」
マルティナが、イレブンが、後に続いた。
――よかったな、じいさん。イレブンも。
ヒットを決めた瞬間、柄にもなくそんなことを、カミュは思った。