ユグノアの子守歌 3.コロシアム

 村を見下ろすのは鋭い岩山だった。山と言うより奇岩と呼ぶほうがふさわしい。巨大な奇岩に囲まれたその地の奥には、古代プワチャット王国ゆかりの遺跡がある。
    近年、遺跡に残された美しい壁画を見に、たくさんの観光客が遺跡のそばの村へ集まるようになっていた。空中高くに赤い提灯がいくつも張り渡され、あたりにはお祭り気分が漂っていた。
 その人ごみのどこかから悲鳴があがった。
「置き引きだっ、捕まえてくれ!」
 浮かれ気分の観光客が置いた荷物を、誰かがかっさらって逃げたらしい。群衆の中からかっぷくのいい大男が手を振りまわして怒っているのが見えた。
 同時に石畳に続く幅の広い階段を、黒い頭巾をつけたうさんくさい男とマスクで顔を隠した半裸の荒くれが駆け下りてきた。
「どけどけーっ」
荒くれは肩に宝箱をかつぎ、頭巾の男は腕にお宝を抱えている。観光客をかきわけてこのまま逃げ切るか、と思った瞬間、階段を下りかけていた二人連れの一人が、相手を見もせずに後ろ回し蹴りを放った。緑のブーツの靴底が顔面に激突し、置き引き二人はふっとんで石畳へ顔から激突した。
「慌てると転びやすいぞ、ん?」
 置き引きを仕留めたのは凛々しい女武闘家だった。体力気力ともに充実したようすで、すらりとした長身にめりはりのある体つきをしている。かっぱらいを許すほど甘くはないようだが、くすりと笑い声を立てて置き引きを眺める横顔は人を惹きつけるような自然な愛嬌があった。
「そのとおり。慌てる乞食はなんとやら、と申す」
女武闘家の連れらしい小柄な老人が、もっともらしく白いひげをひねりあげた。こちらは酒焼けのした赤い鼻に飄々とした雰囲気の、いかにもくえない老爺だった。
「どれ、起こしてしんぜよう。うん?荷物があってはうまく起きられんじゃろう」
荒くれと黒頭巾は、宝箱とお宝を放り出すと一目散に逃げだしてしまった。
 上の方からかっぷくのいい男が降りてきた。
「おお、それは!」
老人はにこにこしていた。
「急がずともよい。お荷物はここにありますぞ」
宝箱を盗まれた客は下までやってくると、肩で息をしながら礼を述べた。
「命より大事な荷を取り返してくださいまして、ありがとうございました」
「なに、どれほどのこともしとらんよ。行こうか、姫よ」
「はい、ロウさま」
女武闘家を連れて、歩き去ろうとした。
「お、お待ちください、せめて、食事などさしあげたい!ぜひに、ぜひに!」
「残念じゃが、さきほど昼餉は済ませておりましてのう」
「しかしそれではこちらの気がすみません。せめてお嬢様に何か、装身具か、お召し物でも」
女武闘家はくすくす笑った。
「私のことでしたらお気遣いはご無用です。が、私の師匠は古文書や魔法道具の研究を生涯の志としております。そのようなものの在り処をご存知ありませんか」
では、家族ではなく女弟子であるらしい。美しい女弟子に慕われる老師か、そう思って金持ちの男はちょっとうらやましくなった。
「そういえば私の商売仲間がグロッタの町から依頼を受けて珍しいものを探していましたよ」
――サマディーで仕入れたブツが、思いがけずグロッタで売れてねぇ。
「虹の七色に輝く枝を見つけて納品したそうです。町ではなんでも武闘会の景品にするのだとか」
ほう、とロウと呼ばれた老人がつぶやいた。
「グロッタ、グロッタとな?前から気になっておりましたのじゃ。これは良いことをうかがった。行ってみようかの?」
「そうしましょう」
二人は歩き出した。グロッタ名物、仮面武闘会の開催まで、あと数日に迫っていた。

 パーティは深刻な危機に直面していた。
 今朝ネルセンの宿屋を出発し、グロッタという町を探してバンデルフォン地方を縦断した。最初は豊かな麦畑の中に風車の立つ豊穣の大地だったのだが、しだいにあたりの植生が変わり、途中から明らかな岩山になった。町への案内板を見落としてしまったのか、パーティはその地方をさまよい、日もくれかけたころにとある地峡をくぐりぬけた。
 そのとたん、パーティは取り囲まれたことに気付いた。
「竜だ……!」
本物のドラゴンだった。緑の鱗に覆われ、背から尾にかけて白い剣板が並んでいる。どうやら彼らのテリトリーへ不用意に足を踏み入れてしまったらしい。三頭のドラゴンは大口を開いて威嚇した。
「上等だ!」
気迫だけならドラゴンを上回る。勇者イレブンは殺意満々で剣を抜いた。
「ちょっと待て!」
カミュがあわてた。最初のターンで三頭分の炎をくらい、パーティのHPは半減ではすまなかった。
「うるさいっ。ドラゴン斬りの味を教えてやる……」
確かにドラゴン斬りなら、ドラゴンの身体に傷をつけられるかもしれない。つまり、その技くらいしか効果を期待できない。通常攻撃はやるだけ無駄。
「ベロニカ、魔法は!?」
ベロニカはようやく立っている状態だった。
「メラ、ヒャドはたぶんダメ。デインかドルマならいけるけど、使い手がいないのよ」
歯を食いしばったあげく、ベロニカは言った。
「イオならなんとか。シルビアとセーニャはバギで。でも三人がかりでも“ないよりまし”ていどかも」
セーニャはためらった。
「でも、そうすると回復が」
カミュは片手で後頭部をかきむしった。
「それができるのが、あいつなんだが」
後ろから見るイレブンの肩が小さく動いていた。笑っているのだとカミュは知っていた。相手を強敵だと認識した瞬間、イレブンは人格が変わる。カミュはその、戦闘狂とでもいうべき性格を『イレブンサイコ』と命名していた。
「回復なんか絶対してくれねぇからな、サイコさんは」
「あんた、スリープダガーできない?なんとか一頭でもドラゴンが寝てくれればそれだけ有利になるわ」
「……寝てくれればな」
眠り系の攻撃は、ドラゴンにはいまひとつ通りにくい。ついでにラリホーを使えるのも当面イレブンだけだった。
「とにかくそのHPじゃあぶねえ。シルビアと代われ」
「くやしいけど、あとは頼むわ」
 代わって前線に出たシルビアが真顔になった。
「まずいわね」
 雄たけびを上げてイレブンはドラゴンに挑んでいた。それはブラックドラゴンのような後足で立ち上がるタイプではないのだが、頭の高さが馬ほどもあるドラゴンにイレブンは至近距離から剣を振るい、牙で、爪で、炎でさんざんにやられていた。
 焼かれ傷つきぼろぼろになったイレブンはうっとりとドラゴンを見上げていた。目が開ききって三白眼のように瞳を白目がとりまいている。狂った笑みを浮かべて剣をふるった。
 おかげで残り二頭の攻撃をカミュ、セーニャ、シルビアで引き受けるはめになった。
「おっさん、あいつ、落としてくれよ!」
サイコ状態を解除してくれ、とカミュは言った。
「それよりあの子、HPひとけたじゃないの」
シルビアは焦りの表情を浮かべた。回復が先か、状態異常解除が先か。やれることの多いシルビアは、それが災いして迷っていた。
 イレブンは身を低くしてドラゴンの顎の下を狙った。
「くらえっ!」
剣で太い首を掻き斬られ、ドラゴンは派手に体液を噴き出した。
「あははっ!」
イレブンは心地よさそうに高笑いの声をあげた。足もとでは瀕死のドラゴンがのたうち回っていた。次の瞬間、偶然前足がイレブンの身体をたたいた。
 あっけなく少年は弾き飛ばされた。草地の上を何度か転がり、動かなくなった。
「イレブンさまっ」
セーニャが悲鳴をあげた。
「待った!」
カミュが叫び、目と目でシルビアと方針を確かめ合った。
「やっと気絶してくれたんだ、そいつ、起こすな!」
シルビアがイレブンに駆け寄って抱き上げた。
「逃げるわよっ、みんな、早くっ」
カミュはふらふらのベロニカを抱え、セーニャは荷物をかき集め、パーティは命からがらドラゴンのテリトリーから退散したのだった。

 荒野に馬を進めていくと、突然巨大な塔が立ち現れた。塔の大きさに比して入り口はひどく小さかった。扉をくぐっていくと、まず広い通路があり、その先に町がまるまるひとつ収容されていた。通路の下にも広い空間がある。これは通路であり、一種の橋でもあった。
 橋の上から正面を見上げると高い建物の正面に巨大な像があるのがわかった。鎧をつけた戦士の半身像で、両手持ちの大剣を頭上に振りかぶっている。その顔は端正であり決然とした表情を持っていた。
 その像の上は、遙かに高い。この巨大な塔は内部が吹き抜けだった。この町は面積は狭いが、重層的に折り重なっているのだった。
 当然、太陽の光は差し込んでは来ない。だが、あらゆるところに灯火が置かれ、町の中はむしろ明るかった。
「ついに来たわね!屈強な男たちが集まる町、グロッタ!」
シルビアは両手を握り合わせてうれしそうに振った。
 カミュは橋の正面上方の戦士像を見上げた。それは、見覚えのある顔をしていた。
「チッ!ここでもグレイグが英雄扱いされてるってワケか。まったくむなくそ悪いぜ」
 橋の上にいたバニーガールがこちらにやってきた。
「ハ~イ、カッコイイお兄さんたち。格闘大会には興味がおありかなっ?今度仮面武闘会っていうすっごい大会が開かれちゃうの。ウデに自信があるなら参加してみてね~」
そう言ってバニーはちらしを差し出した。カミュがさっそくのぞきこんだ。
「なになに……。血わき肉おどるタッグマッチ、仮面武闘会開催のお知らせ。優勝者には豪華賞品を贈呈!か……」
ベロニカがつぶやいた。
「てっきり踊る方の舞踏会かと思ったけど戦う方の武闘会なのね。でも仮面ってなんのことかしら」
セーニャが言った。
「屋上にあるコロシアムでやると書かれてあります……。あの建物の頂上にあるのでしょうか」
パーティは思わず戦士像を飾った大きな建物を見上げた。
 町の人々に話を聞いて戦士像の下へ向かって歩いて行くと、かなりの人だかりがしていた。これが全部仮面武闘会の参加者かと思いながらパーティは受付へ近寄った。ベロニカが声をあげた。
「あっ、イレブン!あれ見て!あれって虹色の枝じゃない!?」
受付には係りの男が立っている。受付カウンター上右手に置かれているのは、白く輝く不思議な物体だった。枝、と言うなら確かに木の枝に見える。細く枝分かれしたその棒状の物体は、しかし通常の木の枝にはあり得ない特徴を持っていた。白く輝くその光が、角度を変えると虹の七色に見えるのだった。
「サマディーの王様が行商人に売った枝がめぐりめぐってこの大会の優勝賞品になってたのね」
「と言うことはお姉さま。あの枝が手に入れば大樹への道が……」
ベロニカは大きくうなずき、両手を腰に当ててイレブンを見上げた。
「そうね!絶対優勝するしかないわ!この仮面武闘会に参加してなんとしてでも虹色の枝を勝ち取りましょ!」
イレブンは低い声で激しくささやいた。
「負けるわけがない!」
 ベロニカはカミュと顔を見合わせた。ドラゴンと戦って戦闘不能になってしまったことを、いまだに悔しがっているらしかった。

 闘技場の中央で、司会者は大きく腕を広げて天へ向けた。
「レディースアンドジェントルメン!今年もホットな季節がやってきたぞ!準備はいいか!?今こそ戦いの時!この戦いの聖地グロッタ闘技場で今年はどんな名勝負が生まれるのか!?グロッタ名物仮面武闘会、いよいよ開催です!」
円形闘技場の客席を埋める大観衆はあおりに応えて歓声をあげた。
「それではさっそく……皆さまお待ちかね!誰がパートナーになるかハラハラドキドキ!運命の大抽選会を行います!」
黒いベスト、赤いカマーバンドに蝶ネクタイというおしゃれな司会者だった。彼の前には黄色い箱が置かれていた。
「私がこの箱からボールをふたつ取り出し数字を読み上げます!呼ばれた2名が晴れてパートナーとなります!」
円形ステージの下には参加者が集合していた。仮面の闘士たちの熱い視線を浴びて司会者はこぶしをつくり、片手を掲げた。
「仮面武闘会は2対2で戦うタッグマッチ!選ばれたパートナーとチカラを合わせ、優勝を勝ち取ってください!それでは、始めます!」
司会者は箱に手を入れ、最初のボールをつかんだ。
「番号11!おーっと最初に選ばれたのは初参加の11番の方でした!さあ11番の方ステージへどうぞ!」
 仮面の下の表情は読みにくいが、イレブンはまだ多少不機嫌なようすだった。が、呼ばれたのが自分の受付番号だと気づいたらしくおおまたにステージへ向かった。あいつのパートナーが誰になるかわからないが、そいつは気の毒なこったな、と仮面の下でカミュは思った。
「さあさあ、誰だ、誰だ!11番のパートナーは誰になるのか!?」
司会者は箱の中に手を入れ、ぐるぐるかきまわしてボールを取り出した。宙へ差し上げたボールは明るい黄緑色だった。
「8番!8番が選ばれました!それでは番号8の方、ステージにどうぞ!」
 かつん、と靴音がした。すねまでレースアップした緑のブーツの黒いヒールがコロシアムの石段を踏んだ。ブーツをはくのは、眩しいほど白い太ももの美しい足だった。美脚は緑の巻きスカート状の着衣で隠されているが、腰から上は黒の短めのインナーの上のホルターネックのレザーの胸当てだけだった。レザーの胸当ては見事な椀型にふくらんでいる。
 若い女だった。紫がかった黒髪は腰にかかる長さがあり、後頭部でひとつにくくっている。紫の蝶を模した仮面で素顔を覆っていても肌は色白、唇は桜色、眼は紫水晶と、凛々しい美貌を感じさせた。
 へえ、とカミュは彼女を眺めていた。おそらく男からの視線にも女からの視線にもなれているのだろう。堂々としていた。
 そのときカミュは、妙なものに気が付いた。イレブンベビーだった。本体のイレブンサイコは、司会者の横に立ったままだった。が、影の存在になったベビーは目を輝かせ、うれしそうに女武闘家のところへやってきた。彼女が気付かないのをいいことに、前から眺め、後ろから追いかけ、真横に並んで歩き、キラキラした目で見つめていた。
――勇者様でも巨乳には弱いか。
それにしても露骨だった。カミュはちらっと本体、イレブンサイコに視線をあてた。サイコの方は相変わらず、十六にしてはだいぶ偉そうな雰囲気で無表情を守り、黙っていた。
「すかしたツラしやがって」
カミュはにやりとせずにはいられなかった。
 蝶の仮面の女は壇上へ上がると片手をイレブンに差し出した。
「よろしくね」
イレブンがその手を握ろうとした瞬間、声がかかった。
「ちょっと待ったぁ!!」
抽選前の参加者の一人が手を上げていた。赤に金の模様入りの上着を着た小柄な男で、白と金のロングノーズの仮面をつけていた。男はステージへ上がると司会者に向かって文句をつけた。
「どこのウマのホネかもわからんヤツに姫の相棒などまかせられん。この抽選は取りやめてもらおう」
闘士にしてはけっこうな年よりのようだった。司会者は両手を前に出してまあまあという身振りをした。
「し……しかしそう言われましてもこれは規則ですので……」
老人はてのひらを上に向けて指をひらひら動かした。耳を貸せ、という意味のようだった。司会者は顔を寄せた。老人が何事かささやいた。
「えっ!!」
司会者は突然声を上げた。
「ただ今聞いてまいります!」
年寄りが鷹揚にうなずいた。司会者は走って姿を消した。どうやら、8番の女武闘家は、この老人にかっさらわれるようすだった。
「残念だったな、勇者様?」
ひそかにカミュはつぶやき、そして、驚きに目を見開いた。
 イレブンベビーはそこにいた。今度は美女から離れ、後からやって来た年寄りのそばに寄ると、身をかがめ、不思議そうに顔を覗き込み、まわりをぐるぐる回っていた。まるで子犬が匂いを確かめているようだった。
――何やってんだ、あいつ?
警戒しているのとは違う。興味深いというより、どこか嬉しそうだった。あげくのはてに、小柄な年寄りに合わせてすぐそばに膝を抱えて座り込み、ぽやんとした笑顔で寄り添った。
 観客がどよめくなか、司会者は大急ぎでもどってきた。
「と……特別招待枠として8番の選手はこのご老人のパートナーに決定いたしました!11番のパートナーは選びなおしとなります!」
「おい!いったいどういうことだ!」
「きたねえぞ!公平にやりやがれ!」
次々上がる不満を司会者は両手で抑えた以下のような身振りをした。
「ど……どうかお静かに!こちらは決定事項ですのでもうくつがえることはありません!そ……それではっ11番のパートナーを選びなおします!」
司会者が箱から引いたのは黄色いボールだった。
「7番!7番の方、ステージにどうぞ!」
闘士たちは自分の番号を確かめていた。
「やあ、オレみたいだな」