店のカウンターの上には、酒の空き瓶やグラスが散らばっている。そのまんなかに一人の男が突っ伏していた。酒場の亭主が入ってきた客に声をかけた。
「へろへろ!ちょうどいい、あんたんとこの勇者を引き取ってくれよ」
いかつい顔、大柄な体に戦士の鎧姿のへろへろは、見た目と異なり気が優しく、パーティの世話係ポジションでもある。
「でろりん、呑み過ぎだ。帰ろう」
パーティのリーダー、勇者でろりんは、ぐでんぐでんになっていた。
「うるせえよ……ちっとも酔えねえんだよ」
へろへろはよっぱらいの背をさすった。
「ずるぼんのことか?」
しばらく沈黙した後、でろりんの喉から嗚咽がもれた。
なあ、とへろへろは言った。
「オレだってあの子がパーティ抜けるのは寂しいよ。でも、故郷へ帰って土地の人と結婚するなんて、めでたいじゃないか。仲間なら祝福してやれ」
「そうじゃねえんだよっ!」
酔っぱらい特有の逆ギレが返ってきた。
「どんなツラで嫁入りすんのか見てやろうと思ってアイツの村まで行ったら、おばさんたちが……親戚とか母親らしいのとか姉らしいのとかが……ずるぼんに『これからは身の程わきまえるのね』『世話になった恩があるでしょ?』『世界中ほっつきあるいて、好き勝手してきたツケを払うときよ』だとさぁ!」
「そいつは、ひどい」
「いつものずるぼんなら、ひとつ言われたら十くらい言い返すじゃねえか。それなのに、結婚相手だっていう男の母親が『家風をたたきこみます』とかほざいて、その息子がヘラヘラ笑ってんのに、アイツ何も言わねえんだ」
でろりんの手がグラスを探り、ひと息にあおった。
「ずるぼんのやつ、いつもみたいに『玉の輿よ~』ってはしゃげばいいじゃねえか。なんで下向いて唇を噛んでんだよ。喜べばいいじゃねえか、『あんたらとも貧乏暮らしともおさらばだわ、ほほほっ』って。なんだよ、涙目のまんま必死で笑って『さよなら』だと?何なんだよ、ちくしょう!」
グラスがカウンターにたたきつけられた。
へろへろはでろりんの腕の下に自分の肩を入れて立ち上がらせた。
「もういい。宿へ帰ろう」
「かえって、どうすんだよ……」
でろりんは酔いつぶれかけていた。その体をかるがると背負い、へろへろはつぶやいた。
「まぞっほに相談するんだ」
●
翌朝、でろりんは安宿の一室で文字通り頭を抱えていた。
「がんがんするぜ……」
「呑みすぎたんじゃ、しかたあるまい」
とまぞっほは突き放したが、へろへろは二日酔いに効くお茶をマグに注いで、でろりんの手にもたせた。
「まあ、話はへろへろから聞いた。このままにはしておけんよ」
でろりんは、ひとくちお茶をすすった。
「けどよ。アイツが身を固めるって決めたなら、オレたちが口を出せることじゃねえよ」
「自分で決めたというより、義理を詰められて逃げられないというとこじゃろうな。せめてもう一回会いに行って、後悔しないかと聞いてやるべきじゃないか?」
でろりんは目をそらした。
「オレなんかが行ったってよ……。一緒のパーティだった、ってだけの仲だ。それも、偽勇者。本物じゃねえ」
「本物かどうかなんぞ聞いておらん」
まぞっほはわざわざ正面へ回り込んだ。
「おまえがどうしたいかを聞いとるんじゃ。惚れた女に目の前で泣かれて、おめおめ引き下がるんか!」
まぞっほ自身は気づいていないが、真剣になったときのまぞっほの言葉には、勇気をかきたてる力がある。
「なあ、わしの年になってから後悔しても、遅いんじゃよ」
でろりんは目を見開いた。薬草茶のマグを傍らのテーブルにおいた。
「オレは、どうすれば」
にやりとまぞっほは笑った。
「悪だくみは、得意じゃろ?」
●
部屋の扉が開く音がした。ずるぼんの目の前に何かがつきだされた。
「あんたの昔の仲間から。結婚祝いのドラジェだって!」
見張りの女たちがいっせいに見に来た。
ドラジェは、アーモンドにパステルカラーの砂糖がけをほどこした祝い菓子だった。結婚祝いは花柄の布をしいたかごだったが、祝い菓子はなく、かごの底にお祝いのカードが一枚あるだけだった。
「お菓子はこっちで食べたわ。文句ないわよね!」
村へ戻ってからずっとこれだった。村の金持ちの息子と結婚しろと言われた。結婚式の準備も、ずるぼんに何の相談もなく、さくさく進められていた。
ずるぼんは、かごからカードを取り上げた。
「結婚おめでとう。お幸せに」
だが、裏面に別の文章があった。
「そこから逃げられるぞ。監視がゆるんだら知らせる。毎晩月を見ろ」
ずるぼんは息を呑んだ。あわててカードを手のひらに握りこんだ。
●
こうしてずるぼんは、毎晩月を見上げるようになった。同じ月を、でろりんたちも村の近くで見ている。女たちの気が緩み、監視の目が薄れるのをへろへろとでろりんが交代で見張っていた。
「ずるぼんが大人しくしているせいか、だいぶ監視が手抜きになってきたぞ。夕べは見張りが居眠りしていた」
「あとはまぞっほ次第だ」
魔族の使う鏡通信を月面でやるために、まぞっほはこのところ毎日マトリフにしごかれている。
「ここでびしっと決めんことにはただのしごかれ損じゃ!やるぞい!」
頼んだぜと言って、でろりんも満月を見上げた。
「囚われのお姫様を助け出すのは勇者の仕事と決まってんだ、偽物でもな」
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数日後に結婚式を控えて、その夜は本家で新郎予定のお坊ちゃまを囲むバチェラーパーティがあった。本家から、分家、使用人、ご近所にも前祝の酒と料理がふるまわれた。そして本家から少し離れた家の二階にも厨房から酒のおこぼれが届いた。そこは村の女たちが交代でずるぼんを見張っている部屋だったが、その夜だけは見張りにも酔いが回っていた。
「ひとりだけ幸せになろうなんてさあ、わがままだよねぇ!」
見張りの中の、酒が好きなくせに酒に弱い女が、あっちこっちにからんでいる。見張り仲間にだんだん相手にされなくなり、酔っぱらいはとうとうずるぼん一人を相手にわめきだした。
「あたしらがこの村でず~~~っと苦労してきたとき、あんた何やってたんだい」
ずるぼんは逃げられないので、窓際の椅子に座って窓から夜空を見上げている。酔っぱらいのからみは聞き流しているようだった。
「まじめに聞いてんのっ?!」
酔っぱらい女は泣きだした。
「ずっとがまんしてるのに、いいことなんてありゃしない!狭い村、いやみな婆ぁに、えらそうな爺ぃ。それなのにさあ!なんであんただけ?あんた一人幸せになるなんて許さない!」
部屋にいた女の一人が、その肩をそっとたたいた。
「大丈夫よ、姉さん。この子、逃げられないよ」
この村では同年輩の女たちは「姉さん」と呼び合う慣習がある。そもそも、結婚や養子によって村の者はたいてい親戚どうしだった。
「あたしらがこうしてこの子を見張ってるし、一階にも見張りがいるでしょ?第一、村のもんはみんなこの子の顔を知ってるから、万が一この家から出られても村の門は抜けられないよ。本家の兄さんたちが守ってるんだもの」
ちらちらずるぼんのほうを見ながらいやみったらしくそう言った。ずるぼんはためいきをついて窓越しに月を見上げた。
「なにその態度」
他の女が酔った勢いでためいきをとがめた。
「ちょっと顔がよくて垢ぬけて帰ってきたからって、この村じゃ通用しないよ!あんた、あたしらを怒らせたらどうなると思ってんの!」
ずるぼんは黙っていた。黙って月面を読んでいた。
「人のこと無視?こっち向きなさいよ!」
くるりとずるぼんが振り向いた。何を思ったのか、今まで座っていた椅子の上に立ち上がった。朱色のインナーの上の青い法衣のすそが、夜風にひるがえった。
「ここは二階よ。飛び降りるなんて馬鹿はやめるのね」
少し酔った女たちはずるぼんを取り囲んでいた。
「いい?あんただけこの村から逃げるなんて、あたしら許さないからね?」
ふん、とずるぼんは鼻で笑った。
少し前までの、委縮しておとなしい女はどこへいったのだろう。村を出るなんてわがまま、と責められて半泣きでうつむいていた女は。
「ちょっと!」
「姉さんたちも、逃げりゃいいじゃん」
虚を突かれて、女たちは沈黙した。
ずるぼんが部屋を見回した。
「あたしはこの村が嫌いだったから、まだガキのころに家出して出て行った。だから知ってんだけど」
にやっとずるぼんは笑った。
「この窓の下は、一階の屋根さ。前の家出ン時も、こっから出てったんだから!」
言い終わると同時に、窓から飛び出した。
一番前にいた女があわてて窓から身を乗り出した。ずるぼんは二階の窓から一階の屋根へ落ち、そこから物置の屋根に移って柵を超えようとしていた。
「誰かっ、本家に知らせて!」
知らせは村のあちこちに飛んだ。が、振る舞い酒のせいでいい気分になっている者が多く、反応はいまいち鈍かった。
「誰か、村の入り口を見に行って!」
「だめよ、いないわ!」
見張りの女たちだけが右往左往している。
「見てっ」
誰かが叫んだ。松明の灯りの中に朱と青の色彩がちらりと見えた。脱走者を追いかけようと女たちがいっせいに走り出した。
「どうする気?村の地形は知ってるだろうに」
ずるぼんは守りの固い村の門へは行かずに、その反対へ向かっていた。
「あっちは崖よ!」
村のそばを流れる川は、その場所に崖をつくりだしていた。崖の上は林だった。暗い夜、そんな足元の見えないところを走るのは自殺行為だった。
女たちのかかげる松明が、樹木をぬって動くずるぼんを照らし出した。ずるぼんは崖の下をのぞきこんでいるようだった。
「バカッ、戻りなさいよ!」
崖っぷちぎりぎりに生えた一本の樹に手をかけてずるぼんがふりむいた。走って息が荒くなったずるぼんが、にっと笑った。もともと整った顔なので、気圧されるような迫力があった。
「誰が戻るかっての。あんたらとはおさらばよっ」
そう言うと、背を向けて、踊るように崖の縁を跳んだ。
●
崖の下でも、村の大騒ぎがよく聞こえた。
「まぞっほ、ずるぼんはどこから落ちればいいか、わかってんだろうな?」
でろりんが小声でたずねた。
「大丈夫。ちゃんと知らせてある。ほれ、このランプを持って大きく振りなさい」
でろりんはランプを頭上に掲げてくるくる振りまわした。
バサバサバサ……と小枝が音を立てる。木の間をすり抜けて、ずるぼんが落ちてきた。落ちた先は、でろりんたちがつみあげておいた干し草の山だった。
「ずるぼん、無事か!」
「しっ、声をだしちゃいかん。ランプの灯りも隠せ」
とまぞっほが言った。
「へろへろ、手筈の通りに」
ん、とへろへろがうなずき、用意してあった僧侶の青い法衣と帽子を川岸から流れに投げ込んだ。
「村の連中、あの服を追いかけて下流まで行くはずだ」
でろりんは押し殺した声でそう言った。
「やつらがいなくなったら脱出するぞ」
その手には、キメラの翼があった。
●
少し離れた町の宿で、テーブルを囲む一行があった。
「無事脱出を祝って~」
「かんぱ~い!」
と声が重なった。
ほとんどひと息に酒を飲み干して、ずるぼんはぷは~っと声をあげた。
「おいしい。自由の味がするわ!」
あはは、と笑い声が起こった。
「ここまでくりゃ、追ってこれんじゃろ。ずるぼんも、もうあの村に近寄らん方がいい」
まぞっほがそう言った。
「近寄るもんですか。あたし、川で溺れたことになってんだもん」
おずおずとへろへろが言った。
「未練、ないのか?」
ずるぼんはにやっとした。
「あるわよ~?一発でいいから、あの婚約者だって野郎に蹴り入れてやりゃよかった。姑未遂の婆もぶん殴ってから逃げりゃよかったわ」
思い出し怒りなのか、ずるぼんは拳を握りしめた。
「第一、このあたしが手ぶらで逃げたなんて、なんてことよ!金目のもんでもちょろまかしてくりゃよかった」
「変わらんのう!」
とまぞっほが笑った。
「そうそう、パーティとしちゃ大赤字だ。残念だったなずるぼん、おまえ、また貧乏暮らしだぜ」
と、でろりんがからかった。
はぁ~っとずるぼんは芝居がかったためいきをついてみせた。
「あんたのせいで、また嫁きおくれちゃったわよ」
なんだとぉ?とでろりんは顔を近づけた。
「だいたいおまえが」
いきなりずるぼんは、でろりんのマントの喉のあたりつかんで引き寄せた。
「……ありがと」
ちょっときつめの華やかな顔が、酒と照れで赤く染まり、目が潤んでいる。
――いきなり素直になるんじゃねーよ。
反則級に可愛い顔が至近距離にある。でろりんは口もきけずに、ただぼけっとずるぼんの顔に見とれていた。